今の人間は「責任」という言葉をよく使います。これは大きな問題ですから、このことの意味をよく理解して下さい。

今の人間は何をしているかというと、責任という大義を使って人を咎めるという行為を肯定しています。人を咎めるという行為は闇の行為です。皆でその闇を肯定するために「責任」という言葉を信仰している事態にあります。何があっても相手を許す、それが光の立場です。皆、全然相手を許せていません。

「責任」という言葉を一つ挟むことによって人は自分が相手を責めることの闇を見なくて済みます。もう現代人は人を咎めるということを闇だとも思っていないかもしれません。社会全体でその思想が肯定されているものだから自分の闇の行為までも知らず知らずの内に肯定されてしまっているのです。

もちろん、責任感を持って何かを頑張るというのはいい姿勢です。しかしながら現代の傾向としては、責任を問われないように、相手に咎められないために前もって咎められないように策を打っておく、というのが多くのケースです。例えば、コンビニや外食チェーン店などではその食べ物に対するクレームが出ないように腐らないようにする薬品などをその食品に入れていたりします。責任を問われないためであったら毒でも混ぜる、というのが現代社会で行なわれていることです。

そして、他人から咎められないようにするための手段として人間はルールを作ります。ルールをこちら側で作ってしまえば、相手から決して咎められなくなるからです。その内のこの社会はルールだらけで皆が生きづらくなってしまっています。

「責任」という言葉があることで皆が他人を咎めています。そして、「責任」という言葉があることで、皆が他人に咎められることに怯えており、その怯えからありとあらゆる行動を起こしていることに気が付いて下さい。そんな怯えが行動の原因となってしまっているなど、どう考えても不健康です。そして、気が付くとルールばかりの社会です。

皆がお互いを許し合っていればこんな状況にはならなかったんです。もちろん馴れ合いではいけません。

皆が清い心を持ち、清いモチベーションの中で努力していれば、当然相手を許す事ができます。もし人を本気で助けたいとある人が思っていて、しかしながらその人がミスをしてしまった場合、どうしてその人を咎めることができるでしょうか?清い心を持っている人であるならば、そんな人を咎めることはできません。

この社会が人を咎め合うのは、根本的に皆が自分のために生きているからです。もう、いいかげん、スタンスを変えていきましょう。このまま闇の方向に進んでいった先に、いいものなどあるわけがありません。もう我々は変わり始めないといけません。