ここでは「ストレス発散」という言葉について書いていきます。

「闇の気持ち」は他の「闇の気持ち」に転じますが、「ストレス発散」とはこの構造を意味する言葉です。例えば、やりたくない仕事をしていると「嫌悪」の「気持ち」を抱きます。そして、そういった「嫌悪」の感情で平日を過ごしていると、休日はその「嫌悪」を「欲望」や「怠惰」に転じさせたくなります。なぜならば、「嫌悪」は自分に「苦悩」をもたらす「闇の気持ち」であるのに対して、「欲望」「怠惰」は自分にとって「快楽」をもたらす「闇の気持ち」だからです。これが「ストレス発散」の構造です。

このように、「闇の気持ち」には「苦悩」をもたらすもの、「快楽」をもたらすもの、「苦悩」と「快楽」両方をもたらすものがあります。身体に「闇の気」を多く抱える人は、その「闇の気」を他の「闇の気」に転じさせることで「ストレス発散」を行なっています。「闇の気持ち」は30種類ありますが、その中でも分かりやすいものを書いておきたいと思います。

苦悩系の闇の感情:嫌悪、絶望、不安、後悔、憂鬱、苛立ち、嫉妬、焦り、混乱など
快楽系の闇の感情:欲望、依存、怠惰、甘さ・馴れ合い、頑固、狂気など
苦悩・快楽両方の感情:恐怖(ホラームービー、絶叫マシーン)、怒り(怒りを溜めている時=苦悩、怒りを相手にぶつける時=快楽)、比較の闇(劣等感=苦悩、優越感=快楽)、負けず嫌い(負ける=苦悩、勝つ=快楽)

「ストレス発散」という言葉は悪魔が創った罠の言葉です。何故ならば、「欲望」や「怠惰」などで「ストレス発散」をしても「闇の気」は「発散(外に出ること)」されないからです。人間は「ストレス」が「闇の気」によって起こっていることを知らず、だからこそ「闇の気」を身体の外に出そうと心がけません。そんな人間を馬鹿にする意味を込めて悪魔は「ストレス発散」という言葉を創り、広めた形になります。

そして、言葉の力は恐ろしく「ストレス発散」という言葉を我々が使っているだけで、本当に「ストレス」の原因が「発散」されたような「気持ち」になっていきます(その「気持ち」にも悪魔は「闇の気」で関与しています)。その点も悪魔は元々狙って、この言葉を創っています。しかし、「闇の気」を抱えることで「苦悩」し、その「闇の気」を使って「快楽」を感じるといったことを繰り返していくということを行なえば、どんどん身体と魂の「闇の気」は増えていきます。そうすると、その「闇の気」を司る悪魔にどんどん心を支配されていくので、「闇の気持ち」しか抱く事ができなくなり、「自分のため(闇)」にしか生きられない人間になっていきます。こういったことの結果、「自分のため」に生きている日本人ばかりになってしまっている現状があります。

言葉は我々の「気持ち」に非常に強く影響を与えることができるものです。だからこそ、悪魔は言葉を創り、その言葉を創って、人間の「気持ち」に関与し、人間を「闇」に陥れてきます。例えば、去年の流行語の「神ってる」「聖地巡礼」は「神」「聖地」という言葉のイメージを軽く捉えさせるために悪魔が創った言葉です。

我々は言葉に対するイメージをどのように自分の中で作っているかというと、その言葉がどのように使われているのかということを何度も経験する中で行なっています。ですから、「神」「聖地」という言葉が非常に軽く表現されるのを日常的に使ったり、聞いたりしていると、「神」「聖地」という言葉のイメージ自体がその人間の中で軽くなっていきます。そうすると、その人間は「神」「聖地」というものに対して本質を捉えられなくなります。そうすると、真実がどんどん見えなくなっていきます。このような方法で悪魔は我々に様々な「呪い」をかけていっている存在になります。そして、そういった「呪い」を使って、人間を「闇」に陥れていきます。

こういった例から悪魔の恐ろしさを分かって頂けると幸いです。悪魔が長年に渡って実現しようとしてきた世界は、絶対に「苦悩系の闇の気持ち」を抱かざるを得ないような社会システムの構築と、その「苦悩系の闇の気持ち」を「快楽系の闇の気持ち」に転じさせることを促す強い「快楽」をもたらす「欲望」の道具を創ることです。

我々は生きている多くの時間を働かないと生きていけない社会に生きていますが、そういった状態は「苦悩系の闇の気持ち」を抱くことを促します。そして、我々が生きている社会にはありとあらゆる「欲望」の道具がありますが、これは「快楽系の闇の気持ち」を抱くことを促します。

そういった「抑圧(苦悩)と解放(快楽)」の構造を悪魔が長年に渡って用意してきました。この日本社会が本当に生きづらいのも、ありとあらゆる「欲望」を満たす道具を我々が持っているのも、こういった悪魔の狙い通りに日本社会が進んだからになります。そして、このことによって悪魔は我々の身体を「闇の気」だらけにしてきました。

「気分・気持ち」「気付き」という言葉が示すように「気」が感情と思考の原因です。ですから、悪魔の「闇の気」で身体が満ちると、「何をしたいか」「どのように考えるのか」ということを悪魔に操作されてしまい、悪魔にとって都合のいいように動かされます。

人間が「闇の気」を抱えるからこそ、悪魔に人間が動かされる。悪魔に人間が動かされてきたからこそ、悪魔にとって都合のいい社会=「闇の気」を人間が抱えやすい社会が出来上がっていく。という負の連鎖が続いてきましたし、今も続いています。

では、どのようにしたら「闇の気」を受け入れないようにできるかというと、「欲望」「嫌悪」「怒り」といった30種類の「闇の気持ち」を抱かないことです。「闇の気持ち」を抱くことによって、身体に「闇の気」は溜まっていきます。そして、自然に触れたりすることによって「光の気」を摂取することです。

本当に「ストレス」を解決したいのであれば、「欲望」などによって「ストレス発散」をするのではなく、「闇の気」を身体の外に出し、「光の気」を身体に多く抱えることをする必要があります。運動や睡眠や入浴は「闇の気」の浄化を促しますし、自然に触れたり、「光」の音楽を聴くことは「光の気」を受け取ることを促します。ですから、「ストレス」を解決したいのでしたら登山などがとてもいい方法です。「闇の気」を浄化し、「光の気」を受け取る上で気をつけるべきことはここに書いています。特別なことは何も書いておらず、睡眠や換気といった基本的なことを書いています。

http://junashikari.com/日常生活について/日常生活で心掛けるべきこと(冬)/

「ストレス発散」という言葉の罠は書いておくべきだと思ったので、書いておきました。「ストレス」は「闇の気」によって起こるものです。ですから、「ストレス」を少しでも抱えたら「闇の気」の浄化のための行動を取って頂けると幸いです。そのことによって、心身共にいい形で生きていくことができます。