「うん、嬉しいの、、、」

腐海の底に迷い込んだナウシカは、腐海の森が汚れた土を浄化していることを知り、横たわったまま涙を流します。この涙の意味を知ることはとても大事で、その「喜び」の意味は少なくとも2つあります。

この時、ナウシカはこの世界が腐海による浄化によってより良くなっていけることを知り、そのことについて「喜び」を感じています。これは「より良い世界を実現したい」という「善意」に基づく「喜び」です。

また、腐海の存在意義を見出すことで、腐海に生きる様々な植物や虫達の存在を肯定する理由を手に入れることもでき、そのことについても「喜び」を感じています。これは「愛する者を肯定したい」という「愛」に基づく「喜び」です。

つまり、ナウシカがとてつもなく大きな「善意」と「愛」を持っているが故に、この「喜び」は計り知れなく深いです。他にも、「愛」と「善意」によって様々な「喜び」をナウシカは感じているはずです。

この作品を観れば、ナウシカが「この世界がどう進むべきなのか?」を問う「善意」の大きな人物であることも、彼女が様々な存在について深い「愛」を抱く慈悲深い人物であることも確認できます。そういうことを理解することで、このナウシカの深い「喜び」の涙の意味を想像することができるようになります。

ナウシカの涙のこのような意味を知る時、我々は我々自身に問いかけることができるようになります。それはナウシカと自分自身の比較であって、「同じような状況で腐海の存在意義を知った時、自分はナウシカの喜びにどれだけ近い喜びを感じられるだろうか?」という「問い」です。

現実の世界でも、我々はこの世界にとっての希望を発見することや、愛する誰かを肯定できる理由を発見することはあります。例えば、環境を汚染しない車が販売され始めるといったニュースだったり、自分の子供の才能を発見するといったことです。そういう時に、「ナウシカだったらどれ程の喜びを感じているだろうか?」という「問い」をすることもできます。

そういう「問い」を適切に行なうことで、我々は自分自身の「愛」や「善意」の大きさを測ることができ、ほぼ全ての人類はナウシカ程の境地には達していないので、この比較は我々に我々自身の「未熟」を教え、我々の更なる「成長」を促します。

「愛」や「善意」に欠けてしまえば、世界にとっての希望を知った時も、好きな誰かを肯定できる理由を発見した時も、「喜び」を感じることはありません。残念ながら、今の日本はそういった人間が増えてきている現状にあるので、ナウシカの「喜び」の意味を捉え直すことはとても大事だと思います。

「愛」や「善」に生きる人間にとっての1つの「幸せ」は、こういった「喜び」です。それは「善」が実現される可能性を発見した時に感じる「喜び」であり、「愛」する相手の存在を真に肯定できる理由を発見した時に感じる「喜び」です。

このナウシカの様子は、そういった「喜び」の理想の姿を我々に教えています。それは、我々がどのような「愛」や「善意」と共に生きるべきであるのか、ということを教えてくれているとも言えます。そのような意味で、この描写は我々にとっての「道標」であって、「愛」や「善」に生きる者に「道」を教えてくれます。

「幸せ」という言葉についても、「喜び」という言葉についても、その本質が見失われがちな時代だからこそ、この時のナウシカの「喜び(幸せ)」の意味を捉え直すことは大事だと思います。