ここでは「縁」について書いていきます。

「縁」という言葉は現代でもよく使われます。例えば、「縁がある」「縁を無い」「縁を切る」という形で「縁」という言葉は使われます。しかしながら、我々日本人は「縁」についての正しい知識を忘れてしまっている現状があります。

「縁」とは「気」が流れるラインのことを表します。「縁」という漢字自体に「糸」という「ライン」を表す言葉が含まれていることにはこのような背景があります。以下、「縁」の種類に分けて書いていきます。
 

【人間同士の「縁」】

もし、あなたが誰かと「縁」がある場合、そこには見えないラインがあるとイメージして下さい。そのラインを通してあなたはその方に「気」を送り、その方から「気」をもらって生きています。これが「縁」です。

例えば、恋人同士は強い「縁」で結ばれているので、一方がもう一方のことを想っている時にその相手の方も自分のことを考え始めるということはよく起きます。そのようなタイミングで恋人同士がお互いに相手に電話をするといったことはあります。

これは、我々が誰かのことを強く想うのであれば、その時に「気」がその相手に向かって「縁」を通して届くからこそ起こる現象です。「想いは届く」と言いますが、それは本当でとてもいい言葉であり、こういった現象のことを意味します。

「縁」には太さがあります。太い「縁」ほど、より多くの「気」を送りやすく、細い「縁」だと、送ることができる「気」も少ないです。そして、とりわけ太い「縁」が「婚」=「夫婦の縁」であって、誰かと「結婚」すると「婚」は結ばれます。だからこそ、「結婚(婚を結ぶ)」という言葉があるのですが、我々は「気」のことや「縁」のことを忘れたが故に、「結婚」という言葉の意味が分からなくなってしまっている現状があります。

「結婚」の場合の「縁」の生まれ方は「契約」によって「縁」が生まれるという方向性です。これは、恋人の場合も同様です。我々は誰かと恋人になった瞬間に「恋人の縁」が生まれます。このように、何らかの「契約」は「縁」を生みます。

また、他の「縁」の生まれ方は何らかの「行為」を共に働くことによって生まれる「縁」です。例えば、同じ仕事を一緒に行なっている職場の同僚や上司などとは「行為」を共に働いているので「縁」が生まれます。また、性行為などは共に働く「行為」なので、一度性行為をするとその相手との「縁」が生まれます。

さらに、我々は必ず誰かの子供としてこの世に生まれてきますが、親子の「縁」などは生まれた時からあります。

我々は自分がどういう人間関係を築いていくのかということにかなり影響を受けながら生きています。そういった影響関係を強めるものとして「縁」があります。「縁」があると、「気」の交換が発生するので、「縁」で結ばれている二人は性格が近くなりやすいです。何故ならば、「気持ち・気分」の原因は「気」だからです。そういう意味で、同じ方向を向いた人と「縁」を結ぶことがとても大事になります。そういった「縁」を作っていくことで、お互いがお互いを高め合っていけるからです。
 

【目に見えない存在との「縁」】

「縁」は人間同士だけで結ぶものではなく、神々や悪魔といった目に見えない存在と人間との間でも結ばれるものです。そして、神々や悪魔といった霊的存在は「気」を操っている存在なので、人間同士の「縁」と異なり、神々や悪魔はその「縁」を通して様々な「気」を様々な形で我々に送ります。そのことを通して、神々や悪魔は我々の「心」にかなり関与できます。

「気」は「気持ち・気分」と「思考・アイデア」の原因なので、神々や悪魔と「縁」があると、かなり「気持ち・気分」と「思考・アイデア」に関与されることに繋がります。神々はその人間のために「気」を送るのに対して、悪魔はその悪魔自身のために「気」を送ります。ですから、神々との「縁」があるとより良い人生を生きることを支えられるのですが、悪魔との「縁」があると人生を最悪な方向性へ進められたり、その悪魔のおもちゃやコマにされてしまいます。このような意味で、神々との「縁」は好ましく、悪魔との「縁」は好ましくないということは知っておいて頂けると幸いです。

我々人間は皆目に見えない「光」の霊的な存在との「縁」を持って生まれてきます。どうしてこのような「縁」が必要かというと、何らかの支えが無ければ生きていくことは難しいからです。例えば、生まれたての赤ちゃんはちょっとした段差から落ちても危険です。そういった危険から守るために、光の霊的な存在との「縁」があります。

どんな人でも動物の姿をした天使=パワーアニマル(龍神様など)との「縁」は持って生まれてきます。どんな人でもパワーアニマルとの「縁」があるということは、世界中の多くのシャーマンにとって常識に近い知識です。

また、大きな人生の役割を持った人間は神々との「縁」を持って生まれてきます。例えば、宇多田ヒカルなどは金星神との「縁」を持っていて、その「縁」を通して金星神からの「アイデア・インスピレーション」が乗った「気」を受け取ることによって、金星神と共に素晴らしい歌を創り、歌を歌ってきました。
 


生まれた時は神々との「縁」が無い人であっても、大きな「光」を実践していくのであれば、神々との「縁」が生まれます。例えば、農業をやっている人がいたとして、その人が本当に人間の身体に良く、地球環境にも良い農法を開発して、その農法を社会に広げるために本を出したり、様々な活動を始めるのであれば、元々は神々との「縁」が無くても確実に神々との「縁」が生まれます。

また、悪魔との「縁」を持って生まれてくる人はいません。しかし、人によっては人生のどこかのタイミングで悪魔との「縁」は生まれてしまいます。では、どのようにしたら悪魔との「縁」ができるかというと、人間同士の「縁」と同様に、悪魔との「契約」を結んだり、悪魔と「行為」を共に働くことによって「縁」ができる形になります。そして、その働き方が強ければ強い程、その「縁」は太くなっていきます。

例えば、悪魔と共に歌を歌っているアーティストなどは、アートを悪魔と共に作ることを通して、悪魔との「縁」を持ち、その「縁」を強くしていきます。そして、その「縁」を通して、その悪魔がその人間に作らせたいアートを作らさせられ続けることになります。そのアーティストとしては自分の中に「アートを作りたい」という「気持ち・気分」が起こるからこそ、アートを作るのですが、そういった「アートを作りたい」という「気持ち・気分」さえも悪魔からもたらされているもの形になります。

先程例に挙げた、宇多田ヒカルは一時期悪魔と共に働くということを行なったが故に、悪魔との「縁」を作ってしまい、その「縁」を通して悪魔からの「闇の気」を受け取ることに繋がっています。宇多田ヒカルが悪魔との「縁」を作ったことは、宇多田ヒカルのUtada名義の『DEVIL INSIDE』が直接的にこのことを表現しています。この曲の歌詞はタイトルが意味する通り、「私の中に悪魔がいる」ということをテーマにした歌だからです。音楽だからこそ、宇多田ヒカルが悪魔と共に働いていたことは感覚的に理解できます。
 


宇多田ヒカルの人生は我々日本人に多くの大事なことを教えてくれます。宇多田ヒカルは神々と共に働き、ある時点から悪魔とも働いたからです。そして、その「縁」をきっかけに宇多田ヒカルは悪魔から「闇の気」を送られ、精神をかなり悪魔に乱されてきた形になります。そういった背景があり、宇多田ヒカルは活動休止も行なっています。

宇多田ヒカル程に才能のある魂に対しては、神々は全力で守ろうとし、悪魔は全力で奪おうとします。そういった中に宇多田ヒカルの人生は成立してきたので、宇多田ヒカルが経験してきた苦悩はとても大きかったはずです。そういった過程を日本人は少し見てきたので、我々日本人が神々と悪魔のことを思い出す上で宇多田ヒカルの人生はとても大きな学びを我々にもたらします。

また、日本人が宇多田ヒカルの苦悩から大事なことを学ぶことを通して初めて、宇多田ヒカルも自分の苦悩が報われるという側面もあります。自分の苦悩が大きな価値を持つのであれば、その苦悩を本人は肯定できるからです。

あと、大きな役割を持つ人間は他の人がしない経験をするので、周りの人が自分のことを理解してくれないという辛さも経験します。宇多田ヒカルは地球のために地獄を経験してきた人だからこそ、我々日本人は宇多田ヒカルのことを少しでも理解するべきだと思っています。

悪魔との「縁」を持つことは本当に恐ろしいことです。悪魔との「縁」を持つと、知らず知らずの内に悪魔に「心」を支配されるからです。そして、悪魔に「心」を支配されると、悪魔に「心」を支配されていることさえも気付けないように悪魔に「心」を支配されます。このような恐ろしさがあるからこそ、悪魔との「縁」を作らないために、悪魔と共に働かないように気をつける必要があります。

昔、コックリさんというものも流行りましたが、これは悪魔と共に働いてしまう、とても危ないものでした。これはタロットカードなども同様です。こういった占いの類いのものは、神々か悪魔のどちらかと共に働く行為なので、一生を「誰かのため」に捧げると本当に思えている人でない限り絶対にやってはならないものです。少しでも「お金のため(自分のため)」=「欲望」や「私を助けてほしい」=「依存」といった「闇の気持ち」があると悪魔と共に働くことになってしまいます。そして、悪魔と共に働くと「縁」ができてしまうので危険です。

悪魔はタロットカードで正解を引かせることくらい、簡単にできます。何故ならば、どのカードを引くか、どのようにそのカードを解釈するのかということに関して、「気」で関与できるからです。そして、タロットカードが当たるという「餌」と引き換えに、我々との「縁」をどんどん太くし、我々の「心」を奪ってきます。これは、アーティストが作品を作ったり、ビジネスマンの商売がうまくいくことも同様です。悪魔と手を組めば、かっこいい作品を作ったり、商売で儲けることもできますが、その代償に我々が悪魔に差し出さなければならないものは、我々の「心」=魂です。

悪魔との取引はこのような形で、悪魔にとって都合が良く、人間にとって都合が悪いものばかりです。だからこそ、悪魔のもたらす「餌」にごまかされないようにして頂けると幸いです。


【「縁」の切り方】

ここまでは「縁」の構造や「縁」の生まれ方を書いてきましたが、どうしても切った方がいい「縁」もあります。ですから、「縁」の切り方についてもここに説明しておきます。やみくもに「縁」を切るといったことはしないで頂けると幸いです。どうしても切らざるを得ない場合のみ、「縁」は切って頂ければ、と思います。

「縁」を切るためには何が必要かというと、「契約」の解消を行なう必要があります。例えば、「結婚」を通して「婚」=「夫婦の縁」ができても、「離婚」の手続きをすると「婚」は無くなります。これは恋人同士が別れる場合も同様です。このように、「契約」の解消は「縁」を切るための1つの方法です。また、人間同士の「契約」とは両者の魂の「同意」によって生まれるものであって、「契約」を解消する場合も、人間同士の魂の「同意」が必要となります。

また、「行為」は「縁」を作るということは書きましたが、「行為」は「縁」を切るためにも有効です。例えば、携帯電話の相手の連絡先を「縁」を切るために消す場合、そういった「行為」を行なうと「縁」は消えます。相手からもらったものを捨てることなども「縁」を切ることに繋がります。

ただ、「縁」を切るというその行為を悪魔と共に行なわないように注意して頂ければ、と思います。「恨み」や「怒り」といった「気持ち・気分」でそういった「行為」を行なうと、悪魔と共に働くことに繋がりやすいので、「心」の状態がいい時にそういった「行為」を行なって下さい。

悪魔との「縁」を切る場合も、「契約」の解消または「行為」によって「縁」を切ることになります。以下、「行為」によって悪魔との「縁」を切ることについて書いていきます。

悪魔と「縁」があると、悪魔によって何かを与えられることに繋がります。例えば、悪魔との「縁」があると、その悪魔によって「ほしい」と思わされた物などを買うことに繋がることになります。そういったものを捨てることによって、悪魔との「縁」を切ることはできます。ただ、どの物が悪魔によって買わされたかは分からないので、おそらく悪魔に買わされた物を複数捨てることで「縁」は切ることができます。ただ、これも絶対に「闇の気持ち」で行なわないようにして頂ければ、と思います。「心」の状態が良い時に捨てて頂くことが大事です。

悪魔との「縁」を切る上で大事なことは、その後に共に働かないようにすることです。使わない「縁」はどんどん細くなっていくものなので、仮に意図的に悪魔との「縁」を切ろうとしなくても、悪魔と共に働くことをしなければ、どんどん「縁」は細くなっていきます。そのような意味で、「光の気持ち」を抱いて生きていくと、自然と悪魔との「縁」は細くなっていくものです。