「恐怖」には二種類あり、一つは「未知の事物に対する恐れ」、もう一つは「既知の事物に対する恐れ」です。人は未知のものに向き合う時に主に二つの反応を示します。一つは「好奇心」であり、もう一つは「恐怖」です。

また、既知のものに「恐怖」を抱く場合、そこで「恐怖」を抱く対象とは危険なものでしょうから、この場合の「恐怖」とは必要な感情であることが非常に多いです。

中立の感情の一つに「興味」というものがあります。これもまた未知の事物に対する感情ですが、「闇の興味」の一つが「恐怖」です。ほとんどの人の場合、何か新しいものに向き合う時、純粋に中立の感情としての「興味」というよりも、光か闇のどちらかに寄ります。また、軽度の「恐怖」を「不安」とも言います。

また、未知の事物に出会ったとしても関心を持たない場合もあります。これは「無関心」であり、「無関心」とは「怠惰」や「軽さの闇」や「狂気」などから導かれる心の動きのことです。「無関心」の場合はそもそも未知の事物に向き合ってはいないですから、ここでは考えません。「無関心」については別で書きます。

ここで言う「未知の事物」とは文字通り、人や物だけでなく事柄も含まれます。例えば、日本人にとって分かりやすい例として、海外に行くことに関して「好奇心」を持っている人と「恐怖」を抱いている人がいることなどが挙げられます。

ある人は海外に行くことに関して「好奇心」を抱き、ある人は「恐怖」を抱きます。この差は非常に大きなものです。この未知のものに対する「恐怖」とは、一歩挟んで光の感情である「好奇心」があるという、最も光に近い闇の感情であるとも言えます。

まとめますと、我々が「恐怖」を抱く対象は二つであり、「危険な事物」または「未知の事物」です。そして、「危険な事物」に対する「恐怖」は必要な感情であり、「未知の事物」に対する「恐怖」は必ずしも必要なわけではなく、むしろ害となっていることが非常に多い感情です。その一つの例が先程申し上げました、海外に行くことの例です。

人間は、こういった「恐怖」の構造を理解した上で、「恐怖」というものと付き合っていかなければなりません。そうでなければ、不要な「恐怖」を感じることが多くなってしまい、多くのチャンスを逃してしまうことになり得ません。