『私の人生の流れについて』の6つ目の文章になります。『私の人生の流れ 概要』『私の人生の流れ1〜5』はこちらなので、まだ読まれていない方はこちらから読んで頂けると幸いです。

『私の人生の流れ』概要:http://junashikari.com/profile/life-story/
『私の人生の流れ1(生まれてから高校時代まで)』:http://junashikari.com/profile/life-story1/
『私の人生の流れ2(浪人時代)』:http://junashikari.com/profile/life-story2/
『私の人生の流れ3(大学時代)』:http://junashikari.com/profile/life-story3/
『私の人生の流れ4(大学卒業後から旅立ちまで)』:http://junashikari.com/profile/life-story4/
『私の人生の流れ5(旅の一年目前半)』:http://junashikari.com/profile/life-story5/

ここでは、旅の一年目後半のことを書かせて下さい。フィリピンから台湾に戻った私は、台湾東側(花蓮、台東、蘭嶼)を訪れた後、日本に一時帰国し、再び台湾に戻っています。その半年間のことについて書かせて下さい。写真は花蓮で自分が寝泊まりしていた海沿いの廃墟での写真になります。

この半年間に私に強く影響を与えた人は三人いて、このページではその三人のこと多く書きます。それが以下の三人です。写真を貼付けておきます。

アクン(Akun)

エマ(Ama)

E(仮名)

以下、この3人と通して経験したことや、当時感じていたことについて書いていきたいと思います。


【台湾東側(2014/6/25-9/5)】

私は台北のエコビレッジの友人の紹介で、花蓮で2014/7/7-14に行なわれたお祭りの出演者兼映像スタッフとして、花蓮のその会場にお祭りが始まる前から滞在していました。このお祭りは、台湾中の所謂ヒッピーと言われるようなアーティスト達が年に一度集まるようなもので、このお祭りを通して様々な出会いがありました。そのお祭りの宣伝映像を当時作ったので、貼付けておきます。この映像から、当時どういったところにいたのかを感じて頂けると幸いです。字幕は中国語ですが、元の文章は私が作っているので、日本語訳を載せておきます。
 


[ナレーション]

彼はチベットから来た歌手らしい。そして彼女は台湾の伝統的な手法で歌っている。私は驚いた、この別々に歌っている二組は音楽的にとてもマッチしたからである。そして、コントラバスを弾いていた日本人の自分はこの音楽に郷愁を感じていました。つまり、我々は同じキーを持っています。それは我々が同じ血を持っていることを表しています。人間は内にある血を感じる時、エネルギーを感じエネルギーを生む。そして、この音楽が象徴するように、この場からは人間のエネルギーを感じます。このことにこのマーケットの意味はあるように自分には思えます。


このお祭りのショートドキュメンタリーも作っているので、貼付けておきます。中国語と英語の字幕しかないですが、ここで話をしている人達がこのお祭りを行なっている人々であって、この人達の発言の内容から、彼らが神々と共に働く人々であることはよく分かります。「自分のため」ではなくて「他人のため」にこのお祭りを行なっていることはよく分かりますし、彼らは非常に重要なことを彼らが思っている以上に話しているからです。
 


このお祭りを通して色々な素敵な人々に出会いましたが、その中でも私は三人の人物ととても親密になり、その三人を通して多くを学んでいます。その内の二人がアクンとエマとE(仮名)です。アクンとエマについては、上の動画でも話しています。

この当時はほとんど日記をネットにアップしていなかったのですが、どうしようもなくアップしたくなり、アップをした日記が以下の日記になります。この日記から当時の状況を解説していきたいと思います。

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2014/7/22

最近、ある人(エマ)が僕を見て「あなたは船のよう」と言いました。こんなに心を動かされた言葉は僕の人生でなかったように思えます。故郷の島を離れて、大きな大きな海をふらふらと進み、色々な島に辿り着いてはそこを去っていく。素晴らしい島もあれば、一日も早く去りたいと思う島もあります。

今は海に面した廃墟で一人で寝泊まりしています。(日中はそこの近くの民宿を出入りしています。)そこで海を眺めながら、時折目の前を通り過ぎる船に自分を重ねながら練習していると、全てを受け入れることもあれば、涙が出てくることもあります。「あなたは船のよう」という言葉が僕の心を捉えるのは、興味深く思えるのは、地理的にも心情の面でもその言葉が一致している点です。

今僕はもう一つの理想郷に辿り着きました。ついこの前まで、ずっとこの理想郷を去ることを思っていました。去らなければいけない、と思っていたんです。そうすると、心はもうどうしようもない。

ある日の夜中ついにどうしようもなくなり、コントラバスを持って波打ち際まで行き、演奏をしました。すると、海と星の広がりと自分の人生がX軸とY軸のように思え、その重なりを思いました。その時の演奏は必死に何かに抵抗しているようでした。そうするといつの間にか自分はコントラバスを弾きながら歌っていました。この時、歌っていうものが何なのか分かった気がします。今は歌が歌えます。

抵抗するのをやめ、僕は自分の気持ちに従うことにしました。この理想郷に長く留まることにしたということです。今好きな女性(E)がいます。この前、彼女に自分の意思は伝え、「恋人になってほしい」と言いました。今彼女は別の場所にいるので、戻って来たら返事を聞かせてほしいとも僕は後に加えました。だから、ただ返事を待っています。

また最近、僕の人生の中で最も神に近い、真実に近いと思える人(アクン)に出会いました。彼は言います。「昔は時間も空間も朝も夜もあった。今は磁場だけがある。」

「愛」「人間」「生命」「家族」「磁場」「楽しいということ」「自由自在であること」「エネルギー」「緯度」「物体」「魂」「我」「あなた」「銀河」、彼の中では全てのことが繋がっています。そして、それを彼はほとんど語らず、彼の表情から、彼の仕草から、彼の肉体の歴史から、彼の人との接し方から、彼の労働から、つまり彼の生活から、僕はその完全性を感じ取ることができるんです。その一瞬一瞬は、私の、人間の、世界の真実を一つずつ知っていく瞬間のように思えて、僕は思わず笑ってしまうこともあれば、その目の前の真実の存在に鳥肌を感じることもあるんです。

彼は野生状態で生きていくことも、大工も、料理も、病気の治療も、人を笑わせることも、人の相談役も、人間生活において必要なことは全てできます。そしてその延長上に、歌や踊りや彫刻といった一般に「芸術」と呼ばれることもできてしまいます。彼の行動の全てには真実があります。彼こそ真の芸術家です。真の人間と言った方がいいかもしれません。

夜になると、我々は一緒によく演奏をします。彼は中国語ではなく台湾語で、数百年前の台湾人の心を歌い、僕は波の音と彼の声を聴きながらその中を泳ぐ。その時間もまた同様に大きな真実を解き明かしていく段階のようです。

彼は僕の演奏がとても好きだと言います。また違う時は、「あなたは滅多に人に心を開かない。そしてあなたの心を理解してくれる人はとても少ないだろう。ただ、あなたの心はすごく良い」とも言ってくれました。彼にはこの世の全てのことが見えているように思えるんです。だからこそ、この言葉は素直に嬉しい。

とにかく、自分が最も真実に近いと思える人間と強い関係性が生まれ、今一緒に生活していることに大きな喜びを感じます。彼は僕の旅のことを思ってくれていて、ここ三日は新しいコントラバスのキャリーを作ってくれています。家を自分で作ることができる彼からすると朝飯前だそうです。その大きなタイヤのついたキャリーが完成すれば山でもすらすら進めます。

今夜は気持ちを抑えきれずこのことを書きました。もう最近は日記をここに書かないようにしていて(自分だけのために日記は書いています)、それがすごく自分の純粋性にとって健康であることを感じています。ただ今日のように時折僕はこういう風に書いてしまうんだと思います。だから、こういった形で時折生存確認をして頂けると幸いです。

もう2~3年のプランで旅のことを考えていません。少なくともこの旅は5~10年、理想的には人生をかけて旅をしたく思っています。そう思うからこそ、この理想郷に長く留まることに対して躊躇をしなくなりました。それでいいと思っています。

 

[解説]

この日記のそれぞれの要素を解説していきます。日記で取り上げられている順番通りではありませんが、重要な部分から解説していきたいと思います。


[アクンについて]

日記の中で触れているアクンについて解説したいと思います。

アクンについて、当時私が抱いていた印象を話している映像があるので、こちらの動画も見て頂けると幸いです。上にも貼付けた、お祭りのドキュメンタリーの一部分を切り取ったものです。当時私が撮影したアクンの姿が映っているので、アクンという人間がどういう人間なのか、少しでも感じて頂けると思います。また、アクンと私は一緒に即興演奏をよく行なっていましたが、この映像の後ろで流れている音楽は私とアクンの即興演奏になります。
 


アクンの存在は当時の自分にとって、非常に新鮮なものでした。日本にいて彼のような人間に会うことはないからです。ちなみに、彼は台湾人にとっても非常に変わった存在です。そして、当時の私は「気」のことも何も知らず、アクンがどうしてあのような形で生きているかが理解ができませんでした。けれども、彼の生き方は物事の本質を捉えていることことはいつも感じていました。だからこそ、私からすると彼の存在は本当に不思議で、非常に興味深く目に映りました。

この日記で「「愛」「人間」「生命」「家族」「磁場」「楽しいということ」「自由自在であること」「エネルギー」「緯度」「物体」「魂」「我」「あなた」「銀河」、彼の中では全てのことが繋がっています」ということを書いていますが、これはアクンが「気」の観点で全てを捉えていたことを意味します。彼は本当に感覚で生きているタイプなので、「気」というものを感覚的に感じ、そのことを通して全てが繋がって感じられている人間でした。彼は「気」のことを「磁場」という言葉で捉えていましたが、それが「昔は時間も空間も朝も夜もあった。今は磁場だけがある」という言葉の意味です。

当時は「気」というものを知らなかった時期だったので、こういったことを思考で理解はできなかったのですが、私が感覚的に彼が本質を捉えているようには感じていたことを、当時の私は「それを彼はほとんど語らず、彼の表情から、彼の仕草から、彼の肉体の歴史から、彼の人との接し方から、彼の労働から、つまり彼の生活から、僕はその完全性を感じ取ることができるんです」という言葉で表現しています。

その後に、「その一瞬一瞬は、私の、人間の、世界の真実を一つずつ知っていく瞬間のように思えて、僕は思わず笑ってしまうこともあれば、その目の前の真実の存在に鳥肌を感じることもあるんです」とも書いていますが、これはアクンが神々と共に生きる「火の人」であることを捉えています。どうしてこの文章がアクンが「火の人」であることを捉えていると言えるかというと、「僕は思わず笑ってしまうこともあれば」という一言があるからです。「火の気持ち」の一つは「元気・笑い」です。アクンはそういった「火」の側面を強く持っている人です。

アクンは太陽神様と繋がっている人間で、シャーマンとは名乗ってはいませんでしたが、本質的には「光」のシャーマンです。私が自分の人生で初めて出会った「光」のシャーマンだと思います。そして、彼を通して色々な大事なことを感じ、学びましたし、それは太陽神様からの教えを受けていたとも言えます。

ただ、誤解はしてほしくないのですが、アクンは私の師匠ではありません。こういったことを書くと、よくそのように捉えられてしまうのですが、師匠ではなく、とても影響を受けた人です。私は旅人時代、様々な「光」の人を通して、「光」を学んでいます。ですから、私に教えをもたらしてくれた人は多くいます。その中でもアクンは最も私に影響を与えてくれた人だと思って頂けると幸いです。

我々はこの頃三ヶ月近くの間ずっと一緒に生活し、一緒に旅もしていました。花蓮で開催されたお祭りでアクンと知り合って、お祭りが終わった後も花蓮で時間を過ごし、その後は台東に一緒に行き、蘭嶼という台湾の東南にある島にも一緒に行っています。アクンの車に乗って、移動してはそこに滞在し、という日々を過ごしていました。彼は台湾中に友達が大勢いるので、アクンと一緒に旅をする中で色々な人にも出会いました。

また、この旅の間、ずっとエマとも一緒にいました。エマについては詳しくは下に書きますが、写真だけ貼付けておきます。

この二人と過ごす時間は本当に「幸せ」で、当時「闇」を抱えていた自分はこの二人に本当に支えられながら生きていましたし、自分が「闇」を抱えていたからこそ、この二人がもたらす「光」の価値を感じている日々でした。

アクンが太陽神様と繋がっていたのに対して、エマは金星神と繋がっていた人間でした。だから、この二人と過ごす時間は「笑い」に満ち、二人とも本当に「愛」が強かったので、そういった「愛」を感じる中で、「喜び」を感じていました。

アクンやエマは私に「気」の知識などを教えたわけではなく、非常に感覚的に、神々の「光の気」と共に生きるということはどのようなことなのかということを教えてくれました。当時はそれが神々の「光の気」と共に生きるということであることさえ分かりませんでしたが、今でもその感覚は覚えています。これはアクンやエマだけに限らず、アクンを中心に出会った多くの台湾人の友人から感じてきたことでもあります。

国によって、どういう「光の気」が強いのかということは傾向がありますが、台湾人はそもそも「火の気」「風の気」「金の気」が強いです。そして、私が出会った台湾人は本当に「火の気」「風の気」「金の気」が強い人ばかりでした。そして、この三つの「光の気」は平和な土地で育まれる「光の気」です。台湾という平和な場所に生きる人が「火の気」「風の気」「金の気」が強いのは必然的だと思います。「火・風・金の気」の一覧を書いておきます。

火の気持ち1:「愛」の実践のために相手を笑わせようとする心=「元気・笑い」
火の気持ち2:「愛」の実践のために相手を傷つける何かと闘おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために相手に優しく接しようとする心=「優しさ」
金の気持ち:相手を大事と想う気持ち・相手と接したいと想う気持ち=「愛」そのもの

私が会った台湾人の友人の生き方は人間の生き方として、一つの理想の姿だったと思います。神々はそういった理想の人間の姿を見せるために、私を台湾へ送った形になります。お互いがお互いに様々な「愛」によって支え合い、色々な問題が起きてもそういった「愛」によって支え合う中で皆が「幸せ」を感じている。私自身、台湾にいた時に色々な問題を経験しているので、その度に台湾人の友人に心を支えられています。

悪魔からの強い攻撃を受けたり、「闇」のシャーマンに呪われたり、幽霊に取り憑かれたりといった経験は、まだ「光」のシャーマンになっていない私にとって、本当に恐ろしい経験でした。一体どのように対処していいのかが分からなかったからです。そういった時に台湾人の友人は私をいつも助けようとしてくれて、その気持ちに感動していた日々でした。特に、アクンは私が危機的状態だった時にいつも打開策を教えてくれた存在でした。当時ものすごくアクンを頼りにしていた形になります。

また、神々の目線からすると、アクンと私が友達になったからこそ、私に非常にハードな試練を課しても大丈夫だろうという判断を行なっていた形になります。そういう意味では、アクン・エマを中心とした台湾人の友人がいたからこそ、私は台湾で様々な「闇」を学ぶことができています。

そういった意味で、台湾を通して私が学んだことは本当に多くあります。台湾人から「光」を学び、生きることを強く支えられ、「闇」の試練の機会も与えられ、その友人自体との大事な人間関係ももらっています。今はどのようにしたら、彼らに様々なことをお返しできるのかを考えている日々です。

 

[神々と悪魔の関与]

日記の以下の文について解説を書きます。

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今僕はもう一つの理想郷に辿り着きました。ついこの前まで、ずっとこの理想郷を去ることを思っていました。去らなければいけない、と思っていたんです。そうすると、心はもうどうしようもない。

ある日の夜中ついにどうしようもなくなり、コントラバスを持って波打ち際まで行き、演奏をしました。すると、海と星の広がりと自分の人生がX軸とY軸のように思え、その重なりを思いました。その時の演奏は必死に何かに抵抗しているようでした。そうするといつの間にか自分はコントラバスを弾きながら歌っていました。この時、歌っていうものが何なのか分かった気がします。今は歌が歌えます。

抵抗するのをやめ、僕は自分の気持ちに従うことにしました。この理想郷に長く留まることにしたということです。


・解説

この文章は神々の導きと悪魔の関与を意味する文章です。この文章の中で私は「理想郷を去らなければならない」という「アイデア」と「理想郷に留まりたい」という自分の「気持ち」の間で振れていることがよく分かります。そして、そのことと合わせて、波打ち際でコントラバスを弾いていると自然と歌い始めたということが書かれています。

神々はこの旅を通して私をシャーマンにしようということは決めていました。そして、そのために台湾という「理想郷」から非常にいい影響を受けることによって、私をシャーマンにしたいと思っていた形になります。だからこそ、神々は私に「気」で関与する事によって、「ここに留まりたい」という「気持ち」を起こしていました。また、このことの背景には、この日記の中に書いてある、アクンやエマを通して私をいい方向へ導きたいという事情もあります。

それに対して、私はアイスランドまで世界放浪をするということを決めていたので、「理想郷から去らなければならない」という「アイデア」を抱いていました。そして、この元々私の中にある「アイデア」を使って、悪魔は早くこの「理想郷」から去らせようとしていました。どうして悪魔はこれを狙っていたかというと、この「理想郷」に留まっている限り、非常にいい「光」の影響をもらってしまうからです。そうすると、私が「光」のシャーマンになりやすくなってしまいますし、悪魔はそれを望んでいませんでした。

そういった神々と悪魔の関与がある中で、どうして波打ち際で音楽を奏でたことで「ここに留まろう」という気持ちになったかというと、神々からの「光の気」を多く受け取ったからです。神々は私の身体に宿っている「光の気」によって、私の心に「ここに留まりたい」という「気持ち」を起こしていました。だからこそ、身体に抱える「光の気」が増えると「ここに留まりたい」という「気持ち」も大きくなります。

海は海の神様の持ち物であって、海の近くにいると潮風と共に海の神様からの「光の気」を非常によく受け取り、そのことによって「ここに留まりたい」という「気持ち」が「」。そして、そういった「光の気」と共に演奏をすることになるので、海王星神様と共に働くことになり、私の身体に「光の気」が多くなります。「光の気」がその人間にどれだけ入るかどうかということは、その人間の魂がどれだけ強くその「光の気」と共感するのか=どれだけ強く「光の気持ち」になるのかということによって決定されます。そして、演奏という神々と共に働くという行為は神々の「光の気」との強い共感作業なので、この時にかなりの「光の気」が入った形になります。

ここで「その時の演奏は必死に何かに抵抗しているようでした」と書いてあるのは、私の身体に宿っていた「闇の気」に対するものであって、その「闇の気」を司っている悪魔と闘っていたことを意味します。悪魔は私に「光の気」を入れないために、「闇の気」によって私の心を掴もうとしてきます。そういった攻撃と闘いながら、コントラバスを弾いていたということを意味します。

そういった「闇の気」に負けないようにするために、海の神様が私に歌わせた形になります。私はそれまで本当に演奏しながら歌ったことがほとんどありませんでした。特に、自然とそれができたことは、この時まで一度も無かった形になります。しかし、ここでは自然とそれができたのは、海の神様が「光の気」で関与したからになります。当時はチャンネリング(神々を身体に宿すこと)のことも知りませんでしたが、この時に行なっていたのはほとんどチャンネリングだったのだと思います。チャンネリングに近い状態だったからこそ、神々が私の身体を使って歌っていた形になります。

また、この演奏の最中に「海と星の広がりと自分の人生がX軸とY軸のように思え、その重なりを思いました」という文がありますが、これは神々と自分が「気」を通して出会っているということを当時の自分の言葉で表したものになります。当時の私は神様がいることにも確信は持っておらず、ですから星に神々が宿っていることも知りませんでした。そして、「気」の存在も知らなかったので、「気」という言葉も使えていない形になります。しかし、星と海から「気」を感じたが故に、このような表現を書いています。

ここで神々と自分のことを「X軸とY軸」と表現していることにも意味があります。神々は私が今世生まれてからずっと極力私に「光の気」を入れないようにしてきました。何故ならば、私に「闇」のことを教えるために、わざと悪魔に襲わせていたからです。そして、その一方で私はそんなことは知りもせずに全力で生きてきた形になります。そういった神々と私が真に交わっている現場であったからこそ、この「X軸とY軸」の「重なり」という形で表現しています。以下に分かりやすく整理すると、

「海と星の広がりと自分の人生がX軸とY軸のように思え、その重なりを思いました」
「神々     と自分の人生がX軸とY軸のように思え、その重なりを思いました」

このような形になります。こういったことを狙って神々は私の心に「ある日の夜中ついにどうしようもなくなり、コントラバスを持って波打ち際まで行き、演奏をしました」という気持ちを作った形になります。そして、神々のこの計画は成功し、そのことで私はその場所に留まっています。

その現場の演奏映像ではありませんが、当時海王星神様と演奏をしていた頃の映像があるので、御覧になって頂けると空気を感じて頂けると思います。この動画の中で、本気で演奏しているときは、海の方から潮風と共に自分の方へ来ていた、海の神様の「光の気」と共に演奏する様子です。それに対して、私は一瞬気だるそうにも振る舞っています。時折「嫌悪」の感情を抱いていることは私の態度から分かります。演奏が終わった時にも相変わらず苦しそうな様子をしています。これは悪魔の「闇の気」に邪魔されている様子です。

こういった形で、当時の私は「光の気」と「闇の気」の間を振れていた形になります。生まれた時から身体に抱えてきた「闇の気」と、「闇」を選ぶ生活の中で悪魔に入れられた「闇の気」と闘いながら、神々からもたらされる「光の気」と共に働いていた形です。

 

[「あなたは船のよう」について]

この日記の冒頭に「あなたは船のよう」ということを言われたということを書いていますが、このことには大きな意味があります。この言葉を言ったのはエマが私と初めて会った時に言った一言だったのですが、このことを言われてとてもドキッとしたことを今でも覚えています。

彼女は金星神と繋がっていた女性であって、本当に自分に対していい影響をいつも与えてくれる人でした。彼女といると本当に「愛」や「元気」をもらえ、自然と自分も笑顔になっていたからです。そんな彼女が自分と初めて会った時に、「あなたは船のよう」と言ったのは、金星神からのメッセージであって、大きな意味を持っています。どうして金星神からのメッセージと言えるかというと、何かを見てそのことから何を連想するかという事に関して、神々はかなり「気」で関与ができるからです。エマは私と初めて会った時に、「船」のイメージを金星神から与えられ、それを私に告げた形になります。どうして神々が私に対して、私自身と「船」を同一視するようなアイデアを与え、このことを当時全然日記を書いていなかった頃に書いた日記の冒頭に書かせたかというと、この情報が重要だからです。

神々が私の旅のことを描くために創った歌があります。それがAimer(エメ)の『ポラリス』です。この歌は、旅人と「船」を重ねて描いている曲で、歌詞の内容やPVを見ると明らかに私のことを意図していることはよく分かります。私は実際にコントラバスを抱えて旅をしていたが故に、飛行機ではなく船旅がほとんどでしたし、PVの中で登場する男性は私に非常に似ていますし、歌詞の内容が私のことと非常に一致するからです。また、どうして「船」という言葉をこの歌は使っているかというと、ここで描かれている旅人が「水の人」だからです。「水の人」だからこそ、水の上を進む「船」がこの歌では描かれています。ちなみに、私が生まれて初めて女性に渡したプレゼントは『LOVE BOAT』=「愛の船」の指輪であって、その点も重なっています。私の人生の中には「船」「水」という要素を抱えた神々からのメッセージが非常に多くあります。

ちなみに、「あなたは船のよう」と言ったエマは台湾人だからこそ、エメの『ポラリス』は知りません。また、当時の私を知っている人は知っているのですが、当時の私はポップスには全く興味がなかったために、ポップスの歌詞は全然知らなかった形になります。また、エマが「エマ」という名前に非常に近い、エメの歌に繋げるヒントをくれたのも神々が用意した一つのカラクリになります。エマもエメも、二人は同じ金星神と繋がっています。

また、触れていませんが、中学高校時代に私を支えてくれた女性がいて、その人の名前はエミと言い、彼女も金星神と繋がっています。エマ、エミ、エメの構造を神々は元々用意している形になります。エメとは会ったことなどはありませんが、本当に彼女は歌によって大事な真実を金星神と残している歌手であって、地球の「光」を増やすことを真に支えている歌手です。

ポラリスとは北極星のことです。この歌は金星神と繋がって歌を歌うエメが歌っているので、この歌の主語は金星神と言い換えられますし、そう考えるとこの歌の全ての意味が通ります。エメがどうして金星神と繋がっていると言えるのかについては、『中島美嘉について』の下の方に書いています。

http://junashikari.com/art/中島美嘉について/

北極星は動かず、昔の旅人は星の位置によって進行進路を決定していたので、ポラリスは旅人の進路決定において重要な意味を持っていました。そういう意味で、ポラリスは旅人にとって導き手です。そして当時、金星神は私がどのように旅を進めていくかということに関して、私や私が出会う人に「金の気」でかなり関与していました。そういう意味で、金星神は私にとってポラリスであって、そういった背景の中で、この歌は成立しています。

どうして金星神が私のポラリス(導き手)だったと言えるかというと、私は金星からの「金の気」が降り注ぎ始める2012年12月のタイミングに合わせて、神々によって旅の決意をすることを導かれ、旅立ちをしているからです。もし、金星神が「金の気」でありとあらゆる人に関与することがなければ、このタイミングで私が旅立ちを決意し、旅立ちを行なっていることは考えづらいです。2012年12月より金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたことについては、こちらを読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについ/

エメの『ポラリス』のジャケット写真はアイスランドで撮影を行なっていますが、私の当初の旅の目的地はアイスランドでした。こういった一致が『ポラリス』と私の間で多くあり、神々が作っている形になります。そういった点を解説していきます。

以下、エメの『ポラリス』のPVと歌詞の解説を書きます。一度このPVと歌を鑑賞して頂いてから、解説を読んで頂けると幸いです。
 


・PVについて

PVでは旅人の私を金星神が支えているということが描かれています。この中で描かれている男性は当時の私の姿と非常に似ています。『ポラリス』が発表されたのは2013/11/20であって、この私の写真は2014年の3月頃のものです。また、私が海外に旅に出たのは2013/11/7であって、『ポラリス』と時期が一致するように神々が関与している形になります。これも、『ポラリス』が私のことを意味する一つの根拠になります。

また、このPVの中で描かれている女性は金色に輝く月と重ねて描かれていることや、魚に「気」で関与している様子などから金星神であると特定できます。何よりも、エメは金星神と共に歌う歌手であって、だからこそこの歌は金星神が歌っていると言えます。そして、この歌詞の内容を歌っている金星神とこのPVの中で描かれている女性が重なるという点から、金星神がこのPVの中で描かれていると言えます。

金星神が魚に「気」で関与することで、その魚が男性にキスをする表現がありますが、こういったことを今でも金星神は私に対して行なっている形になります。今この魚の役割を果たしているのは私が飼っている猫や私の周りに生きている様々な鳥や虫や子供達になります。人間がその役割を果たすことも多くあります。「虫の知らせ」という言葉がありますが、神々が動物に「気」で関与をすることを通して人間にメッセージを出すことを意味しています。

金星神が持っている熊のぬいぐるみは何を意味するかというと、宇多田ヒカルを意味します。宇多田ヒカルも金星神と共に歌を歌っている歌手であって、『ぼくはくま』という曲を歌っている点がこの熊が宇多田ヒカルである根拠になります。金星神が宇多田ヒカルを支えている様子が金星神が熊のぬいぐるみを持っていることで描かれています。

また、私は一年以上ずっと修行中ですが、文章を書く時はいつも同じ喫茶店で行なっています。その喫茶店の店員さんの中に金星神と繋がっている方がいるので、このPVの中では金星神がコーヒーをいれている様子が描かれています。船が飛んでいる状態なのは地理的な旅を行なっているのではなく、精神的な旅を行なっていることを描写しています。

また、旅人当時、私はこのPVのことは知らずに、このPVで描かれている船の様子と全く同じ様子をいつも映像で撮影していました。なんとなく、こういった景色を撮りたいと当時思ったからカメラで撮影していたのですが、このPVの様子に合わせて神々が私に撮らせていた形になります。以下、歌詞の解説を書きます。


・歌詞について

一度歌詞を全て書いて、解説すべき点を解説します。

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沈黙の夜凪に漂った小さな船は
体中 傷を背負った 旅人のせた ゆりかごになった
悲しげなその寝顔は もう誰も 寄せ付けないそぶり
ここが今 どこか知らずに 北へ 北へただ向かう

つないだはずの その手が ほどけていく
君はまるで はじめから “愛されること”が できないみたいだ

いつだって 途惑って 帰ることもできなくなって
「助けて」って叫んでるだけで 届かなくて 悲しくて
「僕は一人だ…」
そんなこと もう言わせない

日々揺れる心に 浸みこんだ昨夜の雨が
傷跡の上を流れる 過去を消し去るように

つないだはずのロープは ほどけていた
船はまるで はじめから 留まることなんて できないみたいだ

いつだって 途惑って 帰ることもできなくなって
「見つけて」って叫ぶ声は まだ 届かなくて 寂しくて
膝を抱いて待っている
「僕は一人だ…」

いつだって 彷徨って 叫ぶこともできなくなって
闇の中を ただただ 歩いた
「そうやって生きてきた僕は一人だ…」
そんなこと もう言わせない

強がりだけの決意が 水面を舞う
それはまるで はじめから 空を飛ぶことが できるみたいだ

いつだって 誰だって 帰ることができなくなって
「見つけて」って叫んでみるけど
届かなくて 寂しくて 膝を抱いて待っている みんな一人で

いつだって 彷徨って 辿る道もない波の上
船はすすむ ただ 漂いながら
そうやって生きていく 今は二人で
行く先は知らない

いつだって 傍にいて こらえきれず泣きだしたって
闇の中を かすかに照らすよ
そうやって生きてきた君のためだけの
ポラリスになりたい

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「沈黙の夜凪に漂った小さな船は」
「体中 傷を背負った 旅人のせた ゆりかごになった」
「悲しげなその寝顔は もう誰も 寄せ付けないそぶり」
「ここが今 どこか知らずに 北へ 北へただ向かう」

「体中 傷を背負った」という歌詞は、私が生まれた時から大量の「闇の気」を抱え、様々な「闇」の経験を神々によって経験させられてきたことを意味します。そのことについては『私の人生の流れ1〜5』を読んで頂けると幸いです。

また、「つないだはずのロープは ほどけていた」という歌詞もこの歌にはありますが、これも神々が私を「闇」に陥れること=神々が私を守らないことを意味します。「ロープ」とは「縁」=「気が流れるライン」のことを意味します。そういった「ロープ」がほどけているとは、神々が「縁」を使わないということ=神々が「気」で支えないことを意味します。

また、そういった「闇」を経験することで「闇」に堕ちている様子が、「悲しげなその寝顔は もう誰も 寄せ付けないそぶり」という言葉に表れています。「愛」とは真逆の内容なので、「闇」に堕ちている人間を表していると言えます。そして、「ここが今 どこか知らずに 北へ 北へただ向かう」という歌詞はポラリス=北極星=金星神を導き手に旅を進んでいくことを意味します。

「夜凪」とは「夜の間、海の波が静かになること」ですが、これは「闇の時間、神々が導きを行なわないこと」を意味します。地球において、「昼」は「光」の時間、「夜」は「闇」の時間です。そして、海は海の神様が守っている場所であって、「波」は神々が起こすものです。だからこそこの歌での「波」とは神々の「導き」のことを意味します。そういった「波」=「導き」が無く、「闇」に陥れられることを「沈黙の夜凪」という言葉で表現しています。つまり、神々によって「闇」に陥れられる人物がこの歌で描かれる「旅人」であって、そういった点が私と重なっています。

そして、「船」という言葉の意味ですが、これは「身体」のことを意味しています。我々の魂は身体に宿っています。ですから、魂と身体のイメージとは、魂は「操縦士」であるのに対して身体は「船」です。このことをより分かりやすく同じように捉えているのがUAの『踊る鳥と金の雨』なので、この動画を見て頂けると幸いです。金星からの「金の気」が降り注ぎ始めることもこの歌は描かれています。
 


この曲は「君の心に浮かぶ そんな素敵なこと 全部叶えるために 体の船にのってるよ」という出だしから始まりますが、これは我々の身体が「船」であることを捉えています。そして、「今私が居るところは 物語の終わる少し前」と「今私が見るのは 物語の新しい続き」という歌詞が対の構造を持っていますが、これは金星からの「金の気」が降り注いでいなかった時代から、降り注ぐ時代になることを意味します。だからこそ、この歌は『踊る鳥と金の雨』というタイトルを持っています。「金の雨」とは「金の気」のことであって、「踊る鳥」とは金星神のことを意味します。この曲は非常に重要な曲で、『ポラリス』同様に神々が創っているので、この二曲は繋がっています。


「君はまるで はじめから “愛されること”が できないみたいだ」
「船はまるで はじめから 留まることなんて できないみたいだ」
「それはまるで はじめから 空を飛ぶことが できるみたいだ」

この三つの歌詞がこの歌では同じ場所で歌われていますが、これは『私の人生の流れ1』で解説した、私が2000年間幽霊でありながら天使のようなことをやっていたことを踏まえるとよく意味が分かります。

2000年の間私はずっと1人で「光」を実践していました。だからこそ、他者から愛されることに慣れていません。そのことが「君はまるで はじめから “愛されること”が できないみたいだ」という歌詞に表現されています。また、「それはまるで はじめから 空を飛ぶことが できるみたいだ」とは私が天使のようなことをずっとやってきたことを踏まえての歌詞です。そして、「船はまるで はじめから 留まることなんて できないみたいだ」とは2000年間ずっと「水の気持ち」=「向上心、問題解決の心」を実践し続けてきたので、今世でもずっと「水の気持ち」を止めることができません。そういった私の魂の個性をこの歌詞は示しています。


他にも解説できる点はこの歌には多くありますが、説明が長くなってしまうのでここで止めさせて下さい。歌詞・PVの内容から分かる旅人の姿と私が重なる点を通して、この曲が私のことを意味していることを御理解頂けると幸いです。

神々としては、私と『ポラリス』を繋げる一つの根拠を作るために、エメと名前の似たエマと最初に会った時に「あなたは船のよう」と言わせ、そのことを当時全然日記をブログに書かなかった私の日記の冒頭の一言にしています。以下、日記の解説に戻ります。

 

[恋愛について(Eについて)]

次に、この日記で書いている当時自分が好きだった女性について解説します。

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抵抗するのをやめ、僕は自分の気持ちに従うことにしました。この理想郷に長く留まることにしたということです。今好きな女性がいます。この前、彼女に自分の意思は伝え、「恋人になってほしい」と言いました。今彼女は別の場所にいるので、戻って来たら返事を聞かせてほしいとも僕は後に加えました。だから、ただ返事を待っています。


[解説]

この女性は台湾人だったのですが、私はこの女性のことが本当に好きでしたし、愛していました。今だからこそ分かりますが、神々の導きによって私はこの女性を好きになっています。この女性と私の関係性は名前や身体にもよく表れていて、我々二人は背中の全く同じ位置にとても大きなホクロがあります。また、彼女の名前は私の名前ととても似ています(名前は書くことができないので、どのように似ているのかは説明できません)。そして、私の姉とほとんど同じ時にその女性は生まれています。そういった様々な一致から、神々が元々私とこの女性を出会わせるつもりであったことは今は分かります。

また、初めて彼女と出会ったときに「自分はこの人のことを好きになるだろうな」と分かりました。これは神々が私に対して、「気」で「アイデア」を入れていることを意味します。では、どうして神々はこの女性と私に恋愛をさせたかったかというと、彼女を通して私に悪魔のことを学ばせたかったからです。

これはとても書きづらいのですが、この女性はとてつもなく「闇」が強い女性で、悪魔からの大量の「闇の気」によって生きていました。これを分かりやすく言うと、悪魔に取り憑かれていた女性ということを意味します。いつも機嫌が悪かったですし、人の文句ばかりを言っている人でした。また、いつもほとんど寝ていませんでしたし、ほとんど何も食べず、コーヒーくらいしか摂取していませんでした。それなのにどうして生きていられるかというと、悪魔からの「闇の気」によって生きていたからです。

私は彼女の中にある「光」の部分がとても好きで、なんとか彼女を「闇」から「光」の方へ変えられないかと日々闘っていた形になります。「愛」は「相手のため」に努力する立場です。そして、私は「水の人」であって、「水の人」は「愛」の実践の為に「問題解決」をしようとするので、いつも彼女の問題をなんとか解決しようと努力していた形になります。しかし、そういった努力はことごとく裏目に出て、本当に地獄のような交際関係でした。これは悪魔にことごとく苦しめられていたということを意味します。

また、悪魔は彼女を使って私を様々な嘘を信じ込ませようとしていました。そのことが分かる当時の日記があるので、貼付けておきます。この日記は上に取り上げた日記の前に書いたものになります。

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2014/7/6

正直ここに書きづらいことばかりです。日記をここに書くシステムも見直さなければいけないな、と思います。

最近は恋愛をしています。花蓮に来て出会った人がいて、その人に好意を抱いています。この前、向こうから(ただ単純に)話したいと言ってきて二人になる時間があったので、その時相手には自分の気持ちを伝えました。すると、向こうもこちらに好意を持っていることを自分に伝えてくれました。

相手は今一緒に生活をしている人の一人なのですが、昨日も夜中に二人で車で抜け出してずっと話してました。昨日彼女がこちらのことがよく分からないということだったので、思っていることは正直に全部話しました。

向こうのことをどう思っているか、最初に出会った瞬間から自分が好意を持つことは予感していたこと、自分は彼女を作る気はないということ、上海で出会った女性の話、聞きながら大体のことは向こうは分かっているようでした。特に、自分が「I don’t want to make a girlfriend.」と言った時、向こうは元から予感していた空気を出していました。

昨日の話の中で最も印象的な話は「好きだ」という言葉の問題です。結局、今自分は英語で自分の気持ちを伝えるしかないのですが、自分は「I like you.」と言います。「I love you.」はあまりに重すぎて、仕方なくこの表現を使っている形です。結局、あなたは「I like you.」と言う、と向こうは言います。それを向こうも当然と思っていて、我々にはお互いを知るだけの時間が必要だということを言っていました。尤もな話だと思います。向こうも自分に対しては「I like you.」です。その話の中で彼女は「あなたは今まで一人も愛したことはないのでは?」ということも言っていました。

まだ出会って10日程ですけど、彼女は本当こちらのことをよく分かっています。自分は人を愛したことなど今までの人生一度も無いです。多くの女性を本気で好きにはなってきましたが、愛という感情はよく分かりません。だから本気で「愛している」なんて言ったことはないし、だからこそ現時点で彼女に対してその言葉を使う気になれないのは当然です。そのへんのことを彼女は分かっているんだと思います。

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この日記の中で、Eが私に対して「あなたは今まで一人も愛したことはないのでは?」と言っていたことが書かれていますが、これは悪魔がEに言わせている言葉です。今振り返って思うことは、私はこの日記の時までに人のことを愛したことはあります。いつも「光」と「闇」の間を揺れながら生きてきたので、好きな女性に対しても「愛」と「欲望」の間を振れているような生活でしたが、「愛」の感覚は当時でも知っていました。

悪魔としてはそういった「愛」の感覚が「愛」ではないと思わせるために、Eにこのことを言わせていた形になります。しかも、彼女は私よりもかなり年上でしたし、物事を分かっているように話す話し方だったので、謙虚さが強い私はこの発言を信じ込んでいます。そのことが「まだ出会って10日程ですけど、彼女は本当こちらのことをよく分かっています。自分は人を愛したことなど今までの人生一度も無いです」という言葉に表れています。

これは一般に言えることですが、神々や悪魔と共に働く人は相手に対して非常に的確なことを言うことができます。神々と共に働く人は「真実」を「相手のため」に言い、悪魔と共に働く人は「真実」を「自分のため」に利用します。また、悪魔と共に働く人は悪魔の「嘘」を「真実」のように思い込まされ、それを相手に向かって言うので、聞いている相手からすると「真実」のように聞こえます。これは「闇」のシャーマンも同じです。

こういった構造によって、当時の私は彼女を通して様々な「嘘」を悪魔から言われていました。「愛」の例の他にも、分かりやすい例は「感謝」に関するものです。当時の私は「愛」の強い台湾人の友人の様々な私に対する「思いやり」に対して「ありがとう」と言い続ける日々でした。しかし、Eは「あなたは『ありがとう』と言い過ぎ。台湾人はそんなに『ありがとう』と言わない」ということを私に言い、そのことで当時の私は「ありがとう」と言うことを少し減らしていました。

悪魔としては私に「感謝」の感情を抱かせないようにするために、Eを使ってこの発言をさせ、それを信じ込ませていた形になります。当時台湾にいた私は外国人なので、当然その国に生きている人の方が台湾人のことを知っていると思います。だから「台湾人は〜〜なので、〜〜はしない方がいい」という論理で言われると結構信じ込んでしまうところが私にはありました。逆に言うと、そういった謙虚さといった私の性質を利用して、悪魔は私を「闇」に陥れるために色々な「嘘」をEに言わせていた形になります。

悪魔からの「闇の気」によって生きている人は、悪魔の思惑通りに動かされます。そして、悪魔は私の心も含めて全てが見えるものですから、その女性を通してことごとく私を苦しめることができます。そして当時、悪魔は私がシャーマンにならないように「闇」に落とすことを狙ってきていましたから、ありとあらゆる方法でその女性を使って私を苦しめてきました。ですから、彼女との関係を通して様々な最悪な経験をしています。ここに書くことができない内容ばかりです。

私はシャーマンですから、悪魔のことを真に理解する必要があります。そして、その一つとして、悪魔に取り憑かれた人の恋人が一体どのような経験をするのかもよく知らないといけません。また、そのことを通して、悪魔が恋愛を通して人間をどのように「闇」に陥れているのかを知る必要がありました。神々はそういったことを私に教えるために、こういった経験を私にさせた形になります。そのために、私がこの女性を好きになることを関与した形になります。

悪魔としてはこれは神々から喧嘩を売られたということを意味します。悪魔としては、私に悪魔が何をしているのかを教えたいとは思いません。しかし、私を「闇」に落としてシャーマンにしないためには、その女性を使って徹底的に私を攻撃をする必要があります。悪魔はそういった葛藤の中で、私を攻撃するという選択肢を選んだ形になります。どうしてかというと、神々に勝つ=私を「闇」に陥れて「光」のシャーマンになれないようにするつもりだったからです。

誤解してほしくないのですが、神々はその女性のことを私が悪魔のことを学ぶためのただの道具にしていたとは思わないで下さい。実際、その女性に対して神々は「光の気」で関与もしていましたし、私を通していい方向にも導こうとしていました。そして、私は本当に彼女を幸せにするためだけにいつも全力を尽くしていました。ただ、それでも彼女を変えることはできませんでした。

こういう時代において、シャーマンが悪魔のことを理解するという事は本当に重要なことです。そのために、私とこの女性は恋愛をしていた形になります。私は多くの悪魔に強く襲われた人と向き合っていかないといけません。それをやる上で、この恋愛に関する経験があるのとないのでは、向き合い方が異なります。その時に本当に相手のことやその周りの人のことを理解するためには、この経験は絶対にしないといけませんでした。

彼女を通して、様々な「闇」を経験する中で神々はアクンやエマだけではなく、海を通して私の「光」を保つということを行なっていました。神々が私を守るために海を使っていた形になります。そのことが表れている当時の日記があるので、貼付けておきます。Eとの衝突が起こり、その後にこの日記を書いています。

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2014/7/29

自然にも音楽にも自分は大きな喜びを見出せます。それは自分が消えていく感覚です。ただ、恋愛はどうだろうか。うまくいっている時、相手と一体になっている喜びを感じます。ただ、その時自分は消えているのだろうか。むしろ相手を欲する自分が強まっているのではないだろうか。そして、こういう悪い状況になると見えてくるのはひたすら自分です。自分の感情が自分という存在をどんどん膨らませてくる。通常状態の何倍も膨らんでくる。これは自分が最も望まない方向性です。昨日もたぶん書きましたが、自分の感情に自分がとてもじゃないけどもはや付いていけません。

最近は何かあると海に入るようにしています。海が聖域のように思え、海の中にいると少し心が落ち着くからかもしれません。今日は、もう正直海の中で何を考えていたか覚えていません。海の中で波に向かっていきながら時々声をあげながら、水面を殴るようにしながら、一時間くらいいたような気がします。最後、僕は海に向かって語りかけました。

「あなたに全てのことを話したい。私が海から生まれたとしても、神が海を作りその海が私を作ったとしても、いずれにしてもいつか私はあなたのもとに帰ります。ただ、あなたに帰る前に今は話を聞いてほしいんです。そして、もしよかったら何らかの教えがほしいんです。僕はただただこの世界と自分の関係性を知りたい。それは昔生きる意味を考えた末、全ては認識に基づくという結論を出して以来ずっとそうです。ただ、今改めて考えると、今自分は生きる意味などあまり考えていません。認識を重要視するようになってからは、この青臭い問いはもはやナンセンスに感じているのかもしれません。認識というものの中にこの問いは含まれているからかもしれません。では、自分は今何を求めているのでしょうか。」

「喜びでしょうか、幸福でしょうか、快楽でしょうか。喜びはよく分かります。幸福はよく分かりません。快楽は何も残しません。自分が喜びを感じる瞬間はよく分かります。それはあなたと一体になる瞬間です。その時自分はいなくなる。僕は今まで度々そういう経験をしてきました。そして、その瞬間のために生きている気さえします。世界を知るということと世界と一体になるということと私がいなくなる、ということ、それらは僕にとって全て同じことを意味しています。それを本当に知るためには一体にならなければならず、一体になった時私という存在はいなくなります。では、この喜びの先にあるのは何なんでしょうか。。。」

「きっと、救済という言葉が最もしっくりきます。世界と一体になる時、私という存在は薄れ、その時救済は成立します。救済ということの意味はきっと、この自我からの解放です。よく分かりません。生まれてきて、別に不幸だとも思っていない、むしろ恵まれているとさえ感じる中で、どうして救済を求めるのか、よく分かりません。ただ、明らかに自分は救済を求めています。世界を知るということは、世界と一体になることであって、その時自分は消えます。だからこそ、救済は成立するんです。僕が感じる喜びの意味はきっとこういうことなのだと思います。」

喜びと救済を繋げて考えたのはこの時が初めてでした。海が教えてくれたのだと思っています。

海の中で長時間過ごしていた自分は体力を失い、しばらく太陽を浴びながら横になり、廃墟に練習をしに向かいました。海を眺めながら、その響きのいい空間で演奏をしていると心はどんどん穏やかになっていきました。この世界との連続性を確認できたからです。演奏は感情を昇華し、自分という存在の時間軸上の現在の一点と世界の空間時間の広がりを繋げます。さっきまであれほどまでに荒れていた心はすっかり穏やかになっていました。

もう分かっています。楽器は間違いなく自分を救済へ導いてくれます。他人に聴いてもらうためでも、いい音楽を作るためでもなく、ほとんどそのために楽器を弾いています。僕はそのことをもっと自覚した方がいいかもしれません。そして、今この状況においてとても特異なのは、その廃墟が自然との繋がりを容易に達成できる空間であることです。僕に必要なのはこの部屋です。他のどんなことよりも、コントラバスとこの部屋だけは信用できる。この場所が理想郷に思えるのはこの部屋の存在です。

恋愛はどうなのだろうか。認めたくはないですが、自分が求めるものではないのかもしれません。恋愛を通して見えてくるのはひたすらに自分です。ひょっとしたら喜びを感じている瞬間さえそうなのかもしれません。だから、その先に救済はあり得ないように思えます。もちろん、自分が無くなるような恋愛を実現することができれば救済は成立するかもしれませんが、そういった感情を抱いたことは未だかつてありません。


[解説]

今世で神々に向けて話しかけたことは、この日記の時が初めてだったと思います。生まれて初めて神々と双方向のコミュニケーションをとった経験だと思っています。私はそもそも神々のことは信じていませんでしたし、何の信仰も無かったので、神々に話し掛けるということはしたことがありませんでした。ただ、自然に触れている時やコントラバスを弾いている時に自分がいなくなる感覚はそれまでに何度も感じていたので、ここでは初めて目に見えない存在に向けて話しかけています。

海は塩水でできています。そして、塩は「気」の力を抑える力を持っています。だからこそ、相撲の対決の前などには塩がまかれます。試合に悪魔が関与できないようにするためにかつての日本人が作った一つのシステムです。そういう意味で、海の中はこの日記に書いてある通り守られた場所であって、悪魔の「闇の気」の関与をかなり防ぐことができます。神々はEを通して私が「闇の気」を抱え、気持ちが乱れた時には私を海に行かせるということを行なわせていました。この時にEを通して「闇の気」を強くもらっていたことが冒頭の言葉からよく分かります。

「ただ、恋愛はどうだろうか。うまくいっている時、相手と一体になっている喜びを感じます。ただ、その時自分は消えているのだろうか。むしろ相手を欲する自分が強まっているのではないだろうか。そして、こういう悪い状況になると見えてくるのはひたすら自分です。自分の感情が自分という存在をどんどん膨らませてくる。通常状態の何倍も膨らんでくる。これは自分が最も望まない方向性です。昨日もたぶん書きましたが、自分の感情に自分がとてもじゃないけどもはや付いていけません。」

「相手のため」=「光」であるのに対して、「自分のため」=「闇」です。「光の気持ち」は「相手のため」の気持ちであるが故に、「相手」が心の中心にあります。それに対して、「闇の気持ち」は「自分のため」の気持ちであるが故に、「自分」が心の中心にあります。ここでは、そういった「自分のため」=「闇」という気持ちを「自分」という言葉で表しています。そして、Eとの恋愛を通してそういった気持ちが高まっていることを説明しています。「欲」という言葉も使っていますが、「欲望」は「闇」の基本感情なので、「自分」が強まると「欲望」も強まります。

そして、悪魔からの「闇の気」を大量にもらうことによって、その悪魔から気持ちと思考を振り回されていたことを「自分の感情に自分がとてもじゃないけどもはや付いていけません」という言葉で表現しています。当時は悪魔のことなど知らないので、自分自身だと思っていた形になります。

この時に海に入っている時、私は自分自身が何を求めているのかを海に話しかけることを通して、整理しています。これは言い換えると、神々が私の気持ちを整理していることを意味します。そして、私が海に向かって問いを発しているので、その問いに対して答えを私に与えています。この問い自体も私をある結論に運ぶために神々が用意したものになります。

海に入っていると海の神様からの「水の気」を多く受け取ります。そして、海に入りながら思考や分析を行なう場合、海の神様はその「水の気」に「アイデア」を乗せて、我々の心に「気付き」を与えます。それが結果的に我々の心に浮かぶ「アイデア」です。神々は私に「アイデア」をもたらしたいが故に、海の中で私に話させるということを導いています。

私はこの時に生まれて初めて自分が求めているものを「救済」という言葉を使って表現しています。この時まで一切「救済」という言葉を自分の問題に置き換えたことはありませんでした。そして、この日記に書いている通り、「喜び」と「救済」を初めて繋げて考えています。

私は生まれた時から身体が「闇の気」だらけだったので、自分を感じることは「闇」を感じることに繋がり、そのことが私を苦しめてきました。だからこそ、私にとって救われる時間は「自分がいなくなる時間」であって、そのことを当時は「世界を知るということと世界と一体になるということと私がいなくなる、ということ、それらは僕にとって全て同じことを意味しています。それを本当に知るためには一体にならなければならず、一体になった時私という存在はいなくなります」という言葉で表現しています。

当時は前々意識していませんでしたが、これはチャンネリングのことを意味しています。多くの「気」を受け取る時、その「気」を司る神々が私の意識に強く関与することができますが、それは自分自身が神々の持っている意識状態になることを意味します。神々の「光の気」が与える「気持ち」とはその神々の持っている意識状態そのものだからです。そういった意識は私が自分の身体に抱えている「闇の気」によって「闇の気持ち」を抱くのとは真逆に、「光の気」によって「光の気持ち」を抱くことに繋がります。だからこそ、「喜び」の気持ちに繋がります。そのことを「自分が喜びを感じる瞬間はよく分かります。それはあなたと一体になる瞬間です」という言葉で表しています。

そして、こういった意味で身体に宿った「闇の気」によって「闇の気持ち」を抱える状態から「喜び」という「光の気持ち」に転じることを「救済」という言葉で表現しています。これは真実であって、神々は私に真実を教えています。

このチャンネリングに関する言葉は私の人生の役割のことも捉えています。私が様々な「気」について理解することができるのは、神々といった霊的存在とチャンネリングができるからです。チャンネリングをするからこそ、その神々の意識状態やその神々の「気」を感じることができます。

私が海に向かって「自分は今何を求めているのでしょうか」という問いに対して、海の神様は明確に私の人生の役割を伝えていた形になります。しかし、当時の私は「気」のことも「チャンネリング」のことも知らないが故に、この日記の意味も理解できていませんでした。神々としては将来的に私がこの日記を振り返った時に、元々私の人生の役割がここに書いてあったということを気付くことを狙って、私にこの日記を書かせています。

また、この時、海の神様は「恋愛は違う」という結論に運んでいますが、そのことは神々が悪魔に対して行なった牽制(けんせい)を意味します。「牽制」とは敵を威圧したり威嚇したりして敵の自由な行動を妨げることです。以下の文がそういった牽制の意味を持っています。

「恋愛はどうなのだろうか。認めたくはないですが、自分が求めるものではないのかもしれません。恋愛を通して見えてくるのはひたすらに自分です。ひょっとしたら喜びを感じている瞬間さえそうなのかもしれません。だから、その先に救済はあり得ないように思えます。もちろん、自分が無くなるような恋愛を実現することができれば救済は成立するかもしれませんが、そういった感情を抱いたことは未だかつてありません。」

神々は悪魔がEを使って行なっていた私に対する攻撃を弱めるためにこの「アイデア」を私に与えています。悪魔としてはEを使って私をかなりボロボロにしていました。しかし、私がEから離れるのであれば、悪魔としては攻撃のための道具を失います。悪魔としては私を攻撃するための道具を失うことは望まないので、神々が私の気持ちに関与しEと離れることを導こうとするのであれば、攻撃を弱めざるを得ません。

「ひょっとしたら喜びを感じている瞬間さえそうなのかもしれません」という言葉は、神々が悪魔に対する牽制のために「嘘」さえも使っていることを意味します。「欲望」といった「闇」=「自分のため」の気持ちがもたらすのは「快楽」であるのに対して、「愛」といった「光」=「相手のため」の気持ちがもたらすのは「喜び」なので、「喜び」を感じている時に「自分」ばかりを感じるということはあり得ないからです。

こういった神々の私に対する関与が悪魔に対する牽制となっています。こういったことを人間は気付いていませんが、神々と悪魔の「気」による関与はいつもお互いをこのように牽制し合っています。そういった牽制についても、この日記から知って頂けると幸いです。

台湾のこの2ヶ月半のことをまとめた文章があるので、貼付けておきます。これは台湾の友人に向けて書くような形で書いています。下が日本語訳です。


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2014/9/5

Yesterday I came back to Taipei. And tomorrow I will go back to Japan and stay in Japan for a few weeks, then come back to Taiwan again.

These 3 months, I went to Hualien, Dulan and Lanyu and it became very important experience in my life. I met many good people and nature. I’m really grateful to people who I met. Especially, for three people I feel special feelings now.

I met a lady in Hualien. She taught and teach me how to love someone. Actually I never love someone before, I think. So I don't know about love. But I think and I feel, she is the first human who I love.

I met a man. He taught me what is a real life. We lived and traveled together over 50 days. Now I understand, he is a real human. And now I feel him in my body. I should not and cannot forget the time with him and what he taught me until I die.

I met a woman. For me, she is like a angel. She always made me happy and really positive. I think, her positiveness is true because it include everything in this universe and her whole life. She helped me a lot in my heart. So now I want to help her and I will as much as possible.

So many people supported me and made my life better in these 3 months. I’m not good at expressing my heart in front of people and sometimes I cannot keep to open mind because I’m too busy to follow my heart. 

But now I want to say, I really thank you so much. And of course, I love Taiwan so much. Now I feel Taiwan is my second home country.

謝謝!!

昨日、台北に戻って来ました。そして明日、日本に数週間だけ戻ります。その後は再び台湾に戻る予定です。

この三ヶ月、花蓮、都蘭、蘭嶼に行きました。そして、それは自分の人生の中でとても重要な経験となりました。たくさんのいい人達と自然に出会い、そのことに感謝し切れません。特に、今三人の方に対して特別な感情を抱いています。

花蓮で自分は一人の女性に出会いました。僕は彼女から他人を愛する方法を教えてもらっているような気がします。実際、自分は今まで本当に女性を愛したことはなかったように思えます。だから、愛なんてものはよく分かりません。ただ、今思います。というか感じるんです。彼女は僕が初めて愛し始めた人間です。

僕は一人の男性に出会いました。彼は自分に本当の生とは何かを教えてくれたように思えます。我々は50日以上の間、生活と旅を共にしました。そして、今は分かります。彼こそ本当の人間です。今は自分の体の中に彼が生きているのを感じます。僕は死ぬまで、彼と過ごした時間を忘れるわけにはいきません、というか忘れることはできないでしょう。

ある女性と出会い、僕は彼女のことを天使のように感じています。彼女はいつも僕に喜びと本当のポジティブなものを与え続けてくれました。彼女のポジティブさは真実であるように思えます。なぜならば、それはこの宇宙の全てと彼女の生全体を含んでいるからです。彼女は僕を心の中の深いレベルで助け続けてくれました。だから、次は僕が彼女を助けたいと思っています。

この三ヶ月、多くの人が自分を支えてくれ、彼らが僕の人生をより豊かにしてくれました。自分は人前で自分の心を伝えることが苦手です。そして時に自分は開かれた心を維持することができません。自分の心に振り回されることについていけないことがしばしばあるからです。

ただ、今は台湾の人々に心から感謝を伝えたいです。台湾が好きです。今はここが第二の母国のように思えます。


解説

ここで、アクンとエマとEについて書いています。

アクンについては、「今は自分の体の中に彼が生きているのを感じます」ということを書いていますが、これは具体的にアクンから「光の気」を自分の身体に受け取っていたことを意味します。一緒に50日以上の間寝泊まりも一緒にしていると、かなりの「気」を相手からもらいますが、アクンが私にもたらしていたのは「光の気」でした。当時は「気」の知識はないので、感覚的にこのことを書いています。

エマについては、「僕は彼女のことを天使のように感じています」と書いていますが、これは近い将来に彼女が天使になることを神々は分かっていたからこそ、このことを私に書かせている形になります。また、「彼女のポジティブさは真実であるように思えます。なぜならば、それはこの宇宙の全てと彼女の生全体を含んでいるからです」と書いていますが、これは「光の気」の本質のことを捉えています。エマは「光の気」に満ちた人であって、この宇宙は「光の気」によって成立しているからです。これも知識ではなく、感覚で書いているからこそ、私がこれを書くことを神々が導くことができています。

Eについては、「僕は彼女から他人を愛する方法を教えてもらっているような気がします」ということを書いていますが、E自体から「愛」を学んだのではなく、強い「闇」の相手向けてどのようにしたら「光」=「愛」を実践するのかということを学んでいることを意味します。また、ここで「実際、自分は今まで本当に女性を愛したことはなかったように思えます」とも書いていますが、これはEの自分に対する発言をそのまま信じ込んでいたことを意味します。

 

【日本一時帰国(2014/9/5-10/16)】

この頃はEと共に日本に数週間旅行に行っています。それは純粋にEに旅を楽しんでほしかったからでした。ただ、この旅行は本当に最悪なもので、悪魔はEを通して私を徹底的に攻撃していました。どういった攻撃があったのかはEのプライバシーがあるので書きませんが、本当に散々な経験をし、彼女が先に台湾に戻る頃には私の気持ちは無くなっていました。この彼女との旅行は神々が私に悪魔からの攻撃をさせるために行なった一つの試練になります。

この頃の演奏動画があるので貼付けておきます。当時の私の「光」と「闇」の両方がこの動画には表れています。一緒に演奏している佐藤公哉は神々と共に音楽を奏でる音楽家で、この演奏には神々が関与しています。それは二人の息やタイミングの合い方から感じられると思いますし、私はこの演奏中に新しいチューニング(開放弦の音の並び)を作っています。神々が関与しているからこそ、その場でチューニングが生まれた形になります。
 

 

【台湾(2014/10/23-)】

再び台湾に戻ってからは様々な神秘体験を経験していますが、その内容については『私の人生の流れ7』に書かせて下さい。ここでは、エマの死について書きます。

エマは2015年1月4日に亡くなっています。そのちょうど一ヶ月前に撮影した演奏動画を元に私が編集した映像が以下の映像なので、御覧になって頂けると幸いです。エマのために作っています。この映像を通してエマのことは感じて頂けると思っています。今は英語・中国語字幕のものしかないですが、日本語字幕のものもいずれ作ります。

この演奏動画を作ったのは、エマ(撮影)、私、エマと私の共通の友人のティナという歌手ですが、我々三人は元々このような映像を撮ろうと思って集まったわけではなくて、たまたまそこに居合わせた形になります。これは神々の導きになります。

イヤホン型マイクで撮影しているので、イヤホンやヘッドフォンをして御覧になって頂けると幸いです。エマが撮影をしているので、エマがこの時に体験したことそのままを感じられます。
 


[日本語字幕]

・冒頭文章

エマは2015年1月4日に旅立ちました。彼女は亡くなる一ヶ月前にこの映像を撮影しています。ですので、この映像は彼女の最後の作品の一つと言えます。

この時、彼女は映像を撮影すると同時に音楽を奏でていました。また、彼女はバイノーラルマイクを使って撮影していますので、もしイヤホンを使ってこの動画を御覧になって頂けましたら、彼女がこの時に何を見て、何を聴いていたのか、体験することができます。


・ティナ

もう一つの命を見せてあげましょう。
殻を破ると別のものになるのです。
私と一緒に来ればすぐに分かります。
見て、彼等の仲間達から言えば、これは「死」と言います。
分かっている人から言えば、これは「超脱」と言います。

でも、私達に何が分かるのでしょうか。
私達は死を恐れています。
もしかしたら翼を広げて飛ぶ日に、やっと
苦しまなくていいのかもしれません。

これを「超脱」と言います。
死を見たことはありませんが、怖くないことは分かっています。

もし止まってしまったら、気が楽になって、それでいいのかもしれません。全てが無くなっても。

エマ、ゆっくり、私を見て。

この小さな小さな物に気付く人が何人いるのでしょう。
この小さな小さな音が聞こえる人が何人いるのでしょう。
この小さな小さな事を何人の人が感じることができるのでしょう。


・エマ

この太陽。風もあって。雲と山もあって。この大地も。そして水もある。
自然はお互い協力し合ってるの。

それから樹に…。そして樹は大自然がお互い協力し合っていることを感じて、空気を創り出してるから、この万物全てが、全ての動物や、植物が呼吸できるの。

このことを、祝福されてることを信じなくちゃだめ。あなたはもう祝福されてるの。だって、大自然全てが、全てが協力し合って、私たちに呼吸をさせてくれるから、この地球に生きることができる。祝福されてるんだってことを理解して、だからこの地球にやって来れたんだって。

そうじゃないと、愛を探し続けなくちゃいけないの。それに、もし失恋したら、死にたくなって、寂しくてたまらなって、どうすればいいか、わからなくなる。でも、もし分かっているなら、ほんとうに守ってもらえてると、大自然に、この世の万物全てに守られてるということを、もしあなたがこれを感じているのなら、寂しくはない、孤独だと感じることもないし、愛を探し続ける必要もない。あなたはもう自分に愛があることを知ってるから。だって愛はいつも、一呼吸するだけで、万物全ての愛が、お互い協力し合って、あなたを生きさせ続けてくれるから、この地球で戯れていられる。

だからあなたは、愛されて、祝福されて、守られている中の一人、そういう状態なのです。その状態というのは、万物全てが協力しあっているということ、だからあなたはこの地球にいるの。支えられてること、守られていることを信じて、あなたは「愛」そのものなのだから。もしそうじゃなければ、これら、全てが、協力し合わなくて、一秒で空気がなくなって、私たちはみんな死んでしまう。不可能なの。死んでしまって、この地球上に存在できなくなる。自然が大きな愛であなたの命を支えているから、だから、あなたは、この地球にいる。

あなたは知らなくちゃ、守られているということを、だからこの地球にいるんだということを。これはほんとうに幸せなこと。生きているってことは、ほんとうに素晴らしいこと、この、生きている、ということが。そして、あなたの心の中で、もしそれが「愛」だとわかっているなら、その愛が、いっぱいに溢れているなら、あなたはその愛を、もっと多くの人に与えられる。そしてそれがお互い協力し合う中に、生きているという、この美しいことを、あなたは感じられる。


・ティナ

一期一会
一生に
一度だけ
その時、その瞬間


・最後の言葉(私)

偶然にも、私は台湾に来て2014年7月にエマに会い、多くの時間を共に過ごしました。そして、偶然にも、ある夜、私とエマはティナに遭遇しました。ウィンドベルがそこにあたので、我々はそれらを使って一緒に演奏しました。

エマが亡くなる前、彼女は「この映像を観るのを楽しみにしている」と私に言いました。だから、私はこの映像を作っています。編集はまるでパズルを解いていくようでした。私は既にパズルのピースを持っていて、それらはただ自然に置かれていく。

これが全て偶然か運命かどうかは分かりません。そして、エマが本当の天使かどうかは分かりません。しかし、少なくとも、私にとっては彼女は天使でした。ありがとうエマ。


[解説]

この動画には神々が様々な奇跡を実践しています。例えば、この動画は私とティナの30分の即興演奏を柱にそこに様々な映像を重ねる構造で作っていますが、その演奏映像に夏頃私が撮影したエマの言葉がぴったりとはまっています。編集段階はまるでパズルのピースをただはめるような感覚でした。

動画の7:50くらいでティナは「How many people sense them ?(どれだけの人が感じられるだろうか)」と言い、ティナは言葉を発することを一時的に止めます。

そして、そのタイミングから私が事前に撮影していたエマの言葉をはめ込んでいます。

すると、エマの言葉が終わるタイミングでエマは何かを食べ始め、ティナが「Bless you(神の御加護があるように)」と再び言い始めます。エマの言葉の長さに合わせて、私とティナは演奏をしたわけではないですし、編集で私が調整したわけでもなく、神々によってタイミングの一致を作られた形になります。

また、この動画の中では、まず最初にティナがしゃべっていますが、その内容は元々彼女が決めていたわけではなくて、言葉が降ってきたと言います。ティナはアクン同様に「光」のシャーマンと言えるような人なので、神々が彼女に言葉をもたらしていた形になります。その中で彼女は以下の言葉を最初の方に言います。

「あなたにもう一つの命の形を見せたい。彼らが殻を脱ぎ捨てた後の。あなたは知る。」
「彼らと同族の者にとって、これは『死』と言う。理解している者にとっては、これは『超越』と言う。」
「しかし、私達にどのように理解できようか。私達は死を恐れる。けれど、その日はおそらく、私たちが羽を広げ、飛び立つ日だろう。もう苦しむことのない日。これを『超越』と言う。」

ティナの言葉のために元々用意されていたかのように、蝉の抜け殻がその場所には用意されていて、エマが人間から天使になったことを表すように、蝉の鳴き声の中でエマは話しています。少し整理すると以下のようになります。

   蝉     幼虫   → (幼虫としての死=脱皮) →   成虫
   エマ      人間   → (人間としての死=超越) →   天使
   映像                蝉の抜け殻       →   蝉の鳴き声

※蝉の抜け殻はエマの死=超越を象徴。蝉の鳴き声はエマが天使になったことを象徴。

こういった構造は我々が用意したわけではなく、神々が元々用意した形になります。神々はこの年の夏に私とエマに蝉の鳴き声の中で遺言の映像を撮影させて、その映像の蝉の鳴き声の意味を伝えるために、我々が演奏したその場所に蝉の抜け殻を用意し、ティナにその意味を話させています。ティナ自身、このような構造を知らずに話しています。

また、エマはこの遺言の中で「光の気」の本質のことを話しています。エマ自身は「気」のことをよく理解していたわけではないので、この話の内容は神々の導きによって生まれています。彼女は最初に「この太陽。風もあって。雲と山もあって。この大地も。そして水もある。​自然はお互い協力し合ってるの」ということを言いますが、これは「水・火・風・土の気」のことを説明しています。水(水、雲)、火(太陽)、風(風、山)、土(大地、山)という形で対応します。

太陽系は「水・火・風・土・金の気」を地球に供給するためのシステムです。太陽・火星が地球に「火の気」を送り、水星が「水の気」を送り、といった形でそれぞれの星が対応しています。そして、「水の気」があるからこそ水や雲も存在します。そのような形で、太陽系の星の神々はそれぞれの「光の気」を送ることで、地球の物体を支えています。こういったことを星の神々は「愛」によって行なっています。それをエマは「この太陽。風もあって。雲と山もあって。この大地も。そして水もある。​自然はお互い協力し合ってるの」という冒頭の一言で表現しています。そして、「愛」による支え合いのシステムのことを呼吸の例を使いながら説明しています。

我々の身体も自然の一部であって、星の神々によって支えられているからこそ維持していられます。例えば、我々は怪我をすると自然に治りますが、そういったことは星の神々が我々の身体をいつも「光の気」で支えているからです。今の人間は忘れてしまっていますが、そのような形で我々の体はいつも星の神々によって守られています。そういう意味で、エマは「私たちは愛そのもの」ということを話しています。太陽系の成り立ちについてはこちらを読んで頂ければ、と思います。

http://junashikari.com/energy/太陽系について/

また、この映像最後の私の言葉に書かれているように、エマが亡くなる前にエマが「この映像を観るのを楽しみにしている」と私ったからこそ、私はこの映像を作っています。これはどういうことかというと、私にこの映像を作らせるために、神々がエマに「この映像を観るのを楽しみにしている」と言うことを導いた形になります。

そして、映像編集は私が直感的に行なっていますが、エマの遺言を重ねてみようと思ったのは私の頭に浮かんだ一つの「アイデア」です。神々が私にこの「アイデア」を入れたからこそ、蝉とエマを重ねて描いている構造も浮かび上がっています。私は元々このような構造を狙ったわけではなくて、パズルのピースを入れるように編集を行なうと、自然とこのような構造になった形です。編集当時の私が神々の用意したこの奇跡を理解していなかったことは、「エマが本当の天使かどうかは分かりません」という当時の私の言葉に表れています。

こういった意味で、この映像は様々な「奇跡」に満ちています。そして、そういった「奇跡」の積み重ねの中でこの映像ができていることが分かると、「偶然」ではなく間違いなく神々の「奇跡」によって生まれているということが分かります。「奇跡」を整理すると以下のようになります。

・エマの遺言の長さがちょうどティナが沈黙している時間と一致している点
・事前に蝉の鳴き声の中で私がエマの遺言の撮影を行い、演奏した場所に蝉の抜け殻が用意されていたこと
・ティナ自身このような構造は知らずに蝉と人間を重ねる話をしている点
・我々は元々このような演奏を撮影するために集まったわけではない点
・エマが遺言の中で「光の気」の本質のことを話している点
・エマが亡くなる前にこの映像を観たいと私に言った点
・私が編集でエマの遺言をこの演奏映像に重ねようと思った点

このように、この映像は様々な「奇跡」によって成り立っているものであって、証明問題のような映像です。そして、神々は輪廻転生を証明するためにこの映像を創っています。何故ならば、これらの「奇跡」の構造を明確に理解するのであれば、間違いなく神々が創ったということが分かり、エマが天使になったということが分かるからです。

今の人間は死後に我々がどのような姿になっていくのかを見失っています。つまり、輪廻転生のことを忘れています。そして、そのことが一つの原因となり世界は「闇」に堕ちていっています。今世だけが全てだと思うならば、人は「欲望」に堕ちていきやすくなるからです。そのような動きを少しでも弱めるために神々が創った作品がこの映像になります。映像の解説は以上になります。

エマの死後、私が書いた文章が以下の文章になりますので、貼付けておきます。この文章から私がエマによって「光」の方向へ導かれたことを感じて頂けると幸いです。

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2015/1月

2014年の夏、僕は台湾の花蓮で一週間続くフェスティバルに参加していました。台湾中から濃いアーティストが集まるフェスティバルで、参加者と出演者の壁がほとんどなく、皆が皆を「家族」と呼ぶ、暖かいイベントでした。

初日の夜、僕はステージ上で複数の音楽家とジャムを行なっていました。その時に、そのステージの前で踊っていた一人の女性がいたんです。それが彼女でした。彼女は目を閉じ、少し微笑みながら、音の中を泳ぐように、またはその場のエネルギーを全身で感じるように、踊っていました。なんとも楽しそうに、それでいて自分が楽しいということだけに堕ちていかない、素敵な姿でした。

翌日の昼、彼女が突然僕に日本語で話しかけてきました。彼女は日本の大学で4年写真を勉強していたとのことで、日本語が話せます。けど、何故か彼女の話す日本語はおばあちゃんの話す日本語のように感じました。彼女の名前はエマです。皆はエマを「アマ」と呼びます。「アマ」とは中国語で「おばあちゃん」を意味します。今思うと、日本語の使い方に限らず、彼女にはおばあちゃんのような美しさがあったから皆面白がって「アマ」と呼んでいたのだと思います。

彼女は初対面の僕に向かって突然、自分の病気の話を始めました。彼女は癌を持っていたとのことで、一度かなり危険な状態に至り、そこを生き抜いた時に人生が変わったと言います。そんな会話が彼女とした初めての会話でした。

言うまでもなく、初対面にしてはヘビーな会話で、僕は正直「変な奴に出会っちゃったなー」という感じでした。それに対し、彼女は引きもせず、僕に何かとても重要なことを伝えたい様子で一生懸命に話していました。「とにかく、一体感が大事なの!それが大事なの!」

僕は尋ねました。「どうして初対面の僕に向かって突然そんな話を始めたんですか?」彼女は言います。「あなたのコントラバスの音を聴いて、あなたはこういう話ができる人だとすぐに分かったの。」僕はそれを聞いて笑っていました。よく見抜かれていたからです。

その一週間は嵐のようでした。僕は人々が「台湾の精神」と呼ぶ、アクンという方にとても興味を抱いていました。彼の存在には真実があると感じていたからです。彼は、歌も踊りも彫刻も料理も医療も建築も人を笑わせることもシャーマニズムも、全ての行動を全く同じスタンスで行います。つまり、彼の全ての行動は彼の生に直結していました。というか彼の行動全てが生そのものでした。だからこそ、そこに真実があったんです。

エマはアクンの妹に当たります。血が繋がっているわけではなくて、自分達でそういう風に決め、10年以上の間、多くの時間を共に過ごしています。エマはアクンを心から尊敬し、彼を追っていました。

僕はそのフェスティバルが終わった後、その会場である民宿に一ヶ月以上滞在し、そのフェスティバルに関するドキュメンタリーを編集していました。そして、皆が台湾中のそれぞれの場所に帰って行く中、アクンもエマも僕同様、その民宿に残っていました。

僕はアクンのことをエマに尋ね続けました。彼女はアクンの多くを知っていて、また通訳もできたからです。我々はアクンという存在を通して同じ方向を向いており、そのせいか意気投合するには時間がかかりませんでした。

そして、彼女と話しているととても心が清らかになっていくことをいつも感じていました。彼女は太陽のように、光に満ちていたからです。僕の持つ闇は彼女と話していると自然とどこかに消えていました。だからこそ、彼女と話している時間はとても貴重でしたし、幸せでした。

彼女は言います。「全てのものは補い合って地球上に存在している。だから全てのものは必要であって、愛に満ちているわ。全ての人も、全ての動物も、全ての自然もそうなのよ。」当時の僕はあまりこのことに共感できませんでした。何か、きれいごとのように聞こえてさえもいたように思えます。

その後、僕とエマとアクンは花蓮だけではなく、台東や蘭嶼へも共に旅をし、二ヶ月近く共に生活していました。

実は、僕はその時期、一人の女性に恋をしていました。我々の共通の友人でした。ただ、アクンは僕に「彼女と一緒になってはいけない」といつも言ってきました。辛い時期でした。恋をしている女性と尊敬する人との三角関係が成立していたからです。どちらかを取るなら、どちらかを否定するようなものでした。

そんな中エマの存在はいつも僕を救ってくれていました。彼女は僕の顔を見ただけで、僕が何を考えているかをいつも知っていました。そして、その上で、いつも僕に必要な言葉を彼女は言ってくれていました。三角関係の中で引き裂かれそうな自分にとって、あの時期の彼女の太陽のような存在は本当に救いだったんです。その頃から、彼女が天使のように見え始めたようにも思えます。彼女の持つ光に触れるだけで幸福感を感じ、その大きさによって悩みなどは忘れられていました。

我々はその旅の後、数ヶ月バラバラになり、次に彼女とちゃんと会ったのは12月でした。彼女はアクンの映画を撮りたく思っていたのは知っていたので、僕は彼女に自分のカメラをあげるために会いに行きました。アクンという存在は人類にとってとても貴重です。だから誰かが彼のことを記録しなければいけない。そして、エマが適任であると僕は思っていました。だから、彼女にカメラを渡したんです。

そんな時期に撮影をしたのが、冒頭でアップした映像(『Dear Ama』のこと)です。その映像に限らず、僕は彼女に撮影を頼むこともありました。

また、その時期、彼女は自分の体調が少しだけ良くないことを僕に教えてくれました。お腹にあった癌が大きくなっていたんです。僕はそのお腹を触りましたが、確かに夏に触った時よりも大きくなっていました。彼女は僕に尋ねます。「手術をした方がいいかな?アクンも手術はした方がいいと言うの。」僕もアクン同様「した方がいい」と答えました。

それから彼女は病院に診察に行きました。すると、病院に入った瞬間から突然彼女の体調は悪くなったと彼女は言います。確かに、病院に行く前に会った時とその後に会った時とではまるで様子が違いました。まるで、「延命をしてはいけない」と神様に言われているようにも僕には思えました。

12月の末頃に我々が会った時、彼女がすぐに亡くなるであろうことを僕は感じました。彼女の天使性が今まで以上に極まっていたからです。

僕はこの時期、自分にとって大きな出来事、神秘体験が起こり、人生が大きく変わってしまっていました。今までに信じてこなかった、神や魂の存在を知ったんです。信じるものが変わり、また、あまりに今まで信じてきたことが揺らいでしまい、コントラバスを続けるべきかどうなのか悩んでいました。そのことを彼女に尋ねると彼女はこう言います。

「私もかつて写真をやめた時期がある。自分がなぜ写真をやるのか分からなくなったの。けど、また始めたわ。私達は通路に過ぎません。写真を撮るということはただの通路です。神様が美しい風景をこちら側に見せてくれる。私はそれを写真というもので残すことによって、他の人に神様の作り出したものを伝えることができる。だから、アーティストの人達には分かってほしいの。アーティストなんて本当大した存在ではない。起きて、働いて、食べて、寝てという生活の基本の中で最後に出てくるのが芸術よ。そして、そのことは通路に過ぎないわ。だから、アーティストなんて本当に大した存在ではないの。」

僕はもちろんこの考えに共感し、こう言います。

「音楽というものが神の作った慰めであることはよく分かった。だから、音楽の素晴らしさというものは前以上によく分かる。そして、他人のために何かをしたいと今はすごく思う。ただ、自分がコントラバスというものを最優先する必要があるのかは今は分からない。それは一つの通路ではあるけれど、その通路である必然性があるのかどうか分からない。今はむしろ哲学や宗教の方をやりたいと思う。」

彼女は言います。

「コントラバスは一つの確かな方法です。哲学も宗教もそれぞれの方法は最終的に繋がります。今、何かに絞ってしまうならば、最終的に辿り着くものは限られてしまう。」

そういったことを話している内に僕は理解しました。僕はただ楽をしたかっただけです。それぞれの道は相当にハードな道であることは分かっています。だから何かに絞らないといけないと思っていた。けど、結局そう思っていたのは自分の怠惰です。何かに絞ることは到達するものを小さくしてしまいます。そのことを彼女に話した後、彼女は「言い訳はしてはダメよ。これをやっているからこれをやれないなんて言ってはダメ。」と言います。そして、「あなたが本当にコントラバスを弾きたいと思わない限り弾いてはダメ」とも付け加えました。僕は強く頷きました。

最後に、彼女は僕に「分かった?」と問います。僕は「分かった」と言いました。そして、彼女は「私は分からない」と言います。思わず笑ってしまいました。彼女がしゃべっているのに、彼女は分かっていなくて、自分は分かったんです。(彼女は日本語が話せるのですが、実際は上に述べたようなはっきりとした日本語ではありません。ですので、上の言葉は僕の理解になります。)

その時、とても霊感の強い友人も近くにいたのですが、その友人はその時我々に向かってはしゃぎながら言います。「今、あなた達二人の上にはとっても大きい白いものが見えるの!!とっても大きい!!」。その友人は当然日本語など理解できないのに、こんなことを急に言い始めていました。

その後エマは料理をしながらバッハの無伴奏チェロ組曲二番のサラバンドを聞いていました。僕は驚いたんです。なぜならば、この曲は自分にとって死のテーマだからです。エマにどうしてこの曲を聴いていたのかと尋ねると「雨だったから」と言います。

二年前別の親友が亡くなりました。その時にたまたま練習していた曲がこの無伴奏チェロ組曲二番のサラバンドでした。(この曲をその親友のためにコンサートでもよく演奏していました。)だから、この曲を聞くと亡くなったその友人のことを思い出すんです。僕にとって、この曲は残されたものの悲しみが込められているように思えます。そして、この曲の最後の最後で我々は希望を見出します。残されたものはその悲しみと共に、前に進んでいくしかない、という気持ちと共にこの曲は終わるように僕には思えるんです。

とにかく、そういった偶然が多く起こり、エマはその後すぐに亡くなりました。僕は彼女の死を予感していながらも、彼女に自分の気持ちを伝えることができなかった。せめて「ありがとう」くらい言っておきたかった。

ただ、一つだけ彼女が生きている間に伝えられたことがあります。それは「今はエマが出会った最初の日に僕に伝えようとしてくれたことがよく分かる」ということでした。前はきれいごとに聞こえてしまって認められなかった彼女の考えも、今の自分にとってはとても共感できるものになっていました。

我々は互いを補い合うように生まれ、お互いを補い合うために生きています。彼女が初めから僕に伝えようとしてくれたものは、最終的には我々の関係性そのものとなりました。彼女の存在そのものが、僕を真に補っていたからです。それは彼女自身がそのことを体現していたからに他なりません。彼女にとって、僕もそうでありたかったけど、どうだったかは分かりません。けど、いずれにせよ、これからの生は彼女のようになるためにあるんです。

残されたものはその悲しみと共に希望を見出して生きていかなければいけません。彼女は天使です。僕にその希望さえも授けてこの世を去っていきました。彼女のように、太陽のような存在に辿り着きたいと思っている今の自分の気持ちが希望そのものです。

そして、生前僕が彼女に託したカメラは再び僕の手に戻ってきました。僕は彼女が叶えられなかった願いを実現させなければいけません。僕がアクンの映像を作ります。そのことが、光に近づく大きな方法となるとも思っています。エマ自身、アクンと出会ってから大きく変わったと言います。エマは光に近づくための、そんな具体的な方法までも残して去って行きました。

エマは生前よく言っていました。「私達は元々神様です。何か神様を特別なものと思わないで下さい。」

天使とは何でしょうか?僕は、エマやアクンがそうであるように、光を実践する者のことだと思っています。我々は光を選ぶこともできれば闇を選ぶこともできる。僕は今まで光だけでなく闇にも惹かれてきました。しかし今は光を選びたいと思っています。彼らと出会ったからこそ、今の僕は心からそう思えるんです。ありがとう、エマ。


解説

この文章の中で私がかつて「闇」を抱えていたことがよく分かる内容が複数あります。エマと初めて話した時に彼女が癌の話を私に行い、それに対して「変な奴に出会っちゃったなー」と思った点や、彼女が「全てのものは補い合っている」と言ったことに対して、「何か、きれいごとのように聞こえてさえもいた」と思ったことに表れています。

「変な奴に出会っちゃったなー」と思ったことには、当時私の「愛」が足りていなかったことを意味し、「何か、きれいごとのように聞こえてさえもいた」と思ったことには、当時私の「疑い」の気持ちが強かったことを意味します。

ただ、この文章に書いてある通り、私はエマを通して「愛」を経験しているからこそ、「愛」が大きくなっています。また、神々のことなどを実感として感じ始めたからこそ、「疑い」も減っていきました。人が「愛」を大きくするために重要なことは「愛」に接することです。当時の私にとって、エマの存在は本当に大きな「愛」だったので、彼女から「愛」を私はもらっています。

この文章の中で、エマが私にアドバイスをしている話があって、エマが分かっていないのに私が分かったということが書かれていますが、これはエマが神々の導きで話していたことを意味します。神々は我々に「情報」の乗った「気」を送ることで、人間に「アイデア」をもたらすことができますが、これは会話の場合も同じです。この時、エマは神々からの「アイデア」をそのまま話していたからこそ、自分が理解していないにも関わらず、私に話をすることができています。神々の導きのみで話しているとこのような現象が生まれます。

また、この時に霊感の高い友人が白くて大きなものが私とエマの上に見えていたということを書いていますが、これはエマに「気」を送るために、神々の誰かがそこに来ていたということを意味します。

バッハのチェロ組曲二番のサラバンドをエマが流していたことも、神々が私にエマがもうすぐ亡くなることを伝えるためにエマに行なった関与です。エマにどうしてこの曲を聴いていたのかと尋ねると「雨だったから」と言っていますが、これは雨を司る水星神様がエマに「水の気」で関与したことを意味します。普通に考えるとこの「雨だったから」という返事は答えになっていなさそうなのですが、「気」の観点で考えるのであれば、答えになっています。これも神々がエマがこの言葉を言うことを導いています。

ちなみに、エマが「私達は元々神様です。何か神様を特別なものと思わないで下さい」と言っていたことを書いていますが、これは「神々の『光の気』を我々は受け取りながら生きているからこそ、我々の中に神々はいる。だからこそ、神々を特別なものだとは思ってはいけない」といったことを意味しています。これもエマは「気」のことを言葉としてここまで理解していたわけではないですが、神々の導きによってこういった思想を持っていた形になります。

この文章から、私がエマとアクンに出会ったことによって「光」のシャーマンになっていることがよく分かります。特に最後の言葉、「我々は光を選ぶこともできれば闇を選ぶこともできる。僕は今まで光だけでなく闇にも惹かれてきました。しかし今は光を選びたいと思っています。彼らと出会ったからこそ、今の僕は心からそう思えるんです。ありがとう、エマ」という内容はそのことをよく捉えています。

これは大げさに書いたわけではなく、素直にこのように書いていますし、実際アクンやエマと出会っていなければ、一体誰が私の導き手になったのかは想像が付きません。そういう意味で、アクンとエマは私が「光」のシャーマンになった大きな導き手でした。

「光」のシャーマンになるきっかけと言うと、修行を積んだり、何か特別なことを考えられてしまうのですが、そうではなくて「光」の価値を実感することが最も大事なことになります。何故ならば、「光」の価値を深く認識しない限り、「光」を実践するという強い決意が確固たるものにならないからです。

シャーマンが行なっていることは技術的なことではなくて、「気持ち」の闘いです。「闇の気」が自分に迫ってくる中で「光の気持ち」を魂で強く抱くということを行ないます。「光」のシャーマンが行なっているのは、本当に心の闘いだけです。

だからこそ、「光の気持ち」を抱く根本的な動機が最も重要なものになります。それが「愛」の価値に気付くことです。私は台湾人の友人を通して、本当に強く「光」=「愛」の価値に気付かせられました。そして、その中でもアクンとエマにそのことを強く気付かされています。

※この写真は三人で蘭嶼に行った時に私が二人を撮影したものになります。エマが亡くなった今でも、エマのFacebookのプロフィール写真はこの写真になっています。