我々の「心」は「気」によって成立しています。

「気持ち」は「気を持つ」と書き、「気分」は「気を分かつ」と書くのは、我々は「気」を「持つ・分かつ」ことによって、「気持ち・気分」を抱いてるからです。昔の日本人は「気」のことを現代人よりも理解していたが故に、「気」についてどのような理解をしていたのかを言葉の構造に分かりやすく表現してくれています。だからこそ、言葉には我々が忘れてしまった「気」に関する真実が残っています。

そして、「気持ち・気分」の次に出てくるものが「思考」です。「気持ち・気分」と「思考」は密接に結びついています。「気持ち・気分」が良い時は良い「思考」が、「気持ち・気分」が悪い時には悪い「思考」が出てくるものです。例えば、「元気」な時は「元気」な「思考」が生まれ、「怒り」を抱いた状態で「優しさ」の「思考」をすることなどは不可能です。つまり、「気持ち・気分」はいつも「思考」に大きな影響を与えています。

「心」は「気持ち・気分」と「思考」が合わさったもののことです。そして、「気持ち・気分」は「気」によって成り立っていて、「気持ち・気分」はいつも「思考」に影響を与えます。だからこそ、我々の心は「気」によって成り立っているということが言えます。

例えば、大自然の中にいると、「気持ち・気分」がとてもいいものです。それは自然の持っている良い「気」を我々が受け取り、その「気」によって「気持ち・気分」をいい状態にするからです。そして、そういった状態の時に浮かんでくる「思考」もとてもいいものです。このような形で我々の「気持ち・気分」と「思考」に「気」は関わっています。つまり、我々の心に「気」はいつも影響を与えています。

このことを理解するだけでも、「幸せ」になりたいのであれば自然の中で生きた方がいいということが分かります。何故ならば、「幸せ」とは「心」の状態であって、自然は我々の「心」をいい方向へ導いてくれるからです。多くの人は「幸せ」になりたいと思っていると思います。しかし、「幸せ」になるために自然の中で生きた方がいいと思っている人は多くありません。そのことの背景には、日本人全体が、自然は我々にどのようないい影響を与えているのかを理解していないという理由があります。つまり、「気」のことを理解していないということが、日本人が「幸せ」になることを邪魔しています。

このような意味で、「気」のことを理解することは「幸せ」について理解することと繋がっています。だからこそ、「気」について理解し、自分の「心」の成り立ちについて理解することはとても大事です。

どうか、「気」のことを理解することで御自身が「幸せ」になりやすくなり、そして周りの人を「幸せ」にして頂ければ、と思っています。「幸せ」は広がっていくものです。何故ならば、心が「闇」に堕ちている状態では他人に対して「愛」を実践することは難しく、心が「幸せ」な時は他人に対して「愛」を実践しやすいからです。御自身が「幸せ」になり、周りの人に対して「愛」を実践することによって、相手もまた「幸せ」を感じ、「誰かのため」に「愛」を実践することができる。このようにして、「幸せ」は広がっていきます。

このページでは「気」について理解を深めて頂くために、我々の周りを取り巻く「気」が我々の心にどのような影響を与えているのかということについて具体例を挙げながら説明していきたいと思います。

 

【太陽を浴びる場面】

太陽を浴びていると我々の多くは「気持ち・気分」が良くなります。そして逆に、暗い部屋にいると我々の多くは「気持ち・気分」が良くありません。また、それとは正反対に、太陽を浴びていると「気持ち・気分」が悪く、暗い部屋にいる方が「気持ち・気分」がいいという人もいます。両者にとって共通で言えることは、同じ人間なのに、場所が変わってしまうだけで「気持ち・気分」はとても変わるということです。では、その根本的な原因は何なのか、というと我々がその時に摂取している「気」の違いです。

「気」は大きく分けて2種類であり、「光の気」と「闇の気」になります。「光の気」は「良い気」、「闇の気」は「悪い気」という理解をして頂ければ、と思います。「陽気」と「陰気」という言葉も「光の気」と「闇の気」の言い換えになります。基本的には「光の気」をもらうと「気持ち・気分」は良くなり、「闇の気」をもらうと「気持ち・気分」は悪くなります。

太陽光線には「光の気」が乗っています。そして、暗い部屋には当然太陽光線が無く、太陽光線に乗っている「光の気」もありません。その「光の気」の有無が、「気分」の良い・良くないの違いを生んでいます。(太陽光線に乗っている気とは「火の気」です。詳しくはこちらに書いています。http://junashikari.com/emotion/火の感情について/

「気」というものは万物に宿っていて、我々の身体にも宿っています。そして、「気」は一つの明確な法則を持っています。それは「光の気」は「光の気」を求め「闇の気」を求めず、「闇の気」は「闇の気」を求め「光の気」を求めないという法則です。つまり、同じものは引き合い、相反するものは対立するという法則です。

この法則は恋愛のことを考えると、とても分かりやすいです。「愛(光)」の強い男性は「愛(光)」の強い女性を求め、「欲望(闇)」の強い女性を求めません。それと同様に、「欲望(闇)」の強い男性は「欲望(闇)」の強い女性を求め、「愛(光)」の強い女性にはすぐ飽きます。「愛」は「光」であって、「欲望」は「闇」ですが、この「光」と「闇」の法則はこの世界の全ての事柄において成立します。

身体が「光の気」で満ちている人は太陽から来る「光の気」に対して「心地良い」と感じます。何故ならば、「光」と「光」は求め合うからです。そして、身体に「闇の気」が多く宿っている人は太陽から来る「光の気」に対して「嫌悪」を感じます。何故ならば、「闇」は「光」を求めないからです。

また、同じ人間であっても身体の調子によって太陽を浴びたくなったり、太陽を浴びたくなかったりします。それは身体の調子がいい時は身体に「光の気」が多くある時であり、身体の調子が悪い時とは身体に「闇の気」が多くある時であって、その「光の気」と「闇の気」のバランスによって、太陽を浴びたいかどうかという「気持ち・気分」が変わってくるからです。「光の気」が「闇の気」よりも優勢の時は太陽を浴びたくなり、「光の気」が「闇の気」よりも劣勢の時は太陽を浴びたいと思わなくなります。

このホームページを初めて開いた時にこの文章を読む方もいると思いますが、そういう方にとっては少し細かく伝え過ぎだと思っています。とにかく、最初の段階で理解して頂きたいことはたった一つです。太陽を浴びていると大抵の人は「気持ち・気分」が良くなるという事実から、我々の「気持ち・気分」とは外界から強い影響を受けていると間違いなく言えるということです。そのことを促しているのが、外界の「気」です。

太陽の「光の気」については、こういう風にも理解できます。例えば、太陽を浴びながら他人のことを恨むようなことを考えてみて下さい。それはきっと難しいはずです。なぜならば、太陽の「光の気」は「恨み」といった「闇の気持ち」と矛盾するからです。逆に、太陽のない夜中にパソコンに向かって他人のことを恨むことをやってみて下さい。太陽の「光の気」がないので、日中よりも簡単に人を恨むことができます。

我々は自分の「気持ち・気分」がどのように成立しているのか、ということを本当によく理解していません。だからこそ、「闇の気」を気付かぬ内に身体に多く摂取し、その結果悩み始め、考えることによってその悩みの答えを出そうとしてしまっています。この態度は間違っています。

もし何か悩んでいる時はまず太陽を浴びて下さい。そうすると「何故私はこんなことで悩んでいたのだろう」と思う方もきっと多いはずです。我々は本当に「思考」優先型の生き方をしているので気付くことができていませんが、悩むことによって苦悩するのは、「気持ち・気分」がいい状態ではないからです。だからこそ、悩んでいる時にはまず最初に「気持ち・気分」をいい方向へ向ける必要があります。そして、我々人間は太陽を浴びたり、運動をすることといった「気持ち・気分」をいい方向へするための方法を持っています。ですから、何かで悩んでいる時は「気持ち・気分」を変えるために、太陽を浴びたり運動したりといったことを実践して頂けると幸いです。そうすると、身体に「光の気」を多く抱え、不愉快な「気持ち・気分」を抱きにくくなります。

「気持ち・気分」が堕ちている時に「思考」をしても、悩みの種に対する解決策は浮かびにくいです。逆に、「気持ち・気分」がいい状態だと、いい「思考」が生まれやすくなります。そういう意味でも、悩みを抱える時はまず最初に「光の気」を受け取るために、太陽を浴びたりすることが大事になります。

 

【ある人と接する場面】

ある人と接しているととても「気持ち・気分」が良く、ある人と接しているととても「気持ち・気分」が悪いということを多くの人は経験したことがあると思います。たとえ、その両者が同じような内容を話していたり、同じように振る舞っていたとしても、相手が違うと全く異なる印象を受けたりします。そういった違いを促しているのが、接している相手の持っている「気」の違いです。そして、我々は相手の「気」を五感によって感じています。

太陽を浴びることと全く同様に、それぞれの人間はお互いに「気」を与え合っています。例えば、夫婦の性格は似ていったりしますが、夫婦は一緒に過ごす時間が長いが故に、「気」の交換をよく行い、その結果として抱きやすい「気持ち・気分」が似てくるからです。このように、人間同士も太陽と人間の関係性のように、「気」を与え合っています。人間はそういった「気」の与え合いを五感によって行なっているので、五感で分けて書いていきたいと思います。


[聴覚]

声とは音であり、音とは波動です。そして、波動には「気」が乗ります。ですから、声にはその本人の「気」が乗ることとなります。つまり、我々は誰かと話している時、その話している相手の声から多くの「気」をもらっています。その「気」が自分にとって好ましい「気」であれば我々は心地良く感じ、好ましくない「気」であるならば我々は不快に感じます。好ましく思うかどうかは、先程の「光」は「光」と引き合い、「闇」は「闇」と引き合うという法則に依っています。

(余談ですが、音には「気」が乗るからこそ、歌にも「気」は乗ります。このことが、我々が歌によって「心」を動かす大きな原因の1つです。)


[視覚]

また、声だけでなく、その人の目を見れば相手からの「気」を目から摂取することになります。何故ならば、「目は心の窓」と昔から言われるように、目はその人の内側と外側を繋ぐ窓であって、目からはその人の「気」がとても多く出ているからです。医学的には同じような目をしているのに、人の目が全く異なって見えることの根本的な理由もこの点にあります。「目は心の窓」なので、目にはその人の内面が強く反映されます。

「気」に関して敏感な人であればあるほど、「あの人の目はどうしても見れない」というような経験をしたことがある方は多いと思います。それは、その相手の持っている「気」が自分にとって好ましくないからです。例えば、「愛」に満ちた人はとてつもなく「欲望」の強い人の目はあまり見たくないと思ったりしますが、「光」は「闇」を求めないからこそ、このような現象が起こります。


[触覚]

もし相手に触れたり、相手に触れられるのであれば、我々は多くの「気」を相手から受け取ることになります。触ることもまた「気」の交換です。だからこそ、手を繋いでいる時の感覚というものは、相手が違うと全く異なる印象を受けます。また、それは手というものが「気」を出し入れする上で、とても優れていることがその原因ともなっています。

また、その相手がどういう「気持ち・気分」で自分の手に触れるのかということも重要です。例えば、相手が「愛」で自分の手に触れる時と、相手が「欲望」で自分の手に触れる時では、自分が受け取る「気」も変化します。「愛」で触れられると「愛の気」=「金の気」を受け取り、「欲望」で触れられると「欲望の気」を受け取ります。

これも「愛」を求めている人であれば、「愛」で自分に触れてくる人のことを好ましく思い、「欲望」を求めている人であれば、「欲望」で自分に触れてくる人のことを好ましく思います。これも「光」は「光」と引き合い、「闇」は「闇」と引き合うという法則です。


[嗅覚]

ある人の匂いが「いい匂い」と感じたりすることはあると思います。そして、そんな時にその場に居合わせている周りの人に確認を取ると、他人が自分と同じように感じているわけではないということを経験したことがある方もいると思います。例えば、ある人はAさんの匂いを「いい匂い」と感じ「気持ち・気分」が落ち着き、ある人はBさんの匂いを「いい匂い」と感じ「気持ち・気分」が高ぶる、といった形です。とにかく、我々は相手の匂いによって「心」を動かしています。

ここに詳しく書いていますが、「匂い」とは「気」そのものです。我々の嗅覚は「気」を感じています。
http://junashikari.com/body/匂い(におい)について/

これも「光は光と引き合い、闇は闇と引き合う」という、自分との相性が良い「気」を持った人間の匂いを我々は好ましいと感じています。ただ、人間はまだ匂いに関しては他の感覚よりも比較的、「気」を感じる能力が衰えていないので、相手の持っている「気」を細かく分けて認識できています。「光」は「光」と引き合い、「闇」は「闇」と引き合うという法則はもちろん前提としてありますが、「光」の中でも種類は無限であって、「闇」の中でも種類は無限にあります。ですから、匂いの場合は、他の感覚器官よりも細かく自分にとって相性のいい「気」を持った人を嗅ぎ分けているとも言えます。


[味覚]

あなたがもし異性とキスをするならば、その味というものを感じ、「気持ち・気分」を変化させます。これも自分と近い「気」を持った人のキスの味を良いものと感じ、自分と遠い「気」を持った人とのキスの味を悪いものと感じます。そして、相手の「気」を感じることによって我々は「気持ち・気分」を動かします。相手が異なると、キスをしている時の「気持ち・気分」は異なるものですが、それは相手の持っている「気」が異なるからです。キスの場合はその「気」を味覚を通して感じることになります。
 

[ある人と接する時についてのまとめ]

我々が他者について抱く「気持ち・気分」の原因について、「直感」「なんとなく」という言葉で済ませてしまっていることの背景にはこういった理由があります。また、「気」を感じる力を「第六感」などと言うこともありますが、「気」を感じるということは五感とは別にあるのではなくて、五感のそれぞれで日常的に我々が行なっていることです。第六感という発想は良くなく、「気」を感じることは、どんな人であっても日常的に行なっていることだと理解して頂けると幸いです。ただ、「気」にどれだけ敏感かということには個人差があります。

重要なことは、我々はこのような形で他者の「気」を感じる時、それらの「気」を自分の身体にもらっているということです。逆に言うと、身体に入ることなしに感じることは不可能です。いつも「気」を感じることということは「気」をもらっているということはよく覚えておいて下さい。

ある人とコミュニケーションを取る際の五感を通した全ての例を挙げたかったので、手を繋ぐことやキスなどの話になりましたが、対人間で行なわれる最も強いコミュニケーションが性行為です。性行為もまた相手が変わると全く異なる印象を持ちます。つまり、相手が異なると違う「気持ち・気分」を抱きます。それは、相手の持っている「気」が異なり、なおかつ性行為というものが相手の「気」を強く感じる行為であるためです。

どうして相手の「気」を強く感じるかというと、性行為の間、我々は全身を使って相手を強く感じようとし、そして五感全てを最大限に使うからです。相手の声を聞き(聴覚)、相手を見て(視覚)、相手に触れ(触覚)、相手とキスをし(味覚)、相手の身体の匂いを感じます(嗅覚)。

我々が「気」について感じる能力が衰えていても、性行為は強い「気」の交換ですから、性行為のことを考えて頂ければ、「気」と「気持ち・気分」の関係性は現代人にとって分かりやすいかもしれません。性行為についてはここに詳しく書いています。http://junashikari.com/act/セックスと自慰行為について/

 

【その他の場面】

ここでは、太陽を浴びている時の例と、人間同士のコミュニケーションを例として話しましたが、「気」というものはそれだけの問題ではありません。何故ならば、万物には「気」が宿っていて、我々は外界の全ての「気」の影響を受けながら生きているからです。

誰と時間を過ごすかということも、物を食べることも、シャワーを浴びることも、窓を開けるということも、どこに行くかことも、どこに住むかということも、どんなテレビを見るかということも、どんな音楽を聴くかということも、どんな服を着るかということも、どんな靴を履くかということも、ありとあらゆる日常的に我々が行なっている行為が我々の摂取する「気」を決定します。

つまり、我々は自分の日常的な決定によって、自分がどういう「気」を受け入れるのかを決定しています。しかし、現代人は「気」のことを忘れてしまっているが故にこの点を見落としがちで、無意識に「闇の気」ばかりを摂取する傾向があります。

例えば、地下鉄はかなり「闇の気」が溜まっていて、空気が重いです。だからこそ、地下鉄で通勤通学を行なっていると、陸上を走る電車を使う場合よりも、「心」が「闇」に堕ちやすくなります。そういったことを踏まえて、どの電車を使って通勤通学をするのかを決めるべきなのですが、現代人はそのような考え方で通勤通学方法を考えることはありません。

また、こういったことを踏まえて各鉄道会社はそれぞれの車両の換気をもっと行なうべきです。しかし、車両はいつも窓もドアも閉め切っていて、電車の中には大量の「闇の気」が溜まってしまっている現状があります。各鉄道会社が車両の換気を行なうだけで、その電車を使う人々が「闇の気」を受け取ることが減ります。そうすると、その電車に乗る人々の「心」が「闇」に堕ちにくくなります。これは電車だけではなくて、会社のオフィスや学校の教室なども同様です。換気をするのであれば、その部屋の中に溜まった「闇の気」が浄化され、我々の「心」は「闇」に堕ちにくくなります。

もし日本人全体が部屋の換気を心がけ、日本全体の鉄道会社が電車車両の換気を行なうようになれば、確実に日本人の自殺率も鬱病患者の割合も大幅に減り、「幸せ」を感じながら生きる人も増えます。たかが換気なのですが、日本人が「気」のことを忘れたが故に多くの人が換気を行なうことができていない現状があります。これはあまりにももったいないことです。

どんな「気」を自分が受け入れるのかを「選択」するということが、自分の「心」の状態を決定していきます。現代人はこの「選択」をすることができず、自分自身が意図せず受け取った「気」に振り回されてしまっています。例えば、多くの人は理由も無く「憂鬱」になったことがあると思いますが、それは御自身が意図せずどこかで「闇の気」を吸ってしまっているからです。そして、「憂鬱」に堕ちるが故に、自分自身が向かいたい自分へ向かうことを止められます。

自分が何を「選択」するのかということが、我々の「意志」そのものです。そして、「気」が影響を与える、我々の「心」というものは、我々が生きていく上で、我々にとって最も基本となるものです。そんな中で、我々が「気」の「選択」ができていない状況とは、我々が自分の「意志」で強く生きることができていない状態であるということを意味します。

このような状態を乗り越えるためにも、「気」のことを理解して頂き、自分がどんな「気」と共に生きていくのかを決め、その「気」を受け取るために努力して頂ければ、と思います。努力と言っても特別なことは何もなく、太陽を浴びたり、自然に触れたり、換気をしたり、運動をしたり、よく笑ったり、いい音楽を聴いたり、相手を大事にしながら生きるといった、当たり前のことばかりです。本当にこれらのことができたのであれば、御自身や、周りにいる方も「幸せ」になっていけます。

 

【最後に】

このホームページは何か特別なことを書いているわけではなくて、自然に触れることにはどのような意味があるのか、「愛」と「欲望」はどのように違うのかといった基本的なことの意味を解説しているに過ぎません。このホームページのトップページにも書いていますが、このホームページは「気」という「ルール」を説明しているだけになります。

「ルール」を知らなければ試合はできません。先程説明した「気」のことを忘れているが故に日本人の多くが換気をしなくなっているという事実は、「ルール」を知らないが故に、自分自身がその試合を自分にとって不利なものにしてしまっている状況と言えます。そして、我々は気付いていないだけで、本当にこのようなことばかりを行なってしまっています。例えば、太陽が「光の気」をもたらしていることは既に説明しましたが、だからこそカーテンもブラインドもできるだけ開けた方がいいということも言えます。しかし、そういった意識がないので、日本人はカーテンやブラインドを閉めがちです。これも、本当にもったいないことです。

こういった状況を改善していくためにも、「気」という「ルール」を学ぶことは大事であって、「ルール」を学ぶために、このホームページの色々な文章を読んで頂ければ、と思います。

このページでは、外界の「気」から我々の「心」がどのように影響を受けているのかということを書きました。外界の「気」の話は具体的に説明していく必要があります。例えば、何を食べるのか、何を着るのか、どこに住むのか、どんな音楽を聴くのか、ということも外界の「気」を摂取する1つの方法なので、それらの内容について具体的に説明を書いていく必要があります。このホームページの多くの内容は、外界の「気」についての解説だと理解して頂けると幸いです。

また、我々は外界からの影響だけで「心」を動かしているわけではありません。自分の中の「気」によっても「心」を動かしています。そういった内容について、『「気」と「心」の関係性2・3』に書いていますので、読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/「気」と「心」の関係性2(身体の「気」)/
http://junashikari.com/energy/「気」と「心」の関係性3(魂の「気」)/

また、「心」の動きについても具体的に説明する必要があります。この文章では「気持ち・気分」と「思考」の関係性の説明をあまりしませんでしたが、以下のページに具体的に説明をしています。

http://junashikari.com/energy/「気持ち」と「思考」の関係性/