我々人間は他人と比較することによって自分のことを「分かる」ことができます。何故ならば、他人と比べて自分がどうであるのかを知ることによって、自分がどのような人間であるのかが見えてくるからです。逆に言うと、もしこの世に自分しかいなければ、自分がどういう存在であるかは全然分かりません。

そして、自分自身のことを知ることは生きていく上で大事です。自分のことを知るということは、自分の「良い点」や「悪い点」を知ることであり、そのことによって「良い点」を残しやすくもなりますし、「悪い点」を消しやすくもなるからです。つまり、「向上」するために己を知ることは必要です。

しかし、自分と他人を比較することが自分の心に悪影響を与えることも少なくはなく、だからこそ、自分と他人を比較すること自体が悪いことだとも考えられやすい時代です。例えば、自分と他人を比較したことによって「優越感」「劣等感」「嫉妬」「自己嫌悪」などを抱くケースなどは、自他の比較が悪い形で作用するケースです。

そういった悪い比較を生み出す根本的な原因は「欲」です。「自分が自分のためにこうでありたい」と思う「欲」は、「優越感(他人よりも優れている自分はすごい)」「劣等感(他人よりも劣っている自分が嫌だ)」「嫉妬(自分がなりたい者になっているアイツが憎い)」「自己嫌悪(他人よりも劣っている自分が嫌い)」といった心に通じているからです。

それに対して、自分自身を知る上での良い比較を生み出す根本的な原因は「愛」です。「自分が誰かのためにこうでありたい」と思う「愛」は、「優越感」「劣等感」「嫉妬」「自己嫌悪」などには繋がりにくいです。何故ならば、「優越感」「劣等感」「嫉妬」「自己嫌悪」といった心の前提には「自分のため」を思う心があるからです。

「愛」で自他の比較をした場合、自分が他者よりも劣っている点を見つけても、それは「劣等感」や「嫉妬」や「自己嫌悪」ではなく「向上心(もっと成長しなければならない)」に繋がりやすく、自分が他者より優れている点を見つけるならば、それは「優越感」ではなく「誇り」となります。この意味の「誇り」とは「自分の何かを認める心」が故に「他者のために自分が何かをできることを誇りに思う心」です。

「愛」を動機に生きるならば、より素晴らしい自己を実現することの必要性を痛感することになります。何故ならば、自分の「良い点」を通して他者を「幸せ」にすることから「喜び」を感じ、自分の「悪い点」を通して他者を「不幸」にすることから「悲しみ」を感じるからです。そういった経験が我々に「成長」の価値を教えます。

そういった経験を通して、「他者のため」により良い自己を実現するために自分自身のことを知ろうと思い、その手段として他者と自分を比較する方向性が、良い形での自他の比較の態度を生み出します。その先には、自分の長所を認めることにより得ることができる「誇り」や、自分の短所を改めようとする「向上心」があるからです。

逆に言うと、「自分のため」を思う「欲」の立場で自他の比較を行なうことは止めるべきです。その先には、「優越感」「劣等感」「嫉妬」「自己嫌悪」といった罠が潜んでいるからです。そして、その罠に捕まるなら、心は悪い方向へ向かってしまいます。

この文章を通して、自他の比較の可能性と危険性を理解して頂き、御自身の人生に活かして頂けると幸いです。