過去に自分が起こしたことに対してネガティブな気持ちを持つことが「後悔・罪悪感」であるのに対して、過去に他人が起こしたことに対してネガティブな気持ちを持つことが「咎める心」です。

日本でよく聞く言葉に「責任を取って下さい」という言葉があります。これは我々に本人にとって、「咎める心」の象徴のような言葉です。過去の出来事自体は変えられないが、現在においてそのことを償わせるという発想です。こういった「埋め合わせ」の発想とは、闇の発想です。

「ただ与え、ただ許す」が光の立場です。
「ギブアンドテイク」が闇の立場です。

この「埋め合わせ」の根底には「ギブアンドテイク」の発想があります。そして、日本においてそういった「ギブアンドテイク」の発想を肯定しているのが、「責任」という言葉です。「責任」という言葉についてはこちらに書いていますので、こちらを読んで下さい。

・「責任」について
http://junashikari.com/word/「責任」について/

「咎める心」とはそういったギブアンドテイクの発想に基づいた、極めて陰湿な心です。なぜならば、自分の利益のために他人を非難するという心の流れがあるからです。それを分かりやすい言葉にすると、以下のようになります。

「あなたは私にそれだけの損失を与えた。よって、あなたはそれだけの損失の分、私に償って下さいよ。だってあなたのミスなんだから。」

こういう現場において、咎められている人は一切の言い訳もできません。一切の「責任」は自分にあるからです。我々は「責任」という言葉を使うことによって、咎められる人に対して逃げ場を与えません。だからこそ、この「咎める心」とは非常に残酷なのです。

本当はこの咎める行為を行なっている人間がその咎められている人間を許せばいいだけの話なのです。しかし、今の日本において、そういった許しができる人は非常に少ないのが現状です。なぜならば、我々日本人は「責任」という言葉を肯定しているからです。もっと正確に言うならば、「責任」という言葉を使って「咎める心」を肯定しているからです。つまり、常識として我々日本人は「咎める心」を肯定しています。だからこそ、この問題は日本人にとって根深いのです。

ただ許せばいいのです。あなたがただ許すだけで全てのことは解決するのです。あなたが他人を許せないのは、あなたの心が弱く、欲望に満ち、闇に満ちているからです。その「弱さ」や「欲望」を見つめる前に我々は「責任」という言葉を使って「弱さ」「欲望」を肯定化します。我々は「責任」という言葉を使ってそのようなことを行なっている弱い魂達であるということを自覚しなければなりません。我々日本人は本当に弱く、陰湿です。このことが真に見えない限り、我々が清くなることなど不可能であり、幸せになることも不可能です。なぜならば、幸福は闇の方ではなく、光の方にあるからです。

しかし、厄介なケースもあります。自分にとって大事な人がある人によって傷付けられた場合です。その人が大事だという気持ちは愛です。この場合、その愛が故にその人を許すことが難しくなります。闇側はよくこの構造をよく悪用します。

例えば、あなたにとって大事な人間を傷付けることで、わざと自分達(闇側)を憎ませます。なぜならば、「憎しみ」とは闇の感情ですから、「憎しみ」の気持ちを使って、あなたに闇の気を入れようとします。私は悪魔や闇の霊能力者といった魂達から攻撃をもらってきましたが、いつも自分の周りの人間を狙ってきていました。そのことで、私に彼ら(悪魔や闇の霊能力者)に対する憎しみの気持ちを抱かせようとしていた形になります。

これは悪魔や闇の霊能力者だけの話ではなくて、人間も全く同じです。なぜならば、闇の気を司っているのは悪魔達ですから、闇の気が身体や魂に満ちていると、簡単に悪魔達にコントロールされるからです。「どうしてそんなことをするんですか?」というような言葉は我々の日常の中でよくある言葉だと思いますが、そこで普通の人からすると信じられないようなことをする人とは、そういった形で悪魔達からコントロールをされていることがよくあります。夫婦の内、片方が悪魔に取り憑かれて相手に嫌われるようなことを悪魔達からさせられ、その夫婦関係が悪くなるといったことはよくあります。大きな人生の役割を持った方々であればあるほど、悪魔達は狙いますから、よくあることです。彼等は闇を増やすために光さえも利用するのです。

「咎める心」とは言い換えると「誰かを許せないと思う心」です。咎めるという行為をやっているかどうかではなく、その気持ちを抱いている本人の感情の問題だと考えて下さい。ここでは常に感情の話を書いています。

愛する人が傷付けられた場合にその愛する人を傷付けた存在を許すことができるかどうか、これは本当に難しいことであって、神々でさえもかなり苦悩している問題です。神々は愛が強いです。愛が強いが故に「許せない」と思ってしまうのです。神々の修行とはそういった点にあり、我々人間においてもまた同様です。

自分のために相手に対して「咎める心」を持ったり、相手に対して「許せない」という感情を抱くこと、これはあなたの問題です。あなたの問題ですから、許すことはできるはずです。これはあなたが光を選びたいのであれば、絶対に乗り越えなければならない問題です。逆に言うと、ここで許せないのであればあなたは闇を選んでいることになります。我々は意識的に光を選ぼうともそうでなくとも、いつも光と闇を選んでしまっているのです。なぜならば、あなたはいつも光の感情と闇の感情のどちらかを抱いているからです。

愛する人を傷付けられた場合にその傷付けた存在を許すことができるかどうか、このことはその次の問題として存在します。それができなくても、あなたが闇を選ぶということにはなりません。何故ならば、愛とは光であるからです。しかしながら、あなたがその場合に相手を許せないのであれば、光を選ぶことにもならず、中立を選ぶことになります。もちろん、全てはケースバイケースですが。そして、あなたが光を選びたいのであれば、そのような場合であっても相手を許していくべきです。それはとてもとても大きな闘いです。