「反抗期」とはどういう時期かというと、生まれて初めて「闇の気」に対してオープンになる時期のことです。つまり、「闇の気」を身体が摂取し始める時期のことを意味します。だからこそ、「反抗期」を経験している子供は「闇の気」の影響を受けて、「闇の感情」を抱き、様々な「闇の行為」を働くようになります。子供にとって、いつも接するのは親なので、「闇の感情」を初めて経験している子供は親に対して「反抗」を始めます。これが「反抗期」という言葉の正しい理解です。

子供によっては「反抗期」になっても「反抗」をしない子もいます。それはどうしてかというと、その子の魂が「闇の気」をあまり抱えていないからです。その子の身体が「闇の気」に対してオープンになったとしても、その「闇の気」と魂が「同調」しない限り「闇の感情」を抱かず、「反抗」もしません。そういう子について、日本人は「うちの子は『反抗期』が無かった」と言いますが、この解釈は誤っています。「反抗期」はその子にとってもあったけれども、その子は「反抗」するということを選ばなかった形になります。

「どうして『反抗期』があるのか」という問いは、言い換えると「どうして子供は『闇の気』に対してオープンではないのか」という問いになります。我々は生まれてから「反抗期」が来るまで、基本的には「闇の気」を摂取しづらい中を生きています。何故ならば、小さい子供の頃から「闇の気」に対してオープンであると、魂が一気に「闇」の方に向かっていくからです。まだ判断力がない子供は、自分自身の力でよく考えることができません。つまり、善悪の判断ができません。そういう段階で「闇の気」の影響を受けると、様々な悪事を働いてしまいます。そのことで魂が「闇」の方向へ向かいます。だからこそ、「判断力が付くまでは『闇の気』に対してオープンでない状態にしよう」という意図の下で、我々の身体はデザインされています。

「反抗期」が来るまでは、我々人間は神々の「光の気」の影響を強く受けて生きることになります。だからこそ、子供は「光」です。神々はとにかく子供に「遊び」をさせます。そして、「遊び」を通して子供は魂を成長させていきます。「子供は天使」とも言われますが、彼らは神々の「光の気」に純粋に従って生きているので、本当に天使のように振る舞います。あまり現代人は気付いていませんが、小さな子供が天使のように大事な事を親に伝えることは実際はよく起こっています。なぜならば、神々が小さな子供達を使って、親に大事なことを伝えているからです。

いつ「反抗期」が来るのかは神々が一人一人よく考えた上で決めています。「反抗期」とは「闇の気」に対してオープンになる時期なので、言い換えると悪魔から襲われ始める時期です。なぜならば、「闇の気」は悪魔が司っているからです。だから、悪魔に狙われている魂は「反抗期」になると急激に性格が悪くなったりします。反抗期にどれだけの「闇」を経験するかは、その魂がどれだけ悪魔に狙われているかに依ります。そして、その魂がどれだけの「闇」を魂に抱えているかにも依ります。この二つの要因によって、どれだけの「反抗期」を経験するのかが決まってきます。

「反抗期」になると、当然親以外にも攻撃を始めることになりますが、それが「イジメ」であったりします。「反抗期」に「闇の気」と「同調」する子供達はとても残酷です。なぜならば、あまりよく考えずに悪い事をするからです。そういった「イジメ」などを通して、子供は子供達同士で「闇」を強めていきます。そういったことを防ぐのが大人の役割です。

「反抗期」は親からしても1つの「試練」として成立しています。子供が自分に向けて「反抗」を始める中で、その子供の「闇」に同調せずに、子供に対する「愛」を維持できるかという闘いをすることになります。我々が今世どこに生まれるのかを決めているのは神々です。親と子の組み合わせとは神々が深く考えた後に決定しています。だからこそ、親にとって子供の「反抗期」とは、神々が課す1つの「試練」です。

「何故反抗期があるのか?」という問いに対して、人間は明確な答えを持っていません。なぜならば、人間は「気」のことを忘れているからです。しかし、「反抗期」というものは誰もが経験する事であって、誰もが経験する事だからこそ、そのことの意味を理解せずに生きているのは間違っています。だからこそ、「気」について理解を深めて頂ければ、と思います。