『私の人生の流れについて』の5つ目の文章になります。『私の人生の流れ 概要』『私の人生の流れ1〜4』はこちらなので、まだ読まれていない方はこちらから読んで頂けると幸いです。

『私の人生の流れ』概要:http://junashikari.com/profile/life-story/
『私の人生の流れ1(生まれてから高校時代まで)』:http://junashikari.com/profile/life-story1/
『私の人生の流れ2(浪人時代)』:http://junashikari.com/profile/life-story2/
『私の人生の流れ3(大学時代)』:http://junashikari.com/profile/life-story3/
『私の人生の流れ4(大学卒業後から旅立ちまで)』:http://junashikari.com/profile/life-story4/

ここでは、旅の一年目前半のことを書かせて下さい。旅に出て最初の七ヶ月の間に韓国・中国・台湾・フィリピンを回っています。その四カ国で何を経験したのかということを書かせて下さい。写真は旅立ちの当日に日本から韓国に行く福岡のフェリー乗り場で撮影したものです。


【韓国(2013/11/7-2014/2/4)】

私は27歳の誕生日、2013年11月7日に日本から韓国にフェリーで旅立ちをしています。その日に書いた投稿があるので、載せておきます。
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2013/11/7(Facebook投稿より)

人生とは自分にとって根源的な願いを思い出す過程だと最近よく思います。行ってきます。
 

[解説]

この投稿は日本から海外に旅立った当日にFacebookに書いた一言です。当時の自分はこの言葉の意味もよく分からずに、この言葉を書いた形になります。なんとなく、心の中で何度も浮かんでいた言葉を書いているので「最近よく思います」という言葉があります。

当時の私は神々のことも信じておらず、自分の人生の役割のことなど考えもしませんでした。ただただ「向上心」で動いていた立場になります。しかし、神々の意図したこの文章のテーマは「人生の役割に気付く」ということです。神々は私に自分の人生の役割に気付かせるために旅立たせているので、そのことを示すために旅立ちの日にこの言葉を私に書かせています。

「自分にとって根源的な願い」とは「人生の役割」のことを意味しています。我々人間は皆必ず「人生の役割」を持っています。そして、かなり大変な役割に関しては、必ず神々はその人間の魂が天国にいる時に本人にその役割を引き受けることを尋ねます。何故ならば、大変な役割を神々から勝手に与えられ、それをしなければならないのであれば、自分の意志ではなくて様々な苦悩をすることになってしまうからです。それは神々によって理不尽に苦しめられているとも言えます。ですから、大変な役割の方は必ずその役割をするということを自分自身の意志で選んでいます。そのことを「願い」という言葉に意図させています。

「欲望」は「自分のため」に何かを実現したいという気持ちであるのに対して、「願い」は「誰かのため」に何かを実現したいという気持ちです。そして、生まれる前に大変な役割を引き受けることは「誰かのため」に何かをしたいという気持ちから神々と「願い」を一致させることを意味します。そういう意味で、「自分にとって根源的な願い」とは神々が私に授けた「人生の役割」のことを意味します。

旅立ちの日に自分自身の文章に自分も意図せず「人生の役割に気付くために旅立ちます」と書いているのであれば、後々振り返った時に人生の役割に気付くために旅に行くことを導かれたということがよく分かります。そういったカラクリを用意するために神々は私にこの言葉を書かせています。

以下、旅の解説に移ります。旅中の様々な日記はあるのですが、それらを全て取り上げているとこのページが長過ぎてしまうので、ここではまず初めに、旅を始めて半年近く経った頃に作成された旅の記録映像を解説したいと思います(旅中の日記については別で解説を書きます)。この動画を見て頂けると当時自分が抱いていた感情や思考がよく分かるので、御覧になって頂けると幸いです。旅が私に「光」の影響を与えていることを、声や演奏から感じて頂けると思います。

この動画は韓国人の映像作家が私の録音と映像を使って編集したものになります。この動画の中で話している自分の声は2014年3月頃のものです。また、その後ろで鳴っているコントラバスの音は2014年1月頃に韓国の済州島で録音した即興演奏になります。その演奏の横でみかんを使った料理をしている女性達がいたために、韓国語の雑談が録音されています。私としては、その彼女達の様子がすごく平和で美しかったために、彼女達の空気感を感じながら、それを音にすることを心がけながら演奏をしています。この演奏は金星神からの「金の気」と共に行なっています。映像は私が旅中に撮っていた映像を基本的に使っています。ですから、この映像は旅人の目線を意味します。

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2014/3月頃

[ナレーション]

芦刈純と申します。日本人のコントラバス弾きです。今コントラバスを抱えて、日本からアイスランドまで、世界を放浪しています。旅に出てから既に半年近くたっていて、今は日本・韓国・中国・台湾を回りました。これから三年から五年程かけて、アジア・中東・ヨーロッパを旅する予定です。

この旅に出る前、東京で七年間生活していて、コントラバスの修行をしながら大学で哲学を学び、大学卒業後は文化サロンの経営にも携わっていました。充実した日々だったんですけど、一年半前、何故かこの旅に出ようと思ったんです。

僕は認識こそ世界だと思っています。10代の頃、人生の意味みたいなものを考えた末、そういう思想を抱きました。何故ならば、何らかの答えはそれを答えとして導く前提や理由があるからです。その前提や理由が認識です。そして、その認識は日々変化していきます。

そういう意味で、認識こそありとあらゆるものの答えであり、世界だと思っていますし、そう考えるようになってから哲学もコントラバスも始めました。自分にとって、哲学も芸術も旅も自分の世界認識を広げるという意味で同じことです。哲学は言葉によって、芸術は言葉以外のものによって、旅はその土地や人や文化によって世界認識を深めてくれます。

旅に出て半年近く経った中で、旅がどういった意味で自分の世界認識を深めていくのか、次第に分かってきました。ありとあらゆる土地や人や文化は、新鮮な驚きを自分に与えることも、自分の奥底にある記憶を呼び覚ますこともあります。

心を動かされるという現象は自分の中の何かと外側の世界で共感が生まれた時に、生まれることです。僕は自然の中にいる時に、よくその状態に辿り着くことができます。例えば、韓国の済州島の自然には僕は「死」を感じました。「死」とは人間が避けられないものであって、そういう意味で、自己を超えた、より大きな流れの中の記憶のようなものです。

また、この旅の中で、たくさんの素晴らしい人々と出会いました。彼らは美しい自然同様、僕をいい方向へ導いてくれます。数ある出会いの中でも、最も印象的だったのは、韓国の済州島に向かうフェリーの中で別のコントラバス弾きに出会ったことです。我々は目が合った瞬間に意気投合。しばらくは彼の家に泊まっていました。そして、彼は色んな人を僕に紹介してくれました。実際、今台湾でいい日々を過ごしているのも彼の繋がりから生まれた繋がりのおかげです。

たった一つの偶然から、違う人に出会い、違う場所に出会う、その連続が僕には奇跡のように感じられます。そして、今はその喜び自体がかけがえのないものだと思っていて、旅の意味のように感じています。

自分の人生は自分だけで成立しているわけではなくて、自己を超えた流れと他人との関係性の中に成立しています。そのことを今、実感として感じつつあるような気がしているんです。

また、失った自然を取り戻すこと、それがもう一つ、この旅の大きなテーマでもあります。旅に出る前はあまり意識はしていませんでしたが、自分が如何に不自然であるか、不自然であったかということを旅に出てから日々感じるんです。「本音と建前」という言葉が象徴するように、日本人は不自然な存在の仕方をしているのかもしれません。そういう意味で、いつも日本のことを問い続けています。

自然であるとは人間として生きるということです。とにかく、自然でありたい。人間に生まれたからには、とにかく人間的でありたい。では、自然とは何か。それを問い続けながら、旅を続けています。

コントラバスは自分を映す鏡です。私の意識はコントラバスの音に自然と表れます。何故ならば、音楽は時間を伴い、時間と意識はとても密接な関係にあるからです。また、音楽は身体を伴い、身体と意識はとても密接な関係にあるからです。

そして私の意識は私の世界認識そのものであって、それは多くの自然や人々から導かれるものです。僕はこの旅の中で自分のコントラバスを通して、自分の意識を認識し続けていきたい。そして、それを保存し続けていきたい。

音楽は言葉でも写真でも認識できないものを明らかにしてくれます。世界が意識であるならば、自然であるとは純粋な意識を持つことかもしれません。その意識が達成できた時、僕は素晴らしい音楽を奏でることができるはずです。というか、いつか本当に素晴らしい音楽を奏でることができたなら、その時この旅の成功を確認できるのかもしれません。

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[解説]

この映像には神々が強く関与しているので、当時の私もよく理解していなかったことを私自身がナレーションで話しています。

例えば、「たった一つの偶然から、違う人に出会い、違う場所に出会う、その連続が僕には奇跡のように感じられます。そして、今はその喜び自体がかけがえのないものだと思っていて、旅の意味のように感じています」ということを話していますが、当時の私は「奇跡」とは何なのかも分からずにこの言葉を話しています。「奇跡」とは神々が人間に起こす導きのことですが、そういった導きによって、私は色々な人に出会っています。そして、「その喜び自体がかけがえのないものだと思っていて、旅の意味のように感じています」という言葉の意味は、「愛に気付くことがこの旅の意味である」ということの言い換えです。「喜び」は「愛」によって生まれる気持ちであって、そういった「喜び」が大事であるということが「喜び自体がかけがえのないもの」という言葉の意味です。そして、それを「旅の意味のように感じています」とは、「愛の喜びに気付くことが旅の意味」ということです。当時の私は「喜び」が「愛」によって生まれるということも知らず、出会いというものが神々の起こす「奇跡」によって生まれていることは知らなかったのですが、神々が私の発言内容に関与しているからこそ、このようなナレーションとなっています。神々は私に「愛」=「光」の価値を気付かせるために、「奇跡」を使って様々な人と出会わせています。神々がいることも信じていなかった当時の私はこういった神々の意図を知りもしませんでしたが、当時の私のナレーションはこういった構造を説明しています。

また、他にも「気」の成り立ちのこともこの動画は伝えています。例えば、「ありとあらゆる土地や人や文化は、新鮮な驚きを自分に与えることも、自分の奥底にある記憶を呼び覚ますこともあります」という言葉の本当の意味は、「旅は自分の魂に新しい『気』を与えることも、自分の魂が抱えている『気』を感じさせることにも繋がります」という意味です。また、「心を動かされるという現象は自分の中の何かと外側の世界で共感が生まれた時に、生まれることです」という言葉の本当の意味は、「感動という現象は自分の魂と外側の世界の『気』で共感が生まれた時に起こる現象です」という意味を持っています。あと、「音楽は身体を伴い、身体と意識はとても密接な関係にあるからです」という言葉もありますが、これは自分の身体にどういった「気」が宿っているのかということが、自分の「意識」に強く影響を与えるということを説明しています。これらの説明を「気」のことを知らなかった私は、自分でもよく知らずに感覚的に説明しています。これも、神々が関与しているからこそ、このような現象が起こっています。

そして、「自分の人生は自分だけで成立しているわけではなくて、自己を超えた流れと他人との関係性の中に成立しています。そのことを今、実感として感じつつあるような気がしているんです」ということを話していますが、これは私が神々や悪魔のことを知ることを意味しています。ここで言われている「自己を超えた流れ」とは「自分の人生」に影響を与えている人間以外の何かであることが、この言葉から分かるからです。つまり、この言葉は「神々や悪魔のことを知るような気がしている」ということを意味します。

他にも様々な意味を神々が込めているのですが、この映像の解説が長過ぎるのはよくないので、この動画だけの解説を別で書きます。

とにかく、旅を通して私は様々な影響を受けました。「光」と「闇」について理解し、それを説明することが私の人生の役割なので、神々はこの旅を通して私に強い「光」と強い「闇」の両方を経験させています。様々な人との出会いを通して感じてきた「光」から説明させて下さい。

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2013/11/17(ブログより)

韓国の慶州から釜山に一度戻り、フェリーで12時間かけて済州島に来ました。

昨日そのフェリーでまさかの済州島に住むコントラバス弾きのDongheeと出会いました。本土にいた時も現地の方から度々「これは何!?」と訊かれていたくらいなので、すごい確率だと思います。面白いもので、目が合った瞬間にお互い「あー!!」という感じですぐに意気投合。

しかも、その場にいたお客さんがとってもいい方々で、「なんか弾いてくれ〜(ってたぶん言ってたと思う)」という感じで、フロア全体でコンサートが開始。お互いに少しずつ弾き、コンサートが終わった後はお客さんから「ごちそうするよー」という感じで20人規模の大宴会がスタート。このフェリーはなんて自由なんだ(素晴らしい)!!とてもいい時間でした。

(中略)

ところで、Dongheeが「一部屋空いてるから家に泊まりに来いよ!仲間(ヒッピー多い)をたくさん紹介するよ!」と言ってくれてるので済州島はかなり長くなりそうです。本当にありがたい。。。彼とは生涯の友人になりそうな気がします。出会いに感謝。


[解説]

Dongheeとの出会いが神々との導きであったことはよく分かっています。コントラバス弾きが少ない韓国において、釜山から済州島に行くフェリーでコントラバス弾きに遭遇するということは本当に考えづらいですし、Dongheeとは会った瞬間から言葉では説明できない親近感があったからです。この後、彼と結構な時間を共にしましたし、韓国でコンサートも開きましたし、自分が台湾にいる時に彼が台湾に来ることもありました。彼とは今でも親友で、たまに連絡を取り合っています。

今は分かりますが、彼は私の直近の前世の弟です。自分は彼と接する時、いつもの自分ではなくなり、前世の自分に戻る感覚があります。彼に接する時の自分は、少し兄貴分な感じで、ちょっと雑な感じも混ざります。これは他の人に接する時はない感覚です。神々としては、私とDongheeの相性がとてもいいが故に、そして我々の間に強い「縁」があったが故に、私を「光」の方向性へ向ける上で元々用意していた出会いになります。だからこそ、お互いにコントラバスを演奏しています。

彼を中心に本当にいい出会いがたくさんありました。本当に素敵な人達、「光」の強い人達と時間を過ごす中で「闇」を抱えていた自分が「光」の方向へ向かうことができたと思っています。もちろん、当時は完璧な「光」になれたわけではありませんでしたが、それでも彼らを通して感じた「光」のおかげで今の自分がありますし、「光」のシャーマンになることができています。

そういったことが分かる日記を抜粋したいと思います。

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2013/12/3-12/5

一日の全てのことを書き残しておきたいと思う日々です。いつか忘れてしまうのがとても怖いからです。以前は出来事自体よりも、出来事を如何に抽象化するか、ということを大事にしていました。目に見える違う出来事をどう同じように見るかということに価値を感じていたからです。それが人間として成長することだと思っていました。

ただ、今は出来事自体に価値を感じます。なぜでしょうか、、、きっと一回性を強く感じているんだと思います。いつか去ることを分かっているので、今日この時を、この場所を、この人を、しっかりと、抽象化してしまうのではなくて出来事事態を噛み締めたいといつも思います。

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一昨日は演奏撮影のためにコントラバスをトラックに載せて、仲間6人でドライブをしていました。映像作家のSeunghwan(キム)が自分の演奏を気に入ってくれて、何か一緒に作ろうと言ってきてくれたのです。こんな嬉しいことはない。それで、この島の特に美しい場所に行き、そこで撮影をしていました。とりあえず今回は洞窟と丘の二カ所。

恥ずかしい話なのですが、いつもどこに行くかも誰が来るのかもよく分からないまま車に乗っています。いちいち訊くのもわるいし、むしろそれが面白かったりするからです。今回も気付けば六人になってました。こんなに大人数付き合わせて大丈夫かな〜って思いながら車に乗っていましたけど、必ずいつも楽しくなります。

皆でランチをした後、何故か本屋の横で車が止まりました。なにかな、と思ってSiaに訊くと自分の隣りに乗っていたWonhuiが日本語を勉強するために日本語の本を買うと言い出したとのこと!「マジ!?」と思って僕も急いで本屋の中へ。「いやいや、そんな、俺も韓国語の本買います!」という感じで僕も本を探しました。今までネットで勉強すればいいや、という感じで本当は欲しかったけどケチって買ってなかったのです。 そんな感じで一冊をレジに持って行こうとするとSiaが本を奪って「これプレゼントね。勉強してね」と。その場で本に何やら書いて僕に渡してくれました。韓国語勉強します。勉強したい。

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本当、この人達には何と言ったらいいのか、という感じです。日本語を勉強すると言い出してくれたWonhuiも、いつも僕を支えてくれてるSiaにも、他の皆にも「感謝している」という言葉ではとても足りない気持ちが込み上げてきます。

それで、撮影ですが、洞窟は先日自分が見つけた場所で、自分以上に周りの皆が「エプダー(綺麗だ)」と喜んでいたのですが、丘の方は僕は初めてでした。行き先は分かってないので感動は増します。本当に素晴らしい場所でした。すすきの中を歩いて登っていくと、その付近の丘や大地ほとんど全てが見渡せる頂上に辿り着きます。しかもその時は、全てが夕日に照らされていまして、その頂上で演奏しました。

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あんなに四方八方をぐるぐる見渡しながら演奏したことはなかったと思います。とにかく、嬉しくて嬉しくて。コントラバスは回りやすい楽器ですね。笑 壁も天井も何もないのに、何故か響いている感じがとてもしていました。Seunghwanの映像もとてもいいのでどう記録に残せるか楽しみです。済州島のことを、こういった形で記録に残せること本当に嬉しく思います。

昨日は昼まで皆とグダグダしていました。Siaの家の庭にはたくさんのみかんの木があって、起きたらそれを取りに行き、布団に戻ってそれを皆で食べる。とても食べ切れない程のみかんがなっていて、太陽の光と笑顔に満ちている。この幸福を僕には文章で表し切れません。。。その収穫の恵と目に見えない何かを僕は今まで感じたことがなかったのだと思います。

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昼から市場に行き、相変わらず昼から飲んで僕は酔っぱらい、夕方からその日出会ったSiaの友人のケンさんのやってるバーに行った。この方がまた熱い方で「今日は久しぶりのSiaとの再会だから店は開けない」と。全部ごちそうしてくれた。ここで僕はもうひどく酔っぱらってました。帰り際ケンさんがカンカンに怒り出す。ケンさんも酔っぱらってたので、本当大変だった。我々が片付けのためにカウンターの中に入ったことがいけなかったみたいです。バーテンダーを10年やっていて自分の仕事に誇りを持っているケンさんならでは、の感じで僕は少し嬉し面白かった。遠慮なく怒り散らすのが韓国人らしくてスカッとする。

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今日は休息です。ちょっと飲み過ぎました。久しぶりの一人外食だったので、たまに行く中華料理屋でいつものちゃんぽんをオーダー。韓国のちゃんぽんは日本と全然違って辛うまです。それが好きでそこの店にたまに行きます。オーナーらしきコワモテのおばちゃんは日本語が話せて、毎回少し話しかけてきてくれます。今日も相変わらずコワモテで「ごはんいる?」と。僕が躊躇していると「サービスです」と。こういうこのおばちゃんのツンデレな感じが好きです。笑

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帰り際に言います。
おばちゃん「いつ済州島出るの?」 
自分「分からないんですよね〜。」
おばちゃん「いいですね〜。」(コワモテで)
自分「この島は本当いい島なので。」
おばちゃん「住みなさーい。済州島に。」
本当そうかもしれないですね。。。ただ、必ず次の場所に僕は行きます。今から想像しただけでも悲しいけど。


[解説]

こういった文章からどれだけ感じて頂けるのかは分かりませんが、「闇」を抱えていた私が彼らと一緒に生活する中で「光」を受け取っていたことを感じて頂けると幸いです。この時期は、本当に「幸せ」を感じていた時期だと今でも思います。

私にとって、この日記の中で最も印象的なのはみかんに関する記憶です。素敵な人達と一緒に生きる幸せを感じながら、そのすぐ隣に生えているみかんを食べるということが、本当に幸福感に満ちていました。このことの説明で私は「この幸福を僕には文章で表し切れません。。。その収穫の恵と目に見えない何かを僕は今まで感じたことがなかったのだと思います」と書いていますが、この「目に見えない何か」が金星からの「金の気」です。2012年12月より金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたことはこちらを読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについ/

「金の気」が降り注いでいれば、その「金の気」によって多くの人々の心に金星神が関与することができます。そのことで様々な出会いを金星神が私にもたらすことができます。そのことで、神々が私を「光」の方向へ導くことがしやすくなります。また、「闇」が強い人物が私に近づいてくることを阻止することもしやすくなります。それは私が悪魔によって「闇」に堕ちることを防ぐことを意味します。

そういう意味で、私を旅中に導いていたのは金星神であって、その導き方は私の周りの人に金星神が「金の気」で関与することだったり、私自身に「金の気」を入れることを金星神は行なっていました。逆に言うと、だからこそ金星からの「金の気」が降り注ぎ始めるタイミングで私は旅立ちを決意し、その一年後に旅に出ています。

また、金星神と「縁」で繋がっていたSiaという女の子と私はその頃に親友になったのですが、彼女は当時の私のFacebookにこのような投稿を写真と共にしています。彼女は日本語ができたので、日本語でこの投稿をしています。写真はトラックの荷台に乗っている時の自分を車内からSiaが撮ったものです。

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私たちがまた会うその日まで、幸せな旅でありますように
ある道は幸せで、また、ある道は憂鬱でしょう。
それが意味のある道を行く方法。

幸せな旅立ちを。


[解説]

Siaは私の旅がどういうものであるのかは知らないにも関わらず、こういった文章を自分に対して行なっていました。当時はこの意味はよく分からなかったのですが、この言葉の意味は「旅を通して『光』と『闇』を経験することによって、『光』と『闇』について理解するという意味のあることを行なう」ということです。最後に「幸せな旅立ちを」とあるのは、この時がその旅の始まりの時期だったからです。Siaは金星神の導きでこの文章を書いているので、このメッセージは金星神からの私に対するメッセージでもあります。

実際、私はこの旅の間に強い「光」も強い「闇」も経験しています。そして、その「光」と「闇」の振れ幅は段階的に大きくするように神々が計画していたことはよく分かります。また、旅とは所謂旅だけではなくて、今行なっている修行も元々含まれていたことはよく分かります。

余談ですが、Siaは日本語で書くと、「シア」です。そして、これを反対から読むと「アシ」であって、「アシカリ」の一部です。私はこの旅の中で本当に関係性が近い人が生まれましたが、そういった人々の名前が自分の名前と近いことはしばしばありました。外国人なのですが、二人の「ジュン」と友達になりましたし、シアのように特に関係性が近くなった人の名前は「Ashikari」の最初の文字である「Ash(二人います)」や「Ashi」の逆さ読みの「Isa」でした。こういった名前の一致も神々が意図的に創ったものになります。

ここまでは韓国済州島でどういった形で「光」を感じたのかを書きました。以下、韓国済州島でどのような「闇」を経験したのかについて書いていきたいと思います。結論から書くと、私は済州島で複数人の強い幽霊に取り憑かれた形になります。そのことで鬱病に近い状態にもなっていました。そのことをよく表している当時私が創った映像があるので、その映像を御覧になって頂けると幸いです。その幽霊達と神々と共にこの映像を創っています。

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[ナレーション]

2014年1月11日、韓国の済州島にいます。済州島に僕は2ヶ月近く滞在していました。それはこの島に強く感じることがあったからなんです。そのひとつが、この島の自然です。理由は分からないですけど、この島の自然にはとても「死」を感じます。それがこの島に来た最初の日から感じていることであって、今なお感じていることです。

この島の中央にはハルラ山と呼ばれる韓国で最も高い山があって、その周りにはオルムと呼ばれる小さな山が360個以上あって、美しさと不気味さの両方を持った洞窟がたくさんあります。また大陸からの強い風と波があって、ススキはいつも風に揺られています。そしてどこを見ても火山岩と驚くほど美しい雲があります。それらはいつも厳しい表情をしていながら、独自の美を持っている。その感覚が僕に「死」を感じさせるんです。 僕はここで感じる「死」に最も近い響きを求めて、ひとつのチューニングを作りました。済州島 で感じる「死」に最も近い響きが、自然と浮かんできたんです。

土地は人々の歴史を記憶しています。物理的な傷跡は積み重なっていくからです。特にこの島は、かつてそこに生きた人々の歴史を強く感じさせます。それが「死」を感じるということの意味です。 この島が火山島だからでしょうか、森と言うよりかは草原が広がっていて、波は火山岩に直接打ち寄せる。全てが剥き出しと言う印象を受けます。なにも隠すものがなくて剥き出しのその場所が過去を生きた人々と同じ土地を共有している、という感覚を強く呼び起こすんです。そして過去を生きた人々も、今自分が見ている景色と同じその景色を見ていたであろうことを思うと、過去から現在に続く大きな流れのようなものを感じます。 

また、この島には悲惨な歴史もあります。かつて韓国政府によって島の人間が何万人も殺され、 村の多くが焼かれる、という事件がありました。今ではそのことについての平和公園もあります。 この島に「死」を感じるという事と、この事件は何の関係もないと言う事はないと思います。なぜならば、燃された村の痕は今でも確実に残っていて、僕は知らず知らずにその村の岩を見て、その土地を歩いている。そこに霊的な何かを感じているかは定かではないですけど、いつもこの島の美しさに悲しみを感じます。 

現代は、あまりにも「死」が見えなくなった時代だと思っています。だからこそ僕はこの島に感じる「死」に魅力を感じているのかもしれません。「死」は必ず訪れる絶対的な真実です。だからこそこの真実は、全ての始まりであるべきだと思うんです。この旅に出る半年前、僕は親友を亡くしました。そして、この旅の最初の目的地は彼女のお墓でした。彼女の死をどう考えればいいか、今でもよくわかりませんが、残された者の悲しみと共に、 彼女の死はこれから背負って旅をしようと、というか、生きていこうと思っています。

死を隠し続けて生きて、最期のその時を迎えたとしたら、人はその真実に耐えきれないと思います。逆に、一回一回の呼吸に、死に向かっていく感覚を感じられるような生を生きられたら、どれだけ素晴らしいか。そういった生を肯定しながら生きることこそ、本当の意味で「生きる」という事のように思います。「生」は「死」を含んでいて、「死」は「生」を必要とします。両者は正反対のものではなくて、お互いを含みあっているものです。割合のようなものだと思っています。そして、この島の自然は「死」を、無数の「死」を背負いながら強く生きている。だからこそ、そういったことを実感として感じられます。そして同時に、過去から現在に続く大きな流れの中に成り立つ自己の生を認識できるんです。 


[解説]

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私はこの動画の冒頭に映っている立ち入り禁止の洞窟に入ったが故に、多くの幽霊に取り憑かれています。幽霊は洞窟のような場所が好きです。神々はわざと私をそこに行かせることによって私に幽霊達が取り憑くように関与しています。済州島の幽霊達としては、日本人でコントラバス弾きの私はなかなかいない存在で、取り憑いてコントロールしてみたいと思うような対象でした。そして、神々としては、私に幽霊のことを教える上で、済州島の幽霊達は好ましい存在でした。そういった神々と幽霊の両者の意向によって、私は複数人の幽霊に取り憑かれています。

この動画はその幽霊達と神々が関与しているので、私の話している言葉自体にその幽霊達と神々のメッセージが込められています。他の動画と同様に、私自身が当時意図したこと以上に多くのメッセージが込められています。

例えば、この動画の私自身のナレーションが、この時の自分が済州島の幽霊に取り憑かれていたことをよく表しています。例えば、「この島に『死』を感じるという事と、この事件は何の関係もないと言う事はないと思います。(中略)そこに霊的な何かを感じているかは定かではないですけど、いつもこの島の美しさに悲しみを感じます」といった言葉は、非常に直接的に「幽霊によって『死』を感じる」ということを言っている形になります。私は当時霊の存在などは信じていなかったので、ここでは「霊的な何かを感じているかは定かではない」と言っている形になります。

この動画の中で私は「闇の気」のことを「死」と表現しています。そして、その「闇の気」の主である幽霊達に取り憑かれ、心をコントロールされていた形になります。その幽霊達によって「闇」に堕ちていくために必要な思想の「アイデア」をもたらされています。例えば、「死を隠し続けて生きて、最期のその時を迎えたとしたら、人はその真実に耐えきれないと思います。逆に、一回一回の呼吸に、死に向かっていく感覚を感じられるような生を生きられたら、どれだけ素晴らしいか。そういった生を肯定しながら生きることこそ、本当の意味で『生きる』という事のように思います」という言葉は「闇」を肯定するために幽霊達が作った一つの罠です。「闇」のことを「死」と捉えていることを利用した罠になります。また、この時の映像と音楽の表現を非常に強いものにすることで、幽霊はこの映像を観る人をこの「罠」に引っ掛けようとしています。

また、「闇の気」を「死」と表現したのに対して「光の気」のことを「生」と表現しています。そのことをよく表しているのが最後の「『生』は『死』を含んでいて、『死』は『生』を必要とします。両者は正反対のものではなくて、お互いを含みあっているものです。割合のようなものだと思っています」という言葉です。我々人間は自分の身体にどれだけ「光の気」と「闇の気」を抱えているのかによって、自分の意識状態を変えています。もし「光の気」で満ちるのであれば、神々が我々を「導く」が故に我々は「幸せ」になっていきやすくなるのですが、「闇の気」で満ちるのであれば、悪魔などが我々を「支配」するが故に我々は「不幸」になっていきやすくなります。そして、ほとんどの人は「光の気」と「闇の気」の両方を持っているので、「光」と「闇」の間を振れています。ここでの「割合のようなものだと思っています」という言葉にはそのようなことを表現しています。この表現は神々の導きによって生まれている発言です。

他にも、「土地は人々の歴史を記憶しています。物理的な傷跡は積み重なっていくからです」という言葉から始まるまとまりは、済州島の土地が「闇の気」を溜め込む上で非常に都合のいい機能を果たしていることを説明しています。ここで「傷跡」と表現しているのは、『私の人生の流れ2』で取り上げた、マリオ・ジャコメッリの「白は虚無、黒は傷跡」という言葉と繋がっています。ここで言われている「傷跡」は「闇の気」のことです。土や岩は「気」を溜める力を持っています。普通はそういったものの上に植物が生えることで、浄化が促されるのですが、済州島はそのまま「むき出し」なので、土や岩石が抱えている「闇の気」を直に感じます。そして、済州島は幽霊が非常に多いので、そういった土地に宿っている「闇の気」は幽霊達の「闇の気」です。

また、「過去から現在に続く大きな流れ」という言葉がこの映像の中には真ん中と最後に二回言われていますが、これは霊達のことです。そういった霊達の影響を受けることをこの映像の最後に「過去から現在に続く大きな流れの中に成り立つ自己の生を認識できるんです」という言葉で表現しています。また、最後に映像に映る建物は、済州島で何万人も殺された事件の犠牲者1万4000人が眠る奉安所であって、私がそこに入っていく場面です。幽霊に取り憑かれることを直接的に表現するために、このような編集になっています。当然、私が意図的にこのような編集にしたわけではなくて、神々の関与によってこのような形になっています。そこで撮った写真もあるので貼付けておきます。その場所の空気感が伝わると思いますし、私の当時の精神状態も伝わると思います。

私が幽霊の「闇の気」によって、「闇」に堕ちていることを表している当時の日記があるので、その日記を貼付けておきます。ただ、当時は幽霊の存在さえも知らなかったので、自分が何故「闇」に堕ちてしまったのかが分からず、そのことでより「闇」に堕ちていっています。


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2014/1/2

明けましておめでとうございます。久しぶりの日記です。ここ最近も色々なことがありました。新しい出会いもあり、日本から友人が来たり、シャーマンのパフォーマンスを見に行ったり、年越しは大人数で路上演奏したり、酒を飲んだり、酒を飲んだり、酒を飲んだり。

ただ、実際のところ最近はあまり調子が良くありませんでした。それが日記を書けなかった原因でもあります。体は全く問題ないのですが、精神の方が少しやられています。理由はなんとなく分かっていて、一つは済州島の旅の記録映像を作っているからです。1月12日前後に船でソウルに行くことにしました。幸い、済州島でソウルから来ているたくさんの素敵な方々と知り合ったので、彼らに会いに、また韓国の東京と呼ばれるソウルを一度見て中国に行きたく思っています。それで、済州島を離れるにあたり、色々なことをまとめるために今映像を作っている形になります。「自然」と「人」の2本の映像を作り、12日前後にさよならライブをしてこの島を離れるつもりです。

僕は済州島の自然からとても「死」を感じます。それはとても素晴らしいことです。そういったことを言葉と音と映像でなんとか整理しようと思っています。ただ、テーマがテーマだけにとても精神にきています。今の自分の身の丈で「死」について語るのは背伸びもいいところです。言葉も音も映像も全てがしっくりきません。しっくりこないので、散歩に出て自然に触れて自分が一体この島の自然から何を感じているのかを確認しに行く。そしてまた編集してみる。その連続です。

また、精神的に調子が悪いのはもう一つ理由があります。それは「慣れ」の感情です。今、自分がどれだけ恵まれている状況なのかはとても分かります。けど、いつの間にか慣れてしまい、日々の感謝の気持ちや喜びが前よりも薄れている。そんな自分に対して嫌悪感を感じています。また、外国なのでちょっと振り回されたりすることももちろんあるのですが、そういうことに対して前よりも寛容さを失ってきている気がします。甘やかされた小学生のようです。

そんなことを感じながら、年越しだったので今年一年について考えてました(写真は韓国の雑煮?正月料理)。本当に周りに恵まれてきた一年だったな、と思います。特に東京生活、ほとんど自分は好き勝手にやってきたのに、周りにはいつも素敵な方々がいてくれました。日々、新しい素敵な出会いがあって、特に茶会記ではたくさんの幸福な時間を過ごしていたように思えます。今、それでも何かが足りないと感じて旅に出た自分と、済州島で「慣れ」を感じている自分がかぶって見えます。

僕にとって、「旅」と「人と出会うこと」は似ています。「旅」の中に「人と出会うこと」が含まれていて、「人と出会うこと」は旅の中でもとても比重が高いことだからです。また、人はそれぞれが宇宙のようです。それに触れることは、旅に他なりません。だから、茶会記のような場所で働いていたことと旅はほとんど意味が同じで、手段が異なるだけに過ぎません。(余談ですが、コントラバスも同じです。)

※写真は「闇」に堕ちていた自分を強く支えてくれたシアとスンワン。

だからこそ今分かるのは東京でも自分は「慣れ」を感じていたということです。とても恵まれている状況にあったのですが、もっと全く違う世界に出たかった。それが旅の大きなきっかけだったと今思います。そして、少し前まで済州島のことを「理想郷を見つけた!」とはしゃいでいた自分が今東京と同じように済州島に対して「慣れ」を感じている。周りにはとってもとってもいい人達がいて、素晴らしい自然に囲まれているのに。分かった気になっているのでしょうか?最近はこのことに対して落ち込んでいます。そして、こんなに素晴らしい環境に対しても「慣れ」を感じ始めた自分に恐怖さえも感じています。いつかはどこかに住むと思うのですが、どこに住んでも「慣れ」の感情は自分に襲ってくるのではないか、と思うからです。

また、旅と人と出会うことは似ているという話をしましたが、人と出会うことの延長線上に恋愛もあります。だから、旅と恋愛も僕にとっては似ています。ただ、こんなことをブログで書くのは気が引けるのですが、実際僕は半年以上女性と付き合えたことがありません。だから、済州島のような理想郷に対してさえ「慣れ」を感じてしまったことはそのまま恋愛の話にも結びつきます。自分は果たして一人の女性と一生向き合っていけるのだろうか、という疑問です。というか実際は、今済州島に対して感じている感情が昔「こんなに素晴らしい女性はいないだろうな」と思いながらも自分から相手に別れを切り出した時の感情と似ているんです。

この種のことを考えると自分はだいぶ問題のある人間だな、といつも思います。「新しい世界認識をもたらす何か」を追い求めているという自分の根本のモチベーションを変えないといけないのかもしれません。旅も人も恋愛もコントラバスも自然もアートも何もかもが、今はそういうモチベーションに基づいているからです。20歳前後の頃、自分の世界がガラッと変わってしまってからは、それが全ての問題の解決策であり、唯一の生きる光でした。今はあの時ほど苦しくはないですが、相変わらずこの発想は深く自分の根本を支えています。

今年一年の最も大きな課題は、この根本を(少なくとも一度)崩すことかもしれません。事故にでも遭わない限り、2014年はずっと旅を続けていると思います。できるだけ頭を真っ白にして、世界を見ていきたいと思っています。そのことでひょっとしたらこの根本を崩せるかもしれません。逆にこの根本が強くなっていくのかもしれませんが。。。とにかく、曇りなき眼で世界を見て行きます。

済州島の話に戻りますが、とにかく、今の環境の素晴らしさは離れないと分からないと思います。だから、すべきことをしてから去ることにしました。いい形でこの場所を去れるようにあと十日前後頑張りたいと思います。

[解説]

この日記は、私が幽霊の「闇の気」によって、様々なことを考えさせられ「闇」に陥れられていたことが分かります。これは一般に言えることですが、ある霊的存在(神々・悪魔・精霊・幽霊)などと共に働くと、その存在から多くの「気」をもらいます。この時私は幽霊と共に映像を作っていたので、そのことを通して「闇の気」を幽霊達からもらっていた形になります。幽霊達としては、映像に関与するために「闇の気」を入れていました。

そのことによって「光の気持ち」を抱きにくい状態が私の中に発生していたのですが、当時の自分はそのような構造は知らず、素敵な人達に囲まれているにも関わらず「光」を感じられない自分に対して「自己嫌悪」の感情を持っています。これは幽霊達が私を「闇」に陥れるために、この感情を抱かせていた形になります。また、「『新しい世界認識をもたらす何か』を追い求めているという自分の根本のモチベーションを変えないといけないのかもしれません」という言葉に表れているように、幽霊達が私が様々なことを理解していくという方向性を邪魔していたことも分かります。

また、酒は「闇の気」の塊であって、酒を飲んでいるとどんどん「闇」へ堕ちていきます。韓国人は本当によく飲むので、そのことも合わさって私は幽霊達の「闇の気」の影響を受け、「闇」に堕ちていった形になります。

幽霊達は済州島を離れても自分に取り憑いたままだったので、ソウルでも鬱の状態が続いていましたし、ソウルに行ってからの方が「闇」は深くなっていました。その時の日記と写真と演奏音源があるので貼付けておきます。これらから当時の私の意識状態を感じて頂けると幸いです。

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2014/1/28

ここ数週間、感じたことのない憂鬱状態が続いています。酒の飲み過ぎだったり、夜型のせいかと思って自分の中でもごまかしてきましたが、昨日になって初めてちゃんと受け入れられました。

最近もとてもいい出会いだったり、共感や何か新しいことを発見する会話や場だったり、嬉しいことはあるのですが、この憂鬱状態が消えません。自分でも原因がよく分かりません。こんなに恵まれている環境でありながら、こんなことを思ってしまうなんて、お世話になった人・お世話になっている人に対して申し訳ないので、そういう風には考えないようにしていたのですが、昨日やっと、このもやもやとした気持ちを「憂鬱」という言葉に落とし込めました。そして、今はこの問題と向き合わないと旅が進まない気がしています。

ただ、これだけは声を大にして言いたいのですが、今周りにいる人々とは本当にいい時間を過ごしていて、とても感謝しています。また、彼らと接している時、憂鬱状態は消えます。今最も多くの時間を過ごしている、ゲストハウスのスタッフのインギは本当おかしな奴で、いい奴です(彼女が大阪生まれの日本人なので、韓国人なのに関西弁です。僕は彼に「日本で芸人としてデビューしろ」と言ってます。笑)。昨日なんて、彼が自分の旅の記録映像を朝の7時までかかって翻訳してくれました。しかも「純さん、これ面白いよ!」と言いながらやってくれる。本当にスポンジのような男の子で何でも吸収していく意欲とエネルギーに満ちている。それでいていつも人を笑わせるだけの余裕がある。本当独特の男です。大物になるんじゃないだろうか。また、今日本に一時帰国している悠太君には自分と似た人間であることを感じていました。それだけでなく、彼はとても賢く、彼との会話にはいつも発見があり、韓国でこういった日本人に出会えて本当によかったと思っています。一昨日「君には情を感じたよ」と最後に言って去って行きました。そういう、かっこいい男なんです。次に会うのはいつになるのか。。。とにかく、今この二人がとてもかけがえのない存在です。

精神面だけでなく現実的な生活面でも助けられています。実際、僕は今ゲストハウスに無料で泊まり続けています。それは交渉してくれた悠太君のおかげであり、オーナーのジヘイさん、ハラさんの優しさのおかげです。また、その前に家に泊まらせてもらっていた、光一さんにも感謝しています。光一さんとの会話も悠太君同様、色々考えさせられるところがありました。

話は戻りますが、この憂鬱の原因はいくつか考えられます。僕の韓国での旅は本当に喜びに満ちていたからこそ、その喜びに慣れてしまったのか。(これは一番恐ろしいことで、そうであってほしくない・受け入れたくない理由です。)それとも、旅自体に少しの疲れを感じているのか、疲れの取り方をうまく掴めていないのか。やはり自分は都市というものに体に合っていないのか。それとも、当初考えていた通り、酒の飲み過ぎ・睡眠不足・太陽の不足など基本的なコンディション管理の問題なのか。それとも、それらが複雑に絡み合っているのか。そんなことを考えますが、いつも分析の力の無さを感じます。

元々、日本にいた頃から憂鬱な時間などいくらでもありました。朝起きた時いつも絶望から始まる時代もかなり長くありました。ただ、今回の憂鬱は今までの憂鬱と質的に異なることを感じています。だからこそ、躊躇してしまいます。きっと、旅は喜びも強くもたらせば、憂鬱も強くもたらすのでしょう。そういう意味で、向き合うべき問題に今ぶつかったんだと思います。そういう風に考えることにしました。

最近よく言ってますが、旅は通常状態よりも感情が動きます。明日自分が何に出会い、何を感じるか、全てが分からず、全てが不確定だからこそ、何かに出会ったときの驚きが強いからです。だからこそ、喜びに満ちています。こんなことは旅以外では感じられないことです。そういう意味で、旅自体が旅の目的だと最近は考えてきました。しかし、この「旅自体が旅の目的」という言葉は聞こえはいいですが、結局は気持ちの話なので、むなしいことかもしれません。経験に蓄積されるにしても感情が動くということ自体はとても刹那的だからです。最近はその喜びがより刹那的になってきたような、そんな印象を自分の中で感じています。だからこそ、持続的な喜びとは何なのか、を考えます。それは幸福とは何なのか、という問題と直結しているのかもしれません。それが何なのか、前よりももっと分からなくなってしまいました。日本にいた頃は、幸福などどうでもいいと思っていたのに、そんな自分が今こういった文脈で幸福について考えるなんて、、という感じです。韓国の旅がいかに自分の心をありとあらゆる方向に動かしたかを実感しています。

新しい土地に行けばこの状態から抜け出せるのかもしれません。全てが再び真っ白になり、0からまた全てが始まるからです。ただ、今は逃げずにこの憂鬱が何なのか、自分の中で捉え切ってから中国に行きたいと思っています。

昨日今日はその憂鬱を受け入れて、そこに向かってコントラバスを弾いていました。少しずつ、今自分がどういう状態なのか分かってきたような気がします。それとも、分かった気になってきただけなのでしょうか。とにかく、昨日今日はコントラバスを弾いていて本当によかったと感じました。自分でもよく分からない、もやもやとしたものを目の前に提示することができるからです。と同時に、楽器が慰めにだけなってはならない、ということも感じていました。

今のこの自分の精神状態は、ソウルの汚れた空気の中に浮かぶ夕日の景色とダブって感じられます。もっと的確に言うのならば、ソウルの夕日に救いを見出しているのかもしれません。それは「前に進む」ということがどういうことなのか、探し出す意思みたいなものかもしれません。うまく言葉にはできませんが、そういったものを感じます。

明日ソウルについても少し弾こうと思うのですが、そういった景色をなんとか映し出せたらと思います。そして、一度この精神状態はなんとか忘れた上で、この旅全体のこと、済州島の自然のこと、そして何よりも韓国で出会ってきた素晴らしい人達と過ごした時間の喜びを、なんとか形にして、韓国最後のコンサートを行ないたいと思います。

※この音源はコンサートの時のものではないですが、この時期のものです。

[解説]

この日記も私が幽霊に取り憑かれていることで「闇」に堕ちているにも関わらず、その原因が見えていないが故に「自己嫌悪」といった感情に堕ちていることが分かります。


このような形で、韓国で私は「光」と「闇」の両方を経験しています。これ以上韓国での日記を取り上げると果てしなく長くなってしまうので、これ以上はやめておきます。こちらに、韓国にいた頃の日記が載っています。

http://junashikari17.tumblr.com/page/16
http://junashikari17.tumblr.com/page/15
http://junashikari17.tumblr.com/page/14

私は韓国で出会った多くの人々に本当に感謝しています。そして、私の今までの人生を振り返っても、本当にかけがえのない「幸せ」な時間があったと思っています。そんな思い出を自分にもたらしてくれた韓国という場所は、今でもとても思い入れのある土地です。いつか、あの頃に会った友達にもう一度会いたいと思っています。

 

【中国(2014/2/5-2/20)】

幽霊に取り憑かれた状態で私は韓国から中国大陸海沿いの連雲港にフェリーで渡りました。そして、連雲港から上海に鉄道で南下した形になります。相変わらず鬱状態が続いたままだったのですが、上海である女性に恋をしたことで幽霊が取れ、一気に「光」の状態に戻った形になります。我々は神々の導きで出会わされた形になります。その時の日記2つを貼付けておきます。

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2014/2/12

連雲港から鉄道で12時間かけて上海に来ました。

(中略)

ひとつのギャラリーに入りました。すごく気に入った彫刻があったので、写真を撮ってもいいかとそのギャラリーの女性に声をかけると、「It’s not mine.」と。なので「Which is yours ?」と返すと、ギャラリーの奥に案内された。そこで二つの絵が気になって、それについてあれこれ話している内に僕らは仲良くなり、彼女は英語がそこまでできないので隣りのギャラリーのギャラリストの女性も加わり(彼女は英語がペラペラ)三人でずっと話していました。その隣りのギャラリーの方からはi-phoneケースまで頂いてしまいました。

正直、その「It’s not mine.」と最初に言った子に惹かれていました。僕は一度その三人が解散した後、しばらくしてそのギャラリーに再び行き、「今夜空いてますか?もし空いてたら食事をしましょう」と尋ねました。OKと返ってきたので、僕らはそのままギャラリーが閉まる時間までそこで会話をし、食事へ。

彼女はいちいちかわいらしい。英語が理解できず、筆談を使っても通じない時でも、自然とお互い笑っていられる。そして、とてつもなく親切で、純粋な子でした。彼女と嘘について話した時は僕はおそらく100%も理解はできなかったけど、こんなことを言っていました。「あなたが好きだといったあの絵は人間の顔を描いていて、口の中には大きな庭がある。そこを風は通り抜け、目と口は切り裂かれる。口はすごく邪悪なの。」もし次に会うことができたなら、もう一度このことについてきいてみようと思います。

あと、結局彼女はほとんど食べなかったんです。というのは、彼女は喉の調子が悪くて今はあまり食べられないとのこと。たまにすごく咳き込んでいました。そのことはとても残念だったけど、よく来てくれたな、と。しかも、勘定は彼女が払おうとしていました。それはあまりにも悪いので僕が全部出すことに。というか、上海に来た初日に彼女のような人と出会えたことは本当に嬉しいことだったんです。

今日は、僕にとっては上海初日の日、彼女にとっては旧正月明けの初出勤日でした。彼女は「今日が初出勤日で、あなたに出会えてラッキーだった」と言います。僕も「Me too.」と。別れの時とても長い握手を交わしました。お互い離そうとしなかったんでしょうか。そして彼女は「See you ? See you だよね?」と。僕の主観も入ってしまっているので、全ては確かではありませんが、お互いに親近感は感じていたことは確かでした。

(後略)
 

2014/2/20

上海を去り、厦門に来ました。明日台湾の金門島に行きます。結局、上海にいたのはたった一週間でしたが、書き残しておきたいことがたくさんあります。それだけ上海での生活は充実していたんです。本当は上海にもっといたかったのですが、ビザが切れてしまうためどうしても離れないといけなかったんです。

実際、この一週間はある女性を中心に生活していました。まずはそのことだけについて書きたいと思います。前の日記にも書きましたが上海に来た初日、ふらっと寄ったギャラリーで僕はそのギャラリーを管理している画家の女性と仲良くなり、惹かれていったんです。会ったその日に僕は食事に誘い、そこで僕らはすぐに打ち解け、それからはほぼ毎日メールでやり取りをし、この一週間で三回会いました。今は彼女とのやり取りの一つ一つをとにかく覚えていたいという気持ちです。

二回目に会ったのは元宵節(新年に入ってから15日目)でした。最初に出会った翌日に僕がまた食事に誘うと彼女がその日を指定してきたんです。彼女が案内したいと言っていた街を、二人でずっと歩いていました。特別な日だったため街は凄く賑やかで、エネルギーに満ちていました。

ただ、実際その時は僕にとって目の前に現れる建物や景色はどうでもよかったんです。すごく寒い日だったので僕らの距離はとても近く、そんな中を歩きながら笑って会話をしているだけで十分でした。時折目が合うと愛おしさを感じます。度々彼女に「ほら、ここ写真撮りなよ!」と言われ、やる気なく写真を撮っていたくらい、その他のことはどうでもよかったんです。

彼女はとても可愛らしい女性なのですが、包容力がある。彼女の空気をなんとか言語化したいのですが、あまりにも僕の表現力は乏し過ぎます。とにかく、妹のようでもありながら姉のようでもあり、だからこそ僕は兄のように振る舞うこともあれば弟のようにも振る舞っていました。僕らはとても相性が良くて、お互いの拙い英語力をあっさりと乗り越えられるだけの何かがあったんです。

ところで、その日、彼女は彼との結婚を考えていることを僕に話しました。そこであっけなくこの淡い恋は終わったように思えます。連雲港で出会った女の子からも話を聞きましたが、中国の結婚観は日本よりももっと大変で、とにかく親からの圧力が強く、彼女も焦っているようでした。ただ、実際あまりショックは受けなかったんです。ただでさえ僕は未来よりも現在を大事にするタイプの人間だった上に、旅人になってからはその気持ちがより一層強まっているからです。今、彼女と時間を共有しているということが未来のどんなことよりも大事に思えたんです。

その後、僕は彼女に好意を持っていることを伝えました。次に会えるかどうかも分からないので、とにかくそのことだけは伝えて去りたかったんです。彼女はとてもビックリしていて、筆談で「緊張」と書いていました。相変わらず可愛らしい子です。僕は肩の荷がおり、彼女も純粋に喜んでくれて、距離はより近くなったように思えました。二日目はそんな日でした。

これは余談ですが、僕はすっかり忘れていたんです。その日は2/14でした。しかも、後から聞いた話だと、中国のバレンタインは男性から女性にプレゼントをするとのこと。彼女に花の一つでも買っていくべきだったな、と反省しています。きっと彼女はこの日一人で過ごすのが寂しかったんだと思います。

その翌日、彼女は僕の演奏を聴きたいとメッセージをしてきました。僕は録音ではなくて生で聴いてほしかったので、ギャラリーで弾くよと言い、彼女もそれはすごく嬉しい、ということだったので、その翌日に雨の中コントラバスを抱えて彼女のギャラリーへ。クラシックを少し弾いた後、彼女の絵を見ながら即興をしました。

結果から言えば、彼女の絵と100%通じ合ったとは思えません。ただ、自分が弾いたことのないような音が出てきたことは確かでした。それが、僕らの関係そのものを表しているようにも思えます。きっと、僕はまだ彼女のことをよく分かっていないんです。

それに対して、彼女は僕のコントラバスを気に入ってくれて、あなたの音には確固たるものとためらいの両方を感じる、と言いました。きっと彼女は僕が彼女のことを分かっている以上に僕のことをよく分かっています。僕はこの「ためらい」から抜け出したいんです。

その後、食事をしている時、彼女は僕をとても理性的な人間だと言い、私は言葉で表現する能力が低いから絵を描いていると言いました。そして、私達はちょうど正反対ね、と笑いながら言います。彼女の何が好きかっていうと、こういうことを笑って言えるところなんです。いつも寛容に満ちています。特に、彼女はクリスチャンです。神を信じています。僕は神についてはそれが確かかどうか分からないと言いました。そのことも彼女は笑って受け入れてくれます。むしろ、あなたの考え方はいつも面白いと興味を持ってくれさえします。

僕は彼女に「神」と「芸術」と「哲学」と「世界」と「我」の関係性を描いてほしいと頼みました。この図式がその人の核心だと思うからです。まず彼女は大きく「神」を書き、その中におまけのように「世界」を描きました。それがまず面白かったんです。そして、さらに面白かったのが、「世界」を越えたところに「芸術」がある点でした。

僕にとって「芸術」はあくまでも「世界」を表すためのものです。しかし、彼女はそこを越えたところに「芸術」は存在し得ると言います。おそらく「世界」という言葉に対する認識の違いがこういう違いをもたらすと思い彼女に「世界」とは何かを尋ねました。すると世界は「人性の鏡」であると言います。そのことは僕もすごく共感しました。

結局彼女にとって絵を描くことは神に至るための過程なんです。だから、世界を越えたところに芸術が存在し得る。僕は神の存在・非存在は分からないということをまず前提としています。だから世界を越えたところに芸術は存在し得ない。世界が全てを包含するという前提を持ってしまっているからです。

とにかく、この話に限らず、彼女は僕の理性を面白く感じ、僕は彼女の発想を面白く感じていました。

食事の後、僕は傘を持っていなかったので一本の傘に二人で入って駅まで歩いていました。この時間が最後の時間になるのは分かっていたので、改めて僕は彼女に好意を持っていることを伝えると、彼女も僕に好意を持っていることを伝えてくれました。恋人でも何でもないけど、それだけでよかったんです。最後に彼女に「あなたに会えて本当によかった。実は、あなたに会うまで自分はすごく調子が良くなかった。あなたのおかげで、今自分は生き返ったように思える」ということを伝えると彼女は「あなたに出会えて本当によかった。私もあなたに出会って私の絵は変わったの」と。確かに、この一週間彼女はすごい勢いで作品をつくっていました。

たまたまの偶然で知り合った外国人の二人が、時間を共有してお互いを認め合って影響をし合って、何かが変わって元の生活に戻っていく。僕は自分にとってだけでなくて、彼女にとってもそうだったことが本当に嬉しかったんです。彼女は「この一週間は私にとっても旅だった」とも言ってくれました。

今日、彼女はメールで旅の間自分のことを覚えていてほしいと言いました。僕はきっと一生彼女のことを覚えているでしょう。
 

[解説]

彼女と時間を過ごしたのはものすごく短い期間でしたが、彼女に対して私は「愛」を抱いていました。これらの文章から韓国にいた時の「憂鬱」な状態は何も感じられないと思いますが、それは私の身体が彼女への気持ちから「愛の気」=「金の気」で満ち、幽霊が私の身体に留まっていられなくなり、取れたからです。こういったことから、「愛」を抱く事が様々な精神の病を解決することを理解して頂けると幸いです。逆に言うと、私にこういったことを教えるためにも、幽霊が取り憑いた状態から神々は私と彼女を出会わせています。

我々2人が神々との導きによって出会っていることは我々の最初の会話にもよく表れています。「すごく気に入った彫刻があったので、写真を撮ってもいいかとそのギャラリーの女性に声をかけると、『It’s not mine.』と。なので『Which is yours ?』と返すと、ギャラリーの奥に案内された。そこで二つの絵が気になって、それについてあれこれ話している内に僕らは仲良くなり、、、」とありますが、普通「写真を撮ってもいいですか?」という問いに対して、「It’s not mine.(それは私の絵ではないです)」とは応えないです。これは神々が我々2人の会話を続けさせるために、彼女の言葉に関与した形になります。そして、この反応から私が「Which is yours ?」と返したのも、神々の関与になります。また、きっかけはある彫刻を私が気に入ったことですが、神々は我々が何かを好きになることに関して関与ができます。彼女との会話のきっかけを作らせるために、私がこの彫刻を気に入るということを促した形になります。

また、この日記から彼女が神々と繋がっている人間であることもよく分かります。それは、彼女が「神」「芸術」「哲学」「世界」「我」の関係性をどのように捉えているのか、「世界」とは何なのかという発言から分かります。当時の自分は彼女が一体何を意味していたのか分かりませんでしたが、彼女は真実を捉えています。では、どうして彼女が真実を捉え切れていたかというと、神々と共に働いている人間からです。

「我」から矢印が伸びていて、その矢印が「我」→「芸術」→「神」となっているのは、彼女が神々と共に働くことによって、「真実」を掴み取ろうとしていることを意味します。これが当時の自分が「彼女にとって絵を描くことは神に至るための過程」と言っていることの意味になります(私は自分で説明しておきながら、この時はこの説明の意味を理解していません)。目に見えない存在と共に働いている実感が彼女にはあるから、こういった→の流れを書いています。そして、「世界」=「人性(人間性)の鏡」という言葉の意味は、自分が一体どのような「気」を抱えるかによって「世界」の見え方が変わってくるということを意味しています。

彼女は金星神と繋がっている人間でした。彼女の名前は「美藝(メイイー)」というのですが、金星神は「愛」と「美」の女神です。彼女は金星神と繋がっているからこそ、そのような名前を持っていますし、金星神の「愛」の「美」を抱きながら生きている人です。彼女が金星神と共に「愛」を実践し、その「愛」の「美」を持って生きていることは、私が彼女に会いに再び上海に行った時の文章からよく感じられるので、張りつけさせて下さい。

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2014/10/28

上海で、僕は以前恋をした画家の女の子に会いました。結局上海でやったことは、彼女と夜に二回会っただけです。僕が上海にいた理由はほとんど彼女が全てだからでした。彼女と再会することは、美しい思い出を汚すような気がして少し怖かったのですが、会いたい気持ちは抑えられませんでした。

一日目に会った時、我々は上海スタジアムの地下鉄出口で待ち合わせをしていました。僕は少し遅れて行き、そこで待っていた彼女を8ヶ月ぶりに見ることになりました。ただ会った瞬間、自分は彼女の見た目に関して記憶の中で美化し過ぎていたことを悟ったんです。こんなことを思うのも失礼な話ですけど、それが本心でした。だから、その後一緒に街を歩きながら「やっぱり会わなかった方がよかったのかもな、、」とぼんやり考えていました。

彼女は僕に言います。「ここは前に通ったところだよ。覚えてる?」。僕は正直最初の方はそこがよく分からず、なんとなくごまかしていました。無理も無いです、前に一緒に歩いてた時は景色なんて彼女に比べれば本当にどうでもよかったので、あまり見てもいなかったのだと思います。それで彼女は「ほんと?覚えてないの?」と笑いながら自分に言います。そして、しばらく歩いて彼女は言います。「何が食べたい?辛いものは平気?前にここに来た時は私は忘れていたの。ここにいいレストランがあるの。」

地下鉄の駅を降りてから、そのレストランまではたった数百メートルの距離だったと思います。ただ、その短い時間で自分は彼女の何が好きだったのかをすっかり思い出していました。彼女はもちろんきれいな人です。ただ、見た目的な部分よりも内面の美しさが8ヶ月前の自分にそう思わせていたことを思い出していました。そして、それを思い出す過程で今の自分は彼女に改めて惹かれていっていました。

彼女の気遣いには真実がある気がします。日本人の気遣いとはちょっと違う。彼女の気遣いには本当の優しさがあって、自分に対する本当の尊重がある。そして、今をとても大事に思っている感じがいつもありました。8ヶ月前もそうだったことを、今目の前でそうしている彼女と向き合う中で感じていました。

彼女の英語は決して達者ではありません。けど、何故か我々はその食事の間会話が途絶えることはありませんでした。思えば前もそうだったように思えます。そして、すごく人生の重要なテーマから何でもない冗談みたいなことまで、彼女と話しているとそれらが全て同じトーンで、違和感無く、繋がって会話できます。こんな女性は僕の人生で今までいただろうか、と思うと他に見当たりません。どうしても重いテーマは重く、軽いテーマは軽く話すのが人間普通だと思うんですけど、彼女の微笑みは自分からそういった重さ軽さみたいなものの必要性をなくす力があります。そして、そんな彼女と話していると自分はいつも彼女に対して愛おしさみたいなものを感じていました。

彼女は四ヶ月前に彼と別れました。だから僕はその理由を訊きたかったんです。自分はタイミングを伺いなら、その質問を彼女に投げました。すると彼女は言います。

「彼は私にプロポーズをしてこなかった。私は一昨年も去年も今年も待ったの。ただ、それでも彼は言ってこなかった。だから、もう彼との未来は見えないと思ったの。私は結婚がしたい。私は心の平和に至りたい(この部分に関しては中国語の漢字でのやり取りでした。「穏」という文字が書かれていたのを覚えています)。結婚をすれば二人が一つになる。その時に平和は実現されると思うの。」

僕は言いました。「その時に心の平和が実現されるのか、俺には分からない。できない、と思っているかもしれない。」彼女は言います。「分からないけど、確かに純の場合は難しいかもしれない。直感だけど。」自分:「そっか、やっぱそう思うか。笑」

この会話で自分は上海をすぐに去ろうと決めました。自分に結婚をする気などまだ1%も見当たらないからです。彼女もそんなことは話す前から分かっていたでしょうし、僕も今のそういった状態で彼女と向き合うことなど不可能だと分かったからです。彼女は自分のような男をパートナーとしては求めていません。

(中略)

自分は心の平和なんて求めているのだろうか。そのことさえ疑問でもあります。自分は他人と一緒でしか見る事ができる景色を見たいと思っているのだろうか。それよりも、自分一人で見える景色を今は見たいと思っているのかもしれません。

まだまだ平和な日々よりも気付きに満ちた日々を送っていたいし、自分だけの目で見えることも、見えるようになっていくことも山のようにあるはずです。自分はそういった可能性の中に身を投げていきたいのだと思っています。

話は戻りますが、彼女と二回目に会う時、自分は上海で最も美しい夜景が見える外灘を指定しました。前に行ったこともあるので、その景色自体は本当はどうでもよかったんですけど、その景色の中にいる彼女を映像に残しておきたかったんです。彼女にも前もってそれは伝えていました。

それでいざカメラを向けると彼女はすぐに逃げる。前もそうでしたが、彼女はカメラを嫌います。彼女は僕の後ろに回って、「私はあなたの影よ。笑」と言って撮らせない。可愛い子です。僕は彼女のこういうところも好きでした。そんなやり取りを数回やった後、僕は諦め、彼女が相変わらず自分のリュックを掴んで後ろに回っていたので、「俺は美藝の犬じゃないよ」と言って手を握りました。それからは冗談を言い合いながら手を繋いでその夜景の中を歩いていました。

今回が最後だと分かっていたので、僕は彼女を家の前まで送ることに。彼女はひょっとしたら台湾に行くかもしれないと言っていましたが、先のことは分かりません。次に会えるのか、会えるとしたらいつなのか、そんなことは分かりません。長いハグの後、彼女は言います「あなたが戻ってくるなんて思ってもいなかった。もう一度会えて本当に嬉しい」。自分も彼女に同じことを言った後、「もしいつか結婚する日がくるなら、あなたのような人と結婚をしたいと思う」と伝えました。それはお世辞でも何でもなく、本当にそう思っていたからです。あと十年後に会いたかった、とさえ思っていました。

今回、彼女と会ってよかったと思います。彼女が自分にとって真実であることに、より確信を持てたからです。美しい記憶が汚れてしまうことはありませんでした。
 

[解説]

私は前世で彼女のような人を愛したことがあります。その人と彼女はよく似ているが故に、どうしようもないくらいに彼女と会う度に愛おしさを感じました。神々は私の魂の歴史を全て知っていますから、私に強い「愛」を抱かせるために、私が過去に最も愛した女性と似ていた彼女を出会わせた形になります。

彼女が本当に強い「愛」を抱いていることは、当時の私の文章からよく分かります。「彼女の気遣いには真実がある気がします。日本人の気遣いとはちょっと違う。彼女の気遣いには本当の優しさがあって、自分に対する本当の尊重がある。そして、今をとても大事に思っている感じがいつもありました」という言葉は、「相手のことを大事と想う気持ちから相手のために何かをしたい」という「愛」そのものです。私は当時「愛」とは何なのかということを言葉で理解することはできていませんでしたが、この文章に関与した神々が、私が「愛」の本質を彼女に感じていたことを文章で表現してくれています。

また、神々が我々の会話にかなり関与していたことも次の言葉から分かります。「彼女の英語は決して達者ではありません。けど、何故か我々はその食事の間会話が途絶えることはありませんでした。思えば前もそうだったように思えます」とありますが、言語の壁があるにも関わらず、会話が途絶えなかったのは神々が我々が何を話すかということをかなり導いてくれていたからです。

また、「すごく人生の重要なテーマから何でもない冗談みたいなことまで、彼女と話しているとそれらが全て同じトーンで、違和感無く、繋がって会話できます」とありますが、これは彼女がこの2つを大事に思って生きているからこそ、生まれる態度です。例えば、人生論といった日本人からすると重いテーマは普段から考えていないと、会話に出た途端に身構えてしまいます。逆に、人生論といったものばかりを重視し、冗談のようなことを軽視している人は、何でもない冗談のようなことを話す時は軽くなってしまいます。彼女は、人生の重いテーマも何でもない冗談も平等に大事に捉えているからこそ、彼女は全て同じトーンで話すことができています。

彼女は真に強い「愛」を抱いていて、「賢さ」も持っているからこそ、両者を大事に思えています。何でもない冗談は相手を笑顔にすることができるとても大事なものです。そして、人生の重いテーマは生のことをよく理解するためのものなので、とても大事なことです。そして、彼女の「愛」や「賢さ」を保っているのは、彼女が繋がっている金星神でもあります。そういう意味で、彼女と金星神は真に共に生きています。

神々は私に「愛」を教えたいと思っていました。だからこそ、金星神と真に共に生きている美藝と私を出会わせた形になります。この文章からどれだけ感じて頂けるか分かりませんが、彼女は金星神の「愛」の「美」を持っている人でした。

私は旅の記録映像をそれぞれの土地ごとに制作していましたが、彼女との出来事の説明の時は必ずこの音楽を流すつもりでした。この曲が彼女の「愛」の「美」に非常に近いと思ったからです。当時は知りませんでしたが、この曲を創ったカルロスも金星神と共に歌を歌い、この曲は金星神の「愛」の「美」を捉えている曲なので、聴いてみて頂けると幸いです。

 

書いていませんが、中国の土地や人からは「闇」も感じました。ただ、彼女との時間は強い「光」の時間でした。一回目に中国にいたのは2週間で、二回目は1週間もいない中、彼女と五回会っています。だから、私にとって中国はほとんど彼女との記憶になります。そして、彼女は私に強い「光」を教えてくれた形になります。彼女のことを思い出すと、今でも愛おしさを感じます。

 

【台湾(2014/2/20-5/19,6/9-)】

台湾の滞在可能期間は3ヶ月です。私は台湾に合計一年以上いましたが、ここでは最初の3ヶ月について書きます。この時期も韓国同様に「光」と「闇」を経験しています。神々の導きによって台湾本島に行ったこと、様々な「光」の人とも出会い、そのことからいい影響を受けていたこと、「闇」のシャーマンと出会い、その方に呪われ、そのことで「闇」に堕ちたことを書いていきます。
 

・台湾人の「光」

2014/2/23

台湾の台北にいます。台北に行くまではドタバタでした。

19日に上海から列車で厦門まで行き、20日に厦門から船で台湾の金門島(地図の青い点)へ。僕はこの金門島からフェリーで台湾本島に行くつもりでした。しかし、金門島のフェリー乗り場のインフォメーションできいたところ、そんな便はないとのこと。貨物船に乗って台湾本島に行けるという情報を手に入れてましたが、誤った情報でした。つまり、台湾本島に行くには飛行機しかありません。ただ、飛行機に乗るとコントラバスが壊れる可能性大です。

一度は真剣に台湾本島を諦めて引き返し香港に行くことを考えました。「これからの長い旅、台湾に行かなくても問題ないのでは?」と考えていたんです。ただ、台湾本島には求めているものがある気もしていたんです。場所自体が島であり、人と自然がいいということを聞いていたからです。もし、それが本当なら行かないわけにはいきませんでした。

ちなみに、その時は既に時間は17:30を回っていて、厦門に戻る船も既に無くなっていました。金門島で一泊して考えてもよかったのですが、宿代が高く、2000円を超えていたんです。もし台湾本島に飛行機で行くなら、ここで無駄にお金を使うのはあまりにももったいない。その時はそんなことを考えていました。いつもお金が問題です。

結局台湾本島にその日に飛んだのですが、何よりも決定打となったのは金門島の人の良さでした。中国からほんの数キロしか離れていない台湾のこの島に渡った瞬間、人がガラッと変わったんです。入国審査の女性は微笑んでいて、銀行両替の方は時間外にも関わらず対応してくれ、ATMを管理している方は僕のカードがうまく使えない時にどう対処するかを一緒に考えてくれました。特に、インフォメーションに立っていた女性二人は僕の問題を本当に親身になって考えてくれて、何件も宿に電話をし値段交渉、航空会社側にコントラバスの安全を保証、本当にありがたかったです。そういった人の良さが、コントラバスを危険にさらしてでも台湾本島に行くことの背中を押してくれたのでした。台湾本島にもきっと素敵な人々がたくさんいるに違いないと思ったからです。

飛行機に乗ってみると、飛行機操縦席の後ろにコントラバスのための特別スペースが確保されており、コントラバスは何の問題もなく台湾に到着。まるで金庫にしまうかのように大事にされ、少し笑えました。本当に調整してくれた皆様に感謝です。まさか、この旅の中で自分とコントラバスが空を飛ぶなんて数時間前まで思いもしませんでした。一瞬先に何が起こるか予想がつかないからこそ、この旅は面白いです。

(後略)

[解説]

飛行機にコントラバスをそのまま乗せると楽器が壊れるというのが、コントラバス弾きの常識としてあります。だから、この旅は飛行機をこの時まで一度も使ったことがなく、全て船でした。だからこそ、この時はコントラバスを飛行機に乗せることに関して非常に不安を抱えた形になります。

ただ、本当にあり得ないくらい自分のために全力で対応してくれて、その結果コントラバスを飛行機の特別スペースに乗せることができています(写真)。台湾人は「光」の人が多く、この時に私が接した人も「愛」が強い、「光」の人ばかりでした。「光」の人だったからこそ、神々がかなり導きを行なうことができ、結果的にこのような形が実現しています。

神々としては、私を台湾で「光」のシャーマンにすることを元々決めていました。だからこそ、もしここで私が台湾本島に行かなければ大きなロスとなります。そういったこともあって、私に「コントラバスを飛行機に乗せてみよう」という「勇気」や、対応をしてくれた台湾人の方に「風の気(優しさ)」「金の気(愛)」で関与していた形になります。

台湾本島に渡った後も、台湾人の人々が持つ「愛」に触れる中で私はいい影響を受けていました。そういったことについて次も書きます。

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2014/3/3

台湾に来る前、済州島の旅の記録映像をきっかけに声をかけてくれたSさんから、台湾に住むコンテンポラリーダンサーの女の子を紹介してもらいました。そして、この前その方ともう一人のダンサーの三人で食事をし、酒を飲み、我々は意気投合しました。

もう、二人とも本当に信じられない程親切で、一人なんて会う前からうちに泊まっていいよと言ってくれるし、僕が台湾を一周旅することを伝えると台湾中の友達を紹介できると言ってくれ、連絡をとってくれる。とにかく、彼女達の何の意図もない親切にビックリしていました。二人の名前はイジンとイシャンと言います。今イジンと一緒にいることが多いのですが、いつも助けてもらっていて、済州島のシアをよく思い出します。済州島を離れてもいつも済州島が基準です。

それで、その食事の時に話にあがったのが、台北に住むヒッピーの夫婦の話。その夫婦はエコビレッジ的な、廃材を使って家を作っているとのことで、そこの人が足りていなくて人を募集しているとのことでした。面白そうなので僕は「是非とも行きたい」とお願いし、イジンとイジンの彼氏と一緒に3日前行くことに。結局僕はそれからずっとそこに滞在しています。そして少なくとも、おそらくあと一週間はいると思います。

貨幣を使わない自給自足の生活をしていると聞いていたので、相当構えていたのですが、行ってみるとビックリでした。元々はお寺だった場所を改造し、そこがイベントスペースと居住スペース生活になっていて、横には事務所のような場所がある。そのヒッピーの夫婦は地方自治体のような組織と一緒に手を組んでこの家作りプロジェクトを進めているとのことでした。意外ときれいで、環境は整っていて、Wifiもある。しかもその響きのいいイベントスペースでコントラバスの練習もできる。家作りを手伝うだけで、健康的なご飯も宿泊代もタダです。

その夫のアムーは長い髪と長い髭を生やし、歩き方、振る舞い方、全てが聖人という感じです。妻の灰はかわいらしく優しい人で、元々はアーティストであり、色々なアートディレクションに関わってきた方、仕事もできる方です。アムーの人間性と知性を、灰がうまく支えている形が数日経って少し見えてきました。また、今日は皆さんで街に行ったのですが、この夫婦がいかにヒッピー的であるかがよく分かりました。近代化された環境の中に入ると彼らがそれとは違う次元で生きていることがよく分かるんです。

また、この二人の周りにはいつもいい人達に溢れています。毎日誰かがこの場所にやってきて、家作りを手伝ったり、アムーと話したり、建てている最中の家を見たりしています。この場所にいると変わった人達がたくさん来るのですごく面白い。

(中略)

昨日、灰は僕に言いました。「ここではあなたがしたいことをしていればいいのよ。家作りを手伝いたかったら手伝えばいいし、コントラバスを練習したかったら練習すればいいし、外に出かけたかったら出かければいいのよ。気楽にね!」。タダで泊めさせてもらっていて、飯までタダで食わせてもらっているのに、こんなことを言われてビックリしました。

何かを頂いたなら何かを返さなければいけない、という考え方はすごく日本人的な考え方だと思います。僕が何かを返さなければいけない、という責任感みたいなものを感じていることを彼女は見抜いていて、だからこそこういったことを言ったのだと思います。彼女は時折すごく核心を突いたことを僕に言います。

元々ギブアンドテイクのような考え方はあまりにも打算的で、僕はあまり好きではありません。とは言っても自分が何かを頂いた時は何かを返したいといつも思ってしまいます。そのことは決してわるいことではありませんが、それを責任として捉えた瞬間に純粋な行為ではなくなってしまうのかもしれません。

ここにいる人達はそういったギブアンドテイクの考え方はほとんどありません。僕は一切それを見せないようにはしていましたが、彼らの優しさに何度も泣きそうになりました。アムーもイジン同様、僕と出会った日に台湾中の友人に電話をかけてくれ、その友達の名前と電話番号を僕に教えてくれたんです。僕は何もしていないのに、今台湾中にタダで泊まれるところをほとんどの地域で持っています。信じられません。

彼らと時間を過ごす中でこういった自分は少しはいい方向にいけるのかもしれません。しばらくはここに滞在するつもりです。台北観光などあまりできていないですけど、ここに滞在する方がよっぽど価値があるように思えます。しばらく、日中はここにいて家作りを手伝いながら中国語を覚えつつ、夜は路上で演奏し台湾の色々な人と触れ合いながらお金を作れたら、と思っています。


[解説]

当時の私にとって、「ただ与える」というスタンスを貫いている台湾人の彼らの姿は本当に感動的で、当時ものすごく強い刺激をもらっています。日本人は「ギブ&テイク」のスタンスがどうしても深く根付いていますが、台湾人は「ただ与える」というスタンスを持っている人が多いですし、僕が関わったほとんどの人がそうでした。今は私も「ただ与える」という立場で生きていますが、そういったことの背景には旅中に出会った彼らのような「ただ与える」ということを実践している人との出会いがあります。

彼らが「ただ与える」ということをとても自然にできているのは、彼らが強い「愛」を持っているからです。そういった「愛」を感じることが、本当に強く心を動かしました。とにかく、重要なことは、彼らが本当に自然にそれをやっている点だったんです。だからこそ、彼らの「愛」をダイレクトに感じて、感動していました。

このエコビレッジで私は寝るところと食べ物を支えて頂き、その後に繋がる様々な人間関係のきっかけを作ってもらい、その場所でコンサートをする機会までもらえました。様々な形でこの場所と人に支えられた形になります。彼らになんとかして、色々なことの恩返しをしたいと今でも思い続けている日々です。

また、彼らだけではなく台湾人の多くが本当に「愛」に満ちていることは、路上演奏をしていてよく分かりました。路上演奏をしていると、当時どんどんお金が入ったからです。私は日本で路上演奏をしたこともありますが、その金額の差は本当に桁違いに違います。

路上演奏をしていると台湾人は本当に多く立ち止まって私の演奏などを見つめながら、一体どういう人間なのだろうと興味津々な様子でした。そして、「頑張ってね」と言いながら私にお金を入れてくれます。台湾の路上で演奏していて、いい出会いはたくさんありましたし、お金だけではなくて彼らから「元気」をいつももらっていました。

当時の私は「愛」という気持ちの面でも、経済的な側面でも台湾人に大きく助けられていました。本当に台湾は素晴らしい国だと思っています。

私は、このエコビレッジに一ヶ月滞在した後、このエコビレッジで出会った友人が住んでいた山に滞在しています。その友人が借りていた家はある山の上で、そのエリアには多くの「闇」のシャーマンがいました。そして、私はその「闇」のシャーマンの住む家に居候する形になりました。当時はシャーマンとは何なのかも理解していなかったので、当然彼らが「闇」のシャーマンであることも知らなかった形になります。神々は、私に「闇」のシャーマンがどれだけ恐ろしい人間なのかを知らせるために、この山に行くことを導いた形になります。その「闇」のシャーマンのことを書いた当時の日記を貼付けます。「闇」のシャーマンの女性のことをXと書きます。写真はその山の写真です。


・「闇」のシャーマンの「闇」

2014/4/16

今日は今家に泊まらせているXとの二回目のレコーディングでした。Xは台湾の先住民の方になります。歌を歌い、太鼓を叩き、色々な人々の人生を支えている方でもいます。ここに来て二週間近く経ったと思うのですが、いつも色々な人が来ます。具体的にどういう人がどういう用で来ているのかは分からないですが、来る人は皆Xに何らかの助けを求めているように思えます。昨日はXに何かを話しながら大泣きしている女性を見ました。それをXは真正面から見つめ、何かをしゃべっている。その後に外で何かを燃やしながら、Xはその女性の前で太鼓を叩きながら歌っていました。その時に、きっとこの人はシャーマンなのだろうな、と僕は確信したのでした。

僕もここ最近、彼女の存在に色々な面で支えられてきました。家の二階は今空いていて、自分はそこに無料で泊まっていいと言ってくれ、冷蔵庫のものから何から何まで食べ物は全て好きに食べてくれ、とも言われています。路上演奏は心身共にとても消耗します。理由は分からないですけど、尋常ではないアドレナリンが出ているせいでしょうか。ただ、どんなに消耗していても、翌日目が覚めて太陽と美しい緑のある森の中で生活していると自分を保てるのでした。そして、なによりもXの出す大きな空気を感じるといつもホッとするのでした。彼女は日本語が少し話せて「ご飯食べた?ちょっと来なさい」と言いながら、冷蔵庫の中身をいつも説明してくれます。

※写真はそのXの家です。最初は私もここで寝泊まりしていました。

最近は彼女の歌のことがよく分かってきました。とても素晴らしいです。彼女と演奏していると、自然と導かれるのでいい意味でとても楽です。大きな存在を目の前にすると、できるだけ弾きたくないという感情が現れます。最近はこれが全ての出発点かな、と思っています。どんなに多くを弾こうと、どんなに少なく弾こうと全ての音はこういった恐れの中に成り立つべきです。それは自分をできるだけ消す努力です。ただ、それでもなかなか消えない。音源を聴いた時に自分が思っていたよりも消えていない自分にガッカリしました。今日のレコーディングはこの音源よりももっと弾きましたが、いい内容だったように思えます。ただ、それでもなかなか自分は消えない。

彼女は僕に歌を教えてくれると言いました。台北に戻ってきたらまたここで生活しながら、彼女と時間を過ごし、声と自分の魂と外側の世界を繋げる訓練をしたく思っています。

今日びっくりすることがありました。彼女は僕がとても疲れているのをよく分かっていて演奏が終わった後、「外での演奏はやめて、ただここでゆっくりしなさい」と言ってきたんです。でも自分はお金が必要なのでやらざるを得ません。すると彼女が僕に日本円で10万円近く渡してきたんです。「これをあげるからお金のことは心配しないでほしい。あなたの体のことを気遣いなさい。まだ若いからいいかもしれないけど、そんなことをしていたらアイスランドに辿り着く時にはあなたの体はボロボロになってしまう」と。

なんというか、こんなことをされてしまって、「感謝しています」などそういった軽い表現ではとても足りません。元々、レコーディングのお礼に何らかのサポートはしたいと言ってくれていたのですが、「僕は家にタダで泊まらせてもらっているし、ご飯も食べさせてもらっているので何も要りません」と言っていました。それなのに、こんなにたくさん頂いてしまうなんて。。。

台湾にギブアンドテイクの発想などありません。少なくとも彼女にはありません。だから、自分は彼女に何ができるのか、など考えることはナンセンスだと思います。とにかく、彼女の気持ちを自分はちゃんと受け取ること、それが全てです。それは、彼女の大きな存在をどこまで理解できるのか、ということと同じことでもあります。

また木曜に自然の中でレコーディングをするので、ギブアンドテイクの発想とは無関係に、頑張りたいと思います。


[解説]

「闇」のシャーマンとは悪魔と共に働いているシャーマンのことを意味します。この時の自分はXが繋がっている悪魔の罠にハマっていることさえも気付いていませんでした。そもそも悪魔といった存在がいるなんてことは当時の自分は知りませんから、気付くこともできなかったと思います。

神々は「光」=「愛」の存在ですから「ただ与える」のスタンスです。それに対して悪魔は「闇」=「欲望」の存在ですから「ギブ&テイク」のスタンスです。この時に何故Xがここまで自分に良くしてくれていたかというと、その悪魔が私に何かを与える代わりに私から何かを奪いたかったからです。

例えば、この時に私はXの冷蔵庫から食べ物をもらっていますが、これは悪魔の持ち物を食べていたということを意味します。神々と悪魔には明確なルールがあり、その一つのルールがそれぞれの持ち物には自分がいつでも「気」で関与できるというルールです。ですから、私が当時食べていた食べ物はその悪魔の「闇の気」に満ちていました。つまり、私はこの時に毒を食べていた形になります。

また、Xは私に10万円を渡していますが、このことによって何が起こるかというと、私のXに対する気持ちが近くなります。そのことはこの日記からも感じられると思います。そうなると、私とXの間にある「縁」=「気が流れるライン」を通して、悪魔は「闇の気」を送ることができます。悪魔としては、私に「闇の気」を入れるために、私とXの間の「縁」を太くするためにXにお金を渡させている形です。

どうしてXが「闇」のシャーマンと言えるのかということに関しては、明確な根拠がいくつもあるのですが、一つはこの後に私が心身共にかなり病んだ点です。そして、Xが「闇」のシャーマンであることはXを頼っていた人々の様子から分かります。この日記の中にも表現されています。

「ここに来て二週間近く経ったと思うのですが、いつも色々な人が来ます。具体的にどういう人がどういう用で来ているのかは分からないですが、来る人は皆Xに何らかの助けを求めているように思えます。昨日はXに何かを話しながら大泣きしている女性を見ました。」

これはXが相手を「依存」させていたことを意味します。「依存」とは「闇の気持ち」の一つであって、実際に「依存」に人を陥れる「闇」のシャーマンは非常に多いです。Xを頼っている人々は皆かなり変な感じがして、強い「闇」を抱えている人ばかりでした。また、Xが彼らに対する治療・相談に対して取っていた対価は非常に高額で、Xに財産を吸い取られている人もいるという話も後で聞きました。

おそらく、X自身、自分が「闇」のシャーマンであることを知りません。Xは「光の気持ち」と「闇の気持ち」も知らずにシャーマンになっているからこそ、悪魔に簡単に利用されている立場のシャーマンになります。ちなみに、日本にもこういった霊能力者はたくさんいるので注意して頂ければ、と思います。

こういった「闇」のシャーマンが非常に恐ろしい点はそのシャーマンさえも悪魔に利用されていることを気付いていない点にあります。悪魔は「闇」のために「光」さえも使う立場であって、悪魔であっても力のある悪魔は「金の気」=「愛の気」などを使うことができます。ですから、その悪魔自身の目的のために、その悪魔がシャーマンに「愛」を抱かせることもあります。だからこそ、そのシャーマンの目の前にいる人間はそのシャーマンから「愛」を感じ、このシャーマンは本当に素晴らしい方だと思ってしまいます。私自身、このような構造によってXのことを強い「愛」を持っている人だと誤解しています。人間が「気」のことを忘れているからこそ、悪魔は簡単に人間を騙し、「闇」に陥れることができます。

Xが「闇」のシャーマンであることは彼女の歌には表れているので、彼女との即興演奏をアップしていきます。「闇」のシャーマンと演奏をすることは強く「闇の気」をもらうことに繋がります。何故ならば、一緒に演奏することは相手との強い共感作業だからです。Xの繋がっている悪魔としては、私にXとの演奏を通して「闇の気」を入れるために、Xに私のコントラバス演奏を気に入らせるように関与しています。だから、当時彼女にコントラバスをものすごく褒められたことを覚えています。


このXの歌自体にXのことはよく描かれています。最初の方は「光」に見えますが、6:00頃から「闇」を表現し始めます。
 


こちらの音源はもっと早くから「闇」の側面を出しています。Xが繋がっていた悪魔としては、私に「闇の気」を入れるために私の心を「闇」に共感させる必要があり、だからこそXに「闇」の歌い方を途中からさせています。

以下、Xを通して、Xと繋がっていた悪魔から「闇の気」をもらい、私がどのように「闇」に堕ちていったのかが描かれている当時の日記を複数貼付けておきたいと思います。※は解説になります。
 

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2014/4/19

 

月曜からずっと体調を崩しています。目まいがあり、体がだるく、足がフラフラします。体調が悪いせいか、最近は発想も気持ちもすごく落ちていました。

ただ今日は金曜だったので、無理矢理路上に。Xの思いもあったので、今週はずっと我慢していましたが、もう限界でした。

演奏しながら、自分の音がいつもより小さく感じる。音が小さいのではなく、耳の調子が悪い。途中で限界を迎え、食事をし、糖分を摂り、なんとか持ち直した後、再び路上へ。

二回目の演奏、お客さんと気持ちが通じ合う中で、色んな人が声をかけてくれて話す中で、体調が良くなっていきました。また、ここ最近の落ちていた気分も無くなりました。彼らからいいエネルギーをもらっていたんだと思います。

いつも同じです。全て台湾の人々の優しさに助けられて生きてます。こんな日々がもう二ヶ月が経とうとしています。路上をやりながら、なにやってんだろうなー、とも思いながら、相変わらずです。

お金もあともう少し、もう少しです。明日と明後日は土日、九時間くらい寝て体調を整えて、全力で臨めることを願います。お休みなさい。


※どうしてXが私に路上演奏をさせたくないように言ったかというと、Xが繋がっている悪魔が路上演奏を通して私が「光の気」をもらわないようにするためです。そのためにXに「路上演奏をしないでほしい」と言わせた形になります。私はそういったXの言葉を裏切って路上演奏に行っているので、ここで申し訳なさを感じています。また、精神の調子だけでなく、身体の調子も悪くなっていることはこの日記からよく分かります。音が聴こえづらい状態にもなっていました。よく歌手の方が耳の調子を悪くするようなことはありますが、「闇の気」によってそういった現象は起こっています。私は耳は強くできているのですが、この時はかなり大量の「闇の気」を抱えたが故に耳がやられていました。悪魔としては、可能ならば私に耳の病を与えたかったのだと思います。音楽家にとって耳がダメになってしまうことはかなりの精神的ダメージなので、悪魔は私の心を「闇」に陥れるためにそういったことを行なっていた形になります。写真はその路上演奏の時に通行人の方が撮ってくれたもの、そして、通行人の方が私にくれた手紙です。こういった手紙をよくもらって、そういった手紙でいつも元気をもらっていました。台湾人の多くは神々と共に生きているので、神々が台湾人を通して私を助けていたとも言えます。

 

2014/5/9

正直、今自分の状態がよく分からなくなっています。

ただ、よく分からないということは経験をしたことがないということであって、何かを分かるために必要な前提です。だから、もっと今の状態を見つめなければいけません。そのためにもっとコントラバスを弾き、言葉を使って考えなければいけません。新しい地に行って新しい刺激で今の状態をごまかすことは容易いでしょう。ただ、まだそれはやりません。現在の状態を認識することと、新しい何かに自分を開いていくことは常に葛藤状態にあります。

日本を離れて経験したことのない世界に身を置き、その中で生活する日々が半年以上続く中、自分で自分のことがよく分からないことが実はとても多いです。むやみに日本の方から心配されるのは望まないので、あまり書きませんが、実際はそうです。ここ何週間かひょっとしたら一ヶ月近くか、今もまたよく分からない時期が来ています。とにかく、もっと考えなければいけません。
 

※ここでは私の「向上心(水の気持ち)」を悪魔が悪用していることが分かります。自分が「闇」に堕ちていて、よく分からない状態を迎えているからこそ、その状態を変えるために場所を移動するのではなく、分かるまで自分と向き合おうとしているからです。心の状態はこの気持ち自体は「向上心」なのですが、悪魔としては私に「闇の気」を吸わせるために、ここに留めさせる必要があったからこそ、私にこのような「アイデア」を与えています。本当は場所の移動をすればXの「闇の気」から逃れられるのですが、それをさせないためにこのような形で私に関与した形になります。

 

2014/5/12

家に帰るといつも野良猫が自分の帰りを待っています。こんなに寂しがりやの猫、今まで見たことありません。餌をあげたことなんて一度もないのに、夜になるとやってきて、抱き抱えるまで「にゃーにゃー」鳴き続けます。寝る前はしょうがなく家の外に出すんですけど、必死に家に戻ろうとしてくるので、可哀想な気がしてしょうがないです。なんでコイツはこんなに寂しがり屋なんだろうか。

自分は一人が好きです。とは言っても人にいつも気持ちの面で救われています。ほっといてくれ、と思いながらも、他人とのコミュニケーションの中で人間の本質を感じる瞬間は喜ばしい。いつもこの間を振り子のように振れています。もうこの人生ずっとかもしれませんが、バランスを取るのがとても難しい点です。

台湾の人々はとてもフレンドリーです。そして本当にいい人です。だから、一方でほっといてくれと思いながらも喜びは感じるという場面がたまにあります。ほっといてくれといつも思っているわけではないので、本当にたまにですが。

昨日も書きましたが、このことにも自他の区別の差が表れています。彼らがすごくよく僕に声をかけてくれるのは彼らにとって他人という存在はとても近くにあるからなんです。それに対して、自分がほっといてほしいとたまに思ってしまうのは、自他の区別が強いことを表しています。自分の領域に入ってきてほしくない、と思うことは自他を分ける壁が強いからです。

他人を求めているのに、他人を求めていない。他人を求めていないのに、他人を求めている。いつもこの矛盾の中に生きています。いつまで経っても解決されない矛盾です。

あまり生産性のない日記です。

こんなことを書いていると猫が膝の上で寝始めました。可愛いやつです。こいつにも、だいぶ助けられている気がします。


※「他人を求めている」=「光」、「他人を求めていない」=「闇」という関係性の文章になります。神々の導きを通して、台湾人の素晴らしさに触れながら「愛」の「喜び」を知っていっているにも関わらず、悪魔の「闇の気」による関与でそんな台湾人に対してほっといてほしいという気持ちに堕ちていることが分かります。また、猫が寄ってきているということを書いていますが、これは神々が私を助けるために猫に関与していたことを意味します。猫は人間から「闇の気」を吸い(だから彼らはよく寝ます)、人間が「愛」を抱くことを支えます(だから彼らは可愛いです)。だからこそ、神々は助けたい人間に対してよく猫を使いに出します。当時はこのような構造は知りませんでしたが、神々の導きによって「こいつにも、だいぶ助けられている気がします」という文を最後に書いています。この山にいる時は、本当に猫達に助けられました。

 

2014/5/16

認めたくはありませんが、今とても疲れています。原因はよく分かりません。海外に出て半年以上経ったせいなのか、台湾での日々に疲れてしまったのか、自分の内であまりよくない感情が動き回っています。路上演奏は当然やる気にならず、台北観光など随分前から興味を失っていますし、動画編集も結局あまり進まずです(韓国の映像はほとんど終わってるんですけど)。

ひどく疲れていると共に、何かを恐れています。実際、何かを恐れている感情はずっと持っていますが、ここ最近はその感情がやたらと強いです。見る夢もそんな夢ばかりです。

今の生活は旅に出る前の自分からすると夢のような生活です。自然に囲まれた木の家に住み、好きなだけ練習もでき、皆さん優しくて、山から降りれば安くておいしいご飯も食べられるし、お金も稼げるのでお金の心配もしなくていい。そんないい環境に恵まれていながら、自分がこういう状態になっていることは残念でなりません。

そんな状況にありますが、コントラバスを弾いている時がなによりもの救いです。一番心を穏やかに保つことができます。


※この頃は山の上で引き蘢りのような状態を過ごしていました。この日記に書いている通り、「闇の感情」と悪夢に襲われていた形になります。悪夢を見せるのは基本的に悪魔ですが、悪魔から「闇の気」をもらっていたが故にこのような状態になってしまっています。そして、そのXの冷蔵庫から食べ物をもらっていたので、悪魔の「闇の気」ばかりが宿った食べ物を食べ続けていました。当時自分が無料で使わせてもらっていた家がこの写真の家です。Xの家の数十メートル先にある空き家でした。

 


2014/6/14

ものを考える時も、練習する時も、編集する時も、自分の状態がいい時もあれば悪い時もあります。憂鬱な時間の方が圧倒的に多いかもしれません。それはそれらをやるということに対して憂鬱なのではなくて、自分に対する憂鬱を感じるということです。

フィリピンに行く前はその憂鬱がとても強まっていました。そのせいで色々なことが見えなくもなっていたし、見えそうなものもありました。もちろん、今また山に籠って、自分と時間を過ごしているとそういった憂鬱が無くもありません。


※2014/5/16から2014/6/14の間の期間に私はフィリピンにも三週間行っていましたが、台湾の山に帰ってくると再び調子を崩しました。そういったことを「憂鬱」という言葉で表現しています。写真はオリジナルのこの日記に付けていたものではありませんが、当時ブログにアップしていたものでした。この山は「闇」のシャーマンばかりがいたせいで「闇の気」がかなり溜まっていました。さそりも蛇も「闇」の生き物であって、「闇の気」があるところを好みます。だからこそ、この山はさそりや蛇などが多かったように思えます。

 

2014/6/23

風邪でくたばってます。昨日までの丸三日間は体が辛くて何もできず、ほとんどベッドの上で一日を過ごしていました。今日の夕方頃、これはもう大丈夫なのでは?と思い、飯を食うために山から地上に降りましたが、ダメでした。夏なのにダウンジャケットがないと寒いです。

その前の丸三日は特に頼る人もおらず、というか頼りたくもなく、部屋で一人ただただ回復を願って睡眠。食料が尽きてくるので、その時はキッチンからこっそり申し訳程度食料を頂き、餓えを忍んでいました。

(中略)

昨日同居人の○○が帰ってきたのですが、こんな病気の居候を一人預かってもらうのは非常に悪いのでなんとか治さないといけません。治り次第花蓮に行きます。明日には完治して、明後日には行きたいな。お休みなさい。


※この時は本当に身体だけではなく、身体が辛く、自分の人生の中でこれほど病に苦しんだ期間は他にないと思います。相変わらず、Xの冷蔵庫から食べ物を食べていたので、「闇の気」を抱えています。

 

2014/6/24

相変わらずの体調です。こんなに病気が長引くことは自分にとって相当珍しいです。風邪でない可能性も気にかけています。

どうして、この台北という場所からこんなに抜け出せないのか、体調が悪いせいもあると思うのですが、もう気持ちの中で限界を迎えています。僕はここに通算三ヶ月半もいます。

明日体調悪くとも花蓮に向かおうかと思います。コンディションが良くない状態でコントラバスとバックパックとリュックを抱えて見知らぬ土地に移動は恐ろしいのですが、もう精神的に限界です。

葛根湯に全てをかけて眠りたいと思います。お休みなさい。


※花蓮とは、台湾の太平洋側の場所なのですが、そこに移動すると急に体調が良くなりました。Xの「闇の気」から逃れることができたからになります。


他にも、ここには書いていませんが、当時私はこの頃山に籠っている状態で、日本の地震が心配になってしまい、ずっと地震のことを調べていました。調べた内容をFacebookにアップもしています。その投稿の中で「不安にかられ、これから起こり得る地震について色々調べました」ということを書いているのですが、これは悪魔が私の善意を使って「不安」に陥れていたということを意味します。悪魔は人を「闇の気持ち」に陥れるために善意さえも利用します。

あと、これはどこにも書いていないですが、当時日本のあるお笑い芸人がどうしても見たくなって、山で引き蘢り状態になりながら、そのお笑い芸人のYouTubeばかりを見ていました。今だからこそ分かりますが、その芸人は悪魔と共にお笑いを行なっている人間で、私を襲っていた悪魔としては、私を「闇」に陥れるために当時その芸人の動画を見せていた形になります。

このような形で、私は「闇」のシャーマンに関わったからこそ、当時心身を病んでいました。この時のことで「闇」のシャーマンがどのように悪魔に利用されているかということや、「闇」のシャーマンと関わるとどのように泥沼にはまっていくのかが少しだけ理解できた形になります。私はこのX以外にも、様々な「闇」のシャーマンと関わったことがありますが、それらのことで「闇」のシャーマンと関わる恐ろしさは理解しています。そのことについては、『私の人生の流れ7』に書きます。

 

【フィリピン(2014/5/19-6/9)】

フィリピンは三週間でしたが、フィリピンでも私は「光」と「闇」の両方を経験しています。フィリピンで最も経験した「闇」は人々の「闇」です。フィリピン人の多くは貧しく、貧しいが故に「闇」に堕ちてしまっています。だからこそ、私みたいな日本人をいつも騙そうとしてきます。そういった経験をいつも味わい、その中でも印象的な出来事を下で取り上げたいと思います。

また、私は「闇」のシャーマンを通して悪魔からの「闇の気」を多く抱えた状態でフィリピンに行っていたので、フィリピンでもその「闇の気」に悩まされていました。悪魔が最も狙っていたことは私を海で殺すということです。実際、私はフィリピンでスキューバダイビングをよく行なっていましたが、そのダイビングで私が感じていたことは「闇」の美しさですし、ダイビング中に酸素ボンベの不具合で、深い海の中で息が吸えなくなって死にかけました。

フィリピンで感じた「光」は人々の「光」です。フィリピンは地域ごとに人の感じが違いました。私は最後にアポ島という場所に行ったのですが、そのアポ島の人々は本当に「光」の美しさを持っていて、当時の私は強く感動しました。彼らが自然と真に共に生きているが故に、神々からの「光の気」を受け取りながら生きていたが故に、彼らはそういった美しさを持っていた形になります。当時はどうして彼らがあれほど美しかったのかは分からなかったですけど、今はその理由が分かりますし、私が目指している未来の日本人の姿は彼らのように自然と共に生きる生き方でもあります。

以下、この三つの要素について、順番に当時の日記を抜粋していきたいと思います。


・フィリピン人の「闇」

2014/5/25

この数日で5カ所以上市場を見て回ったと思うんですけど、フィリピンの市場も台湾で感じたようなアジア特有のカオスがあります。ただ、どうも空気が違います。マニラで最も大きな市場と言われる市場に行った時にとにかくそれを強く感じました。それは彼らの疲れです。

同じような店で同じような商品が売られていて、ストリートチルドレンがそこら中で屯していて、営業しながらも店の人が寝ている店がちらほら。何よりも印象的なのは彼らの目です。彼らの目に先に向かって行く希望はなく見え、日々のルーチンワークの中で、利益も少ない中で、彼らの何かがすり減らされ続けた日々を感じていました。

マニラ二日目、とても印象的なことが起こりました。僕は前日の徹夜の疲れも残る中、ある美術館に徒歩で向かっていたんです。すると馬車に乗った男性が声をかけてくる。

男:” Hey sir, will you ride on ? ” (やあ、乗らないかい?)
自分:” No no, no thank you, I can walk. “ (いえ、大丈夫。歩くよ。)
男:” Don’t wary, it is 20 Php. 20ペソで大丈夫(日本語で)” (心配するな。20ペソで大丈夫。)
自分:” Really ? Are you sure ? 20 Php ? “ (ほんとに?確かですか?20ペソ?)
男:” Yeah, OK ! “ (ああ、もちろん)
自分:”OK, I will get on. “(分かった、乗るよ。)

フィリピンはほとんど料金は交渉です。何事も事前に値段を決めておかないと面倒なことになります。親子で馬車に乗っていて、息子に走らせている光景などを僕は見ていて微笑ましいなーなんて思っていたところを声かけられました。値段交渉も済んだし、一回くらいフィリピンの馬車に乗りたかったし、何よりも疲れていたので僕は乗ることに。

彼は日本語も少し話せて我々は美術館に行きながら「息子の名前は~だ」とか日本のことなど色々な話をしていました。僕が写真を撮ろうとすると”Don’t take photos. Here is dangerous. ”と彼は止めてきました。確かにたくさんのホームレスが路沿いにいて、彼らはカメラを取るから出さない方がいいと。

その内、美術館に到着。美術館の近くは馬車は乗り入れができないということで、少し前で止められました。「さて、降りるか」という時、彼が一言「OK, it’s 20hundredペソ」。。。ファック、、、です。

自分:” Why !? You said 20 Php !! “ (どうして?あなたは20ペソと言ったじゃないか!)
男:” No no it’s 20 hundred php ” (いやいや、20百ペソという意味だよ。)
自分:” I won’t pay so much money ! I can’t !! “(俺は払わない。払えない。)

そんなやり取りをし始めると自転車に乗った別の男が現れ、「Are you fool ? You should pay 2000 php.」などと言い始める。その場所は通りを走る車と我々以外、ほとんど誰もいない。完璧にハメられました。思えば写真を撮るのを止められたのも顔を撮られないようにしていただけです。

事前にフィリピンの治安についてはだいぶ調べていたんです。それによると、こういう場合は下手に抵抗せず、おとなしく払った方がいいという意見もたくさん見ていました。泥棒に抵抗した日本人が殺されていることもあります。そして馬車の男は大男、僕はそんな大男の後ろに出られないような形で座っていました。

しつこく俺が「こんな金払うか」みたいなことを言っていると、男が「オーケー特別にディスカウントしてやる」と言い始める。「こんな詐欺にディスカウントもあるかボケ」としつこく口論していると、終いには「オーケー、ボスのところに連れて行く」と言い出し馬車が動き始める。ボスってなんだよ。ファッックです。。。

僕はその時、隣に座っている彼の息子の顔を見たんです。全てを見て見ぬ振りをしたいのに、間に挟まれてしまっている。自分の父親はおかしなことをしているんだろうか、どうなんだろうか。もうその答えを分かっているようにも見えました。そして、僕に対しても恐怖を感じていたようにも見えました。決して目を合わせない。

そんな男の子の顔を見て、この男のことが心から許せなかった。本当は”Never be like your father !!!(絶対に父親のようになってはいけない!) ”と大声でこの子に向かって言いたかったんです。それはこの子に対する文字通りの助言と、その男の息子に対してその男のことを正当に否定するという、この男に対する復讐でもありました。ただ、それはこの子のためにやめておきました。

もういい加減に吹っ切れて、約束通り20ペソだけを置き、無理矢理馬車を降りる(意外といけた)。すると男が馬用のムチで降りようとしている俺の手に一発ムチを入れてきました。俺はその時この男に本気で腹が立って殴り掛かろうかと思いましたけど、これ以上の面倒はごめんなので素直に立ち去りました。

僕が馬車に乗る前に見ていた微笑ましく思っていた光景は何だったのか。結局、あのどうしようもない男のようになるための訓練ではないか。あの馬車の上で交わした会話は何だったのか。全ては偽りで、金のための演技であり、そして嘘であり、あまりにも悲しく腹が立っていました。そして、その男の子に対してどうしても父親の方になってほしくないと願っていました。

ただ、その怒りから一歩後ろに下がって思っていたんです。僕は生まれて初めて、この数日で貧困を見ただけに過ぎません。貧しさは人間をここまで汚いものにしてしまう強い力を持ったものです。彼らからすると、自分なんて大金持ちです。大金を貯めて、世界を旅している、こんな金持ちは彼らからすると狙うべき対象になっても仕方ないかもしれません。そこまで心が汚くならなくとも、市場で見かけたたくさんの疲れきった、未来が見えない顔を貧困は作ってしまいます。

僕はストリートチルドレンが食べ物を求めてきたら、あげるようにしています。というか、あげたくてしょうがない。その中には、本当に無気力に求めてお礼も言わずに去っていく子もいれば、目が輝いていてすごくかわいい子もいます。

きっと、幼い頃から彼らは重要な決断を迫られているんです。心を失っていくか、それでも前に進めるのか、判断力も経済力も行動力も無い子供達にとってそれはあまりに酷な決断です。まだマニラは一週間もいないので、こういうことを言うには早すぎますが、そんな印象をマニラという都市では抱きました。

話は戻りますが、男と別れた後、僕は目的地の美術館へ。もう、びっくりもしませんでしたが、自分以外に誰一人いませんでした。「そりゃ、そうだろ」です。マニラの人々にとって、芸術やアートなんてものはあまりにも遠い。僕は本当に素晴らしい芸術作品はどんな人の心も動かすと信じています。ただ、それは幻想にさえ思えました。貧困はそもそもの目も耳も心も全てを塞いでしまいます。貧困はそれだけパワーの強いものであることを初めて実感したんです。

僕はその男に対する怒りをまだ抱いていたので作品を見ても何も感じることができず、ずっと考え事をしながらあたりをフラフラしていました。するとある作品に出会う。

Power of farmと題されたその作品群にすごく心を奪われました。そこに本来フィリピンの人々が持っていた何かがあった気がしたからです。いつもどこかの国の支配下にあったフィリピンはその中で多くのものを奪われていったのかもしれません。今のフィリピンとフィリピンの歴史の関係性について明らかな連続性は見出せていませんが、というかそんなことをして分かった気になるのもどうかと思いますが、もう少し知っていきたい部分です。

フィリピンについてネガティブなことばかりを書きましたが、いいこともたくさんありました。時間がある時に続きを書いていきたいと思います。

[解説]

この文章はそのままの意味を理解して頂けると幸いです。この文章に書かれていない部分を書くと、この文章から、私がこの男性の詐欺に対して「怒り」に堕ちていたことが分かります。悪魔としては、人を「闇の気持ち」に陥れるためにフィリピン中で様々な詐欺を人々にさせています。そして、そういった形で詐欺をさせるために、フィリピンという国を貧しくし、様々なことをその悪魔の都合で操作してきた歴史があります。

この日記の中で書いていますが、フィリピンは様々な国に支配され、そういった国から搾取される中で、人々は「闇」に堕ちてしまっています。魂にとって「支配」されることは「嫌悪」の感情に堕ちやすいものです。そういったことの連鎖によってフィリピン人の多くが「闇」に堕ちてしまっている現状がありますし、神々はそういったことを私に見せるために私をフィリピンに送っています。そして、こういった出来事が起きた後に色々なことを私に考えさせることで、真実を教え、当時の私の日記に書かせています。この美術館には、元々フィリピン人が持っていた精神が描かれている作品が置かれていました。神々としては、そういったかつてのフィリピン人の「光」と今のフィリピン人が抱える「闇」を対比させるためにこの日にこの場所に私を行かせています。

この詐欺はよくある詐欺ですが、他の形のものもあったので、そのことを書いた日記を貼付けておきます。

 

2014/6/1

昨日エルニドでダイビングをした後、最後の日なので僕は夕日を見に行きました。エルニドの夕日は美しいです。そして、暗くなったので街の方に戻ろうと歩いていると、大泣きした女の子が向こう側からこちらの方に歩いてきて、僕の方に話しかけてきました。

その女の子は「誰でもいいからアドバイスがほしい」と初めに言い、なぜ自分が大泣きしているのか、その経緯を僕に話してくれました。彼女の話によると、彼女は彼氏との交際五年記念ということでエルニドに旅行に来ていて、数日過ごしたとのこと。けど、昨日の夜、彼氏の携帯を見たところ彼氏の浮気が発覚し、しかも二年以上も他の女性との関係があったと。それで彼女はもう立ち直れない状態になってしまい、「今からボートに乗って、酒を飲んで海の中で死のうと思う」と言っていました。

これはまずいな、、、なんとかしないと、と思って色々話していました。僕も自分の用事があったのですが、放っておけなかったんです。「行きたかったら行って大丈夫。ただ、私は明日には死んでると思う」と彼女は言っていました。そんなことを言われてしまったら行くわけにはいきません。自殺だけは避けないといけない。どうしたら、この子の状況をよくできるかずっと頭を悩ましながら、ずっと彼女の話に耳を傾け、こうしたらいいんじゃないのか、とたまにアドバイスをしていました。そんな感じで20分近く経ったように思えます。

20分以上そこで話していたので、人通りが少ない場所でも、たまに人がそこを通って行きます。すると、その女の子の方に「ハロー」という感じで話しかけてくる人がいるんです。あれ、旅行中って言ってたけど、この子エルニドに友達がいるのかなー、と思って「あれは友達?」ときくと「いや違う」と。

また、しばらくすると彼女が座っている自分の方にだんだん寄ってきて、腕を組み始める。しかし、通行人が通る度にわざわざそれを放す。明らかに、人の目を気にしていました。

これはおかしいな、、、と思い、”What you want ?(何がほしいの?) “と尋ねる。すると、 彼女は“I want you.(あなたがほしい)”と言う。そして、終いには、こちらの髪を撫で始め肩にキスをし始める。 もう自分は事態が分かったので“You want money ?(お金が欲しいの?)”と尋ねると、 彼女は“Why not.(当然よ)”と。はいはい、です。

話にわざと乗っかり、“How much you want ?(いくら欲しいの?)”と尋ねると、先程まで泣いていた顔は完璧に無くなって、金にかじりつくような顔になり、「あなたが先に額の候補をあげて」と。もう、この時点で確定です。

「奥さんも彼女もいないならいいじゃない」みたいな形で、かなりしつこかったですけど僕は断り、振り払って歩いていくと、彼女は何事もなかったかのように街の方に歩いて行きました。

彼女の命の心配なんてした自分が馬鹿でした。あまりにも馬鹿馬鹿しかった。金がほしいなら初めからストレートに言えばいいのに、何故わざわざそういうやり方してくるのか。もちろん、彼女と話している間、「怪しいなー」とは最初から思っていました。ただ、自分が彼女に対して怪しいと思っていることすら自分に対して許せなかったところがあったんです。もし、彼女の話が本当だとしたら、怪しいなんて思っている場合じゃないからです。なによりも、命がかかっている。怪しいと思っていても命がかかっているのだから、仮に本当である可能性が1%だとしても、ちゃんと向き合うべきだと思ったんです。けど、無駄でした。

認めたくはないですが、マニラには二度と行きたくない、と思っています。あまりにもこういうことばっかりだからです。エルニドでさえこういうことが起きるとは思いもしませんでした。

昨日がそんな感じだったので、今日は誰一人フィリピン人が信用できませんでした。信用しないのは安全だし簡単です。ただ、それでは人間同士の関係性など生まれることは不可能です。人間的でありたい、相手を信じたいと思った行動の先に、いつもこういうことがフィリピンでは起きます。残念ですが、これから先は自分に話しかけてくるフィリピン人は誰も信用しないようにします。

彼らにとって日本人の自分は、いいカモです。騙される場合でないにしても、本当によくそのことを感じます。トライシクルに乗ると大体フレンドリーに自分に話しかけてきます。ただ、蓋を開けるとそのフレンドリーさはさらにお金を取ろうとするための手段であることがほとんどです。本当うんざりします。

フィリピンに来て、フィリピンの人々と人間同士の関係はあまりできていません。韓国中国台湾はここに比べると簡単だったんだな、と思います。顔もほとんど一緒だし、経済的な豊かさも近いし、多くの共通点を持っているからです。

ただ、フィリピンの人々は顔も似ていないし、経済的な差もある。外見で我々はお互い違うというところから入り、経済的な差ゆえにお客さんとして見られてしまう。もちろん、たくさんの素敵なフィリピンの人々と出会いました。ただ、このどちらの面もクリアできたケースは稀なように思えます。いつも、我々の間には壁ができてしまう。


[解説]

この詐欺はお金を取るためのやり方としては20分も時間をかける意味が分かりませんが、人を「闇」に陥れる上では非常に有効な方法となっています。そういった点から、悪魔がフィリピン人に詐欺をさせていることを理解して頂けると幸いです。

この女性が最初に演技をしていたのはあくまで私に同情をしてもらって、会話のきっかけを掴むためのはずです。しかし、この女性は「彼氏と別れたから私は死ぬ」という嘘を20分に渡って話しています。これは、私からお金を取る上ではほとんど無意味な時間ですが、私を彼女が死んでしまうかもしれないという「不安」や、彼女に対する「疑い」や、そういった「疑い」を持ってしまっている自分に対する「自己嫌悪」に陥れる上では非常に有効に働いた時間でした。また、嘘がバレた後には肩にキスをすることなどを通して私に「欲望」の感情も持たせようとしています。この日記の内容からも私が彼女に対する「愛」と「不安・疑い・自己嫌悪」といった「闇の気持ち」の間で揺れていることが分かります。

悪魔としては私を「闇の気持ち」に陥れるためにこのようなことを彼女にさせていますし、彼女は全然賢さを持っていない子だったので、長時間に渡って無意味な演技を悪魔によってさせられていた形になります。演技とは神々や悪魔と行なう場合に非常に上手にできるものです。何故ならば、神々や悪魔と共に働くと「気」をもらえるために、そういった「気持ち」になりながら演技ができるからです。彼女が最初に私に会った時の号泣はどう考えても普通の人間が演技でできるようなものではなく、彼女が真に悪魔と共に働いているからこそできる演技でした。そして、私はこの経験や様々なフィリピンでの同様の経験を通して以下の発想に堕ちています。

「昨日がそんな感じだったので、今日は誰一人フィリピン人が信用できませんでした。信用しないのは安全だし簡単です。ただ、それでは人間同士の関係性など生まれることは不可能です。人間的でありたい、相手を信じたいと思った行動の先に、いつもこういうことがフィリピンでは起きます。残念ですが、これから先は自分に話しかけてくるフィリピン人は誰も信用しないようにします」とありますが、私は「疑い」に堕ちてしまっています。また、この言葉の意味は人は「疑い」の気持ちを持っているのであれば、「愛」を抱く事ができなくなり、相手との人間関係を作ることができないということです。「疑い」は「闇の気持ち」なので、悪魔は人をこのように「闇」に陥れるために、ターゲットの人間を様々な人間を使って騙していきます。これはフィリピンだけではなく、日本などでも起こっていることになります。ただ、フィリピンの方が路上でそういう詐欺が多いので、日本よりもこういった経験をしやすくなる形になります。

以上がフィリピンの人の「闇」の経験です。フィリピン人は本当に可哀想な状況に身を置かれています。私はこういった経験の数々を通して、貧困が人の心をこのように人を「闇」に陥れるということを経験をもって理解しました。また、将来的に、フィリピンの人々に対して自分ができることはしたいと思っています。

 

・ダイビングを通して経験していた「闇」

私は台湾で「闇」のシャーマンを通してもらった悪魔の「闇の気」を身体に抱えた状態でフィリピンに行っていました。そして、その「闇の気」によって、フィリピンでも苦しめられていた形になります。悪魔が使った一つの方法がダイビングを通した「快楽」です。

私はダイビングを通して「非現実を求める闇」という「闇の気持ち」を経験していました。「闇の気」を身体に抱えていると、悪魔がその気になれば我々の現実感を薄れさせることができ、夢の中を生きているような感覚を与えることができます。この気持ちのことを「非現実を求める闇」と言います。

私は当時、生まれて初めてダイビングをしていたので、ダイビングをすることとはこういった形で現実感が無くなって当然の行為だと錯覚していました。そして、悪魔としては私がダイビングをすることが初めてだったが故に、そういった誤解を使って私を「非現実を求める闇」に陥れています。そして、私はこの「非現実を求める闇」を喜んで受け入れ、楽しんでいた形になります。そういったことが分かる当時の文章を載せます。
 

2014/5/30

三日間、一日三回のペースでダイビングをしてきましたが、水中世界との出会いはこの上なく新鮮な体験でした。一つの世界の中に地上世界と水中世界があるのではなくて、水中世界は地上世界とは全く別の世界のように感じられます。理屈で考えれば、同じ一つの世界の中に地上と水中があるのですが、今まで自分は水中世界を知らなかったわけなので、まるで世界が違うように感じるのは当然です。

ちゃんと説明するために面倒な書き方をすると、陸上外面世界のもたらす内面世界を僕は今まで多く経験してきたわけですが、水中外面世界を僕は経験したことがなく、当然そこからもたらされる内面世界も経験したことがないということです。

外面世界を見つめる先に内面世界は広がっていますが、内面世界は広く深く曖昧です。自然という外面世界は我々にそういった無限の内面世界への可能性を示し続けています。そのことを改めて感じていて、海を通して、自然に対する敬意はさらに深まったように思えます。

海の中に入ると地上世界のことは全て忘れ、自分は生まれ変わったような感覚を得ます。外界と自分の関係は常にリンクしているからでしょう。あまりにも外界が異なれば、自分は大きく変化します。まるで赤児のようです。大げさかもしれませんが、一つの新しい生を授かったのかもしれないですね。

この新世界を言語で表すのはとても難しいです。言語で表す努力はし続けるつもりですが。言葉はそもそも地上世界のものです。だから、言語で水中世界のことを表現するのが難しいのは当たり前のように思えます。


[解説]

この日記は、悪魔と共に書いていたブログの『Ashikarism』の感じと少し似ています。書き方に少し「ナルシズム」の感情が無くもないからです。

「海の中に入ると地上世界のことは全て忘れ、自分は生まれ変わったような感覚を得ます。外界と自分の関係は常にリンクしているからでしょう。あまりにも外界が異なれば、自分は大きく変化します。まるで赤児のようです」という言葉が私が強い「非現実感」を感じていたことが分かります。そして、私は自然は元々かなり信頼していたのですが、悪魔はそのポイントを悪用して、「自然という外面世界は我々にそういった無限の内面世界への可能性を示し続けています」と思わせている形になります。

実際は、悪魔の「闇の気」によって私は「非現実感」を持っていたのですが、悪魔は私が自然からそういった感覚を得ていると思わせていた形になります。私は自然を元々信頼しているので、そのように私が思い込むことは悪魔からすると「非現実の闇」を肯定化させる上では非常に都合が良かったからです。

私はこのような形で、ダイビングを通して悪魔と共に働き続けました。そして、そのことを通して身体に宿っていた「闇の気」を増幅させていた形になります。だからこそ、私はフィリピンから台湾に戻った時に体調を崩して一週間近く寝込んでいますし、神々としては状況を良くするためにフィリピンにいた間、私をよく吐かせていました。吐くことは神々がやむを得ず使う、一つの浄化の方法になります。

ちなみに、この日記に対してこの写真が添えているのは、海に陸上世界が写っていて、海の上に空があるかのように見える写真だからです。「非現実を求める闇」のことを視覚的に表現しているからこそ、神々はこの日記にこの写真を添えさせています。

ダイビングを通してどういった気持ちを経験していたのかを理解して頂くためには私が当時作った映像を見て頂くしかないと思っています。ですから、近い内にその動画をここにアップします。今はとりあえず当時海について感じていたことが伝わるかもしれない写真を貼付けておきます。


・フィリピン人の「光」

フィリピン人を通して当時の私が感じた「光」のことを書いた日記があるので、その日記を貼付けておきます。


2014/6/10

フィリピン最後の土地はアポ島でした。特に、この島についてはできるだけ多くのことを書き残しておきたいと思っています。北南1.5km、東西1kmの小さな火山島、電気が使えるのは夜の三時間のみ、人口は100~200人くらいだったように思えます。

言うまでもなく、アポ島に行ったのはダイビングのためでした。ここは珊瑚と魚や亀が豊かということで、ダイバーにとっては世界的に有名な土地です。オフシーズンでしたが、それでもダイバーはそれなりにいたと思います。

すごく小さな島にも関わらず、その周りは場所を少し移動するだけで全く異なった景色が広がり、潮の流れも異なる。計六回ダイビングしましたが、毎回驚きと発見に満ちていました。なんというか、違う宇宙を体験したように感じます。いつもですが、ダイビングについては特にそれを表す言葉が見つかりません。ダイビングについては、動画の方でちゃんと整理しようと思っています。

日記に書いておきたいのは、この島の人々の美しさです。彼らの日常生活の仕草や表情、常にどこかから聞こえてくる子供達の笑い声とにわとりの鳴き声、彼らが生きている家の色、そしてその住居のすぐ横に海があり、波の音が聞こえるということ。それら全てがとてつもなく美しくて、その一瞬一瞬に触れることは感動的でもありました。

僕はこの島に夕暮れ時に辿り着いたのですが、浜にはたくさんの人々がいて、夕日の中で子供達は遊び、大人達は語り合っている。彼らは旅行者でもなんでもなく、この島に住む住人です。四泊して分かったのですが、彼らは毎日夕暮れ時は浜に集まります。誰かがそういう風に決めたのではなく、自然とそこに集まるんです。

僕はこんなことを体験したことは今までに体験したこと無かったと思うんです。太陽と共に生き、その中で美しさを見出し、そのことが生活の一部となっている。こんなにも人間的で、自然で、美しい姿があるだろうか、といつも感じていたんです。いつも僕は午前から昼過ぎにかけて海に潜り、夕方四時頃からその小さな村と浜を歩きながら映像を撮影していました。彼らの生を見て、人を撮りたいと初めて強く思ったんです。

夕暮れ時に限らず彼らの生活は常に美しいです。朝の五時頃の日の出と共ににわとりが鳴き始め、人々も活動を始める。子供達は小さな学校に行き、体の逞しい男達は海に出て、男の子達は井戸から汲んだ水を運んでいる。僕は、一人の女性の経営する民宿のような場所に宿泊していたのですが、常に彼女の家族が出す生活音の中で日々を過ごしていました。三歳くらいの小さな彼女の息子はまだ小さいのでよく泣いていて、それを彼女がしつけている。また、彼女の17歳の娘さんもいて、いつも食事を作ったり洗濯をしたり、その民宿と家事を手伝っている。そういった音の中で生きる時間は、心地いいものでした。

僕はカメラを通してたくさんの人とコミュニケーションを取っていました。この島の人々は他のフィリピンの場所に比べてとてもフレンドリーで優しい。僕が素敵なおばあさんやおじいさんに「Can I take a movie ?(映像を撮ってもいいですか?)」ときくと、優しく「もちろん」と応えてくれる。また、体格のいい男達に「大丈夫かな~。。。」と思いながら同じように尋ねると、「Yeah, of course !! Take take !!(もちろん、大丈夫大丈夫!)」といった形で応えてくれ、彼らが酒を持っている時は大体「まず飲めまず飲め!」といった形で酒をついでくれる。子供達はこっちから声をかけなくても、カメラに興味津々で、彼らを撮った映像を見せると大声で笑っていました。

そんなことをしている内に、いつの間にかこっちから尋ねなくても「あっちも撮ってくれ!」や「私達も撮ってくれる?」といった形でどんどん撮影を重ねていく。二日目三日目からは僕も向こうもお互いのことを覚えていて、道ですれ違う度に「Hey my friend ! 」と声をかけられるようになったし、小さな子供達は「ジュンが来たー!」と言ってキャッキャ騒ぎ始める。本当かわいい子供達でした。

僕はいつも、映像を撮ったらその本人にその撮った映像を見せていたんです。すると皆、すごくいい表情をする。「これが私か~」「これが俺か~」といった感じで照れ臭くも嬉しそうな顔をするんです。僕はそれを見ながら、あばあさんや女性には「Yeah, very beautiful !」と言い、男達や男の子には「Yeah, very handsome !」、子供達には「Yeah, very cute !」と言っていました。それはお世辞でもなんでもなくて、大きな尊敬の念と、この気付きに対する感謝の念も含みながら、彼らに伝えたいことでもありました。自分の好意をカメラを通して伝え、関係を築いていく、カメラを通してこんな経験ができるなんて思いもしませんでした。

僕はカメラを通してたくさんの人とお話をさせて頂きました。それもまた、大きな発見でした。気付いたのは、この島は小さくても、この島に生きる人々は大きな家族であるということです。この島で生まれ、この島で育ち、今自分は60歳、70歳という人もたくさん見てきましたし、そんな話を聞いていると「彼と彼は兄弟で私は妻で、この子は私の娘で、あの男の子は彼の孫なの~」と横にいる女性が教えてくれる。実際に血が繋がっていなくても、この島にいる人々はお互いのことを家族のように見ていたように思えます。

また、驚いたのはこんな小さな島でも日本との関係があるということです。ある男の子のことを「この子は日本人なのよ」と泊まっていた宿の女主人は教えてくれました。「え!?」と思って、詳細を尋ねるとお父さんが日本人とのこと。「今、お父さんはこの島にいるんですか?」ときくと、日本にいるという話でした。どうやら離婚して今はその男性は別の女性と結婚しているということです。僕はその男の子のお母さんと話すこともあったのですが、日本人と話すとあまりいい表情はされませんでした。そして、彼女はマニラからこの島に来たとのこと。深くは尋ねませんでしたが、事態は分かったような分からないような複雑な気持ちでした。マニラでは日本人がマニラの女性を買うということが日常的に行なわれています。僕もタクシーに乗っている時、「今夜セックスどうですか?」とドライバーからよく勧められたものです。これは最悪の想定ですが、あの男の子はその際にできてしまった子なのかもしれません。そうでなくても、子供を作っておいて、それを捨てた日本人の男のことは憎く思えました。そして、その男の子が時折浮かべる困ったような寂しいような表情を見ると、込み上げるものがなくもありませんでした。

最後の夜、僕は70歳近くのある男性を撮影していました。すると、彼も自分は日本人であるとのこと。彼はこの島で生まれこの島で育ち今に至っているということでしたが、お父さんは日本人とのことです。第二次世界大戦中に日本人とフィリピン人の間にアポ島で生まれた方。彼は父親の顔は覚えていないし、兄弟も息子も娘もいないということでした。この方はアポ島で生まれた日本人の血を持つ最初で最後の方なのかもしれません。とてもいい方でした。

その最後の夜、僕は泊まっている宿の娘さんとも話していました。僕は彼女に「あなたの夢は何?」と尋ねました。彼女がいつも働いている様子を見ながら、そのことをずっとききたかったんです。すると彼女はこの島の学校の先生になりたいとのこと。この島の先生はいつも他の島からやってくる。それがよくないと思っていると話していました。

彼女もお母さん同様美しい子でした。自分のことはさておき、いつも自分の時間を他人のために費やしている。携帯もインターネットも持っておらず、目の前の本当に小さな島の中での世界を生きている。まだお母さん程確立したものも持っておらず、時折その迷いの表情を浮かべている。人見知りなところもありましたけど、本当の優しさを持っている子でした。彼女の夢が、そのことを象徴しているように思えます。

僕と彼女はあまりにも違います。そんな彼女の一つ一つの仕草は僕にいつも気付きを与えてくれました。それは彼女のお母さんについても強く思っていたことですし、この島の人々皆に感じていた感情でもあります。

彼女は二年前に父親を海で亡くしました。それは言うまでもなく、彼女のお母さん(宿の女主人)が夫を亡くしたことも意味しています。二人からその話を別々に僕は聞きました。娘さんの方は教えてくれましたが、そのことでお母さんは色んな人に借金をしているとのこと。また、彼女は先生になるために来年から大学に行きたいと思っている。けど、授業料が半年に8000ペソかかってしまうからそのお金がとても大変であるとも教えてくれました。彼女は自分で学費を稼ごうと考えていました。

8000ペソは日本円で20000円弱です。つまり大学四年間で、16万円です。僕は最初の半年分だけでもこの子に援助をしたいと思っていました。同じ20000円という額に対して彼女と自分には圧倒的な価値の差があって、なによりも金銭的な面で大学を諦めてほしくないと思っていたからです。自分で稼ごうと思っている彼女は金銭的な面でそのことを諦めるとは思いませんが、余計な心配はしてほしくないところでした。17歳だとちゃんと働くことが難しいみたいです。

僕が彼女に今20000円を渡すことは容易いでしょう。でも、それだと継続性がありません。また、日本を出る前に旅の資金としてたくさんの人から頂いたお金や台湾で旅の資金として頂いたお金をこういう風に使うのも違う気がします。僕はその民宿のホームページを作りました。僕にホームページ作成能力は無いですけど、タンブラーを使えばそれなりのものは作れます。トリップアドバイザーにも登録しましたが、今現在はトリップアドバイザー側の返信待ちです。とにかく、トリップアドバイザーとホームページで少しは効果が出るといいのですが。僕のような旅行者にとってはこの宿は最高でしたし、情報さえネット上に出ていればもっと人は集まるように感じています。http://ronors-home-stay.tumblr.com

この島の人々が何故こんなにも美しいか、ということをずっと考えてきました。それは自然に生きるということを体現しているからということもあると思いますし、色々理由は考えられますが、それでもしっくりくる答えは出てきません。ただ、毎日のように彼女達と時間を過ごして、食事をしながら彼女達を眺めていて思っていましたが、本当の意味で強い人間は美しいのかもしれません。

この島の人々がなぜ美しいのか、ということに対する理由は分からなくても、人間の生が美しいということがどれだけ尊いものであるのか、ということは今回よく分かりました。僕は彼らの日常に感動する中で、まるで生まれ変わったような気分になっていたんです。少し前のフィリピンで感じていた憂鬱はどこかに消えていました。つまり、彼らの生の美しさから僕は生に対するエネルギーをもらっていたんです。他人の生が自分の生を前向きにし、そういった連鎖の中で生きていく。この島にはそういった連鎖があると思うんです。

美しさというものを僕は芸術や自然に限定して考えてしまいがちですが、人間の生、特に自分が生きる場所の生が美しくある時それはとても尊いように今は思えます。なぜならば、自然もそうですが、人間の生は常にそこにあるからです。悲しいことに、音楽も映画も本もありとあらゆる芸術はいつか終わってしまいます。その経験が自分を変え、自分の中で持続するにしても、それでもいつか終わってしまいます。だから我々はまた音楽を聴き、映画を見るんだと思います。そのことを思うからこそ、尚更常にそこにある生が美しいことの意味を思うんです。

ずっと何かを探し求めてフィリピンを移動し続けてきましたが、最後にアポ島というもう一つの理想郷に出会えたことを本当に嬉しく思っています。


[解説]

この日記の解説は特にしなくても大丈夫だと思いますし、今でもこの日記と全く同じように思っています。当時の私は当然「気」のことは分かっていませんが、神々の導きによって「僕は彼らの日常に感動する中で、まるで生まれ変わったような気分になっていたんです。少し前のフィリピンで感じていた憂鬱はどこかに消えていました。つまり、彼らの生の美しさから僕は生に対するエネルギーをもらっていたんです。他人の生が自分の生を前向きにし、そういった連鎖の中で生きていく。この島にはそういった連鎖があると思うんです」という文を書いています。

「闇の気」が身体に溜まっていても、「光の気」をもらうことで私は生まれ変わったような「気分」になっていた、ということを意味しています。この島の人々のように、日本人もいつか皆がお互いに「光」の影響を与え合えるようなものになってほしいと思っていますし、そういったことを実現するためにも、いつも努力しています。

この日記は私にとって考えさせられるもので、何故当時私はその子に20000円を渡さなかったのかという点です。「日本を出る前に旅の資金としてたくさんの人から頂いたお金や台湾で旅の資金として頂いたお金をこういう風に使うのも違う気がします」ということを理由としていますが、考えが足りなかったと思います。私は旅の資金として時給で働いて得たお金も持っていました。そういったお金を彼女に渡すのだったら、全然大丈夫だったのに、私は当時このような思考をしてしまっています。ウェブサイトを作ったことは当然のことだと思いますが、20000円あげてよかったと少し悔やまれます。

この民宿のトリップアドバイザーを作成したのは私なので、今でもこの民宿の情報は私のところに入ってきます。その度に、ホームページを作ったことで売り上げが上がっているといいといつも思います。もしフィリピンに行くことがありましたら、是非アポ島は行って頂きたいですし、その時はこの民宿を使って頂けると幸いです。


『私の人生の流れ6』はこちらになります。読んで頂けると幸いです。
http://junashikari.com/profile/life-story6/