相手の「弱さ」とどのように向き合うのかという課題は大変大きな課題です。というのも、我々人間は「弱さ」を抱えている存在だからこそ、「弱さ」を抱える様々な相手と向き合うことは非常に多いからです。

適切に向き合わなければ、相手のためにもなりませんし、相手を苦しめることにもなってしまいます。また、その相手との関係性の悪化などによって、自分も苦しむことにも繋がり得ます。

だからこそ、「弱さ」を持つ相手とどのように向き合うべきかを理解することは大事で、ここでは「弱さ」に「寄り添うこと」と「弱さ」を「解決すること」の対立軸について説明します。
 

【「寄り添うこと」と「解決すること」】

「弱さ」に「寄り添うこと」は相手の「弱さ」を前提に相手を「支える」方向性、「弱さ」を「解決すること」は相手の「弱さ」を終わらせるために相手を「指摘する」方向性です。これは「優しさ」と「厳しさ」の対立軸でもあります。

「優しさ」を抱くなら「相手を支えたい」と思うからこそ、自ずと相手を「肯定」することにより「寄り添う」ことを目指します。それに対して、「厳しさ」を抱くなら「相手を助けたい」と思うからこそ、相手を苦しめている根本的な「問題」を「否定」することにより「解決する」こと目指します。

この方向性の異なる2つの「愛」を適切に使い分けることが大事ですが、「弱さ」を「克服」できない相手に対しては、「弱さ」に「寄り添う」こと(優しさ)が好ましく、「弱さ」を「克服」できる相手に対しては、「弱さ」を「解決する」こと(厳しさ)が好ましいです。

というのも、「弱さ」を「克服」できない相手に対して「弱さ」を「解決する」ことを目指すなら、相手が「病む」ことを促すからです。「弱さ」に負けてしまう人は、自分自身の「問題」を「受け入れる」ことができませんから、その「指摘」を行なった相手に対する「嫌悪」や「自己嫌悪」などに囚われやすいです。

それに対して、「弱さ」を「克服」できる相手に対して「弱さ」に「寄り添う」ことを目指すなら、相手の「向上」の機会を奪うことになってしまいます。「弱さ」を克服できる人は、自分自身の「問題」を「受け入れる」ことができるので、その「指摘」によって「向上」できるはずです。

「解決する」ことによって「弱さ」を「克服」していくことが「理想」です。何故ならば、「弱さ」はその相手自身を「不幸」にし、その相手の周りの人も「不幸」にすることを促すからです。そのような危険な心の要素を消し去ることを実現できれば、その後その人もその周りの人も「幸せ」に一歩近づきます。

だからこそ、「寄り添う」ことによって「弱さ」を維持させることは「妥協策」であるべきです。その相手が余計に「病む」ことを防ぐために「寄り添う」ことによって、相手の心を「楽」にすることで現状の相手の心を守る方向性です。このような意味で、「寄り添う」ことによって「支える」ことは「応急処置」のようなものです。
 

【「優しさ」と「厳しさ」の現状】

このような構造を理解した上で「優しさ」と「厳しさ」を使い分けることが「最善」ですが、現状の我々は自分の心に動かされているだけのことが多いです。

つまり、「優しい人」は「優しさ」を実践したくなるから「寄り添うこと」を目指し、「厳しい人」は「厳しさ」を実践したくなるから「解決すること」を目指すだけということです。

しかし、自分の心に従うだけだと、「寄り添うこと」により相手が「依存」に堕ちるかもしれませんし、「解決すること」を目指すことにより相手が「嫌悪」に堕ちるかもしれないということを見落としてしまうので、適切に両者の「長所」と「短所」を意識化をした方が好ましいです。

また、「優しさ」と「厳しさ」の両方をある程度使えるようにできる人も少ないです。何故ならば、「優しさ」と「厳しさ」は相反する方向性だからこそ、「愛」を抱いて生きていても、どちらかに偏りやすいからです。しかし、両方を養わなければ、両方を使いこなすことはできません。

また、「優しさ」を持つ人は「解決すること(厳しさ)」を目指す人を否定的に捉えがちですし、「厳しさ」を持つ人は「寄り添うこと(優しさ)」を目指す人を否定的に捉えがちです。そのような認識ではなく、双方の「価値」を理解することが、「優しい人」と「厳しい人」がいい形で手を組むことを促すので、これは大変大事なことです。
 

【日本の現状】

今の日本は全体的に「弱さ」を強めているので、「解決すること」を目指しても逆効果となることは多く、「寄り添うこと」によって相手の心を守るしかない状況は非常に多いです。

だからこそ、自ずと「優しさ(寄り添うこと)」が正しく、「厳しさ(解決すること)」は間違いだと考えられやすい状況があります。

しかし、社会全体が「厳しさ」の価値を見失い「優しさ」の方に傾き過ぎるなら、人間の「向上」を止める社会が実現してしまいますし、その方向性に日本は進んでしまっています。

元々、日本はもっと「厳しさ」の大きな国でしたし、そういった「厳しさ」に耐えられるだけの「強さ」を持つ人が多い国でした。しかし、「弱さ」を抱える人が増えていることにより、「厳しさ」に対する評価が下がってきているとも言えます。

「優しさ」によって「支えられる」ことが不要な程の「強さ」を持ち、「厳しさ」によって「指摘される」ことを活かし続けられる程の「強さ」を持つことが、人間の「成長」を最も促すので理想的です。しかし、ほとんどの人間はそのような「強さ」を持っていないので、我々人間には「優しさ」が必要なことは多いです。

大事なことはバランスだと思います。だからこそ、社会全体として「厳しさ」の「価値」が見失われてきていることは大きな問題だと思います。

今の日本の状況の意味を理解することも大事ですし、なによりも、「寄り添うこと」と「解決すること」の両方が持つ本質的な「価値」が何なのかを理解して頂けると幸いです。