「風の気持ち」についての解説録音はこちらです。文章よりも音声解説の方が分かりやすいと思いますので、聴いてみて頂けると幸いです。


ここでは「風の気持ち」について書いていきます。


【「風の気持ち」=「優しさ」】

「風の気持ち」とは「優しさ」のことを意味し、「愛」の実践のために「思いやり」を使うことを意味します。「思いやり」とは「思い」+「遣る」という成り立ちを持つ言葉で、相手に「思い」を「遣る」=「行かせる」、つまり「相手の立場になって考えること」ということを意味します。

「優」という漢字は「人」偏に「憂う」と書きますが、このことが「優しさ」が「思いやり」であるという本質を捉えています。「憂う」とは様々な形で「思い悩む」ことを意味しますが、本来の「優しさ」は本当に相手の立場に自分もなるからこそ、相手の苦しみを自分も経験することに繋がります。例えば、親を亡くした子がいたとして、実際にその子の気持ちになってみることが「思いやり」です。そして、そういった「思いやり」を実践すると、その子の悲しみを経験することに加えて、その子があまりにも可哀想に思えてどうしようもなく辛くなります。このような形で、「思いやり」は「憂う」という状況に繋がっていきます。そういった「思いやり」の本質を「優」=「『人』の横で『憂』」という漢字は示しています。

また、「優しい」という言葉の語源は動詞「痩す」の形容詞形で、「身が痩せ細るような思いである」ということを意味しています。このことにも、「優しさ」の本質が「思いやり」であることがよく表れています。

しかし、「優しさ」という言葉は、現代では意味が広くなりすぎていて、「愛」そのもののイメージと近くなっている現状があります。例えば、「愛」の実践のために「思いやり」ではなく「問題解決」を実践する人についても、我々は「愛がある人」という意味で「優しい人」と言ったりします。例えば、親を亡くした子に対して、食べ物やお金をあげたりすることなどは「思いやり」ではなくて「問題解決」ですが、こういったことをする人は現代では「優しい人」と言われます。「優しさ」という言葉の使われ方がこのように「愛」そのものとして使われることによって、我々は「優しさ」が「思いやり」であるという本質が分からなくなってしまっている現状があります。

また、「愛」がないものを「優しさ」と言うようなケースもあります。例えば、「自分のための優しさ」という言葉がありますが、これは「愛(相手のため)」を動機に行なう本来の「優しさ」ではなく、「こうしたら相手に気に入ってもらえるかもしれない」といった形で、相手の心を自分にとって都合のいいように操作しようとする「欲望(自分のため)」の動機から生まれる心の動きです。あと、「マナー」としての「優しさ」もありますが、「それがマナーだから」と思いながらそういったことを行なうのでしたら、「愛」でも「欲望」でもない「中立」のものになります。

このような形で「優しさ」という言葉は意味が広くなり過ぎている現状があります。そのことによって、「優しさ」の本質が見えづらくなっています。我々はどのようにその言葉を使うかによって、その言葉の意味を感覚的に捉えているからです。ですから、「風の気持ち」のことを理解する上では、「風の気持ち」=「優しさ」と捉えるよりも「風の気持ち」=「思いやり」と理解する方が最初は理解しやすいと思います。

では、どうして「風の気持ち」=「優しさ」と表現する必要があるかというと、「優しさ」という言葉は「風の気持ち」の本質を「思いやり」という言葉よりも捉えているからです。多くの辞書で「優しい」という言葉の意味は以下のような意味を持っています。

1、思いやりがあって親切だ、
2、姿・様子が優美である。上品で美しい。
3、穏やかで好ましい感じがする。
4、身が痩せ細るような思いである

これらの意味は「風の気持ち」の本質を捉えています。「風の気持ち」を抱いている人の様子はとても「優美」ですし、「穏やかで好感が持てる」感じがします。こういった点は「風の気持ち」の本質を捉える上でとても大事なことなので、「風の気持ち」=「優しさ」と理解することは大事になります。

そういった「風の気持ち」の本質を的確に表現しているのが、『ハウルの動く城』のハウルや『エヴァンゲリオン』の渚カヲルです。現実の人物で考えると、スピッツの草野マサムネの歌は「風の気持ち」の本質を捉えています。ハウルと渚カヲルはどこか似ているところがあることは、『ハウルの動く城』と『エヴァンゲリオン』を見たことがある方は分かると思います。その「気持ち」を抱いた時に、どういった声や仕草になるのかということは、映像や歌などでしか伝わらないので、参考にして頂けると幸いです。

また、「風の気持ち」の本質を捉えているのが井上陽水の『いっそセレナーデ』なので、以下の動画を聴いてみて頂けると幸いです。この歌が、聴いている人間の心に対する「思いやり」から生まれている歌であることは理解して頂けると思います。また、歌詞を繋げると「風の便りの やさしい セレナーデ」という言葉が生まれるようにもなっています。
 


また、「風の気持ち」の「思いやり」を実践する態度は深い「感謝」の気持ちにも繋がりますし、深い申し訳ない気持ちにも繋がっていきます。「思いやり」を実践することによって、相手が自分にどういう気持ちでそれをしてくれたかをよく考えるからこそ、強い「感謝」に繋がり、自分の犯した過ちによって相手がどういう気持ちを経験しているのかをよく考えるからこそ、強い申し訳ない気持ちに繋がっていきます。ですから、本当に深い「感謝」や「謝罪」は、「風の気持ち」から生まれます。

しかし、「風の気持ち」は申し訳ない気持ちを強めるからこそ、それが「罪悪感・後悔」といった「闇の気持ち」にも繋がりやすいです。以下、「風の気持ち」がどのような「闇の気持ち」と近い関係性を持っているのかを書いていきます。


【「風の気持ち」と近い「闇の気持ち」】

・「甘さ・馴れ合い」

「風の気持ち」は相手に「思いやり」を行うが故に、相手の抱える問題に対して「甘さ」で接してしまいたくなります。何故ならば、相手がどうしてその問題を抱えているのか、どんな苦労があってそういった問題を抱えているのかが「思いやり」を実践するが故によく分かるからです。また、相手に「厳しさ」で接することによって相手を苦しめたくないと思うことも一つの原因となっています。だからこそ、「風の気持ち」を抱くと相手に対して「厳しさ」で接することをしたくないと思い、「甘さ」に繋がっていきやすくなります。

また、「風の気持ち」は自分自身に対する「甘さ」にも繋がりがちです。どうしてかというと、「水の気持ち」のように自分の抱える「問題」を「解決」することを目指すこともなく、「闘いの心」のように自分の抱える内なる「敵」と「闘い」をすることも目指さないからです。「風の気持ち」は相手を支える方向性だからこそ、自分自身を支える方向性になると、自分への「甘さ」と繋がっていきます。

「風の気持ち」から繋がりやすい「闇の気持ち」の多くは、「思いやり」を実践するが故に生まれるものと、自分自身への「甘さ」から派生的に繋がっていくものになります。以下の内容はそのような意味で捉えて頂ければ、と思います。


・「欲望」

「風の気持ち」は「思いやり」を実践するが故に、相手がどう思っているのかということをよく考えるからこそ、「他人から良く見られたい」という「欲望」に堕ちやすい性質があります。他人が何をどう考えているのかを全然気にしないのであれば、「他人から良く見られたい」とは思いづらいのですが、「風の気持ち」は他人がどう考えているのかをよく考えるからこそ、「他人から良く見られたい」という「欲望」に繋がりやすい傾向があります。

つまり、「思いやり」=「相手の立場になって考えること」を「相手のため」ではなく「自分のため」に使い始めると、このような「闇の気持ち」に堕ちてしまうということは常に言えます。
 

・「比較の闇(優越感・劣等感)」

「欲望」と同様に、「風の気持ち」は「思いやり」を実践するが故に、相手が自分のことをどう思っているのかをよく考え、その態度が「優越感」や「劣等感」に繋がりやすい性質があります。相手が自分のどういうところをいいと思っていて、どういうところを悪いと思っているのかをよく考えるからこそ、その結果として、相手がいいと思っている自分の一面に関しては「優越感」を抱きやすく、相手が悪いと思っている自分の一面に関しては「劣等感」を抱きやすいです。


・「不安」「被害妄想」

「風の気持ち」が相手がどう思っているのかをよく考えることは、「不安」や「被害妄想」にも繋がっていきます。「もしかしたらあの人は彼女に怒っているのではないか」といった「不安」や、「もしかしたらあの人は自分に怒っているのではないか」といった「被害妄想」に繋がりやすい傾向があります。

また、「不安」や「被害妄想」を解決しようという「問題解決の心(水の気持ち)」の方向性も、自分自身が「不安」や「被害妄想」に負けないように心の中で闘おうという「闘いの心(火の気持ち)」の方向性も「風の気持ち」には無いので、「不安」や「被害妄想」に負けてしまい、強く長く「不安」や「被害妄想」に堕ちてしまうということも起こりやすいです。
 

・「恐怖」「不安」

「風の気持ち」は「問題解決の心」や「闘いの心」のように悪い状況に立ち向かっていこうとするものではないので、悪い状況などがあると現状を変えようとする気持ちを持てず、そのことが原因で「恐怖」や「不安」に堕ちやすいです。悪い状況があっても「なんとかしよう!」と思えれば、「不安」や「恐怖」に堕ちることも減るのですが、そういった風に思えないからこそ、「風の気持ち」は「不安」や「恐怖」に堕ちやすいです。
 

・「逃げ」

「逃げ」も「恐怖」と同様に、「風の気持ち」が現状を変える力が乏しいが故に堕ちやすい「闇の気持ち」です。現状を変えられないと思うと人は逃げたくなりますが、「風の気持ち」は現状を変えようとする意志が弱くなりがちなので、「逃げ」にも繋がりやすいです。また、自分自身への「甘さ」が原因で「逃げ」に繋がっていくこともあります。


・「絶望」

「風の気持ち」は「絶望」にも繋がりやすい性質を持っています。理由は、「風の気持ち」が現状を変える力に乏しいこと、「思いやり」を実践するが故に他人の痛みを強く経験するからです。例えば、自分の愛する人が本当に絶望的な状況に置かれてしまうと、その相手の痛みを経験することに加えて、愛する人を救うことができない苦しみを経験することに繋がります。そういった気持ちから「風の気持ち」は「絶望」に堕ちやすいです。現状を変えようとする意志があれば、「希望」を持つことによって「絶望」を防げるのですが、現状を変える力に乏しいが故に「希望」を抱きにくい性質を持っています。
 

・「混乱」

「混乱」も「風の気持ち」から生まれやすい自分自身への「甘さ」が故に堕ちやすい一つの「闇の気持ち」です。「混乱」はいい加減な思考から繋がりやすい「闇の気持ち」です。そして、思考をしている時に少しでも「怠惰」や「甘さ」に堕ちると、そのことがいい加減な思考に繋がり、「混乱」へと繋がっていきます。「風の気持ち」は「甘さ」や「怠惰」に堕ちやすいので、そのことから「混乱」にも繋がりやすい傾向があります。


・「依存」

「依存」も「風の気持ち」から生まれやすい「闇の気持ち」です。自分自身が現状を変える力が乏しいが故に、誰かに頼るという方向性へ向かい、それが「依存」へと繋がっていきます。
 

・「嫉妬」

「風の気持ち」は相手の立場になって考えるからこそ、自分には手に入れられないような状況にある人間が何を経験しているのかを考える態度にも繋がり、そのことが「羨み」「嫉妬」に繋がっていきやすい傾向があります。


・「後悔・罪悪感」

既に少し解説しましたが、「風の気持ち」は相手が何を経験しているのかをよく考えるからこそ、自分が過ちを犯した時には強く申し訳ないと思い、その気持ちが「後悔・罪悪感」にも繋がりやすいです。
 

・「怠惰」

「怠惰」は「風の気持ち」から生まれやすい自分自身への「甘さ」が故に堕ちやすい一つの「闇の気持ち」です。