現代において「自己顕示欲・承認欲求・虚栄心」の本質を理解することは、あまりにも重要です。というのも、SNSなどを通して誰もが気軽に発信ができるようになった時代において、これらの感情はあまりにも身近な存在になったからです。


【「自己顕示欲」と「承認欲求」】

「承認欲求」があるから「自己顕示」をしたくなり、「自己顕示」をするから「承認欲求」を抱くという構造が生まれます。そして、大事なことはこれが「自分のため」の「欲」に基づく構造だということです。

つまり、「承認欲求」は文字通り「認められる」ことを「欲」する心であり、「認められる」ために「自己」を「顕示」することを「欲」する心が生まれます。「欲」は取り憑かれると抜け出せなくなるので、現代において、SNSで発信することの依存症になってしまっている人は少なくありません。

「欲」は本質的に危険なものだからこそ、このような形でSNSに「依存」することは大変危険なことです。日常の多くの時間がSNSで「承認」されるための材料探しのようになってしまいかねませんし、そうすると、ひたすら「欲」によって生きてしまうからです。

そういう風な態度で生きることが、良い形で目の前の現実を感じることを止めます。というのも、「欲(自分のため)」に同調するなら「愛(他者のため)」を抱きづらくなりますし、「欲」に同調するなら、様々な物事を「自分のため」の道具のように感じやすくなるからです。

例えば、子育てをしているお母さんが子供をどこかに連れて行ったとして、その動機が「子供のため」ではなく、「自分のため」にSNSなどで投稿するためになりかねません。

このような意味で、「自己顕示欲」と「承認欲求」に囚われることは、心の「純粋性」を奪い、「不純」な心を植え付けます。そして、我々が何かをしていることの動機が「欲」になってしまうことを促すので、「欲」に同調している時間が増えてしまい、自分自身が「欲」の塊になりかねません。

「欲」は我々を乗っ取る力を持っています。何故ならば、「欲」に同調すれば同調する程、「欲」はより大きくなるわけですが、大きな「欲」は我々を「欲」の奴隷にするからです。それはもはや我々が「欲」を「選ぶ」ことをしているというよりか、「欲」に「支配」されている状態です。

このような構造が理解できると、「自己顕示欲」と「承認欲求」に日常を「支配」されることが如何に危険なのかが見えてきます。「食欲」は食べれば基本的には止まるのに対して、「自己顕示欲」と「承認欲求」は果てしないです。そういう意味でも、非常に危険な「欲」です。
 

【「承認欲求」と「虚栄心」】

「承認欲求」があると「認められる」ことから「快楽」を感じ、「認められない」ことから「嫌悪」を感じます。だからこそ、「承認欲求」があると「認められる」ように「自己顕示」をすることに繋がり、それが「虚栄心」=「自分を実際よりも良く見せようとする心」さえも生み出します。

「虚栄心」は他人から「承認」されるために自分を偽る心ですが、我々は自分自身がどういう人間なのかを100%理解しているわけでもないので、無自覚に「虚栄」してしまうことも大変多いです。そして、そういうことを行なっていると、自分自身がどういう人間なのかが分からなくなってきます。

SNSの投稿は他人に対して「私はこういう人間です」という主張をしているような意味もありますが、そういう形で「私はこういう人間です」と主張することは自分自身のセルフイメージにも大きく影響を与えます。ですから、「虚栄心」によって生み出された「偽り」の自分が自分自身になってしまう部分もあります。

しかし、他人から「承認」される自分と、本来自分自身が実現すべき自分は必ずしも一致しません。だからこそ、「虚栄心」によって、他人から承認されるような自分を偽っていった結果、本来実現すべき自分から離れてしまうことも少なくありません。

例えば、TwitterなどのSNSは全体的に軽い空気感を持ちがちだからこそ、「承認欲求」や「虚栄心」などと共にTwitterでの発信を繰り返す日々を過ごしていると、自分自身が「軽さ」を持つ人間になりやすいです。この「軽さ」に関する問題はSNS全体が抱えている一つの問題です。

その時代時代に合わせて、どういうものが「承認」されるかは「傾向」と「流行り」のようなものがあります。もし、皆がその「傾向(流行り)」に合わせていくのであれば、皆が似た方向性に進むようになってしまいます。このような意味では、SNSは我々の多様性を奪っている側面もあります。

このような意味が分かると、「虚栄心」の危険性が見えてきますし、「虚栄心」に同調することを減らそうという意識にも繋がりやすいので、このような知識は大事です。
 

【最後に】

誰もが自由に発信をできること自体が悪いわけではありませんが、情報を発信することの「可能性」と「危険性」が常識化されていない現状の世界においては、「自己顕示欲・承認欲求・虚栄心」などによって、我々は「承認欲求」の「奴隷」になりがちですし、本来あるべき自分から遠ざかっている側面もあります。

大事なことは「自己顕示欲・承認欲求・虚栄心」に同調しないことであって、もしSNSを使うとしても「他者のため」に投稿をすることです。他人に役立つ情報を発信したり、他人が元気になることを促す投稿をしたり、色々なやり方があると思います。

我々はSNSによって日々他人に影響を与え合っています。その影響を良いものにするためにも、SNSを使うとしたら「自己顕示欲・承認欲求・虚栄心」といった「欲」によって投稿するのではなく、「愛」によって投稿することが大事です。