物事を途中で止める要因とは様々です。ある人は「怠惰」だから止めてしまうのかもしれないし、「恐怖」や「不安」のせいで止めてしまうのかもしれませんし、それが嫌になって止めるのかもしれません(嫌悪)。そういった一つの選択肢として「逃げ」という感情があります。

我々は自分が物事を途中で止めた時に、どうして自分は止めてしまったのか、ということを分析しなければなりません。何故ならば、その理由を特定しない限り、あなたは自分の弱みを認識することができず、魂の修行を行なうことができないからです。「全ての障害は学びのためにある」とはよく言われますが、その障害を目の前にした時に、真の「向上心」を維持する者にとってのみこの言葉は当てはまる言葉です。真の向上心とは曇り無き眼で自分の心を見て、自分の弱さを受け入れられるだけの強さのことです。

「逃げ」とは「自分にそれをすることは不可能だと思う心」のことです。「もうダメだ」というような言葉がこの「逃げ」の感情をよく表現しています。逆に言うと、そこで「もうダメだ」と思わせているのがこの「諦め」の気に他なりません。

「逃げ」の気が「もうダメだ」と思わせる理由は、「逃げ」の気はあなたに「あなたにそんなことができるわけがないんだよ」と思わせることにあります。気が感情と思考の原因であるということはこれまでに山のように書いてきましたが、いつも気は我々の心の声となって我々に迫ってきます。

何かを継続的に行なっている時、ほぼ必ず何らかの障害物を我々は経験します。そんな時に「私にはこれは無理なのかなー」といった形で、この「逃げ」の気は我々自身の言葉として我々に話しかけるということです。この語り掛けに「同意」するのであれば、我々は「逃げ」を受け入れることとなります。

人間は気に対する認識が不十分です。その一つの大きな弊害が、自分の心の中の声とは全て自分の声だと思っている点にあります。言い換えると、自分の中に浮かんでくるアイデアは全て自分のアイデアだと思っている点にあります。その考え方をどうか変えて下さい。感情・思考・アイデアの原因は気ですから、全ての感情・思考・アイデアがあなたのものであるわけではありません。我々は自分の中に起こるそういった感情・思考・アイデアと常に「同意」というプロセスを行なうことで、それらを自分の感情・思考・アイデアにしています。この「同意」のプロセスが今の人間には欠けているのです。

その一つの大きな弊害が、この「逃げ」の問題です。我々は簡単に「逃げ」の気と「同意」をし、物事を諦めます。その「同意」さえあなたが行なわなければ、まだ闘いは終わらないのです。いつもあなた自身がどこかで「逃げ」と同意をすることによって何かを終わらせてしまっているのです。「もうダメだ」と思った時に「いや、まだやれるはず」と思うことで「もうダメだ」という言葉に同意をしないことを続ければいいのです。

始めることよりも続けることの方が大変です。なぜならば、時間軸上で考えるとよく分かりますが、物事を始めるというポイントは点であるのに対して、続けるということは線であるからです。そして、線とは現在という点の集合体のことを意味します。

このことをちゃんと表現するならば、「我々の闘いは常に現在にある」ということに他なりません。常に現在はやってきますから、物事を続けるということはその無数の現在において、闘い続けることを意味します。だからこそ、始めることよりも圧倒的に続けることの方が難しいのです。

物事を始めるためには「勇気」が必要です。そして、それを継続的に行なうためには「忍耐」が必要です。この「勇気」と「忍耐」とは本質的には同じ感情であり、土の気による感情です。「何か信じることのために何かを行なう気持ち」のことが土の感情であり、「勇気」も「忍耐」も「何か信じることのために何かを行なう気持ち」に他ならないからです。土の気については別で書きます。

物事を途中で止めないためには「忍耐」が必要です。つまり、土の感情が必要です。我々にはこの土の気があまりにも欠けています。だからこそ、「勇気」ある行動も取る事ができないのです。

冒頭にも書いたように、物事を途中で止める理由は様々です。「嫌悪」「絶望」「諦め」「恐怖」「不安」「怠惰」など、様々な闇の感情がそれを止めようとしてきます。そういった感情と同意しないためにも我々は自分達の「忍耐」を磨いていかないといけません。つまり、土の気を身体と魂に増やしていかないといけません。逆に言うと、「忍耐」を持って何か自分の信じることを継続的に行なうのであれば、我々の身体と魂に土の気は増えていきます。