魂の「成長」について、非常に重要な要素の1つが「満足」というものです。これは皆さんが「光」を選ぶ上でも、「闇」を選ぶ上でも共通の問題です。構造がよく見えるように、「光」と「闇」で並べて書いていきます。


「光」の「満足」とは「幸せ」によって実現します。そして、「幸せ」とは、「満足」の状態を得やすいものです。「幸せ」というものの性質がそうであって、「幸せ」はより大きな「幸せ」を求めないからです。例えば、本当に愛し合う異性と共に生きていくことは「幸せ」であって、それは飽きるようなものではありません。もし、飽きるのであれば、相手に対する「愛」が失われているか、相手に「快楽」を求めているかのどちらかになります。

「闇」の「満足」とは「快楽」によって実現します。そして、「快楽」とは、「満足」の状態を得にくいものです。「快楽」というものの性質がそうであって、「快楽」はより大きな「快楽」を求めるからです。例えば、全然好きではない異性と性行為をすると「快楽」は得られても、すぐに飽きます。もし、飽きないのであれば、相手に対する「愛」が生まれているか、常にその異性は新たな「快楽」をあなたに与えているかのどちらかになります。


「光」は自分の「満足」を得やすく、「闇」は自分の「満足」を得にくい、という構造は非常に重要です。


そして、「光」の立場は「他者のため」に生きる立場であるからこそ、自分がどれだけ「幸せ」になろうとも、他者を助けるために「満足」してはいけないという闘いを経験します。なぜならば、「満足」をしてしまうとそこで止まってしまい、より多くの他者を「幸せ」にしていこうと思わないからです。

そして、「闇」の立場は「自分のため」に生きる立場であるからこそ、自分がどれだけ「満足」しなくても、自分のために新たな「快楽」を求めていかないといけないという闘いを経験します。なぜならば、「満足」できないが故に、より強い「快楽」を得ていかないと自分がつまらないからです。


「愛」が弱いと「幸せ」になった時に簡単に「満足」をしてしまい、より強い「光」を実践することを止めます。そうすると、魂はその大きさの「愛」のレベルで止まります。例えば、ある程度の「愛」を持った「光」の男性は「幸せ」な家庭を築き、その家庭を維持するだけで「満足」してしまいます。しかし、世界中には困っている人はたくさんいます。自分の家族を「幸せ」にできるだけの「愛」は持っていても、家族以外の人を「幸せ」にしようとする程の「愛」は持っていません。そして、そこで「満足」してしまうと、魂の「成長」も止まってしまいます。より強い「光」を実践しようとするときに、魂は「光」の「成長」をしていくからです。

ですから、「光」の立場の「満足」とは、「甘さ」とも言い換えられます。心のどこかで「これでいいかな」と決めているからです。世界中で苦しんでいる人はたくさんいるのに、自分の家族だけを「幸せ」にすればいいと考えるのは、これは「甘さ」です。では、どうして「甘さ」を選ぶかというと、そこで「甘さ」を選ぶと楽だからです。「苦悩」を経験せずに済みます。誰かのために、自分を犠牲にすることは、時に「苦悩」をもたらします。

真に「光」の立場の魂は自分の「幸せ」を放棄しなければならない場面に遭遇します。それが「光」の魂に「苦悩」をもたらします。例えば、先程の例で考えると自分が愛する家族と時間を過ごすことは「幸せ」です。しかし、家族以外の人を「幸せ」にするためには、その家族から少しの時間離れないといけません。これが「幸せ」の放棄です。「光」の立場を選ぶのであれば、永遠にこの「苦悩」との闘いを経験します。そのことによって、魂は「成長」していきます。


「欲望」が弱いと「快楽」を得た時にあるところで「満足」してしまい、より強い「闇」を実践することを止めます。そうすると、魂はその大きさの「欲望」のレベルで止まります。例えば、ある程度の「欲望」を持った「闇」の男性は年収1000万を手に入れたいという「欲望」を実現すると「満足」してしまいます。しかし、人は努力すればどこまでも金持ちになれます。年収1000万円程度を実現できる「欲望」は持っていても、それ以上の「欲望」は持っていません。そして、そこで「満足」してしまうと、魂の「成長」も止まってしまいます。より強い「闇」を実践しようとするときに、魂は「闇」の「成長」をしていくからです。

ですから、「闇」の立場の「満足」とは、「諦め」とも言い換えられます。心のどこかで「これでいいかな」と決めているからです。頑張ればいくらでも金持ちにはなれるのに、年収1000万円でいいと考えるのは、これは「諦め」です。では、どうして「諦め」を選ぶかというと、そこで「諦め」を選ぶと楽だからです。「苦悩」を経験せずに済みます。自分のために、新しい「欲望」を実現していこうとすることは、時に「苦悩」をもたらします。

真に「闇」の立場の魂は自分の「欲望」を実現し続けなければなりません。「欲望」はより大きな「欲望」を求め、自分の「欲望」を実現するために努力し続けないといけません。それが「闇」の魂に「苦悩」をもたらします。例えば、先程の例で考えると年収を1000万円よりも上げるためには何か努力しなければならず、その努力は「苦悩」をもたらします。しかし、自分の「欲望」をより実現していくためには、その「苦悩」は必ず必要です。「闇」の立場を選ぶのであれば、永遠にこの「苦悩」との闘いを経験します。そのことによって、魂は「成長」していきます。

 

光は「幸せ」によって「満足」を得やすく、「満足」しそうになるけれど、絶えず努力を「他者のため」に行なっていかなければなりません。それが「苦悩」をもたらします。その中で「幸せ」に堕ちてしまう「甘さ」と闘っていかないといけません。この「甘さ」こそが「光の満足」です。「甘さ」に堕ちてしまえば楽です。しかし、そこに堕ちてしまえば、他者を助けていくことはできません。そして、「甘さ」に堕ちると、魂の「光の成長」もそこで止まってしまいます。

闇は「快楽」によって「満足」を得にくく、「満足」しないからこそ、絶えず努力を「自分のため」に行なっていかなければなりません。それが「苦悩」をもたらします。その中で「欲望」に対する「諦め」と闘っていかないといけません。この「諦め」こそが「闇の満足」です。「諦め」に堕ちてしまえば楽です。しかし、そこに堕ちてしまえば、より大きな「快楽」は得ることができません。そして、魂の「闇の成長」もそこで止まってしまいます。

 

この「愛」と「欲望」に関する「満足」の構造は、「光」と「闇」で全く共通の構造を持っています。強い「愛」や強い「欲望」を持つ魂とはどこまでも「成長」していきます。それは魂の持つ様々な要素について成長していきます。その要素の1つが「賢さ」なので、「賢さ」を例に説明していきたいと思います。

「相手のため」の「賢さ」は「光の賢さ」、「自分のため」の「賢さ」は「ずる賢さ」です。現代人は「自分のため」の「賢さ」を「ずる賢さ」と感じない傾向がありますが、そのことについてはここに書いているので、読んで頂ければ、と思います。

・「ずる賢さ」について
http://junashikari.com/word/「ずる賢さ」について/


「愛」の強い人は、自分の「愛」をより強く実践していくために、絶対に「賢さ」が必要です。なぜならば、「賢さ」が無いと、どこかで「勝負」に負けてしまうからです。だから強い「愛」を抱える人達は、「勝負」に勝っていくために、どんどん「賢さ」を手に入れていきます。こういった形で、「光の賢さ」を持っている人は、現代社会において非常に少ないです。何故ならば、現代社会は「愛」が弱いからです。

「欲望」の強い人とは今たくさんいます。そして、自分の「欲望」をより強く実践していくためには、絶対に「賢さ」が必要です。なぜならば、「賢さ」が無いと、どこかで「勝負」に負けてしまうからです。だから強い「欲望」を抱える人達は、「勝負」に勝っていくために、どんどん「賢さ」を手に入れていきます。こういった形で、「ずる賢さ」を持っている人は、現代社会において非常に多いです。何故ならば、現代社会は「欲望」が強いからです。

我々が「賢さ」を強くしていくのは、「勝負」に勝ちたいと思っている時だけです。「勝負」に勝ちたいと思わなくなったり、「勝負」をしなくなると「賢さ」の成長は終わります。なぜならば、能力は使わない限り、伸びないからです。それは「光」でも「闇」でも全く同様です。

だからこそ、強い「愛」を抱えた人間は確実に「光の賢さ」を手に入れ、強い「欲望」を抱えた人間は確実に「ずる賢さ」を手に入れていきます。なぜならば、強い「愛」や強い「欲望」を持っていると、途中で「満足」せずに、いつまでも勝負に勝とうと全力を尽くすからです。その過程の中で、果てしなく「賢さ」を伸ばしていきます。
 

「勝負」というと具体的にイメージが湧かないと思いますが、我々の日常は勝負に溢れています。それを先程の例を使って説明すると、

家族を「幸せ」にすることで「満足」していた男性は、より多くの人を「幸せ」にするために、本当に素晴らしいお店を開くことだってできるはずです。しかし、家族を養いながらお店を経営するためには、売り上げをかなり出す必要があります。しかし、彼が真に「賢さ」を伸ばしていくのであれば、家族を養いながら、お客さんの誰もが「幸せ」になるようなお店を経営していくことができるはずです。その過程の中で、「光の賢さ」を伸ばしていくことができます。そして、この男性の魂は「光」の「成長」を遂げていきます。

年収1000万円を得る「快楽」で「満足」していた男性は、より自分の収入を増やすために、何か事業を起こすことだってできるはずです。しかし、ダブルワークということになるので、時間は限られています。その中で、「賢さ」を伸ばしていくのであれば、今やっている仕事を行ないながら、副業で稼ぎを増やしていくこともできるはずです。その過程の中で、「ずる賢さ」を伸ばしていくことができます。そして、この男性は「闇」の「成長」を遂げていきます。

これが、ここで言う「勝負」です。ただ、こんなに大きな「勝負」ではなくても、我々の日常会話も「勝負」です。

ある人と話していて、自分と話すことによって少しでもその人を「幸せ」にしたいと努力すること、これは「光」側が行なう「勝負」です。会話をしていて、ただ単純に相手に笑ってほしいと思いながら話すようなことなどです。もし何か相手から相談をされている時に、必死に相手を「幸せ」にしたいと頑張るのであれば、徹底的に自分の「賢さ」を使うことになります。そのような過程の中で「光の賢さ」は伸びていきます。

ある人と話していて、自分のために、その人に好かれようと話を会わせたりする努力をすること、これは「闇」側が行なう「勝負」です。会話をしていて、自分が好かれるためにお世辞を言ったりするようなことなどです。もしあるお客さんが自分のお店に来て、そのお客さんをリピーターにするためにするために必死に頑張るのであれば、徹底的に自分の「賢さ」を使うことになります。そのような過程の中で「ずる賢さ」は伸びていきます。
 

我々は無意識にもいつもこういった「勝負」をしています。そして、その「勝負」の中で「賢さ」は必ず使っています。しかし、そのモチベーションの高さによって、どれ程「賢さ」を使うかが変わり、そのことによってどれだけ「賢さ」が伸びるのかが違ってきます。つまり、魂の「成長」が変わってきます。

現代社会で「光の賢さ」を見る機会が少なく、「ずる賢さ」を見る機会ばかりなのは、全体的に「光」の立場の人間が少なく、「闇」の立場の人間が多いということにも依りますが、「光」の立場の人間の「愛」が弱いことも1つの原因です。つまり、多くの人が光の「勝負」をあまり行ないません。何故ならば、「光」の立場の人達は基本的に自分の「幸せ」だけで「満足」してしまっているからです。本当に「光」の立場の人間の「愛」が強ければ、もっと我々はそういった人達の「勝負」を目にし、「光の賢さ」見ているはずです。

ここでは「賢さ」を例に、魂の「成長」と「満足」の関係性を説明してきましたが、我々の魂の「成長」とは、様々な観点であります。例えば、「強さ」などはその代表例です。そういった魂の持つ様々な面を伸ばすために大事なことは「満足」しないことです。


最初に書いた通り、「愛」は「満足」を生みやすい性質を持っています。異性と本当に愛し合っていると人はそれだけで「幸せ」になってしまい「満足」してしまいます。そして、その相手との時間を大事にし、それ以外のことはどうでもよくなってしまったりします。二人の人間が「幸せ」になることはとても素晴らしいことです。しかし、そこで「幸せ」になっているのはたった二人だけです。そして、この世界には山のように「不幸」な人達がいます。そういった「不幸」な人達を無視して、二人だけの「幸せ」だけを大事にするのは、非常に弱い「光(愛)」です。今いる「光」の立場の人間の多くは、ここまでで止まってしまっています。

強い「光」の立場の人間とは「幸せ」との闘いを行なっています。「幸せ」に堕ちてしまい、他のことをやらないようになるようなことを避けるような努力をします。つまり、自分の「幸せ」を放棄する場面を作っていきます。我々人間にはこういった観点がありません。本当に幸せになった後、この世界のために自分の「幸せ」を放棄していくような場面も必要であるとは誰も教えてくれないからです。その理由は、そもそも「幸せ」さえもあまり実現できていないということでもあり、「幸せ」になった人達は基本的にそこで「満足」してしまって止まってしまっていることでもあります。

これだけ世界が「闇」に満ちてしまったのは、「闇」が単純に強くなったことだけに依るのではなく、「光」の人間の努力が足りないことにもあります。これは、「光」の立場を選んでいる方はどうか心に刻んで頂ければ、と思います。
 

ここからは少し自分の考えを書いていきたいと思います。最近は客観的にこの世界のルールを説明することを心掛けていて、自分の考えを書くことは控えていますが、このテーマの記事なので、自分の思うことを書いておきたいと思っています。

私はシャーマンになった後に色々な人間に会ってきましたが、その内の少数は本当に「光」の立場の人間だと感じる人がいます。「闇」に堕ちてしまう人があまりにも多い中で、彼らのような「光」を選ぶ人間がいることは本当に喜ばしいです。しかし、そういう方々もどこか「甘さ」を抱えています。今のこの世界の現状を考えて、自分に何ができるかを考えて、その上で今日一日で自分が何をすべきかを考えて、朝起きてから夜寝るまで全力で走り、その間自分の心が常に光の状態を維持しているかを自分自身に問い続けている人間がどれ程いるかというと、ほとんどいません。どこか、「光」の立場の人間は「甘さ」を抱えています。

真に「光」を選ぶのであれば、結婚相手や友人といった、自分の周りの狭い世界の「幸せ」だけを願うのではなくて、より多くの人や世界で苦しんでいる人達の「幸せ」を実現できるように努力する必要があります。しかし、そういった強い「光」の人間は本当に少ないです。

どうしようもない程に「闇」に満ちている世界があって、皆苦しんでいて、皆「幸せ」も知らず、「光」の立場の人間は「幸せ」を知っているのですから、世界に生きている「不幸」な人を「幸せ」にしていくこと、そのことに全力を尽くしていくことは当然だと思っています。これを当然と思うのは、私の価値観です。自分のパートナーや家族だけが幸せであればいいなんて、「光」の立場の人間としては間違っているとさえも、本音を言うと私は思っています。

最近はホームページにはあまり出さないようにしていますが、私はとても厳しい人間です。それは自分に対してもそうですし、他人に対してもそういうところはあります。ただ、他人に対してはあまり出さないようにしています。何故ならば、あまり「厳しさ」を出しても周りの人は付いてこれなくなってしまうからです。また、その人が少しでも「闇」を抱えているのであれば、私の「厳しさ」は「嫌悪」の対象となります。一度「嫌悪」の感情を私に対して持たれてしまうと、言葉が届かなくなってしまいます。「闇」を抱えている人にも「光」を選んでもらいたいと思うからこそ、最近は「厳しさ」を出さないようにしています。

私は自分の「幸せ」は捨てています。こんなことを書いたら心配されるかもしれないのですが、私は自分の「幸せ」を選ぶのであれば、死んで神々の一人になります。こんなことを書くと、大げさに見えるかもしれませんが、我々は魂がある程度のレベルまでいくと神々や天使となります。それは普通のことです。私は自分が死んだら神々の一人になることは分かっていますし、私は神々が好きでしょうがないし、会いたくてしょうがないと思っています。それは本当に自分が行きたい場所であって、会いたいと思っている方々です。

神々と接する中で、彼らに対する「愛」をとてつもなく強く抱きました。そして、自分が強く「愛」する相手に会いたいと思うことは、「光」の気持ちであって、自然なことです。そんな自分の「愛」と闘いながら、それに堕ちないようにしながら、生きて全力を尽くしています。

それに対してこちら側の世界はどうかというと、絶望的な程に「闇」に満ちていて、私は自分が大事に想う多くの魂にいつも裏切られ、悪魔から攻撃され、神々からも試練を与えられ、いつも地獄以上の地獄を経験しています。このポジションの人間は必然的にこういった地獄を経験する必要があります。それは体験しない限り理解されることは不可能であって、誤解されることばかりです。死ぬだけでこの地獄から自分が最も望む場所に行けることは分かっています。しかし、この現状を見捨てて自分の「幸せ」を選ぶなんてことは間違っていると思っています。そして、それでもこの星に「光」を増やすということを行ないたいと思っているからこそ、今もこうして生きて、全力を尽くして生きています。念のためにもう一度書いておくと、死ぬことはないので、心配しないで下さい。

自分のことを書いておいた方がいいと思ったので、少し書いておきました。私がどういった形で「光」を行なっているかを書いておかないと、こういった「厳しさ」の文章は伝わらないと思ったからです。
 

とにかく大事なことは、「光」の立場を選ぶのであれば、決して「満足」しないことです。この時代に自分が「幸せ」であればいいなどと考えるのは、間違っています。自分が「幸せ」で、他者のために行動を起こさない人とは無意識に、自分が「幸せ」であればいいと思ってしまっています。そういった形で自分の「幸せ」で「満足」せずに、どこまでも「他者のため」に全力を尽くしてもらえれば、と思います。そのことによって魂はどこまでも「成長」していくことができます。そこで「成長」すれば、より強い「光」を実践できます。

これからこの星に求められる「光」は本当に強い「光」です。何故ならば、この星の「闇」はとてつもなく強いですし、厄介な構造を持っているからです。だからこそ、「光」を実践したいと思うのであれば、いつも妥協することなく全力を尽くしてほしいと、願っています。そのことによって「成長」し、より大きな「光」を実践していってほしく思います。