「愛」と「欲望」がどのように対立構造を持っているのかを知ることはとても大事なことです。何故ならば、我々はいつもこの二つの「気持ち」の間を振れながら生きているからです。このページでは、「愛」と「欲望」の対立構造を理解して頂くために、できるだけ短い文章で対立構造を書いていきます。※は補足説明です。
 

・「相手のため」⇔「自分のため」

「愛」は「自分よりも相手が大事」と思うからこそ「相手のため」に何かをしたいと思う。
「欲望」は「相手よりも自分が大事」と思うからこそ「自分のため」に何かをしたいと思う。

※「愛」が大きくなればなるほど、自分よりも相手のことをより大事に思い、「相手のため」に自分がどんな努力でもできるようになっていきます。それに対して、「欲望」が大きくなればなるほど、相手よりも自分のことをより大事に思い、「自分のため」に相手を道具のように扱うことができるようになっていきます。
 

・「喜び」⇔「快楽」

「愛」が実現することによって生まれるものは「喜び」であって、「幸せ」に繋がっていく。
例)愛する我が子が笑顔だと「喜び」を感じ、「幸せ」を感じる。
「欲望」が実現することによって生まれるものは「快楽」であって、「幸せ」には繋がっていかない。
例)美味い寿司を食べると「快楽」は感じるけれど、その「快楽」はすぐに消えていく。
 

・「許す」⇔「許さない」

「愛」は自分よりも相手を大事に思うからこそ、相手が自分に「不利益」を与えても「相手のため」に「許す」。
「欲望」は相手よりも自分を大事に思うからこそ、相手が自分に「不利益」を与えると「自分のため」に「許せない」。

※相手が自分に与えた「不利益」が大きければ大きい程、相手を「許す」ことは大変なことになっていきます。しかし、大きな「愛」があれば「相手のため」に「許す」努力をしたいと思います。何故ならば、自分の「許せない」という気持ちによって、相手を傷付けたりはしたくないからです。逆に、「愛」が小さいと相手を「許す」という努力をしたくはなく、相手を「許せない」と思い、相手に怒ったり、相手を咎めることなどによって「許せない」という感情を発散しようとしていきます。


・「与えること」⇔「手に入れること」

「愛」は「相手のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手に「与えること」を目指す。
「欲望」は「自分のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手から「手に入れること」を目指す。

※一般には「与える」の対義語は「奪う」ですが、「奪う」という言葉は強引な感じがしてしまうので、「手に入れること」「得ること」といった形で表現する方が現代では適切だと思っています。また、「ギブ&テイク」は自分が何かを「得る」ために相手に何かを「与える」というスタンスなので、本質的には「欲望」の立場です。純粋に「相手のため」の「与え合い」であれば「愛」なのですが、「ギブ&テイク」は「自分のため」の「手に入れ合い」だからこそ「欲望」になります。本当に「愛」に満ちた世界では、お互いが無料で相手に何かを「与える」ということは普通に起こるのですが、現代の世界では多くの場合料金が発生します。そして、料金という発想は「ギブ&テイク」であって「欲望」の立場です。これは、この世界が「愛」よりも「欲望」が圧倒的に強いということをよく表しています。また、最近はこの傾向がますます強くなり、遺産相続などで家族がもめることなどに象徴されるように、家庭内でも「与え合い」が減り「奪い合い」が増えてきている現状があります。そのようなことをしていると、皆がお互いの首を絞め合うだけなので、「欲望」には警戒をして頂けると幸いです。


・「思いやる」⇔「要求する」

「愛」は「与えること」を目指すからこそ、本当に相手に必要なものを知るために「思いやり」を実践する。
「欲望」は「奪うこと」を目指すからこそ、本当に自分が欲しいものを手に入れるために「要求」を実践する。

※「思いやり」とは相手の立場になって考えることを意味します。
 

・相手を守る⇔自分を守る

「愛」の立場に立つと自分よりも相手を大事と思うので、相手を守ろうとします。
「欲望」の立場に立つと相手よりも自分を大事と思うので、自分を守ろうとします。

※例えば、小学校などで自分の友達がいじめられ始めた時に、自分も巻き添えを食らわないためにその子を守らないのなら、相手よりも自分を守ろうとしているので「欲望」です。それに対して、自分もいじめられてしまうリスクを負ってでも友達を守ろうとするのであれば、自分よりも相手を守ろうとしているので「愛」です。

※ただ、自分を守ることが誰かを守ることに繋がるケースもあります。例えば、家族を守るために会社で自分を守らないといけないような状況などです。ですから、より詳しく整理すると、「自分のため」に自分を守るケースは「欲望」、「誰かのため」に相手を守る・自分を守るケースは「愛」です。
 

・「自由」⇔「支配」

「愛」は相手を大事に思うからこそ、相手の「意志」を大事にしようと思い、相手に「自由」を与えようとする。
「欲望」は自分を大事に思うからこそ、自分の「利益」を大事にしようと思い、相手を「支配」しようとする。

「愛」は誰かの自分に対する「支配」によって生まれるものではなく、自分の「意志」によってしか生まれない。
そして、「意志」が生まれるためには「自由」が必ず必要。だから、「自由」があると「愛」が生まれやすい。
「欲望」は誰かの自分に対する「支配」によって生まれる「嫌悪」からの反動として生まれやすい。
そして、「意志」が生まれないためには「不自由」が必要。だから、「不自由」があると「欲望」が生まれやすい。

つまり、

「愛」は相手の「意志」を大事に考えるからこそ「自由」を相手に与え、その「自由」を土台に新たな「愛」が生まれる。
「欲望」は自分の「利益」を大事に考えるからこそ「支配」を相手に与え、その「支配」を土台に新たな「欲望」が生まれる。
このような構造で「愛」は「愛」を広げ、「欲望」は「欲望」を広げる。

※「『欲望』は誰かの自分に対する『支配』によって生まれる『嫌悪』からの反動として生まれやすい」ということに関してですが、これは「ストレス発散」の構造のことを意味しています。例えば、やりたくない仕事をしていると「嫌悪」を感じますが、「嫌悪」は不愉快な感情なので、仕事後や週末などはその「嫌悪」を発散させるために「欲望」を実践するといった形です。日本は様々な場面で「支配」の構造があるからこそ、「嫌悪」を「欲望」によって発散させるということはとても身近な問題です。
 

・「他人の幸せは蜜の味」⇔「他人の不幸は蜜の味」

自分が「愛」の立場に立つと相手が大事に思えるので、相手の「幸せ」から「喜び」を感じ、相手の「不幸」から「悲しみ」を感じる。「他人の幸せは蜜の味」という言葉があったとしたら、「蜜」はこの「喜び」のこと。

自分が「欲望」の立場に立つと自分が大事に思えるので、相手の「幸せ」から「嫉妬」を感じ、相手の「不幸」から「優越感」を感じる。「他人の不幸は蜜の味」の「蜜」はこの「優越感」のこと。

※色々な場面で「他人の不幸は蜜の味」ということは言われますが、この言葉は罠なので気を付けて頂けると幸いです。「他人の不幸は蜜の味」ということが常に成り立つと思っていると、自分が他人の「不幸」を通して「快楽(優越感)」を感じていても、それが当然のことと思ってしまいます。そうなると、どんどん性格が歪んでいってしまいます。「他人の不幸は蜜の味」は常に成り立つことではなく、「欲望」を選ぶのであれば成立し、「愛」を選ぶのであれば成立しないこととして理解して頂けると幸いです。そのことによって、「他人の不幸は蜜の味」という言葉の罠に捕まらないようにすることができます。
 

・「喜び」は持続する⇔「快楽」は持続しない

「喜び」は「愛」する相手が「幸せ」な時間はずっと持続する。そして、相手が「幸せ」な内は永遠に持続する。
「快楽」は「欲望」する自分が「快楽」を得ている時間しか持続しない。そして、「快楽」は必ずすぐに終わる。

※このことが「幸せ」は「欲望」ではなく「愛」の方にあるということの大きな根拠となっています。
 

・「飽きない」⇔「飽きる」

「愛」が生む「喜び」は「飽きない」もの。例)愛する恋人と一緒にいる「喜び」はいつまでも「飽きない」
「欲望」が生む「快楽」は「飽きる」もの。例)遊び相手の異性と一緒にいる「快楽」はその内「飽きる」

※例は、恋人に対して「愛」がある内は、毎日一緒にいても「喜び」を感じますが、元々「愛」を抱いているわけではない、「欲望」の対象としての異性と毎日一緒にいると必ず「飽き」が来るということを意味します。
 

・「願い」⇔「欲望」

「願い」は「愛」を動機に何かを目指す気持ち、「欲望」は文字通り「欲望」を動機に何かを目指す気持ち。


・相手の「幸せ」を「願う」⇔自分の「幸せ」を「欲望」

相手の「幸せ」を「願う」ことはできるけれど、「欲望」することはできない。
何故ならば、相手の「幸せ」を目指すことは「相手のため」=「愛」だから。
自分の「幸せ」を「願う」ことはできず、「欲望」することしかできない。
何故ならば、自分の「幸せ」を目指すことは「自分のため」=「欲望」だから。

※愛する相手を「幸せ」にするために、自分の「幸せ」を実現しようと思うことは動機が「愛」なので、その場合は自分の「幸せ」を目指すことは「欲望」ではなく「愛」です。

※「幸せ」は「愛」の方にありますが、自分の「幸せ」を目指すことは「欲望」なので、自分の「幸せ」を目指せば目指す程、「欲望」へ向かい「愛」から遠のき、「幸せ」になることが難しくなっていくという構造があります。「幸せ」は目指すことによって手に入れられるものではなく、「誰かのため」に生きていると自然と生まれるものです。


・「愛の苦悩」⇔「欲望の不満」

「愛」は「相手を大事と想う」からこそ、自分が相手に対して何もできないと「苦悩」を経験する。
「欲望」は「自分が利益を得ることを目指す」からこそ、自分が何も得られないと「不満」を経験する。
 

・「愛の苦悩」から生まれる「成長」⇔「欲望の不満」から生まれる「成長」

「愛の苦悩」は未熟な自分を感じさせ、「相手のため」に自分を成長させることを促す。その過程で「愛」も大きくなる。
「欲望の不満」は未熟な自分を感じさせ、「自分のため」に自分を成長させることを促す。その過程で「欲望」も大きくなる。

※成長には二種類あるということを知って頂けると幸いです。例えば、心の「強さ」を育むためには「弱さ」に堕ちてしまわないための動機が必要ですが、その動機は「愛」か「欲望」のどちらかです。「誰かのため」にここで負けてはいけない、「自分のため」にここで負けてはいけない、といった気持ちが「強さ」を生むからです。ですから、大きな「愛」か「欲望」があれば、魂は「強さ」といった様々な能力を伸ばしていくことになります。また、そういった能力を育てることは楽なことではないので、「愛」か「欲望」のいずれかを使って耐えていくことになります。その過程で「愛」または「欲望」が大きくなっていきます。
 

・「意義」⇔「虚しさ」

「愛」は「相手のため」だから「価値」を感じ、「価値」を感じるからこそ「愛」を実践したいと思う。
また、自分の存在は「相手のため」だからこそ、自分の「存在意義」も感じる。
「欲望」は「自分のため」だから「虚しさ」を感じ、「虚しさ」を感じないためにも「欲望」でごまかそうとする。
また、自分の存在は「自分のため」だからこそ、自分の「存在意義」を感じない。


・「人生は大事な時間」⇔「人生は暇潰し(ゲーム)」

「愛」の立場に立つと全ては「相手のため」なので、人生は相手を「幸せ」にするための「大事な時間」に思える。
「欲望」の立場に立つと全ては「自分のため」なので、人生は自分が「利益」を得るための「暇潰し(ゲーム)」に思える。


・「関心」⇔「無関心」

「愛」の立場に立つと相手を大事に思うからこそ、相手に対する純粋な「関心」が生まれる。
「欲望」の立場に立つと相手を大事に思えないからこそ、相手に対する純粋な「関心」は生まれない。

※「欲望」の立場に立つと、「相手が自分にどんなメリットを与えてくれるのだろうか?」といった「関心」は生まれることもありますが、それはその相手に対する純粋な「関心」ではなく、不純な「関心」です。

 

【最後に】

ほとんどの人は無意識にも意識的にも「自分のため」か「誰かのため」に生きているので、我々はいつも「愛」か「欲望」のどちらかを抱いています。また、相手を守るのか自分を守るのかということで迷うような場面もあると思いますが、それは上に書いているように「愛」と「欲望」の間で迷っていることを意味します。しかし、「愛」=「相手を守る」と「欲望」=「自分を守る」という対立軸を意識していないと、そういう場面で自分が「愛」と「欲望」の間で揺れていることに気付くことが難しく、曖昧に捉えてしまうが故に、心の中で闘うことが難しくなります。「苦しいけれど『欲望』に負けず『愛』を選びたい」といった形で意識することによって、心の闘いを強く行うことができるからです。そして、心の闘いが強くなればなるほど、「欲望」に堕ちずに「愛」は選びやすくなります。このような意味で、「愛」と「欲望」の構造を知ることには、自分が心の中でどのように揺れているのかという構造を知ることに繋がり、それはとても価値があることです。

また、様々な「気持ち」のことを理解する上でも「愛」と「欲望」がどのような対立構造を持っているのかを深く理解することは大事です。何故ならば、様々な「気持ち」の多くは「愛」または「欲望」に基づくものだからです。例えば、「優しさ」は「愛」から生まれるものであるのに対して、「依存」は「欲望」から生まれるものです。だからこそ、「愛」と「欲望」についての理解を深めれば深める程、様々な「気持ち」の本質が見えてきます。

「光」と「闇」と言うと、何か抽象的なものに思われてしまったり、宗教的なもののように思われてしまいがちですが、そうではなくて、ここに書いてきた「愛」と「欲望」の対立そのもののことを意味しています。ですから、「光」と「闇」の対立は「気持ち」の対立のことを意味しています。

「愛」には複数種類があり、それらを「光の気持ち」と言います。それに対して、「欲望」にも複数種類があり、それらを「闇の気持ち」と言います。ですから、このページに書いている「愛」と「欲望」の対立構造は「光の気持ち」と「闇の気持ち」の対立構造でもあります。このページの内容を理解して頂いた上で、それぞれの「光の気持ち」と「闇の気持ち」の内容についての文章を読んで頂けると、全体像が見えた上で部分を理解していくことになるので、分かりやすくなると思っています。

「愛」と「欲望」の違いは、「愛」と「欲望」の経験を重ねる中で理解が進みます。しかし、経験は言葉に置き換えて理解しない限り、曖昧なままになってしまい、心の学びには繋がりにくいです。ですから、これらの文章を読んで頂きながら、御自身の経験に置き換えていって頂けると、心の学びに繋げられると思っています。また、これらの文章の内容と一致するような経験が後でやってくることもあると思います。そういった場合には、これらの文章の内容を思い出して頂いたり、再度読んで頂く中で、その経験がどのような意味を持っていたのかを分析して頂ければ、と思っています。このような形で、日常の経験とこれらの文章の理解を行ったり来たりする中で、「愛」と「欲望」の違いを深く理解していって頂けると幸いです。

このページは今後も更新させて下さい。