「ゆるさ」は一つの「かっこよさ」のように考えられる流れが現代にはあります。これは一つの問題なので、どういった問題なのか理解して頂けると幸いです。

「ゆるさ」とは何なのかというと、基本的に「甘さ」や「怠惰」です。そして、人は「かっこいい」と思うものに対しては「肯定」的に考えるので、「ゆるさ」を「かっこいい」と思うと、「甘さ」や「怠惰」を「肯定」することに繋がります。しかし、「甘さ」は我々の判断を狂わせるものであって、「怠惰」は我々の心をダメにするものなので、抱くべきではないものです。だからこそ、「ゆるさ」を「肯定」すべきではないのですが、現代は真逆の方向にあります。

では、どうして「ゆるさ」が「かっこよさ」と結びつけて考えられる流れがあるかというと、「ゆるさ」は余裕を持っているように見えるからです。余裕を持っているように見えることは、自分自身に「自信」を持っているように見えるからこそ、人はそういう姿を「かっこいい」と思います。

現代は、余裕を持っている態度が、本当の「自信」から来ているのか、ただの「甘さ」や「怠惰」から来ているのかを考えない傾向にあります。だからこそ、「自信」と「甘さ」を混同してしまい、「甘さ」や「怠惰」さえも「かっこいい」と考えてしまいがちです。しかし、本質は「自信」は「かっこいい」ものであるのに対して、「甘さ」や「怠惰」は「かっこいい」ものではありません。

(こういう書き方は嫌なのですが、分かりやすさを考えて、あえて性格が悪い書き方をすると「甘さ」は「馬鹿」であって、「怠惰」は「根性無し」です。だから、「甘さ」も「怠惰」も「かっこいい」ものではなくて「ダサい」ものです。それに対して、本当に「自信」を持つべき人の「自信」は「かっこいい」ものです。)

こういった文章を通して、余裕がある態度が「自信」なのか「甘さ・怠惰」なのかを見極める癖を付けて頂ければ、と思います。そして、「甘さ」は決して「かっこいい」と思わず(「肯定」せず)、本当に「自信」を持つべき人の「自信」を「かっこいい」もの(「肯定」すべきもの)であると理解して頂けると幸いです。

また、自分自身が「甘さ」や「怠惰」を抱かないようにするためにも、「ゆるさ」を「かっこいい」ものとして考えている方はその考え方を修正して頂けると幸いです。「甘さ」は肝心なタイミングで判断を誤らせる力があるものであって、「怠惰」は肝心なタイミングで努力を防ぐ力があるものです。だからこそ、「甘さ」や「怠惰」から生まれる判断は周りの人に迷惑をかけることに繋がります。そういう理由があって、抱くべきものではありません。

※「かっこよさ」自体を求める気持ちは「ナルシズム」であって、「欲望」=「自分のため」です。だからこそ、何が「かっこいい」のかという発想でこの文章を読まないで頂けると幸いです。何を「肯定」すべきかという観点でこの文章を理解して頂ければ、と思っています。