他者から「こう思われたい」「こう思われたくない」という「欲」に囚われることは大変危険なことです。これは「承認欲求」が危険であることとも繋がっています。


【「ストレス」と「不幸」の始まり】

というのも、「こう思われたい」と思う通りに相手が自分のことを捉えていなければ「嫌悪(ストレス)」を抱くからです。そもそも、「こう思われたい」と思っている通りに皆が自分のことを捉えることはあり得ないからこそ、他者から「こう思われたい」と思うことは、そもそも実現不可能な「欲」を抱えることを意味し、そのような意味で、自ら「嫌悪(ストレス)」の引き金を抱えることを意味しますし、自ら「不幸」になる可能性を上げているとも言えます。

このような意味で、自ら「ストレス」や「不幸」を抱える方向性を選んでいるという意識があれば、他者から「こう思われたい」という「欲」を選ぶことを避けやすくなるはずです。ですから、このような構造を理解することはとても重要なことです。

この「欲」に囚われるなら「こう思われたい」と思う通りに相手が自分のことを捉えるように、自分を「偽る」こともしやすくなる側面があります。そして、仮に、そういった「偽り」の形で「こう思われたい」と思っている通りに相手が自分のことを捉えてくれたとしても、延々と自分を「偽る」必要があります。

しかし、自分を「偽る」ことは「疲れ」が出てきます。かといって、「疲れ」が故にその「偽り」を止めれば、相手が自分のことを「こう思われたい」と思う通りには思わなくなりやすいので、やはり依然として「嫌悪(ストレス)」の引き金のままです。

また、自分を「偽る」ことをしている限り、本当の「関係性」が生まれづらいところがあります。何故ならば、本当の「関係性」とはお互いを「偽る」こと無しに生まれることだからです。だからこそ、打ち解けてきた「関係性」においては、人はその人自身として相手と接するところがあります。

そして、お互いを「偽る」ような「利害関係」ではなく、本当の「関係」の中でこそ、「幸せ」は生まれやすいものなので、そのような意味では、この「欲」に同調し自分を「偽る」ことは自ら「幸せ」の可能性を小さくしている部分があります。

以上を整理すると、「こう思われたい」という「欲」はそもそも完全には実現不可能な「欲」だからこそ、「嫌悪(ストレス)」と「不幸」の引き金になりますし、その「欲」の実現のために自分を「偽る」なら「疲れ」も出てきますし、本当の関係性を構築することをむしろ止める要因となるからこそ、「幸せ」の可能性を減らすところがあります。
 

【「強さ」⇔「弱さ」】

このような意味で、「こう思われたい」「こう思われたくない」という「欲」に初めから同調しないことが大事で、そういう同調を防ぐために必要なものは「強さ」です。言い換えると、自分が「こう思われたい」と思っている通りに相手が自分のことを捉えてくれないことに「嫌悪」するのは「弱さ」によるものです。

度々書いている通り、「強さ」は困難な状況も「受け入れる」のに対して、「弱さ」は困難な状況を「受け入れない」です。相手が自分のことをどう思うかという問題についても、この「強さ」と「弱さ」の対立軸が大きく関わっているということを意識化することで、自分自身の本質も見えやすくなります。

「こう思われたい」という心と同調するからこそ「こう思われる」必要性が生まれてきます。それに対して、「こう思われたい」という心に同調しなければ「こう思われる」必要性は無くなります。つまり、その必要性を生み出しているのは我々の心に過ぎません。

にも関わらず、この「欲」に深く囚われると「こう思われる」ことが「死活問題」のように感じられてしまって、そのために必死になってしまいます。しかし、実際はそれが本質的な「死活問題」なのではなく、本人がそう思い込んでいるに過ぎません。そして、そのような「罠」に捕まってしまう根本的な原因が「弱さ」であることを認識することはとても大事です。
 

【「諦め」の重要性】

他者からどう思われるかということに関しては、「諦め」が必要な部分も大きいです。自分が関わっている全ての人間が自分を肯定してくれるはずはなく、自分を否定的に捉えられることに関して「諦め」という心は非常に有効に働くからです。

この点に関わらず、我々は実現不可能なことについては「諦め」を選んでいく必要があります。実現不可能なことについて「諦め」を抱かなければ、それが実現できないことを「嫌悪」する心に堕ちやすくなるからです。そういった本質の一部として、他者からどう思われるかという問題も捉えることで、「諦め」の重要性も見えてきます。

「諦め」をちゃんと抱くことができれば、「嫌悪」によって起こる「苦しみ(不幸)」も終わります。ですから、自分が「楽」になるためにも実現不可能なことについては「諦め」を抱くべきですし、そもそも、このような「欲」に初めから同調しないことがなによりも重要です。

初めからこの「欲」に同調しない上でも「諦め」は非常に有効に働きます。そして、「諦め」を選ぶ上でも「強さ」は有効に働きます。
 

【最後に】

「愛」と共に生きることが人間にとっての正しい道ですし、「幸せ」を実現する上でも大事なことですが、常に「愛」と共に生きるなら「こう思われたい」「こう思われたくない」といった「欲」に囚われることはありません。何故ならば、常に「愛」を抱くなら「他者のため」に何かをすることに集中するからこそ、「自分のため」を思っていられないからです。ですから、この「欲」に同調しない最善の方法は「愛」を貫くことになります。

しかし、誰かから自分を否定的に捉えられたりする場面に遭遇すると、「愛」を貫いている人であっても、「自分のため」を思ってしまうことはあると思います。そういった時に「諦め」も使えるようにしておくことが、心を間違った方向へ向かわせてしまわない上でとても重要です。

このような形で、「愛」と「諦め」によって他人からどう思われるかという問題を乗り越えて頂けると幸いです。