「恐怖」についての解説録音はこちらです。文章よりも音声解説の方が分かりやすいと思いますので、聴いてみて頂けると幸いです。


ここでは「恐怖」について説明していきます。「恐怖」は我々の人生にとても強い影響力を持っているものなので、御理解頂けると幸いです。


【「恐怖」とは何か】

「恐怖」は「何かを怖いと思う気持ち」ですが、この「何かを怖いと思う気持ち」を「嫌悪」することも「欲望」することもあります。「恐怖」について理解する上で、「恐怖」を「嫌悪」する場合と「恐怖」を「欲望」するという2つの面があることは大切なことです。

「恐怖」に対して「嫌悪」する場合はとても分かりやすく、例えば、目の前に野生のライオンが現れたとしたら多くの人は自分が食べられてしまうことを「恐怖」します。この場合の「恐怖」は自分自身が望んでいないものであって、「嫌悪」の対象となっている「恐怖」です。だからこそ、人はこうった「恐怖」は望みません。

それに対して、ホラームービーを積極的に観るような人もいますが、そういった人は「恐怖」を「欲望」していることを意味します。「何かを怖いと思う気持ち」を「嫌い(嫌悪)」ではなく「好き(欲望)」になると、人は「恐怖」を「欲望」し始めます。所謂「スリルが好き」という言葉は「恐怖」を「欲望」している状態を意味することがとても多いです。

「恐怖」について、このような「嫌悪」と「欲望」の二面性があることを知って頂けると幸いです。そして、「恐怖」に対して「嫌悪」しかしない人もいれば、「恐怖」を「欲望」する人もいます。また、人によってどんな「恐怖」を「嫌悪」し、「欲望」するのかということは異なります。例えば、ジェットコースターが好きな人もいれば嫌いな人もいます。


【「恐怖」の「嫌悪」の側面について】

以下、「恐怖」の「嫌悪」の側面を「恐怖(嫌悪)」、「恐怖」の「欲望」の側面を「嫌悪(欲望)」と書きます。人は、「恐怖(嫌悪)」に捕まると、何もできなくなってしまいます。「恐怖(嫌悪)」の恐ろしさはこの点にあります。

例えば、日本人は海外を「恐怖(嫌悪)」する傾向があります。もちろん、旅行で海外に行く人は多くいますが、旅となると「恐怖(嫌悪)」をする人が多いです。例えば、本当は世界放浪をしたいと思っているのに、「一人で世界中をうろうろするなんて怖い」と思うが故に世界放浪に行かない人は多くいます。

旅行客としてではなく、旅人として他の国に長く滞在していると、海外の現地の人の性格や生き方などを肌で感じるようになるので、そのことを通して日本人がどういう人間なのかが見えてきます。そうすると、日本人特有の狭い物事の見方から抜け出し、より大きな物の見方を身に付けることができます。しかし、日本人の多くは海外放浪を「恐怖」するが故に、そういった広い物事の見方を手に入れる機会を失い、そのことによって自分でも知らない内に自分自身の首を締めてしまっています。「恐怖(嫌悪)」はこのような形で、本当に我々に必要な機会を奪っていきます。

また、このこととは逆に、「恐怖(嫌悪)」が何らかの行動を促すケースも多くあります。例えば、女性が自分の年齢に対する「恐怖(嫌悪)」から結婚を急ぎ、本当に愛している相手と結婚しないようなケースです。本当に愛している相手と結婚しないと「幸せ」になることは難しく、結婚自体が自分自身を縛る足かせとなってしまいやすくなります。

しかし、「恐怖(嫌悪)」に捕まると冷静な判断能力を失うので、こういった誤った判断を行ってしまいます。このことは結婚だけに限らず、就職や転職といったありとあらゆる出来事に対しても同様に言えます。結婚も就職も転職も人生にとって大きな出来事であって、「恐怖(嫌悪)」はそういった大きな決断の際に誤った判断をさせるだけの力を持った気持ちです。だからこそ、「恐怖(嫌悪)」は恐ろしい「闇の気持ち」と言えます。

「恐怖(嫌悪)」はこのような形で、我々が進むべき道に進むことを止め、進むべきではない道に進むことを促します。


【「恐怖」の「欲望」の側面について】

「恐怖」を「嫌悪」する場合と同様に、「恐怖」を「欲望」する場合も我々に誤った判断をさせることに繋がります。何故ならば、「恐怖」を「欲望」するが故に、自分にとって危険なことをしてしまうからです。「恐怖」は自分にとって危険なものに対して抱く気持ちです。ですから、「恐怖」を「欲望」すると、自ずと危険なことをすることに繋がっていきます。

例えば、屋根の上を飛んで移動するパルクールというスポーツがありますが、パルクールをする人達はスリルが好きだからこそ、パルクールを行います。しかし、パルクールを通して様々な事故や死んでしまう人も多くいます。

パルクールの場合は分かりやすいですが、ホラー映画を観ることからも我々は精神的に様々な害を受けています。例えば、ホラー映画を観ることで、何かしらのトラウマを抱えるようなケースはよくあります。ホラー映画にはグロテスクな表現だったり、恐ろしい表現などがありますが、そういった表現を見ることで人は何かを「恐怖(嫌悪)」を自分の内に抱えてしまうことはあります。

例えば、トイレで幽霊が出てくるような表現を見ると、子供達はトイレに行くことを「恐怖(嫌悪)」するようになります。トイレはとても大事な浄化の行為なのに、このような状態になってしまうと、大切な浄化の行為ができず、身体に害を与えてしまいます。こういった類いのトラウマをホラー映画を通して自分が抱えてしまい、そのまま大人になっている人も多いと思います。

また、そういった「恐怖(嫌悪)」のトラウマをもらわなくても、ホラー映画を観ることは多くの害を我々の心に与えます。何故ならば、様々なグロテスクな表現などを見てそれを平然と見られるようになってしまうと、心が鈍感になってしまうからです。例えば、誰かが誰かに殺されるような表現は本当は見ていられない表現ですが、そういった表現を平然に見られるようになると、現実世界でもそういった出来事に対して心が鈍感になってしまいます。「これは映画だから」と思っていても、そういった経験は我々の無意識に刻まれていくので、心をどんどん鈍感にしていきます。

ですから、ホラー映画を観ることはトラウマを抱える意味でも、心を鈍感にする意味でも、我々の心に害を与えるものです。しかし、「恐怖」を「欲望」するようになると、自分がホラー映画を観ることによって得られる「快楽」を優先して考えるが故に、間違った選択を行なっていきます。

このような意味で、「恐怖」を「欲望」する時、我々は誤った選択を行なっていきます。ですから、「恐怖」を「嫌悪」するにしても、「恐怖」を「欲望」するにしても、「恐怖」は我々に誤った選択をさせるものだと理解して頂けると幸いです。「恐怖」の危険性を理解して頂き、決して「恐怖」に同調しないように心がけて頂ければ、と思っています。