「後悔」とは過去に起こった何かを悔いる心の動きです。では、悔いるとは何なのか、「あの時あのようにしなければよかったのに」と願う心の動きに他なりません。しかし、過去は変えることができるわけがなく、そのことに「絶望」することになります。その一連の流れが「後悔」の構造です。

もちろん、過去のことを踏まえて未来へ活かすということはあります。しかし、これは「後悔」ではなくて「反省」です。「反省」とは「反って(かえって)、省みる(かえりみる)」と書きます。過去の自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけることです。過去のことを振り返る時、「反省」とは光であり、「向上心」という水の感情による心の動きです。それに対して、「後悔」は闇の感情です。

「反省」とは心の行為です。それに対して、「後悔」とは感情です。ですから、「後悔」と「反省」が直接対の関係性にあるのではなくて、「後悔」と対にあるのは「向上心」です。

どの感情が光か闇か中立かはここに書いておりますので、ここを見て下さい。
http://junashikari.com/energy/感情一覧(光・闇・中立)/

「絶望」とは現在または未来に向けて成されるネガティブな心の動きです。それに対して、「後悔」とは過去に向けて成されるネガティブな心の動きです。「絶望」は闇の第4感情ですが、その特徴を参考にして「絶望」とは異なる「絶望」の感情として生まれたのが「後悔」に他なりません。闇の第10感情として存在します。この、闇の感情の成立の順番は大事であって、その順番からその成立過程を我々は理解することができます。

次に「罪悪感」に関して書きます。「罪悪感」とは、自分が犯した行為を通して誰かに対して申し訳なく思うことです。これは「後悔」と異なり、かなり清い魂であっても陥りやすい感情であり、そういう意味でとても厄介な感情でもあります。

「申し訳ない」と思うためには相手に対する「愛」などの清い気持ちが必要となります。逆に言うと、そういった清い気持ちが無い限り「罪悪感」を抱くことはありません。そういう意味で「罪悪感」とは、相手のためを思うが故に感じる感情ですが、これは闇の感情として存在します。その理由について書きます。

このことを理解するためには「反省」との違いを理解しなければなりません。誰かに何か悪いことをしてしまい、それに対してその相手に対して何らかの「償い」を行ないたいと思うことは「反省」です。なぜならば、関心が現在にあるからです。それに対して「罪悪感」とは関心が過去にあります。

過去に犯した過ちに対してその過去のことだけを悔いているのであれば「罪悪感」、そのことを通してこれからどのようなことを行なうべきなのかということを考えているのは「反省」の心になります。「反省」は「向上心」に基づく心の動きですから、闇ではありません。

正しく「罪悪感」のことを理解しなければなりません。真の「罪悪感」の意味とは「後悔」同様「過去のことを悔いる」ということです。過去のことを悔いても、その過去自体はどうしようもないのですから、馬鹿げたことを行なっているということになります。そういった「馬鹿げている」という意味で、「罪悪感」と「後悔」は共に闇の感情であり、同じ気によって成立している一つの闇の感情になります。

我々の言葉は本来の意味そのままを保存していないが故に曖昧な意味となり、その曖昧性が故に、大事な点が見えづらくなっています。「後悔」「罪悪感」「反省(向上心)」この三つの言葉の違いを理解し、自分が何か過去のことを悔いる時に、この三つの言葉のどれなのかを分析しなければなりません。

こういったことを行なうことが心を見るということの意味です。自分の感情が清いかどうかを問うためには、こういった言葉の知識を必要とします。なぜならば、我々は心を分析をする時、言葉を使わざるを得ず、言葉を真に使うためにはその言葉の意味を理解していなければならないからです。

こういったことを理解する以上に人間に必要なことはありません。我々は魂の修行の行ない方が分からなくなってしまっています。言い換えると心の見方を見失っています。どうか、こういった文章を通して心の見方の観点を得て、日常に活かしてほしく思っています。