誰かと誰かを比べる事は闇の行為です。そして、それを行なう感情を「比較の闇」と言います。我々は本来皆特別であって、比べる必要などないのです。しかし、現代日本はこの「比較の闇」を絶え間なく実践している国になります。

学校に入ると、偏差値という判断軸を通して我々は絶えず比べられることになります。そして、そのことが大学まで続き、大学を卒業後も「年収〜万円」「あそこはいい会社」「あそこは誰でも入れる会社」などという考え方を持ち、いつも自分と誰かを比べ、誰かと誰かを比べています。これはあまりに馬鹿げています。

日本社会とはこの比較の闇に取り憑かれており、そして、その比較の判断軸も非常に貧しい現状があります。大まかに言うと、学生の頃は偏差値、社会人になってからは年収です。あとはイケメンか美女かというような判断軸などもあります。そういった非常に少ない尺度によって人を判断しています。そんなことをしていないと思う方であっても、無意識にそういった比較は行なってしまっているものです。こういった「常識」と化した闇は相当意識化しなければなかなか縁を切ることが難しいものです。

我々はいつも何かの尺度によってその人を点数付けしています。人間とはそもそも、そういった尺度上で解釈できるものではありません。「それぞれの人間が皆特別である」という考え方をただの奇麗事で終わらせてはなりません。そして、そういった聞こえの良さだけで共感してはなりません。我々はそれぞれのどのように特別であるのか、ということを真に理解して下さい。

そのために、まず「尺度」について真に理解して下さい。「尺度」とは誰かが作ったものです。その「尺度」自体をあなた自身が作っていけばいいのです。我々は「比較の闇」に取り憑かれているが故に、新しい「尺度」を作ることさえもできておらず、今ある既存の「尺度」の中で自分がどこにいるのかということを自分自身で確かめています。そういったことを行なっていくと、あなたは他人と似ていき、「特別」とは程遠い存在となっていきます。

新しい尺度を作るとは何なのかというと、独自の人間存在を実現していくことを意味します。今までの人間にはいないような人間になっていけばいいのです。そうすると、そういった人間は如何なる尺度によっても測ることができない人間となります。それが「あなたは特別である」ということの意味です。

また、そういった「よく分からない人間」に対する理解も進めていかないといけません。今の現代人はそういった人間に対して「恐怖」を抱きます。自分の持っている尺度で測ることのできない人間を理解できないのです。というよりかは、「理解できない」ということ自体を今の現代人は受け入れられないのです。それ程までに、魂が弱くなってしまっています。

我々人間は本当の意味で自然に生きていくのであれば、かなり独自の存在になっていくのです。では、どうして現代人が皆似ているのかというと、皆既存の尺度の中に自分を入れて他者と自分を比較し、その尺度の中に自分を入れなければ他人にも受け入れられず、そのことを恐れるからこそまたその尺度の中で自分自身を測っていくからです。

「あなたが特別である」ということの意味は「あなたは特別な存在になることができる」ということです。何もせず、他人が作った尺度に自分自身を当てはめていくことで、特別な存在になることなど不可能です。そういう意味で、この生という修行はそれ程甘くないのです。あなたが真に魂で努力しなければこの生の喜びなど感じられません。今の日本人は甘過ぎます。

ただただ我々は心が弱いのです。自分自身をある尺度に入れないことをできない程に心が弱いのです。そしてまた、既存の尺度に当てはまらない人間を受け入れられない程に心に弱いのです。そして、その弱さを助長しているのが「比較の闇」であり、「比較の闇」によって我々は魂が弱くなっているとも言えます。

真に自然に生きればいいだけの話なのです。何故そんな馬鹿げた「比較の闇」の構造の中に自分を入れていくのですか?この構造を理解していないことが問題の根本かもしれません。ですから、この「比較の闇」という一つの闇の感情については、我々日本人が本気でシェアし、乗り越えていくべき一つの闇です。

この文章は「比較の闇」についての導入説明に過ぎません。我々日本人はこの「比較の闇」を通じて、様々な闇を作ってきました。自己顕示欲、見下し、優越感、劣等感、ナルシズム、自分に酔う心、人目を気にする心、外見を気にする心、それは様々です。それらのことについてはまた別で文章を書きます。