最近スピリチュアル系の出版社に複数伺い、話を聞くことがあったのですが、共通して言えることは今のスピリチュアル好きな読者は、インスタントな形で「幸せ」を求めているということです。

色々な雑誌などで「開運」に関する記事が多いのはその表れです。インスタントな内容のものしか売れないから、出版系の方々がそういうものをよく出版するのはしょうがないと思います。

では、自分のアプローチはどうかというと、極めてインスタントではないです。だからこそ、一般的なスピリチュアル好きな人達から私は求められていません。また、当然ですが、スピリチュアル嫌いな人達からすると、私は胡散臭く見えます。

こういう背景によって、スピリチュアル好きな人からもスピリチュアル嫌いな人からも私は求められない構造を持っています。というか、私はこの時代の日本人からは求められていません。それは被害妄想ではなくて、どう考えても「真実」です。

皆自分にとって都合のいい情報ばかりを求めています。そんな時代に多くの人にとって都合の悪いこともはっきりと言う自分など、都合のいい情報を求める人からすると、ムカつく相手です。

例えば、私は「自分のため」は「悪」であって「闇」だと言います。しかし、この時代は「自分のため」に生きている人がとても多い時代です。だからこそ、多くの人は私が言っていることを聞きたくもないと思います。

それでも私が活動していられるのは、自分にとって都合の悪い話であろうと何であろうと、知るべきことは知って、認めるべきことは何でも認められるだけの「強さ」を持った人間がどこかにいることを信じているからです。それは今の時代の人間だけではなく、これから生まれてくる未来の人間でもあります。

本当に「他者のため」に生きるためには、自分をどこまでも向上させていく必要があります。自分の未熟な部分が「他者のため」にできることを減らしていきますし、他者に迷惑をかけていくからです。だからこそ、自分の未熟な部分を日々潰していくことは、「他者のため」に生きていく上で、とても基本的なことだと思っています。

そういった「向上心」を持つ人間が向上しやすいように情報を整えておくことが、私の一つの役割です。例えば、「甘さ」はこういうものである、という説明を私が書き、それを理解できれば、人はより「甘さ」に堕ちづらくなります。逆に言うと、「甘さ」の本質を理解していなければ、意図せず「甘さ」を持つことに繋がりやすくなります。

世の中の「スピリチュアル」は「開運」といったインスタントな方向に進んでいます。しかし、本当に大事なことは心の成り立ちを一つ一つ理解して、曇りなき眼で自分の心を見つめ、自分の悪い部分を改めていく姿勢です。実は、それが一番の「開運」にも繋がっていきます。

こういった形で、自分のことを書くと、「ナルシズム」や「自分のことを分かってほしい」という「欲望」のように思われてしまうかもしれませんが、そうではないです。自分のことをちゃんと伝えるということは、相手に自分のことを理解してもらうために必要なことで、私のような立場は自分のことを理解してもらうことが、「相手のため」にもなります。そのために、こんなことを書いています。というか、実際は上からの指示でこれを今書いています。本当は「書きたくない」のですが、「書くべきだ」と判断している形になります。

とにかく、厄介な時代に、厄介な役割を持って自分は生まれてきたということは事実だと思います。「気」が何よりも大事なのに、多くの人々はそういうことに対して「疑い」を持っていて、そういうことを理解するために必要な努力をするための動機や「向上心」も持っていません。そんな状況の中で、私は誰よりも「気」のことを理解し、その構造を説明し、人々に理解してもらうことを役割として持っている人間です。

少なくとも、私はそのように思いながら生きています。そんな状況を生きている人間がどういう心情を抱きながら生きることになるのか、ということは、私が本当に「気」のことを伝えるために生まれてきたのかどうか、ということは置いておいて、非常に興味深い一つの人生のケースだと思います。

そんな一つの人生を考察することだけからでも、人間の様々な「真実」は見えてきます。実際、私が心の成り立ちについて理解する上で、いつも行なっているのはそういった考察です。

一人一人の人生は異なる設定を持っています。例えば、飲食店経営者は飲食店の経営に関することで心を強く動かす中を生きています。それと同様に、私は「気」の成り立ちを伝えるために生まれてきたシャーマンとしての設定の中を生き、その設定の中で動き得る、心の動き方を経験しながら生きています。

飲食店経営者は多くいます。しかし、私のような設定で生きる人間はそんなに多くはありません。ですから、私の人生は考察対象として非常に興味深いはずです。

私が言っていること、書いていることが重要かどうかを見抜くためには、相当色々なことを学ぶ必要があります。しかし、私が生きている人生が設定として非常に興味深いものであることは、とても分かりやすいものです。

私は神々に仕えているシャーマンなので、いつも神々と連絡を取り合っています。ですから、私の人生を徹底的に解剖すれば、神々の本質が見えてきます。

仮に、私が悪魔に取り憑かれているシャーマンだったとしたら、私は悪魔に騙され続けている人間でしょうから、私の人生を徹底的に解剖することで悪魔の本質が見えてきます。

仮に、私が詐欺師だったとしたら、この詐欺の内容は天才的です。「気」の成り立ちに関する嘘をでっち上げ、その嘘はあまりにも論理的で体系的で、説明として成り立っているからです。スピリチュアル出版社の方もまず最初に私に言っていましたが、私のようなことを言っている霊能系の方は他にいません。

とにかく、私が本当に神々と共に働くシャーマンにせよ、悪魔に騙されている愚かな人間であっても、巧妙な詐欺師であっても、私のような設定で生きている人間はとても少ないです。その点が、自分は考察されるべき人間であるという大きな根拠です。

そういう意味では、自分自身をもっと映像として保存するべきだと思っています。私の日常や私の心の使い方は普通の人とはかなり違うので、そのことを映像として保存し、それをシェアすることはとても大事なことだと思っています。

この文章はなんだか、どこへ向かっている文章か分からないような書き方になってしまいましたが、神々からもらっている「アイデア」をどんどんタイピングしている中を書いているので、このような形になってしまいました。しかし、たまには、こういう風な文章を書くことも、私がどのように神々と働いているのかを分析する上で、有効な参考題材になると思うので、このままアップします。