ここでは、「闇を以て闇を制す」ことについて書いていきます。このホームページでは、ほぼほぼいつも「光を以て闇を制す」方向性で書いています。ですから、「闇を以て闇を制す」のアプローチについて紹介することはほぼ初めてのことです。是非このページから「闇を以て闇を制す」を少しでも理解して頂けると幸いです。

例えば、以下のような文章があったとします。

「誰かを嫌うと、その誰かと接する時にいつも心が不愉快になります。だから、誰かを嫌うことは結局は自分自身の首を絞めるので、人を嫌うことは避けた方がいいです。」

こういう文章は「欲望」によって「嫌悪」を制す文章です。つまり、「闇を以て闇を制す」方向性です。「不愉快な思いを自分がしたくないから、人を嫌うのをやめよう」という心は結局は「自分のため」であり「欲望」だからです。

こういった「闇を以て闇を制す」方向性は、「ストレート」ではないのですが、現代は「闇」の強い時代なので、こういうアプローチの方が人からの「共感」を得やすく、「闇」を制することに繋がりやすいです。こういった「闇を以て闇を制す」方向性の中には、他にも「ナルシズム(優越感・劣等感)」を使って「闇」を制す方向性などがあります。例えば、

「ちょっとしたことでイライラしてるなんて人間が小せーよ」
(「ナルシズム」を以て「嫌悪」を制す)
「あの子いっつも人の愚痴ばっかりで可愛くないよね」
(「ナルシズム」を以て「嫌悪」を制す)
「ビビって行動できないなんてダセーよ」
(「ナルシズム」を以て「恐怖」を制す)
「ダセーくせにカッコイイと思ってる奴が一番ダセーよな」
(「ナルシズム」を以て「ナルシズム」を制す)

といった形です。こういった「ナルシズム」は「闇」を制す上でかなり有効な一手です。人によっては、このことを「美学」という言葉を使って表現します。こういう「美学」は「闇」を制す上で結構有効なことは知っておくと便利かもしれません。

しかし、「ナルシズム」自体も「自分が人より優れていたい」という「欲望」なので、「ナルシズム」に同調し過ぎることは危険です。その「ナルシズム」に自分自身が囚われてしまい、「優越感」や「劣等感」の塊になってしまうからです。ただ、以下の「ナルシズム(美学)」さえ持っていれば、「ナルシズム」に堕ち過ぎることは防げるので、「ナルシズム」を使う方はこの「アイデア」を覚えておいて下さい。

「優越感なんてキモイし、劣等感なんてダサイ」
(「ナルシズム」を以て「ナルシズム」を制す)

我々は絶対に一番になんてなれず、一番でもないのに「優越感」を抱くなど「お山の大将」です。また、自分の足りない部分を理解した上で、「向上心」の方に行かず、「劣等感」に堕ちるなど「馬鹿」です。この「お山の対象」と「馬鹿」の論理さえ分かっていれば、「優越感なんてキモイし、劣等感なんてダサイ」の「アイデア」を使えるようになります。

一番いいのは、「ナルシズム」は自分の中にほとんど持たず、「ナルシズム」を持ってる人間に対して「ナルシズム」のアドバイスをすることです。例えば、

「お前さ、彼女の浮気を疑うなんてダセーよ。」
(「ナルシズム」を以て「疑い」を制す)

といった形です。「ナルシズム」を抱えている人間は、「カッコよさ・可愛さ・美しさ」などを目指してますから、そこに向かう「アイデア」を提示することによって、相手を何らかの「闇」から救い出せます。ただ、相変わらず「ナルシズム」に同調したままにはなってしまうので、注意が必要です。

「闇を以て闇を制す」アプローチを使う場合、大事なことは、そこで制しようとしている「闇」と、制するために使っている「闇」の大きさを比べることです。そこでもし、制しようとしている「闇」が制するために使う「闇」よりも大きければ「闇を以て闇を制す」ことは一つの一手となります。整理すると、

          「闇」を以って「闇」を制す
   闇の大小    小      大     →   有効(相手を闇から救い出す)
   闇の大小    大      小     →   逆効果(相手に闇を植え付ける) 

「光を以て闇を制す」のが基本です。しかし、「闇」の強い社会では、「光を以て闇を制す」アプローチを使っても、孤立するだけです。つまり、「皆、人のために生きようよ」なんて言っても現代は基本的に無駄です。何故ならば、こういう綺麗事は「ウザイ」と「嫌悪」されるからです。そして、こういう時代は「こっちの方がカッコイイ・可愛い・キレイ」と言った方が有効です。

また、「光と闇を以て闇を制す」アプローチもあります。例えば、

「人の愚痴を言っているとあなたがあまり可愛くなくなるから、私はあなたに愚痴を言ってほしくない。」
(「愛」を以て「嫌悪」を制す)
(「ナルシズム・欲望」を以て「嫌悪」を制す)

このアプローチは自分の「愛」も相手に伝わりますし、相手の「可愛くなりたい」という「欲望」も使うことができますし、「愚痴を言うことはブス」という「劣等感」の「アイデア」も使うことができます。そういう意味で、「光と闇を以て闇を制す」方向性です。

「闇」なんて人を苦しめるだけですから、人を「闇」から救い出すために、「光」も「闇」も使いこなせるようにして頂けると幸いです。

綺麗事(光)を言うことによって人から嫌われたら、自分の声は相手に届かなくなります。人は嫌いな人の言葉は聞こうとしてくれないからです。ですから、「光を以て闇を制す」という「ストレート」な方向性は「闇」を抱えている人に使うのは極めて危険です。

本当に「相手のため」を思うのだったら、一番有効なボールを相手に投げるべきです。その一つの球種が「闇を以て闇を制す」という「カーブ」であることを知って頂けると幸いです。そして是非、いい「カーブ」を投げられるようにして頂けると幸いです。


※何故こういう実践的な投稿を今までしなかったか

この投稿自体が「カーブ」ですが、何故こういう実践的な投稿を今までしなかったかというと、まず「ストレート」の種類を人に伝えたいと思ってるからです。変化球がメインになっては良くないです。何故ならば、「ストレート」しか投げられない場面はすごく多いからです。例えば、「カップラーメンばかり食べている人に対して、「カップラーメンを食べるなんてダサイ」という「カーブ」は投げられず「カップラーメンは体に悪い」という「ストレート」しか、基本的には投げられません。こういった形で、「ストレート」が好まれる状況はよくあります。

また、いい「カーブ」を投げられるようにするためには、様々なことを事前に理解しておく必要があります。何が「闇」なのかを事前に深く理解しておく必要がありますし、「闇」と「闇」の大きさを比べられるようにするためには、かなり深く「闇」について理解しておく必要があります。そういうことがあるので、あくまでも最初の段階で重要なことは、心のルールを深く理解することです。

心のルールを知ることは、野球の例で考えると、どこがストライクゾーンなのかを知ることと重なります。どこがストライクゾーンなのかを知らなければ、「ストレート」や「カーブ」を投げても、変なところに投げてしまうかもしれません。具体例に置き換えると、ストライクゾーンを知らずに「ストレート」を投げることは、「結婚すれば必ず幸せになれる」と思って親友に「結婚すればあなたは幸せになれるよ」というアドバイスをするような形です。このアドバイスはミスであって、いいアドバイスは「幸せ」は「欲望」ではなく「愛」の方にあるといったことを教えることです。しかし、こういう「ストレート」は綺麗事のように思われやすいので、「カーブ」でストライクゾーンを狙う方が無難なこともあります。どんな球種がいいのかはバッター(相手)に依ります。しかし、どんなバッターを相手にしていても、ストライクゾーンが変化することはありません。

だからこそ、まず初めに、ストライクゾーンがどこなのかを理解して頂けると幸いです。つまり、心の成り立ちを理解して頂けると幸いです。その次に、目の前の相手を「幸せ」にするためや、相手を「闇」から救い出すために、相手にどんな球種が有効なのかを考え、その球を投げて頂ければ、と思います。また、球をうまく投げるためには、様々な球種を事前に投げられるようにしておく必要があります。

ここでは大雑把に「ストレート(光を以て闇を制す)」と「カーブ(闇を以て闇を制す)」と分けましたが、「ストレート」の中にも種類があり、その大雑把な分け方が「水・火・風・土・金の気持ち」です。それに対して、「カーブ」の種類がこのページでも紹介した「欲望・ナルシズム」などです(他にも色々あります)。

それぞれの「ストレート」の個性の違いを理解しておくことはとても大事です。例えば、「水の気持ち(問題解決の心)」の「ストレート」は相手の「問題」を指摘するので嫌われやすいのに対して、「火の気持ち(元気)」で冗談っぽくアドバイスを言った方が嫌われにくいです。しかし、「水の気持ち(問題解決の心)」で相手に伝えた方が相手の心には強い経験になるのに対して、「火の気持ち(元気)」で相手に伝えても弱い経験にしかならず、アドバイスが伝わらない可能性が上がります。

こういった実践的な内容を理解することは、ストライクゾーンがどこなのかを理解した後にすべきことです。そういう背景があって、あまり実践的なことを今まで書いてこなかったと理解して頂けると幸いです。