「火の気持ち(元気・笑い)」について(2017/6/9更新)
2017.06.09 心の成り立ち(基礎:気持ちの種類)
「火の気持ち(元気・笑い)」についての解説録音はこちらです。文章よりも音声解説の方が分かりやすいと思いますので、聴いてみて頂けると幸いです。
ここでは「火の気持ち」の概要と「火の気持ち」の一つである「元気・笑い」についての詳しい解説を書いていきます。
「愛」には複数の種類がありますが、「火の気持ち」は一つの「愛」の「気持ち」だと理解して頂けると幸いです。「愛」に関する「気持ち」は5種類であって、それらのことを「光の気持ち」と言い、「水・火・風・土・金の気持ち」のことを意味します。そのような全体像の中で、ここに「火の気持ち」についての解説を書いていると御理解頂ければ、と思っています。
【「火の気持ち」=「元気・笑い」「闘いの心」】
「火の気持ち」とは「元気・笑い」と「闘いの心」の2つのことを意味します。「元気・笑い」とは「愛」の実践のために相手を「元気」にしたり「笑い」をもたらそうとする気持ちです。それに対して、「闘いの心」とは「愛」の実践のために相手を傷付ける何者かと「闘おう」とする気持ちです。この2つの方向性は両方とも「愛」の実践のための感情なのですが、「元気・笑い」は「ユーモア」などを使うのに対して、「闘いの心」は「闘い」を使い、かなり性質が異なるものです。
一つの感情の中に2つの側面がある「光の気持ち」は「火の気持ち」のみです。この「元気・笑い」と「闘いの心」の2つの側面があることを具体的に人で説明するとどのような感じになるかとうと、普段はものすごく「元気」で「笑い」に満ちているのですが、誰かが間違ったことを行なうと人格が変わったかのように「闘う」ようなスタンスになることを意味します。
これは子育て中のお母さんのことを考えると理解しやすいです。女性は子供が生まれて子育てをすると、自分の子供に対する「愛」から「火の気持ち」を抱きやすい状況になります。そして、可愛い我が子を笑わせようと「元気・笑い」の態度で子供に接することもあれば、子供が間違ったことを行なうと「闘いの心」を使って説教をしたりします。「愛」をもって子供に説教をする場合は、その「子供のため」であって、単純な「自分のため」の「怒り」ではなく「闘いの心」です。その「子供のため」に、その子供の内にある悪い面に対して「闘い」を使っている形になります。
歌手の歌で考えると「火の気持ち」はとても分かりやすいです。ビートルズや桑田佳祐やTUBEやウルフルズといった歌手・バンドは「元気・笑い」の側面を強く表現し、B'zや氷室京介やDragon Ashといった歌手やバンドは「闘いの心」を表現しています。
また、アニメのキャラクターで考えることも理解を深めます。例えば、『天空の城ラピュタ』のパズーや『魔女の宅急便』のキキや『ドラゴンボール』の孫悟空は「元気・笑い」と「闘いの心」の両方を抱える人間です。彼らは普段は「元気」で「笑い」に満ちているのですが、敵が現れると「闘いの心」を使います。それに対して、『崖の上のポニョ』のポニョや『アルプスの少女ハイジ』のハイジは「元気・笑い」をいつも抱き、『もののけ姫』のサンとエボシ御前や『風の谷のナウシカ』のクシャナは「闘いの心」ばかりを抱いている人物として描かれます。
また、著名人で考えることも「火の気持ち」に対する適切なイメージを抱く上で重要です。例えば、タモリや明石家さんまや所ジョージや内村光良や木梨憲武といった人物は「火の気持ち」の「元気・笑い」を実践することによって、他者を笑顔にしています。それに対して、ビートたけしやアントニオ猪木や和田アキ子といった人物は「元気・笑い」に加えて「闘いの心」も実践する立場の人間です。
このような意味で、「火の気持ち」は「元気・笑い」と「闘いの心」の2つの側面を持っているので、「火の気持ち」をよく抱く人は「元気・笑い」と「闘いの心」の間を振れることになります。また、人によっては「元気・笑い」の方向性ばかりを抱く人もいれば、「闘いの心」ばかりを抱く人もいます。
「元気・笑い」は他人を笑顔に導くものなので、ゼロからプラスの方向性です。それに対して、「闘いの心」は敵を打ち負かすことに繋がるものなので、マイナスからゼロの方向性です。この2つの側面をこのような方向性の違いとして理解して頂けると幸いです。そのように認識すると、「元気・笑い」と「闘いの心」をいい形で使い分けることがしやすくなるからです。
例えば、大事な人が何かしらの敵によって苦しめられている時にいつまでも「元気・笑い」で接していても、その相手を敵から救うことはしづらいです。また、とても平和な時に「闘いの心」を実践して、何かしらの敵を探し続けていたとしても、余計な「闘い」を増やすだけです。このようなケースは良くない「火の気持ち」の使い方です。しかし、「元気・笑い」がゼロからプラス、「闘いの心」がマイナスからゼロということを意識化しておけば、このような「火の気持ち」の乱用を止めることができます。
「元気・笑い」がゼロからプラス、「闘いの心」がマイナスからゼロということと繋がっている話なのですが、「元気・笑い」は肯定的な態度であるのに対して、「闘いの心」は否定的な態度です。「火の気持ち」の中で、物事の良い面を見ようとするのが「元気・笑い」であって、物事の悪い面を見ようとするのが「闘いの心」だからこそ、このような違いが生まれます。
また、物事を否定的に見ること自体が間違ったことであるように感じる方もいますが、物事の悪い面を見つめてそれに対して否定をしていく人間がいなければ、状況を改善することはできないです。ですから、「闘いの心」が物事を否定的に見ることは必要なことだと理解して頂けると幸いです(「自分のため」に物事を否定的に見る態度はただの「嫌悪」であって、「文句」にも繋がりますが、「誰かのため」に物事を否定的に見る態度は「闘いの心」や「問題解決の心」であって、「アドバイス」にも繋がります)。
「元気・笑い」が「肯定的」だからこそ、「ゼロからプラス」の方向性へ向かい、「闘いの心」が「否定的」だからこそ、「マイナスからゼロ」の方向性へ向かうということを知って頂けると幸いです。そして、「火の気持ち」をよく抱く方はこの二つを使い分けて頂けると、ご自身も周りの人も「幸せ」にしていけると思います。
以上が「火の気持ち」が「元気・笑い」と「闘いの心」の両方の側面を持っているということの説明でした。以下は「元気・笑い」のみについて説明を深めていきます。
【太陽が「火の気」を与えていることについて】
「気持ち」とは「気」を「持つ」、「気分」とは「気」を「分かつ」と書くように、「気」が「気持ち」の原因です。そして、地球に絶えず多くの「火の気」を送っているのが太陽です。ですから、太陽の光を浴びていて気持ちがいい時の感覚は「火の気持ち」の「元気・笑い」です。よって、「火の気持ち」について具体的に理解するためには太陽を浴びて気持ちいい経験をすることがとても有効です。
「元気」とは「元の気」と書きますが、「元」とは「根源、一番はじめ」といった意味です。そして、太陽系において最も多くの「光の気」を地球に送っているのは太陽だからこそ、太陽からの「火の気」のことを日本人は「根源の気」=「元の気」=「元気」と呼んできた形になります。ですから、「元気」と「火の気」はそもそも同じことを意味する言葉です。
「気」のことが分からなくなった我々は「元気」という言葉を今でも使ってはいても、「気」という意味では使ってはいません。しかし、漢字には元々の意味が残っている形になります。言葉にはかつての人間の理解が込められているので、真実を理解する上で重要なヒントとなります。
太陽が「火の気」を与えていることについては、こちらに詳しく書いているので、このページの内容と合わせて読んで頂けると理解を深めて頂けると思っています。
http://junashikari.com/cosmos/太陽について/
【「元気・笑い」から堕ちやすい「闇の気持ち」】
以下に、「元気・笑い」と近い関係にある「闇の気持ち」について書いていきます。それぞれの「闇の気持ち」がどのように「元気・笑い」と近いのかを理解することによって、「元気・笑い」が故に「闇の気持ち」に堕ちる罠を知ることができます。そのことによって、「闇」に堕ちづらくなります。
「元気・笑い」をよく抱いている人であっても、どのような「闇の気持ち」に堕ちやすいのかということに関しては、それぞれ異なる傾向があります。ですから、「火の気持ち」を抱かれる方は以下の文章を読んで頂きながら、自分がどういった「闇の気持ち」に堕ちやすいのかということを分析して頂ければ、と思います。
そして、「火の気持ち」の「元気・笑い」と「闘いの心」のどちらを抱いているかによって、堕ちやすい「闇の気持ち」は異なります。ですから、「元気・笑い」と「闘いの心」がそれぞれどのような「闇の気持ち」に堕ちやすいのかを知っておくことで、適切な形で「元気・笑い」と「闘いの心」を使いやすくなります。
例えば、「元気・笑い」は「怠惰」に堕ちやすいですが、「闘いの心」は「怠惰」には堕ちづらいです。ですから、「元気・笑い」から「怠惰」に堕ちそうな時はそういう自分自身に対して「闘いの心」で向き合えば、「怠惰」に堕ちることを回避できます。また、「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」でも、「闇の気持ち」に堕ちることは防ぐことができます。
「闘いの心」は「闇」と闘おうとする気持ち、「問題解決の心」は「問題」を解決しようとする気持ちだからこそ、「闘いの心」「問題解決の心」を抱くためには「闇」のことを「闇」「問題」と認識する必要があります。例えば、「負けず嫌い」が本質的に「自分のため」の感情であって、だからこそ「負けず嫌い」が「欲望」に基づく「闇の気持ち」であることを理解しないと、自分の中で「負けず嫌い」の感情が起こった時に「闘いの心」で「負けず嫌い」の感情に打ち勝つことができませんし、「問題解決の心」で解決することもできません。
このようなことをしやすくして頂くために、以下の説明を書いていると御理解して頂けると幸いです。以下、「元気・笑い」が故に堕ちやすい「闇の気持ち」を列挙していきます。
・「欲望」
「元気・笑い」の感覚は我々に「楽しさ」を与えます。「光の気持ち」の中で最も「楽しさ」の感覚を与えるのは「元気・笑い」だと理解して頂けると幸いです。そして、「闇の気持ち」の中で「楽しさ」を与えるのが「欲望」です。「元気・笑い」が好きな人は必ず「楽しさ」が好きですが、「楽しさ」が好きという点から「欲望」にまで及んでしまうということはよくあります。
では、「元気・笑い」と「欲望」がどのように違うかというと、本質的に「相手のため」なのが「元気・笑い」であって、「欲望」は「自分のため」です。「元気・笑い」のもたらす「楽しさ」は相手が笑ってくれるから「楽しい」、相手と一緒に踊るから「楽しい」といった感覚です。しかし、「欲望」のもたらす「楽しさ」は自分が笑えるから「楽しい」、相手が自分を楽しませてくれるから「楽しい」といった感覚です。
例えば、お祭りで行なわれる盆踊りや阿波踊りは「元気・笑い」の感情をもたらしますが、皆でそれを一緒に行なうからこそ「楽しい」ものです。それに対して、酒の席で酔っぱらい過ぎた人などは周りのことを考えず、自分が楽しむために迷惑な大声を出したりし始めることなどは「欲望」の「楽しさ」です。「自分のため」の「楽しさ」を「欲望」によって求めているからこそ、他人にとって迷惑なことができます。
このような形で「欲望」に堕ちそうな時は、自分自身に向けて「闘いの心」や「問題解決の心」で向き合うことによって「欲望」に堕ちることを回避して頂ければ、と思います。
・「怠惰」
「元気・笑い」の方向性は「楽しさ」を求める方向性であって、「闘いの心」や「水の気持ち」のように何かを問題視する方向性ではありません。だからこそ、自分に関しても他人に対しても具体的に現状を良くしようという方向性を持ちづらい感情です。つまり、「元気・笑い」は現状に満足しがちな感情です。
また、「楽」という漢字は「たのしい」とも「らく」とも書きますが、「楽しい」ことは「楽(らく)」であって、「楽(らく)」なことは「楽しい」といった関係性があるからこそ、「楽」という漢字は「らく」「たのしい」の両方の意味を持っています。(自分が向上することや、敵と闘うことを「楽しい」と感じる方もいますが、この「楽しい」の使い方は本来の「楽しい」という言葉の意味とは異なり「充実」といった意味です。)
このような意味で、「元気・笑い」は現状に満足し、「楽しい・楽」な方向性を目指すからこそ、「怠惰」に堕ちやすくなります。このような形で「怠惰」に堕ちそうな時は、自分自身に向けて「闘いの心」や「問題解決の心」で向き合うことによって「怠惰」に堕ちることを回避して頂ければ、と思います。
・「甘さ・馴れ合い」
「怠惰」に堕ちやすい理由と同様の理由で、「元気・笑い」は現状に満足し、楽な方向性を目指すからこそ、「甘さ・馴れ合い」にも堕ちやすいです。そういった形で「甘さ・馴れ合い」に堕ちそうな時は「闘いの心」や「問題解決の心」になって考えることによって、本当に現状で問題ないのかを判断できます。「元気・笑い」の感情のまま判断しようとしても、「元気・笑い」は問題に気が付きにくい感情だからこそ適切な判断ができません。だからこそ、一度「闘いの心」や「問題解決の心」に自分を持っていった上で判断することがとても大事です。
・「逃げ」
「元気・笑い」は現状の状況が好ましくない時に、その状況をなんとかしようとする方向性でないからこそ、状況が悪い時にその状況から逃げようとする「逃げ」の感情に捕まりやすいです。そういった時は「闘いの心」や「問題解決の心」に自分を持っていくことによって、「逃げ」に堕ちないようにする必要があります。
「逃げ」はとても恐ろしい「闇の気持ち」で、様々な「闇の気持ち」に繋がる感情です。例えば、「酒に逃げる」などと言いますが、「逃げ」は「現状を見たくない」という気持ちを作るので、現実を見ないための他の「闇の気持ち」に繋がっていきます。以下に説明する「依存・狂気・軽さの闇・非現実の闇」も「逃げ」から繋がりやすい「闇の気持ち」です。
・「依存」
「怠惰」「甘さ・馴れ合い」に堕ちやすい理由と同様の理由で、「元気・笑い」の方向性は「依存」にも堕ちやすいです。「元気・笑い」は現状に満足し、楽な方向性を目指すからこそ、「依存」に堕ちやすい形になります。「元気・笑い」自体に自分を律するような性質があまり無いからこそ、すぐに他人に頼るということを行いがちです。
「依存」とは自分が楽しんだり、楽をしたり、現実を見ないようにするために、他人などの何かを利用する気持ちであって、「自分のため」の「闇の気持ち」です。そういった形で「依存」に堕ちそうな時は「闘いの心」や「問題解決の心」によって、「依存」に堕ちないように心で闘う必要があります。
・「狂気」
「狂気」に堕ちたことがある方は分かると思いますが、「狂気」は「楽しい」です。「狂気」に堕ちると周りのことが見えなくなり、自分がしたいように何かを言い、何かを行い、自分が見たいように現実を捉えることができるからです。ですから、「元気・笑い」を抱く人が「楽しさ」を求めるあまりに「狂気」にまで手を伸ばすということはあります。
また、「狂気」は周りから見ていて「面白い」ケースもあります。「狂気」に堕ちると普通の人にはできない言動ができます。そして、そういった言動が「笑い」をもたらすケースもあります。「元気・笑い」は他人が「笑う」ことを目指すものであって、「笑い」を目指す方向性から「狂気」に手を伸ばすケースはよくあります。
例えば、以下の動画は「狂気」の「笑い」の動画です。こういった映像に共感して笑えるようになると「狂気」に共感することに繋がるので、注意すべきです。
また、「狂気」は「逃げ」からも繋がりやすい感情です。何故ならば、「狂気」に堕ちると現実を見なくて済む(逃げることができる)からです。「楽しさ」「笑い」が故に「狂気」を使う場合よりも、「狂気」に「逃げ」の方向性で向かった場合は、どこまでも「狂気」に共感することに繋がるので注意が必要です。「狂気」を使うのではなくて、本当に自分自身が「狂気」に堕ちていくからです。
「狂気」は本当に恐ろしく、魂が「狂気」で満ちてしまうと、「狂気」から戻ることができなくなります。何故ならば、狂ってしまえば、戻ろうとする「意志」さえも持てなくなるからです。本当に「狂気」に堕ちた人を見たことがある方は分かると思いますが、彼らは自分自身の「意志」で正気に戻ることは不可能です。
「狂気」に堕ちそうな時は、「狂気」が「闇」であることや、「狂気」が如何に恐ろしいものであるのかを理解した上で「闘いの心」や「問題解決の心」で「狂気」に同調しないようにする必要があります。これは他の「闇の気持ち」についても言えることですが、その「闇の気持ち」が如何に恐ろしく、如何に悪しきものなのかを理解すると、「闘いの心」「問題解決の心」をより強く持つことができます。何故ならば、「闘いの心」とは敵を打ち負かす方向性であって、そういった方向性は敵が強ければ強い程、本気を出すことができるからです。また、「問題解決の心」とは問題を解決する方向性だからこそ、その問題が如何に深刻かを理解すると、本気を出しやすくなるからです。
実際、「闇の気持ち」はどれも恐ろしく、悪しきものなので、「闇の気持ち」の性質を本当に理解したのであれば、「闇の気持ち」に対して「闘いの心」「問題解決の心」を実践できます。そういう意味で、「闇の気持ち」について理解を深めることは「光の気持ち」を強く抱く上でもとても大切です。
・「軽さの闇」
「元気・笑い」が「楽しさ」を目指す姿勢から「狂気」に繋がり、「笑い」を目指す姿勢から「狂気」に繋がるのと同様に、「元気・笑い」は「軽さの闇」に繋がりやすいです。「軽さの闇」も「狂気」と同様に「楽しさ」と「笑い」をもたらすものだからです。
「軽さの闇」とは名前の通り、非常に「軽い」ものです。この「軽さ」が「楽しさ」と「笑い」をもたらします。「軽い」と現実が見えなくなり、様々な問題も問題に見えなくなり、楽しくなってきます。また、そういった「軽さ」の姿勢が「笑い」をもたらすこともあります。
例えば、ネット用語などはほとんど「軽さの闇」であって、こういった言葉を使っていると「軽さの闇」に取り憑かれてしまいます。少し列挙していきたいと思います。
「きぼんぬ」:「〜を希望する」ということ
「ワロタ」:「笑った」ということ
「誰得」:「誰が得するんだよ」ということ
「オワコン」:「終わったコンテンツ」ということ
「じわる」:「じわじわ笑いがくる」ということ
こういった言葉は全て「軽い」ですが、そういった「軽さ」の感覚が「楽しい・面白い」という感覚を与えます。
「軽さの闇」の話し方がどのようなものかは感覚的に理解した方がいいので、動画を貼付けておきます。この動画で使われている言葉は非常に極端ですが、声の出し方の感じなどから「軽さの闇」の話し方を理解して頂けると幸いです。
「軽さの闇」は現実を見えなくします。何故ならば、現実は「重い」ものだからです。「軽さの闇」は「現実=真実」が見えなくなる呪いであって、「楽しさ」や「笑い」という「餌」と引き換えに「真実」が見えなくなるという「代償」を払わないといけないものです。「真実」は見えなくなったとしてもいつか自分自身に突きつけられるもなので、この「ギブ&テイク」は割に合っていません。そういった「軽さの闇」の恐ろしさのことも知って頂きつつ、「闘いの心」や「問題解決の心」を使うことによって「軽さの闇」に堕ちないように気を付けて頂ければ、と思います。
・「非現実の闇」
「非現実の闇」も「楽しさ」をもたらす「闇の気持ち」です。だからこそ「楽しさ」を求める「元気・笑い」を抱く人が堕ちやすい「闇の気持ち」の一つです。
「非現実の闇」とは現実ではなく非現実を求める気持ちのことを意味します。例えば、オタクと呼ばれる人達の中にはアニメといった非現実の世界を現実のように感じる中を生きている人もいますが、これは「非現実の闇」に捕まっている人のことを意味します。以下の動画は少し参考になるかもしれません。
「狂気」「軽さの闇」と同様に、「逃げ」から「非現実の闇」に堕ちると深く「非現実の闇」に堕ちることになるので注意が必要です。「現実を見たくないから非現実の闇に堕ちる」→「それでも現実を見ないといけない時が来る」→「現実を見たくないから非現実の闇に堕ちる」といった悪循環に捕まることになります。
「非現実の闇」に堕ちそうな時も「闘いの心」や「問題解決の心」で「非現実の闇」に捕まらないように心がけて頂ければ、と思います。「非現実の闇」に捕まると現実を生きていても、現実に戻れなくなるので、そういう点は「狂気」と似ています。だからこそ、「狂気」と同様に強い注意が必要です。
【最後に】
「火の気持ち」について理解を深めるためには、「元気・笑い」に加えて「闘いの心」について理解を深める必要があります。こちらのリンクから読むことができますので、合わせて読んでいただけると幸いです。
http://junashikari.com/emotion/火の気持ち(闘いの心)/