他人を「バカにすること」と「問題指摘すること」は異なる精神性です。しかし、「問題指摘された」ことを「バカにされた」と誤解しやすい構造があります。何故ならば、どちらのケースも相手の「短所」について何かを伝える点は共通しているからです。

他人から「バカにされる」ことで「怒り」や「嫌悪」に堕ちる人は大変多いです。それに対して、「問題指摘される」ことは「成長」のための重要なチャンスです。ですから、「問題指摘された」ことを「バカにされた」と誤解し、「怒り」や「嫌悪」に堕ちてしまえば、せっかくの「成長」のためのチャンスを逃すことになりやすいです。何故ならば、「怒り」や「嫌悪」に堕ちると自身の「問題」を見つめ「反省」することができないからです。

しかし、現代は「バカにすること」と「問題指摘すること」の違いが常識化されていないので、このような悪しき構造が起こりやすいです。このような構造を生み出さないためにも、「バカにすること」と「問題指摘をすること」の違いを意識化することは大変重要です。
 

【両者の違い】

「バカにすること」とは「見下すこと」とも言えます。だからこそ、誰かを「バカにする」ことを行なう人間は何らかの「快楽」を感じていることが多く、それが嫌な感じの笑いを作ったりもします。何故ならば、「見下すこと」を行なう人間は「優越感」を感じるからです。つまり、「バカにすること(見下すこと)」は「自分のため」の「快楽」を得るために相手の「短所」を「指摘」することです。

それに対して、「他者のため」に相手の「短所」を「指摘」することは「バカにすること」「見下すこと」とは異なるものなので、「指摘」したことで「優越感」を感じるようなことはなく「快楽」もありません。これが「愛」に基づく良い「問題指摘」です。人によっては「情熱的」にこれを行ないますし、「冷静」に行なう人もいます。

「自分のため」に「問題指摘」をする人もいます。例えば、部下の仕事の遅さによって自分が弊害を受けている上司などは「嫌悪」の心で「自分のため」に「問題指摘」をします。また、自分が金儲けをより実現するために部下の仕事の改善を試みる人などは「欲望」の心で「自分のため」に「問題指摘」をします。これも「バカにすること」とは異なりますが、良い「問題指摘」ではありません。

以上を整理すると、「バカにすること」は「自分のため」の「見下し(優越感)」、「問題指摘」には「他者のため(愛)」と「自分のため(欲望・嫌悪)」の二つのケースがあります。この分け方を踏まえて、「問題指摘」をしている人を見ると、その人がどの心を抱いているのかが見えやすくなるので、「問題指摘」されていることを「バカにされた」「見下された」とは誤解しづらくなります。
 

【「バカにされる」ことで「怒り・嫌悪」に堕ちることの弊害】

「問題指摘」は「成長」のためのチャンスになりやすいことは言うまでもないないですが、「バカにされること」も「成長」のためのチャンスとなることはあります。何故ならば、「バカにされた」としてもその「指摘」が適切であれば、自分自身の「問題」を自覚するチャンスにすることができるからです。

このことを踏まえて生きているなら、「バカにされる」ことは「怒り」や「嫌悪」のきっかけではなく、むしろ「感謝」の対象にさえなり得ます。そのような形で生きていくことこそ、「怒り」や「嫌悪」によって「ストレス」を溜め込むのではなく、「バカにされる」ことすらも自分の「成長」に繋げることを促すので、より良い生き方です。

このように生きていけたなら、仮に「バカにされる」ことと「問題指摘される」ことの違いが見えなくとも「問題」ではなくなります。
 

【最後に】

相手がどのような意図でそれを言ったにせよ、自分自身の「短所」を「指摘」されることは、自身の「成長」のためのチャンスです。「向上心」があればあるほど、そのように捉えられるようになります。

相手がどのような意図でそれを言ったにせよ、自分自身の「短所」を「指摘」されたことで、「嫌悪」や「怒り」を感じることの背景には、「自分を肯定したい」「自分を守りたい」といった「欲」がありますし、自分の「短所」を見ようとしない「弱さ」があります。

それに対して、「強さ」があれば自分の「短所」が何なのかを知ることに抵抗はなくなりますし、「向上心」があれば自分の「短所」が何なのかを知りたいと思うようになります。

しかし、「賢さ」が無ければ相手の「指摘」が適切かどうかを見抜くことができず、本当は自分の「問題」ではない部分を「問題」だと誤解しやすい部分があります。ですから、相手から「短所」を「指摘」された時は、その「短所」が本当に「問題」であるかを見抜けるだけの「賢さ」が必要です。

このような意味で、相手から自分の「短所」を「指摘」されることにおいて重要なものは、「向上心・強さ・賢さ」です。