「自分のせい」⇔「他人のせい」という対立軸について、複数の観点を使って説明していきます。というのも、様々な観点を通して「自分のせい」⇔「他人のせい」という対立軸を理解することを通して、その本質がより見えるようになるからです。
 

【「強さ」⇔「弱さ」、「賢さ」⇔「愚かさ」】

心に「強さ」がある人は、自分の「間違い」を「自分のせい」のものとして「受け入れる」ことができます。だからこそ、自分の「間違い」を「他人のせい」にしようとせず、「反省」をすることができ、「反省」が「向上」を促します。

心に「弱さ」がある人は、自分の「間違い」を「自分のせい」のものとして「受け入れる」ことができません。だからこそ、自分の「間違い」を「他人のせい」にしようとし、「反省」をすることができず、「反省」が「向上」を促すこともありません。

心に「賢さ」がある人は、自分の「間違い」を「自分のせい」のものとして「見抜く」ことができます。だからこそ、「他人のせい」にすることはそもそも不可能です。「他人のせい」にすることができないからこそ、それを「受け入れる」かどうかという「強さ」が求められる試練に入ることができます。

心に「愚かさ」がある人は、自分の「間違い」を「自分のせい」のものとして「見抜く」ことができません。だからこそ、「他人のせい」にすることが可能です。「他人のせい」にすることができるからこそ、それを「受け入れる」かどうかという「強さ」が求められる試練に入ることもできません。

つまり、「賢さ」によって自身の「間違い」を「見抜く」ことは実現し、「強さ」によって自身の「間違い」を「受け入れる」ことも実現し、そういったことで「反省」は生まれ、「向上」が促されます。この点に「賢さ」と「強さ」の価値はあります。

それとは反対に、「愚かさ」によって自身の「間違い」を「見抜く」ことは実現せず、「弱さ」によって自身の「間違い」を「受け入れる」ことも実現せず、そういったことで「反省」は生まれず、「向上」も促されません。この点に「愚かさ」と「弱さ」の危険性はあります。
 

【「自己嫌悪・罪悪感」⇔「嫌悪・恨み」】

しかし、「自分のせい」と思うことで「自己嫌悪」や「罪悪感」に繋がることもあります。大事なことは、自分が「間違い」を犯した根本的な心の「問題」を「解決」しようとすることであって、そういった「向上心」が「自己嫌悪」や「罪悪感」に堕ちることを防ぎやすくなります。

それに対して、「他人のせい」と思うことで「嫌悪」や「恨み」に繋がることは多いです。大事なことは、相手が「間違い」を犯したと思っても、「嫌悪」や「恨み」に堕ちないことであって、そういった「自制心」が「嫌悪」や「恨み」に堕ちることを防ぎます。

自分の「間違い」を「自分のせい」として「受け入れる」だけでは充分ではなく、「受け入れる」ことにより「自己嫌悪」や「罪悪感」に堕ちるなら、それ自体も「間違い」です。だからこそ、「向上心」が必要となってきます。

また、他人の「間違い」を「他人のせい」として「見抜く」だけでは充分ではなく、「見抜く」ことにより「嫌悪」や「恨み」に堕ちるなら、それ自体も「間違い」です。だからこそ、「寛容」により「許す」ことが必要となってきます。
 

【「謙虚」⇔「傲慢」】

「謙虚」な人間は「自分のせい」と考えるが故に「向上」しやすい一方、「自己嫌悪」や「罪悪感」に堕ちやすくもなります。「傲慢」な人間は「他人のせい」と考えるが故に「向上」しにくいだけでなく、「嫌悪」や「恨み」に堕ちやすいところがあります。

「謙虚」な人間は他人が犯した「間違い」さえも「自分のせい」と考えやすいところがありますが、それによって自身の「向上」が促されるのであれば、そういう「見誤り」が良いこととして作用することはあります。それに対して、「傲慢」な人間は自分が犯した「間違い」さえも「自分のせい」と考えにくいところがあり、「傲慢」が良いことはほぼありません。

だからこそ、大事なことは、「傲慢」に堕ちず「謙虚」を抱きつつ、「向上心」を貫くことです。
 

【最後に】

「自分のせい⇔他人のせい」という対立軸について、「強さ⇔弱さ」「賢さ⇔愚かさ」「自己嫌悪・罪悪感⇔嫌悪・恨み」「謙虚⇔傲慢」といった言葉と共に理解を深めて頂けると幸いです。

というのも、こういった形で「自分のせい⇔他人のせい」という対立を理解することで、自分の心の本質も、他人の心の本質も見えやすくなりますし、なによりも、自身が選ぶべき心の選択が見えてくるからです。そして、「強さ・賢さ・向上心」といったものの価値もより良く見えるようになるからこそ、そういうものの獲得をより目指そうと思いやすくなるからです。

「向上」した人間は他人に実践できる「善」を増やします。それに対して、「向上」しない人間は他人に実践できる「悪」を抱えたままになります。だからこそ、「より良い人間になりたい」「他人のために生きたい」「他人に迷惑をかけたくない」と思う人間にとって、こういったことを理解することはとても大事なことだと思っています。