旅人としての側面を復帰するということを先日書きました。その文章はこちらですので、こちらの文章から読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/travelling/new-travelling/

現在タイにいます。1/19にタイに到着し、2/14に日本に帰国予定です。今日は1/29なので、現在10日間タイに滞在したことになります。この10日間、タイの「光」と「闇」を肌で感じ、そのことを分析し、心で整理しています。動画を撮り続けているので、帰国後にタイの「光」と「闇」を映像としてまとめたものをアップすると思います。

ここでは、写真と言葉だけから簡単にタイの「光」と「闇」を説明していきたいと思います。つまり、10日間の分析結果の概要です。
 

【タイの「光」】

タイは仏教信仰国であって、国のいたるところに黄金に輝く美しい寺院があります。タイ人達の仏教に対する信仰心は強く、そのことによって、彼らは非常にいい影響を受けながら生きています。(信仰心があることと無いことによって、心にどのような違いが生まれるのかについては、別で文章を書きます。)

タイの仏教寺院を分析しているとよく分かるのですが、様々なデザインは「火」の形をしています。また、基本的に色は「金」です。このことは「金の気持ち(愛そのもの)」を動機とした「火の気持ち(元気・笑い/闘いの心)」で、神々はタイ人達に関与していることを、デザインとして表現している形になります。これはタイ人からすると、神々からの「火の気」を受け取ることによって「火の気」を「持つ」、つまり「火の気持ち」を抱く中を生きていることを意味します。

[前提知識]
「火の気持ち」:「愛」の実践のために「元気・笑い/闘いの心」を実践するための「気持ち」
「金の気持ち」:「火の気持ち」などの前提となる「愛」そのもの

神々は人間の作品制作に関する「アイデア」にいつも関わっているということは、長年に渡って、このホームページで書いてきました。それは寺院の建設なども同じであって、タイを守っている神々は自分達がタイ人にどのように「気」で関与しているのかをデザインに表現している形になります。だからこそ、「火」を「金」で描いています。

実際、タイという国は「微笑みの国」とも言われるように、タイ人達はよく笑います。また、相手への「愛」から「ジョーク」をよく言います。これは「愛そのもの(金の気持ち)」から生まれる「火の気持ち(元気・笑い)」です。タイの神々がタイ人に「火の気」を「持たせる」ことによって「火の気持ち」を抱かせていることは、生きているタイ人達を観察していると理解できます。

※「火の気持ち」について理解を深めたい方は、以下の『火の気持ち(元気・笑い)について』を読まれて下さい。
http://junashikari.com/emotion/火の気持ち(元気・笑い)/

タイ人達が抱えている「火の気持ち(闘いの心)」については、寺院の警備に当たっているタイ人達の表情などから感じることができます。「大事な相手を守るために敵と闘う気持ち」が「火の気持ち(闘いの心)」であって、彼らは信仰心が強いのですから、寺院を守ることへの動機が強いことは自ずと明らかです。

また、タイではクーデターなどが日本などと比べて、頻繁に起こってきた歴史があります。このことも「火の気持ち」の「闘いの心」の側面が強いことを示しています。クーデターは「闘い」に他ならないからこそ、このように言えます。タイのクーデターの歴史については、こちらを御覧ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/タイにおける政変一覧

寺院の壁画などからは、「闘いの心」の表現を多く感じることもできます。これらの壁画は、タイ王室専用の寺院であるエメラルド寺院(ワット・プラケオ)の壁画ですが、古代インドの大長編叙事詩である『ラーマヤナ』の物語を描いたものです。

『ラーマヤナ』はラーマ王子が誘拐されたシーターを救い出す物語ですが、この物語は『天空の城ラピュタ』の構造に取り入れられています。実際、宮崎駿は『ラーマヤナ』からシータという名前を使っています。

 

パズーは「火の人」として描かれ、シータは「金の人」として『天空の城ラピュタ』では描かれますが、この構造はこの壁画にもそのまま表現されていることが分かります。ラーマ王子は「火の気持ち(闘いの心)」が強い人物として、勇ましい姿で表現され、シーターは「金の気持ち(愛そのもの)」が強い人物として、美しい姿で表現されています。こういった一致は、この壁画も『天空の城ラピュタ』も、神々によって描かれているからこそ起こります。宮崎駿の作品の登場人物の解説はこちらに詳しく書いています。

http://junashikari.com/hayaomiyazaki/宮崎駿について/

「火」を「金」で描くことに限らず、「火の人」と「金の人」の代表例である『ラーマヤナ』のラーマ王子とシーターを、タイで圧倒的な影響力を誇る王室専用の寺院であるエメラルド寺院の壁中に表現していることからも、「火」と「金」という二つの「光の気持ち」をタイの神々は強く表現したいと思っていることを理解できます。

また、そもそもタイでは国王のことをラーマと呼びますが、これは『ラーマヤナ』から来ています。ですから、このことは「火の人」がタイを統治するということを表しています。このことからも、タイという国に関して、神々は「火の気持ち」を最も大事に考えているということが理解できます。

また、タイの多くの寺院では、「闘いの心」の神々が表現されていますが、こういった点からも「闘いの心」に基本的な重点を置いていることを理解できます。ちなみに、この神々の姿は日本で考えると金剛力士像などに対応します。

とにかく、これらの様々な要素から、神々がタイ人に対して「火の気」で最も関与することを意図していることは分かります。タイは南国であって、年中夏のような気候です。ですから、「火の気」を強く支えている太陽からの影響を受けやすく、神々は人間に「火の気持ち」を抱かせることは他の「光の気持ち」を抱かせることよりも行ないやすいです。そういった太陽との関係性があるからこそ、タイの神々達は寺院に自分達の一貫した関与の方法を表現している形になります。

(※これを書いている間、タイの何らかの神様が自分の体に宿っていることを強く感じました。すごく自分の体が大きくなっているように感じたからです。背筋が伸び、身長がものすごく伸びたように感じていました。)
 

【タイの「闇」】

タイの「火の気持ち」が強い国なので、「火の気持ち」が故に繋がりやすい「闇の気持ち」を抱きやすい国民性を持っています。特に、「火の気持ち(元気・笑い)」が故に繋がりやすい「闇の気持ち」である「欲望」「怠惰」「甘さ」といったものに堕ちている姿を見ることはあります。ただ、これは「火の気持(元気・笑い)」が強い国だったら当然起こる現象です。

タイ人が堕ちやすい、これらの「闇」を強めているのが、外国人観光客です。外国人観光客がタイに与えている影響が、タイにとっての本当に大きな問題を作り出していると、今回タイに滞在しながらずっと感じています。

タイは様々な美しい離島や美しい寺院を持ち、また物価も安く、観光地としてはとても魅力的な側面を多く持っています。だからこそ、外国人観光客が多く、観光業に関わる人々は自然と観光客の好むものを取り入れようとします。このことによって、タイの外部からの様々な「闇」が侵入してきています。

例えば、バンコクは白人観光客が好むようなクラブ音楽が流れているカオサン通りのような場所もあれば、日本人観光客が性的なサービスを受けるためによく訪れているナナという地域もあります。どちらにしても、「欲望」に満ちた場所であって、空気は最悪の状態です。

また、サムイ島といった離島のリゾートエリアは白人観光客が多いですから、やはりそういうエリアも白人観光客が好みそうなムードを作り出しており、そのことによって「欲望」が侵入しています。

つまり、お客を増やすためにタイ人達は外国文化に合わせようとするのですが、そのことによって、外国文化の持っている「欲望」の「雰囲気」をタイに取り入れてしまうことになります。そして、そういった場所にはタイ以外の「闇の気」を持った外国人達が集まるので、自ずとタイ以外の「闇の気」が溜まったエリアとなります。そうすると、タイ人達もその「闇の気」を吸ってしまうので、タイ中に悪影響を与えることになります。

また、外国人観光客はお金を払う立場であって、観光業に関わるタイ人達は、彼らにサービスを与える立場になります。しかし、外国人観光客の中にはわがままな人も少なくありませんから、タイ人のサービスに文句を言う人もいますし、実際にそういう場面も見てきました。そういう経験を通して、タイ人達は「嫌悪」を経験しやすくなります。

実際、この写真の男達は、本当に素敵な人格のタイ人ウェイターに上から目線で嫌な文句を言っていました。けれども、そんな文句を言われる機会があっても、タイ人のその男性はいつも「愛」を保ってる人でしたから、その男性の「光」は強いと感じていました。

あと、タイではタクシーといった乗り物に乗る時に値段交渉が行われるのですが、タイ人からすると外国人観光客はお金持ちです。だからこそ、タイ人の運転手の多くは「欲望」から値段を普通の倍以上の値段で持ちかけたくなりますし、外国人観光客はぼったくられないように「疑い」で彼らに向き合います。つまり、「闇の気持ち」からお互いに「損」をしないためのやり取りがいちいち生まれます。その最中に運転手達は外国人から「闇の気」を受け取ることになります。こんなことをいつも行っているからこそ、タイの運転手達は「闇」に堕ちている人が少なくありません。

このような形で、外国人観光客がタイに強く「闇の気」を持ち込んでいます。「闇の気」を司るのは悪魔であって、悪魔としては神々によって守られているタイをなんとか「闇」に堕とそうと、「闇」を抱えている観光客をできるだけ送り込んでいる形になります。もちろん、観光客の全てが悪い人なわけではなくて、良い人もいます。自分はこの10日間に、自分が目にする観光客の分析も行なってきましたし、関わった人達もいます。実際、友達として何時間も話し込んだ白人観光客もいれば、自分に激怒してくるほど「闇」が強い白人観光客もいました。
 

【タイに対する神々と悪魔の関与】

全体像をまとめると、タイは本来とてもいい国なのですが、外部からの「闇」の侵入を許してしまっている形になります。つまり、神々はタイ人達を「火の気」で守り続け、今でも強く守っているのですが、悪魔は外国からの「闇の気」を持ち込むことで、「火の気持ち」が強いが故に堕ちやすい「闇の気持ち(欲望、怠惰、甘さ、嫌悪など)」で攻めている形になります。

また、近代化に伴って、様々な社会の成り立ちが変わり、そのことによってもタイは「闇」に近づいています。インターネットなどを通して様々な悪い外国文化が入りやすくなってしまったことだけに限らず、様々な企業がタイ人男性が僧侶になることを奨励していないことなどがあります。

タイ男性の多くは人生の中で一度は出家します。そういったいい流れを社会全体が持っています。一度出家をすれば、仏教を学ぶいい機会を得られます。その機会に仏教の大事な教えを学ぶことができたら、その後に僧侶から一般の人間に戻った時にもいい影響が残ります。

しかし、多くの企業は自分の企業で働く社員が出家でしばらくの間会社から抜けてしまうのはデメリットでしかないので、僧侶として過ごす期間をできるだけ短くしようとします。私がタイ人から聞いた話だと、二週間くらいの出家で、その後は日常に戻っていく人も少なくないそうです。たった二週間で人が変わることは難しいです。だからこそ、そのような短期間の出家ではあまり意味がなく、社会に与えるいい影響も少ないです。

タイを支えてきた様々な慣習が、近代化によって崩れてきていることは、神々がタイを守りにくくなってきていることを意味します。男性は一度は出家をするという慣習は、タイを支えるために神々が作ったシステムです。しかしながら、そういった慣習が以前ほどは機能しなくなっています。
 

【最後に】

ここでは非常に大雑把にタイの「光」と「闇」、神々と悪魔がタイにどのように関与しているのかを説明しました。しかし、これはこの10日間で明らかにしてきたことであって、残りの二週間を通してさらに理解は深まると思います。

例えば、明日からはパンガン島に行くのですが、どうしてパンガン島に行くかというと、世界三大レイブパーティーと言われるフルムーンパーティーが1/31に開催されるからです。名前の通り、満月の夜に野外で開催されているパーティーです。
 


個人的には絶対に行きたくないのですが、タイに外国人がどのように「闇」を持ち込んでいるのかを理解し、映像として保存するためには絶対に行かないといけないと思っています。このパーティーはタイに持ち込まれている「闇」の頂点に相当すると言えるからです。

爆音のクラブ音楽の中、人々は浴びるように酒を飲み、一晩中踊り狂うパーティーなのですが、自分は一滴もお酒を飲まず、一瞬も踊らず、ひたすらに映像撮影をするつもりです。カメラの安全を確保することに関して、相当注意しないといけないと思っています。

よく書いてきましたが、月は別名「太陰」です。そして、「太陽」と「太陰」は、「太陽」=「最初の大きな光」と「太陰」=「最初の大きな闇」と名前が示している通り、対の関係性を持ち、「太陽」は地球に「光」を最も与えている星であり、「太陰」は地球に「闇」を最も与えている星です。そして、満月の日は月からの「闇の気」が一番届く日です。

だからこそ、このフルムーンパーティーは月神(憑神)が仕切っている「闇」の儀式です。ただ、この場には悪魔も大量の「闇の気」を人間に乗せて持ち込むので、月神と悪魔が人間を取り合っている場とも言えます。いずれにしても、このパーティーを通して「闇の気」がタイに大量に持ち込まれていることは事実です。

そういった現場を分析し、映像として保存し、そこで理解したことを文章や映像や写真といった形で、伝えていきたいと思います。

その後にもタイの「光」と「闇」を様々な形で分析し、理解したことをシェアしていきたいと思います。こういった情報は本当はタイ人にこそ大事な情報なのですが、今はとりあえず日本語でのみシェアしている形になります。

タイは本質的にいい国です。だからこそ、観光旅行などでいい影響を受ける上ではとてもいい国です。旅行などで訪れる上で、タイの何に触れるべきで、タイの何に触れるべきではないのかを知っておくことは、日本人にとってとても大事であり、すぐに役立つ知識です。

タイの寺院や美しい自然からは非常にいい影響を受けられます。それに対して、外国人観光客に合わせているものからは悪い影響を受けます。そういったことを踏まえて、タイに旅行に行かれることはとてもいいと思います。

自分はこの10日間、バンコクとサムイ島にいましたが、バンコクで日本人を見ることはあっても、サムイ島で日本人を見たことは一度もありませんでした。バンコクは都会ですから「闇」が多いのに対して、サムイ島は美しい離島ですから「光」が多いです。ですから、日本人は本当はバンコクよりもサムイ島に行くべきなのですが、現実は真逆になってしまっています。

もし、タイに観光を考えていらっしゃる方がいましたら、是非サムイ島などの離島を選んで頂ければ、と思っています。タイには素晴らしい離島があります。

色々なことを書きましたが、素敵なタイ人達と話す機会は多く、そういった時間もとても喜ばしい時間です。彼らとのコミュニケーションを通して、東京では感じられない「光」を感じています。また、ここではあまり書けませんでしたが、タイの自然が持つ「光」の価値も、自分自身が経験することから理解しています。