ここでは「幸せ」とは何かについて書いていきたいと思います。このページから「幸せ」について理解を深めて頂き、日常生活の中で活かして頂けると幸いです。


【「幸せ」の定義】

「幸せ」とは自分が「愛」を抱いている相手が笑顔だったり、嬉しかったり、何かしらの問題を乗り越えたりする時に感じる「喜び」のことです。例えば、自分が愛する我が子が本当に元気で嬉しそうな姿を見ていると「喜び」を感じますが、それは「幸せ」そのものです。

このような意味で、「幸せ」とは「愛」から生まれる「喜び」のことです。「幸せ」の定義はこれだけなのですが、様々なものがこのことを見えなくさせてしまっているので、以下はそのことについて書いていきます。以下のことを理解して頂くことで、「幸せ」に関する理解も深めて頂けると思っています。


【「愛」の生む「喜び」と「欲望」の生む「快楽」の違い】

よく「幸せ」と誤解されてしまうのが「欲望」の生む「快楽」です。例えば、美味しいものを食べたり、ショッピングをしたり、お金をもらったりすることは「快楽」を生みますが、これは「愛」から生まれる「喜び」とは全く異なるものです。

「愛」は「相手を大事に思う気持ち」であって、そういった「気持ち」から、相手の「幸せ」を願いますし、「相手のため」に様々なことをしたいと思います。だからこそ、愛する相手が「幸せ」だと自分も「幸せ」を感じます。

それに対して、「欲望」は「自分が利益を得ることを目指す気持ち」であって、「自分のため」に様々なことをしたいと思います。美味しいものを食べたいと思ったり、ショッピングをしたいと思ったり、お金が欲しいと思ったりすることは基本的に「欲望」から思うことであって、そういった「欲望」が実現することによって得られるものは「快楽」です。

このような意味で、「愛」から生まれる「喜び」と「欲望」から生まれる「快楽」は異なるものであって、「喜び」が「幸せ」そのものであるのに対して、「快楽」は「幸せ」ではありません。「相手のため」を思っていると「幸せ」は生まれ、「自分のため」を思っていると「快楽」しか得られないという構造は、「幸せ」について理解する上でとても大事な構造になります。


【「喜び」と「快楽」の時間性】

「愛」の生む「喜び」は、自分が相手を愛していて、その相手が「幸せ」な限り、永遠に持続します。それに対して、「欲望」の生む「快楽」は、必ずすぐに消えていきます。ですから、「喜び」と「快楽」は持続性が全然異なります。この点も、「幸せ」は「喜び」であって「快楽」ではないということの大きな根拠となっています。

しかし、「愛」から生まれる「喜び」=「幸せ」も自分が愛する人が苦悩していたり、悲しんでいたりすると、一時的に無くなります。「幸せ」に対して、一度「幸せ」になるとずっと続くというようなイメージを抱いている人も多いのですが、実際はそうではなく、「幸せ」は愛する相手が「幸せ」な限りは続きますが、愛する相手が「幸せ」でないと自分の「幸せ」も一度終わります。そして、また相手が「幸せ」だと自分も「幸せ」に戻っていきます。

「幸せ」は感情の問題であって、我々の感情はいつも変化します。そして、「幸せ」は「喜び」のことです。ですから、当然「喜び」を感じている時間は「幸せ」であって、「喜び」を感じていない時間は「幸せ」ではないと理解して頂ければ、と思います。

ただ、「幸せ」がこのように途中で途絶えることは、「愛」の「喜び」が如何に大事なのかを我々に教えてくれます。いつも「幸せ」だと、「幸せ」に慣れてしまって、その価値が分からなくなってしまうからです。そうではなくて、愛する相手が苦しんでいる時に自分も苦しみ、愛する相手が「幸せ」な時に自分も「幸せ」を感じることを行ったり来たりする中で、相手の「幸せ」がどれだけ大事なことかを学び、「愛」の「喜び」がどれだけ素晴らしいものなのかを学ぶことに繋がっていきます。


【「愛」と「依存」の違い】

「愛」と「依存」もよく混同されるものなので、この違いを理解することも「幸せ」について理解を深める上で大事なことです。「愛」も「依存」も相手に対する「好き」という気持ちはありますが、「愛」は「相手のため」であるのに対して、「依存」は「自分のため」です。つまり、「依存」は本質的に「愛」ではなく「欲望」です。ですから、「愛」が「喜び」をもたらすのに対して、「依存」は「快楽」をもたらします。

例えば、自分が寂しいが故に、誰かと恋人になったり、誰かと友達になったりすることは、「自分のため」なので「愛」ではなく「欲望」であり「依存」です。「愛」の関係性は相手が大事だからこそ作りたいと思うものですが、「依存」の関係性は相手が自分に何かしらのメリットを与えるからこそ作りたいと思うものです。

そして、「依存」は「依存」している時間は「快楽」を得られ、「依存」できなくなると「苦悩」を感じるという性質を持っています。だからこそ、「苦悩」から逃れるために「依存」するという形で、どんどん「依存」が深まっていく性質を持ったものです。

「愛」も相手と一緒にいたいという気持ちには繋がりますが、「相手のため」を考えるので、相手を振り回したり、相手に対してワガママになることには繋がりにくいです。相手を苦しめることは自分にとっても苦しいからです。しかし、「依存」は「自分のため」を考えるので、相手を振り回したり、相手に対してワガママになってでも、「依存」による「快楽」を得たいと思います。

このような意味で、「愛」の生む「喜び」と「依存」の生む「快楽」の違いを理解して頂き、「幸せ」は「愛」の方にあり、「依存」の方にはないということを理解して頂けると幸いです。
 

【「愛」と「幸せ」を守り、強くするために】

もし、自分が愛している相手が「幸せ」そうな様子を見ても自分が「喜び」を感じなくなっているとしたら、相手に対する「愛」が弱まっている可能性が高いです。

「愛」は「相手のため」、「欲望」は「自分のため」という形で「愛」と「欲望」は相反するものなので、「欲望」と仲良くしていると次第に「相手のため」よりも「自分のため」を優先して考えるようになり、「愛」が減っていくということはよくあります。ですから、「愛」を守るために「欲望」と仲良くしないように心がけるということは、とても大事なことです。

また、「愛」を抱いていれば「愛」はどんどん強くなっていくので、「愛」を抱くように心がけるということもとても大事なことです。「愛」は「相手のため」に何かをしたいという「気持ち」に繋がっていくので、愛し合う人同士はお互いのことを大事に思い、お互いに「相手のため」に何かをしたいと思います。そして、相手の「幸せ」を自分の「幸せ」と感じるということを、お互いにするようになります。だからこそ、愛し合う人間同士はお互いに「愛」と「幸せ」を高め合うということを行なっていきます。このような形で「愛」と「幸せ」を高めていくことはとても素晴らしいことですし、人間にとって理想的な姿でもあります。
 

【最後に】

自分の「幸せ」を目指すことは「愛」=「誰かのため」ではなく「欲望」=「自分のため」です。ですから、自分の「幸せ」を目指せば目指す程「欲望」に囚われ、「愛」から遠ざかり、「幸せ」も遠ざかっていくという構造があります。

また、「幸せ」になるためには「愛」を抱く必要があるけれども、自分の「幸せ」のために「愛」を抱くことを目指すと「欲望」に囚われてしまいます。そうではなく、ただただ相手を大事にしたいと思う気持ちが「愛」に繋がり、結果的に「幸せ」にも繋がっていきます。

ですから、自分の「幸せ」は目指すべきものではなく、「愛」を抱いて生きていると自然とそこにあるものです。このことは、我々日本人がもっと意識すべきことだと思っています。

現代を生きる我々日本人は自分が「幸せ」になるために「幸せ」を目指し、「幸せ」を目指すが故に「欲望」に堕ち、何かを欲しがったり(欲望)、誰かと関係を作ろうとしたり(依存)、様々な間違ったことをしてしまっています。これは全て、我々日本人が「幸せ」とは何なのかということを、ちゃんとした形で学ぶことが無いからこそ起こっていることです。

我々日本人は「幸せ」の定義をどこかで学ぶことはありませんが、自分が「愛」を抱く人が笑っていたり、嬉しそうにしていることによって、自分の中に「喜び」が生まれることを経験したことがある人はとても多いと思います。また、「欲望」から得られる「快楽」がとても刹那的で、結局は「自分のため」の虚しいものだと感じたことがある人も多いと思います。そして、この両方を経験したことがある人も少なくないと思います。

ですから、本当は我々は「幸せ」とは何なのかを感覚的には分かっているのですが、「愛」と「欲望」の対比の中で理解しようとしないが故に、言語化できていないだけになります。そして、言語化しない限り、心の中で「幸せ」とは何なのかを理解することはできないので、言語化することはとても大事なことです。

このページをそういった言語化のために役立てて頂き、日々の生活に役立てて頂けると幸いです。我々の日常は常に「愛(相手のため)」と「欲望(自分のため)」の選択の中にあります。何故ならば、いつも我々は自分と相手のどちらかを優先しているからです。

そういった選択の時に、「欲望」ではなく「愛」を選択して頂けると幸いです。そのことで御自身の「愛」は大きくなり、「愛」から生まれる「喜び」も大きくなっていきます。そういった過程の中で「幸せ」は大きくなっていきます。