日本人は子供と大人を分けて考えます。このことの真の意味を理解しなければなりません。非常に大事な話です。

我々は「大人」という言葉を使って自分自身に呪いをかけています。人間が誕生した時もしくは大昔に、この大人と子供を分ける考え方があったかというと当然ありませんでした。この概念とは人間が勝手に作ったものであって、本来我々はずっと子供だったのです。我々は本来子供であって、全ての人間は子供であるべきです。

「大人なんだからしっかりしなさい。」
「大人っていうのはやりたくない仕事をするものだ。」

「大人」に関連した様々な例文を皆様は思い浮かべることができると思いますが、「大人」という言葉が持つ一つの呪いは、自分の心に従って生きなくなるということです。我々は小さな頃からこの「大人」という言葉とそれに付随するイメージを植え付けられ、ある年齢に達すると「そろそろ俺も大人だな」「そろそろ大人にならないと」なんてことを自然と思い始めます。我々は幼い頃からこの「大人」という言葉の持つ呪いにかかってしまっているのです。

「大人」というイメージを自分自身に対して持つだけで、我々は「大人」というある特定の像に自分を当てはめ始めます。この「当てはめる」という心の在り方が、「心に従う」ということと相反しているのです。そして、心に従わなくなるからこそ我々は苦しんでいるのです。

自分のことを大人だと思っていますか?今この瞬間に自分自身に問うて下さい。
自分のことを「大人に成り切れていない」と思っていますか?ここで文章を読むのを一旦止めて自分自身に今問うて下さい。

自分が自分自身に対してどのような当てはめを行なっているのかを今この瞬間に見るのです。
この瞬間を逃してしまえばもう次のチャンスは無いかもしれません。

自分のことを大人だと思うのならば、すっかり自分に対して呪いをかけてしまっています。
自分のことを「大人になり切れていない」と思うのならば「大人になる必要などない」ということを今この文章を読んで真に魂に刻み込んで下さい。何らかのイメージに「当てはめ」を行なうごとに我々は本来の自分から遠ざかっていきます。その最も悪しきイメージが「大人」です。

こういったことを魂で理解することは非常に大事です。何度も書いていますが、言葉で理解することと魂で理解することは違います。

また、現代においては、それの反動か「女子」という言葉が流行しています。この言葉の背景にあるのはいつまでも子供でいたいという欲望であって、甘えの思想でもあります。つまり、女子という言葉はその成立に「大人」という言葉の思想を含んでしまっています。もしそうでなければ、皆子供であり「女子」なんて言葉は不要だったからです。

一度「子供」としての自分が「大人」になった後、または「大人」に成り切れない後に、「女子」というものになる。「女子」というと「子供」のように感じますが、それは子供ではなく、大人でも子供でもない「得体の知れない何か」です。我々が作り出した新たな「女子」というイメージに自分を当てはめていくことで本来の自分自身が失われていることに気が付いて下さい。

そういった呪いを自分にかけると、自分を「大人」だと思っている人間は「大人」の振る舞いを始め、「大人」の話し方を始めます。自分を「女子」と思っている人間は、「女子」の格好をして、「女子」の振る舞いをし、「女子」の話し方を始めます。そうすると自分に対する「当てはめ」はエスカレートし、気が付くと本来の自分がいなくなってしまっています。何故ならば、振る舞いや話すことといった行為は呪いを作る行為だからです。人間は「行為」の意味を理解しなければなりません。

一度自分を失ってしまえば、取り戻すためには大きな努力をしなければなりません。もう失いつつある方、失ってしまった方は、捨てられるものは何もかも捨てて旅に出て下さい。そして自分のことを誰も知らない地で真の自分として振る舞い始めて下さい。そのことによって自分を取り戻すことができます。

一度会社に入ると多くの人間はどんどんダメになっていきます。何故ならば、自分に対する「当てはめ」の呪いをどんどんかけていくからです。

「社会人とはこうするものだ」
「大人とはこうであるべきだ」

そういった呪いを自分自身にかけ始め、気が付くと自分のことが分からなくなってしまいます。そして、周りにもそういう人間ばかりがいるのものだから、それがどれだけマズイことなのかも分からなくなり、感覚が麻痺していく。しかも平日は朝から晩まで忙しくしているものだから、自分の心を見る時間さえも与えられない。土日は遊びで忙しく、自分の心を見る時間を失っていく。そのような一週間を何年も過ごしていくならば、もう自分の心の見方すら分からなくなってしまいます。

日本社会の会社というシステムが何をしているのかを理解して下さい。どれだけ闇の強いシステムであるかを理解して下さい。どうしても入りたい会社が無い限り、絶対に会社など入ってはいけません。給料と引き換えに我々が失っているものはあまりにも大き過ぎます。

日本人は自分を何らかの名前で呼ぶ事によって自分に呪いをかけていることに気が付いていません。繰り返しになりますが、日本人が自分の心を見なくなったからです。

「大人」という「当てはめ」を止め、「自分は子供である」と毎日自分に語りかけていって下さい。それで呪いが解けていきます。すると、びっくりする程生きやすくなります。

「大人」という言葉のせいで、「子供」という言葉までもが歪んでいっています。「あの人は子供ね」という言葉は皆様よく聞くと思いますが、その意味は「あの人は本当に責任感が無い」などの意味となってしまいます。どうかそのような「子供」という言葉の思想に振り回されないで下さい。

心に従う存在が子供であって、「子供」という言葉をそのように理解して下さい。というか、人間とは子供なのです。そのことを真に理解した上で、自分に毎日「自分は子供である」と語りかけるのです。「大人」になどなってはいけません。「大人」など人間が作り出した得体の知れないイメージです。

大事なことは心を見れば分かるのです。自分がかかっている病や呪いは心を見れば分かるのです。だからまず最初に心を見て下さい。そして、そういった魂の病の一つ一つを解決していくのです。それを行なうことが浄化です。完璧な浄化が果たされた時に、我々は本来の自分となります。

修行などしなくても、電車に乗っている間でも我々は自分の心を見ることができます。それはいつでもできることであって、本来我々は生きている間ずっとすべきことなのです。何故ならば、我々は魂の修行のためにここに存在しており、魂の修行を行なうための第一歩が心を見ることだからです。また、心を見ることだけに集中する行為が瞑想でもあります。

自分の心を見るために瞑想をやるのです。ガタガタ言う暇があったら、いいから瞑想をやってください。座って目を閉じることくらい誰でもできるはず。今すぐやりなさい。やってみるのです。初めての体験とは、いつも興味深いものです。

後回しにしていれば気が付いた時には年老いている。年老いた後に本来の自分を取り戻すのは本当に大変なこと。

だから、今、やるのです。目を閉じて、座って、ただ呼吸を観察するだけ。

何も考えてはならない。ただ呼吸の音を聞き、鼻の感覚を感じる。やることはたったそれだけ。

その中でもあなたは必ず何かを考え始める。そこにあなたの闇がある。

「早く止めたいな」と思うのなら怠惰。「何か食べたいな」と思うのなら欲望。。嫌いな誰かのことを思い出すのなら嫌悪。

様々な闇の気があなたの中に入っているはず。気が感情の原因だからこそ、瞑想中にあなたは自分の身体に宿っている闇の気に影響され、闇の感情を持ち始める。それでも清い心を持って、その闇の感情と同調せず、呼吸を観察できるのであれば、その闇の気は呼吸と共に抜けていく。

「私はそんなことしなくても大丈夫なはず」などと思わないで下さい。日本人のほぼほぼ全てがちゃんとした浄化を行なっていないのだから、ほぼ全員に闇の気は侵入しています。

本来の自分になりたいのだったら瞑想をして下さい。座って呼吸の音を聴くことに何の危険性があるでしょうか?変な瞑想法は危険ですが、このような瞑想法が危険なわけがない。

瞑想を通して自分の身体に宿っている闇の気を認識し、そしてそれらを浄化し、本来の自分を取り戻すのです。