『私の人生の流れ』の1つ目の文章になります。『私の人生の流れ 概要』はこちらなので、まだ読まれていない方はこちらから読んで頂けると幸いです。

『私の人生の流れ』概要:http://junashikari.com/profile/life-story/

ここでは、生まれてから高校時代までのことを書かせて下さい。


【誕生〜小学校入学まで】

私は1986年11月7日に福岡県太宰府市水城で生まれました。「芦刈純」という名前を持って生まれてきましたが、神々が明確な意図を持ってこの名前を私に授けています。

「純」とは「混じり気の無い純粋な状態」を表します。そして、「芦刈」とはアルファベットで書くと「ashikari」であって、「as+hikari」に分解できます。「as」とは「〜として」という意味の英語であって、「hikari」とは「光」です。ですから、「芦刈純」全体で「光として純粋」ということを意味します。英語的に書いた方が順番がそのままで分かりやすく、「Jun Ashikari」=「Jun as Hikari」=「純 as 光」=「光として純粋」ということになります。

また、「芦」という植物は水辺に生える「水の植物」で、神事で使われる植物でもあります。「刈」とはそういった「芦」という植物を使うということなので、「芦刈」は「水の気」を使うということでもあり、神事を取り仕切るという意味でもあります。そして、神事を取り仕切るのはシャーマンの役割だからこそ、「芦刈」で「『水の気』を使うシャーマン」と言えます。

そういった形で、私の名前に私が「純粋な水の光のシャーマン」になるために生まれてきたことは書かれています。また、私が「水の城」と書く「水城」生まれなのも、私が「水の人」であることを示すためになります。

「水の人」とは「向上心・問題解決の心」を実践している人間になります。「愛」の実践方法は複数ありますが、私は「問題解決」を行なうことによって「愛」を実践している立場の人間です。「水の気持ち」=「愛」の実践のために「向上心・問題解決の心」を実践しようとする心です。

魂は「気」でできていますが、私は自分の魂に多くの「水の気」を抱えているが故に「水の人」です。このことについて深く理解されたい方は以下の文章を読んで頂けると幸いです。

・水の感情について→http://junashikari.com/emotion/水の感情について/
・魂の成り立ち→http://junashikari.com/energy/魂の進歩について/
・太陽系の成り立ち、五種類の「光の気」→http://junashikari.com/energy/太陽系について/
・人間の五種類→http://junashikari.com/energy/人間の五種類について/

上の写真は昔から実家のリビングに飾ってあったものをそのまま撮ったものです。左の写真は私が船を作っているように見えますが、神々が私に船を作らせ、その写真を私の両親が撮り、リビングに飾らせるということを起こしています。「船」は「水」を進むもののであって、そういう意味で水の象徴です。『私の人生の流れ6』で詳しく書きますが、神々は私と船を重ねて考えるということを強く行なっています。


[生まれた時から身体に抱えていた「闇の気」について]

私は説明担当の「光」のシャーマンとして生まれてきています。そして、「気」=「気持ち」に関する様々な説明をするためには、自分自身が様々な「気持ち」を経験する必要があります。例えば、「嫉妬」のことを説明する為には「嫉妬」をした経験がなければなりません。しかし、生まれる前の私自身の魂はあまり「闇の気」を抱えておらず、ほとんど「光の気(水の気)」の状態だったので、このまま大人になってしまっては「闇の気持ち」を経験する事が少なく、「闇の気」について理解することができませんでした。

そこで神々が私に「闇の気持ち」を経験させる為に行なった方法が、私の身体を生まれたときから「闇の気」まみれにするという方法です。我々の魂は心臓に宿っています。だからこそ「心臓」とは「心の臓」と書きますし、「心」という漢字は心臓の形を表す象形文字から生まれています。そして、心臓に宿っている魂からすると、我々の身体とは自分の外側です。そして、生きている間、魂は基本的に肉体から離れられないので、肉体に宿っている「気」の影響を受け続けることになります。だから、身体が「闇の気」まみれだと、心臓に宿っている魂はずっと身体に宿っている「闇の気」の影響を受け、「闇の気持ち」に堕ちやすくなります。

どのようにすれば身体が「闇の気」まみれで生まれてくるかというと、胎教が最悪だとこのような状況になります。お腹に赤ちゃんがいる時に母親の精神状態が非常に悪いということが、胎教が最悪ということの意味になります。妊娠した女性の心が「闇」に堕ちると、お腹の中の赤ちゃんはその母親の身体に宿っている「闇の気」や母親の魂が発する「闇の気」の影響を強く受け、その「闇の気」を身体にもらった状態で生まれてきます。だからこそ、胎教はとても大事になります。そして、私は胎教が最悪だったからこそ、身体が「闇の気」まみれで生まれてきています。

実際、私の母親は私が生まれる前に悩んでいましたし、新しい子供(私)を作るという事に関して反対意見を持っていたことも聞いています。ですから、胎教が最悪だったということは言えます。私の母親は性格が悪いわけではないのですが、元々非常に「不安」が強い人間です。そういった事も強く影響しています。

生まれた時から身体が「闇の気」だらけだったことを分かりやすく例えると、生まれた時から重度の鬱病患者だったと思って頂けると幸いです。鬱という状態は身体に「闇の気」が多く宿っている時に人が陥る精神状態です。どうして、身体に「闇の気」が多く宿っていると鬱病になるかというと、心臓に宿っている魂が自分の身体に宿っている「闇の気」の影響ばかりを受け、そのことによって「闇の気持ち」しか抱くことができなくなるからです。身体があまりにも多くの「闇の気」を抱えていると、強く「闇の気持ち」が自分に迫ってくることとなり、それを現代では「鬱」と呼んでいます。

「ストレス」とは身体に宿った「闇の気」によって「闇の気持ち」を抱いてしまう状態です。そして、鬱という状態は「ストレス」の原因の「闇の気」が多く身体に宿った状態だと理解して頂けると幸いです。そして、私の身体には大量の「闇の気」が宿っていたが故に、生まれた時から重度の鬱病患者のような身体を抱えていました。

このような形で、私の魂が「光の気(水の気)」に満ちていたのに対して、私の身体を「闇の気」まみれにすることで、私に「闇の気」=「闇の気持ち」を学ばせるということを神々は行なった形になります。そして、そういった形で「闇の気持ち」を学ばせながら、その「闇の気」を「水の気持ち(向上心・問題解決の心)」で乗り越えさせるということを神々は計画し、それを行なってきた形になります。

ただ、念のために書いておくと、神々が私の意志とは無関係にこれを行なったわけではなくて、今世生まれる前の私もこのことを行なうことについて同意しています。その人間の役割がハードな場合は必ず神々はその人間に同意するかどうかを尋ねます。

また、実際は、赤ん坊の時から鬱病のような状態だったのではなくて、物心が付いた時に鬱病のような状態になった形になります。子供はある時から反抗期を迎えます。反抗期とは何かというと、自分の魂が「闇の気」の影響を受け始める時のことを意味します。生まれて初めて「闇の気」の影響を受け始めるので、そのことにより「闇」を実践し始めます。そして、子供にとって、最も「闇」を実践しやすいのは親なので、親に対する反抗が始まります。そういった意味で、「闇の気」にオープンになる時期のことを日本人は反抗期と呼んでいます(ちなみに、魂が「光」に満ちている人は、反抗期になっても「闇の気」に同調しないので、反抗しません)。

逆に、生まれた時から邪悪な子はほとんどおらず、子供は皆可愛いです。これは何を意味するかというと、幼少期の子供は自分の魂の外側の「闇の気」に対してまだオープンではないということを意味します。そういった点からも、反抗期というものが「闇の気」に対してオープンになる時期ということは理解できます。

私は小学校の低学年頃に「闇の気」に対してオープンになりました。その頃のことはよく覚えていて、一人で家にいた時に、理由の分からない強い「絶望」に襲われたことを今でも覚えています。そして、それ以降はずっとその「絶望」を背負っていきていくことになりました。その頃に一気に明るい子から暗い子になったことは、私の親戚は皆知っています。

どうして暗くなったかというと、本当に「希望」が無く、「絶望」に支配されていた子供だったからです。そして、自分がシャーマンになり、自分自身の浄化を行なった28歳までずっとこの「絶望」や他の「闇の気持ち」に取り憑かれていた形になります。シャーマンになる前は、この「絶望」を乗り越えるために色々なことをしてきた人生でした。

私自身が「絶望」に取り憑かれていたことは、私が自分の人生で初めてちゃんと作った曲の『infant』という曲によく表れています。パソコンで音楽を作ることができる機材を購入した22歳当時に、その機材を使って作った形になります。当時の自分自身の意識状態が描かれているので、聴いてみて頂けると幸いです。この精神状態は私が幼少期からずっと引きずってきた感情になります。

どうしてこの曲が『infant』=『幼児』というタイトルを持っているかというと、私にとって自分の抱える「闇」は自分の幼少期そのものだったからです。冒頭に赤ん坊の鳴き声を入れたということにも、そういった背景があります。

10万文字を使って説明するよりも、この曲を一回聴いて頂くことの方が、私がどういう意識状態の中をずっと生きてきたのか、どういった「闇の気」に襲われながら生きてきたのかを理解する上で有効なので、聴いて頂けると幸いです。神々としては音楽が「気」を伝える上では有効と考え、私がこの曲を作ることを導いています。初めから暗い曲を紹介することになってしまいましたが、今はこういった曲を作るような精神状態ではないので、誤解しないで頂けると幸いです。
 

 

この曲の流れにはこの曲を作った22歳当時の私自身の心の動きが描かれています。強い「絶望」に対して、それに負けない程の強い「水の気持ち」=「向上心、問題解決の心」の中にいる時は、自分の抱える「絶望」を感じなくて済むのですが、「水の気持ち」に入らない限り、「絶望」に堕ちていた形になります。だからこそ、心の中で私は「絶望」と「水の感情」の間をずっと闘っていた形になります。そういった面が前半部分には描かれています。また、真ん中付近で一瞬だけいい景色になりますが、これは私が「水の気持ち」だけになった時のことを意味します。しかし、その景色はすぐに終わり、すぐに「絶望」に堕ち、そのことが「依存」に転じます。特に最後のバイオリンはすがるようなメロディーを奏でていますが、これは当時の私が堕ちていた強い「依存」の表れです。「誰か、助けてほしい、、、」というような感情です。この曲は金星神と共に創っているからこそ、当時の私の心情を金星神がよく描いていくれている音楽になります。

この曲のタイトルについて補足ですが、私は20歳頃からシャーマンになるまで、自分の抱える「闇」のことを「クソガキ」と呼んでいました。「クソガキ」という言葉を使ったシャーマンになる以前の日記も『私の人生の流れ』に載せます。この「クソガキ」を踏まえて『infant』というタイトルを私は付けています。

この「クソガキ」という言葉は神々の導きによって私は使っていて、神々としては「糞餓鬼」のことを意図しています。私の頭の中ではカタカナの「クソガキ」だったのですが、神々としては私の身体に宿った「闇の気」を司っている悪魔のことを踏まえて「餓鬼」=「悪魔」という文字を使いたかった形になります。そして、こういった構造を使って、色々なことを理解した後の私自身にメッセージを出そうとした形になります。

「気」には「光の気」と「闇の気」の二種類ありますが、「気」は絶対にその「気」を司る魂がいます。そして、「光の気」を神々が司っているのに対して、「闇の気」を司っているのは悪魔です。我々が自然に触れ「光の気」を摂取すると「気持ち」が良くなるのは、神々が我々の身体に宿った「光の気」を通して我々に「光の気持ち」をもたらすからです。それに対して、「闇の気」を身体に多く抱えると悪い「気持ち」しか起こらなくなるのは、悪魔がその「闇の気」を通して我々に「闇の気持ち」をもたらすからです。

鬱病の症状は悪魔が「闇の気」を司っていることを理解する上で分かりやすく、鬱の状態になると悪い「アイデア(発想)」しか浮かばなくなります。神々も悪魔も「気」に「アイデア(発想)」を乗せて、その「アイデア(発想)」を我々に与えますが、鬱=身体が「闇の気」だらけだと、悪魔がその人間に悪い「アイデア(発想)」ばかりを与えます。その結果として、鬱になると悪い「アイデア(発想)」しか浮かばないという状態になります。

私が生まれた時から「闇の気」だらけだったということの意味は、反抗期以降に強く悪魔から襲われ始めたということを意味します。こういったことを神々は表現するためにも、私は自分が幼少期から抱えていた自分の「闇」のことを「クソガキ」と読んでいた形になります。何かをどう呼ぶのかということは一つの「アイデア」であって、神々はその部分に関わったということを意味します。

ちなみに、この「クソガキ」と「糞餓鬼」の構造は、中島美嘉ソングブック『あまのじゃく』も全く同じ構造です。「あまのじゃく」は漢字で書くと、「天の邪鬼」であって、悪魔のことを意味しています。私が生まれた時から神々によって呪われ、悪魔に襲われて苦悩していたように、中島美嘉は一定期間悪魔に襲われることを人生の役割として持っている魂が故に、中島美嘉の自伝に神々が「あまのじゃく」=「天の邪鬼」というタイトルを付けています。

私の「人生の役割」の一つは中島美嘉を悪魔の手から助けるということです。それは中島美嘉が抱えている耳の病気を治すことでもあります。そういった役割を持っていることが真実であることを示すために、神々は私の誕生日と中島美嘉のデビュー日を同じ11月7日にしていますし、この「クソガキ」=「糞餓鬼」、「あまのじゃく」=「天の邪鬼」の構造もその一つになります。中島美嘉についてはこちらに詳しく文章を書いています。

http://junashikari.com/art/中島美嘉について/

以下、具体的に小学生時代、中学・高校時代、浪人時代、大学時代に分けて、その当時何を経験していたのかを書いていきたいと思います。


【小学生時代】

小学校の時代に自分の「絶望」を解消する為に当時の自分が行なった選択肢は、ランニングとピアノとゲームセンターと『エヴァンゲリオン』でした。以下、それぞれについて説明をしていきます。
 

・ランニング

どうして、ランニングが好きだったかというと、身体を動かしている間は身体が「光の気」で満ちるために、身体に宿っている「闇の気」の影響を受けずに「絶望」せずに済んだからです。当然当時はそのような理由は分からず、単純に走っている時の方が普通に生きているよりも居心地がいいために、よく1人で走っていました。また、陸上クラブにも所属し、キャプテンなども務めていました。走ることは毎回タイムを測って、より早く走ろうと心がけていましたが、これは「水の気持ち(向上心)」だと思います。そのことによって「絶望」を感じないようにしていました。
 

・音楽

音楽を弾いている時も自分の「絶望」を感じずに済んだので、よく一人でピアノを弾いていました。ただ、ピアノ教室に行くようなことはなくて、独学で学んでいた形になります。譜面は読めなかったので、姉や母が『エリーゼのために』やショパンやサティやジョン・レノンを弾いているのを見て、それを耳で覚えて1人でずっと練習していました。これは音楽を独学で練習することによって「水の気持ち(向上心)」を使い、「絶望」を感じないようにしていた形になります。
 

・ゲームセンター

小学生の高学年の頃はゲームセンターによく通っていたように思えます。コインゲームというのがあって、そのゲームセンターでは自分のコインを店員さんに預けることができて、毎回そこに行っては自分のコインを店員さんから引き出し、色々なギャンブルゲームをやってました。これは「絶望」を見ないようにするために「欲望」を使っていた形になります。これは「闇の気持ち」を他の「闇の気持ち」に転じさせていたということなので、「闇」に堕ちています。
 

・『エヴァンゲリオン』

小学校高学年の頃は『エヴァンゲリン』にとてつもなく深くハマっていました。どうして自分が『エヴァンゲリン』にハマったかというと、『エヴァ』の中で描かれる世界がとても暗く感じて、自分が当時感じていた気持ちにとても近かったからです。当時の自分は感覚的に自分の中の「絶望」が嫌いでしょうがありませんでした。そして、それはいけないことだと思っていました。そんな時に『エヴァ』に出会ったことによって、自分が当時抱えていたそういった「絶望」が肯定されるような気がして、当時は嬉しかったんです。だから、『エヴァ』の世界に逃げ込むように何度も何度も『エヴァ』を一人でずっと観ていました。台詞を覚えて、それをランニングをしている時に思い出していた記憶もあります。

これは何を意味するかというと、「絶望」を「非現実の闇」に変えていたことを意味します。「非現実の闇」とは現実世界ではなくて非現実世界を生きる「闇の気持ち」のことを意味しますが、そういった「闇の気持ち」に堕ちてしまうと、現実を見なくて済みます。私はそこに当時堕ちていた形になります。逆に言うと、この経験から「非現実の闇」のことを学んでいるので、「非現実の闇」が何なのかはよく分かります。あと、『エヴァ』にハマったのは「非現実の闇」の感情だけではなくて、「逃げ」という「闇の気持ち」とも繋がっていました。

ちなみに、当時の自分の『エヴァ』に対する接し方は「闇」でしたが、『エヴァンゲリオン』自体は神々が創った非常に素晴らしい作品です。『エヴァンゲリオン』で描かれているのは「光」と「闇」の構造やシャーマンの姿です。パイロットはシャーマンであって、エヴァは神々の姿、エヴァにパイロットが乗ることはシャーマンが神々とチャンネリングをすることを意味します。また、使徒は悪魔のことを意味します。私はシャーマンになるからこそ、小学生時代に神々の導きによって好きになっている背景があります。『エヴァンゲリオン』については、ここに詳しい解説を書いています。

http://junashikari.com/art/エヴァンゲリオンについて/


・初めて買ったCDシングルとCDアルバムについて

小学校時代に私が初めて買ったCDについて書いておきたいと思います。私が初めて買ったCDアルバムはジャミロクワイの『トラベリング・ウィズアウト・ムービング』、初めて買ったCDシングルはB'zの『LOVE PHANTOM』でした。小学生の頃、ミュージックステーションでB'zが『LOVE PHANTOM』を演奏していて、このCDを買ったことを今でもよく覚えています。また、1996年当時、一人で家でテレビを見ていた時に、『ヴァーチャル・インサニティ』のPVを観て、それに強く惹かれ、アルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムービング』を買った形になります。その記憶もはっきりと残っていますし、家族や友人の一部はそのCDを初めに買ったことは知っています。ちなみに、B'zの稲葉浩志もジャミロクワイも火星神様と共に音楽を創っているアーティストになります。

この二枚のCDを買わせたことに神々は明確な意図を込めています。ここでは何故神々がジャミロクワイの『トラベリング・ウィズアウト・ムービング』とB'zの『LOVE PHANTOM』を買わせたのかについて解説を書きたいと思います。B'zの『LOVE PHANTOM』の話は難しいので、このページの一番下に解説をします。以下、『ヴァーチャル・インサニティ』の解説を書きます。一度PVを御覧になって頂けると幸いです。


[ジャミロクワイ『トラベリング・ウィズアウト・ムービング』について]
 


当時小学生だった自分は英語など理解できませんから、歌詞の意味など理解せずに買っています。しかし、この『ヴァーチャル・インサニティ』やこのアルバムの他の歌の持っている歌詞は自分の人生の役割そのものを意味しています。私が元々「光」のシャーマンになるために生まれてきたことを証明するために、神々はこの『ヴァーチャル・インサニティ』を私が強く好きになることを「気」で関与し、私に買わせた形になります。以下、『ヴァーチャル・インサニティ』の歌詞を一部抜粋します。


Who can tell what magic spells we'll be doing for us
どんな魔法が僕達にこうさせているのか、誰が分かろうか。

I can't see
何も見えない。
I can't breathe
息もできない。
No more will we be
存在さえしなくなっていく。
And nothing's going to change the way we live
そして僕達の生を変える方法は何も無いんだ。
Cos' we can always take but never give
だって、僕達は奪うばかりで与えようとしないから。
And now that things are changing for the worse,
それに事態は今も悪化しているんだ。
See, its a crazy world we're living in
見てくれ、僕達が住む狂った世界を

Futures made of virtual insanity now
このままではバーチャルな狂気によって未来は作られていく。
Always seem to, be govern'd by this love we have for useless, twisting, our new technology
いつだってそう、意味のない、ねじ曲がった、僕達の新しいテクノロジーに向けて頂かれる僕達の愛によって、未来は作られていくようだ。
Oh, now there is no sound – for we all live underground
もう何も聞こえない、というのは、僕たちは皆地下に住んでいるのだから。

And I'm thinking what a mess we're in
僕達がどんなカオスの中にいるのかを考えている。
Hard to know where to begin
どこから始めればいいのかも分からない。
If I could slip the sickly ties that earthly man has made
未熟な人間が作ったこの病んだ束縛から逃げ出せたらと思うよ。
And now every mother, can choose the color of her child
母親はみんな、自分の子供の肌の色を選べる
That's not nature's way
それは自然なことじゃないって
Well that's what they said yesterday
昨日までの彼等は言っていた。
There's nothing left to do but pray
祈ることしか残されていないんだ。
I think it's time I found a new religion
新しい宗教を見つけるべき時が来たんだ。
Waoh – it's so insane
それはマズイ。
To synthesize another strain
別の緊張が生まれてしまう。
There's something in these futures that we have to be told.
それらの未来には、僕達が告げられるべき何かがある。

私は元々「光」のシャーマンとなり、「気」の成り立ちを人々に伝えるために生まれてきています。そして、この歌が最初から最後まで訴えているのは、「この間違った世界が抱えている呪いを誰か教えてほしい」ということです。「どんな魔法が僕達にこうさせているのか、誰が分かろうか」「それらの未来には、僕達が告げられるべき何かがある」という歌詞がそのことをよく示しています。だからこそ、このCDには私自身の「人生の役割」が書かれています。

神々は、私自身に対して「光」のシャーマンになり「気」のことを伝えるために生まれてきたということを確信させる為に、また他者が私がそういった役割を持った人間であることを確信させるために、私にこのCDアルバムを最初に買わせた形になります。

また、解説は書きませんが、このCDアルバムの他の楽曲も私の「人生の役割」と非常に繋がりがある曲ばかりです。

例えば、3曲目は『Use The Force』ですが、「Force」とは「気」のことを意味しています。この歌を分析すると、火星神様が主語として「気」を操っているということが歌われていることが分かります。映画『スターウォーズ』においても「フォース」と言われますが、『スターウォーズ』は「気」のことを非常に分かりやすく描いている作品であって、神々が創った重要な作品です。

7曲目の『Drifting Along』は「漂流」という意味であって、旅のことを意味しています。歌詞の中でも「cruise」=「航海する」という歌詞がよく使われています。私が「水の人」なので、神々はとにかく「水」の上を進む「船」という言葉をキーワードにしてきました。神々が私と「船」を重ねて考えていることは『私の人生の流れ6』で詳しく書きます。

8曲目の『Didjerama』はよくオーストラリアのシャーマンが使うディジュリドゥやシャーマンドラムが使われており、歌詞などはなく、ほとんどシャーマニズムの儀式の音楽です。その曲を貼っておくので、聴いてみて下さい。写真付きなので、イメージしやすいと思います。
 


他にもこのアルバムは様々な意味を持っているのですが、これ以上解説をすると長くなるので、ここで止めさせて下さい。いつかこのアルバムを何故最初に買ったのかということについてだけの文章を書きます。他にも様々な意味があります。

とにかく、このアルバムは「気」、シャーマン、旅(「船」)というテーマについて強く描いている作品だからこそ、神々は私に買わせました。当時小学生だった自分は英語も理解できず、「気」やシャーマンのことも知らず、旅に出たいとも思っていなかったのに対して、今はこの3つの要素が自分と強く結びついています。こういった一致から、私が元々、説明担当の「光」のシャーマンになるために生まれてきたということを証明しようとした形になります。

 

【中学・高校時代】

・部活

中学に入る時に特に入りたい部活もなかった自分は家族のアドバイスでテニス部に入りました。その中学では、その年から男子テニス部はできたばかりで、テニスは自分には合っており、努力で伸びたせいか、自分は一年生キャプテンにも選ばれていました。テニス強豪校の先生からも「あの子は九州大会は間違いない」と言われるような選手でした。しかし、当時のテニス部は面白かったのですが、練習が楽過ぎて、自分は顧問に「練習をどうかもっとハードにして下さい。中学生が部活をやる意味とは、心を鍛えるためだと思うんです」とお願いしました。しかし、その意見は受け入れてもらえず、それをきっかけにテニス部を辞め、中学二年からバスケ部に入部し直しました。この時に「中学生が部活をやる意味とは、心を鍛えるためだと思う」という発想は神々が私にもたらした「アイデア」になります。その「アイデア」に強く共感したが故に、顧問にこういった要望を出した形になります。

ただ中学二年からバスケットボールを始めるのはかなり遅いスタートで、小学生からミニバスをやってきた後輩よりも圧倒的に下手な自分に苦しむ時期でした。中学生にとって、「後輩よりもバスケが下手」というのはかなり屈辱的で、それまでテニス部で評価されていた頃とは真逆の立場となりました。けれども、それでもなんとかバスケを上手くなるために、一生懸命練習していた形になります。強い「水の気持ち(向上心)」で猛烈に練習をしていました。

※写真は高校二年生(16歳)の頃のものです。三列目右から二番目が私です。

中学の頃はそれでも努力でなんとかなり、試合に出れていましたし、副キャプテンにもなれていました。高校に入ってからも「水の気持ち(向上心)」で、バスケ一筋でひたすらに努力をしていたのですが、私が入った高校はバスケ部がとても強く、強豪校が多い福岡県で4位に入るようなチームでした。そんな中で、高校三年の最後の試合が近づくにつれて、他のプレイヤーとのキャリアと身体能力のどうしようもない差を感じ、私は試合に出ることを諦めてしまいました。

この時に「逃げ」の感情に強く堕ちた形になります。最後まで努力していればまだ楽だったのですが、どう考えても無理という結論が自分の中で見えてしまって、その現実から逃げたいという「逃げ」の気持ちに堕ちてしまった形になります。その頃は本当に自殺まで考える程に落ち込んでしまっていた形になります。その時のバスケ部顧問に「自殺まで考えてしまうんです」と話したのを今でも覚えています。生まれた時からずっと身体に大量に宿っている「闇の気」があったので、「闇」に堕ちるととんでもなく深いところまで堕ちてしまうという傾向がありました。ただ、今思うと、この時に「絶望」「逃げ」の基本的な部分を学びましたし、「死にたい」という精神状態も分かったので、今思うといい経験だったと思っています。


・文化祭、体育祭

中学高校時代、部活以外では文化祭や体育祭でリーダーを務めることは多くありました。どうしてそういったことを多く経験していたかというと、リーダーというものがどういったことを経験するのかということを練習させたいという神々の気持ちがあったからです。神々にそういう意向があったからこそ、私に対して「リーダーになりたい」という気持ちを神々が起こしていた形になります。当時は「自分が全体をいい形に引っ張っていくんだ」という気持ちを純粋に抱いていたので、「水の気持ち(問題解決の心)」だったと思っています。合唱コンクールの指揮者を中学高校両方やっていましたし、体育祭でもリーダーを務めていました。


[タンブリングリーダー]

高校の運動会の映像がYouTubeにあったので、貼付けておきます。正面のお立ち台で全体の指揮を取っているのが私です。高校三年生なので、とても若く、今の私とイメージを一緒にして頂かないで頂けると幸いです。
 


この映像から少し感じられるかもしれませんが、かなり熱い青年でした。上裸の男達を熱さで統括するようなタイプの高校生でした。17歳当時、男達をまとめあげるために作った詩があるので、それを貼付けておきます。かなり根性系の詩ですが、神々が関与していますし、私のことを知って頂く上では参考になります。

———————————————————————————————————————————————————–

『男』

痛くても痛いって言うな。
辛くても辛いって言うな。
お前の腕がへし折れるまでそこで踏ん張ってな。

なぜならば、男なのだから。

———————————————————————————————————————————————————–

この詩には「向上心・問題解決の心」がよく表れています。また、私の魂の個性も表れています。

「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」とは「厳しさ」にも繋がります。この詩が持っている感情は「自分に負けるな」という気持ちであって、「水の気持ち」の「厳しさ」です。「問題解決の心」は相手の心の「弱さ」を許さない態度にも繋がります。何故ならば、「弱さ」とは「問題」だからです。だからこそ、「問題解決の心」は「厳しさ」に繋がります。そういった「向上心・問題解決の心」の気持ちがこの詩の気持ちです。

また、何かを自分が言うということが自分をどんどん弱くするということも表現しています。辛い時に「辛い」と言うと、魂が自分が「辛い」ということを強く認めることになります。何故ならば、何かを言うということは、心の中でそれを思うことよりも、心の動きとして大きいからです。イメージして頂けると分かりますが、「辛いなー」と心の中で思うよりも「辛いなー」と実際に言う方が心は「辛さ」に堕ちていきます。

魂が「辛い」と認めると「光の気持ち」は保てません。何故ならば、「辛い(苦悩)」という気持ちは「中立の気持ち」であって、人間は一つの時間に一つの気持ちしか抱く事ができないからです。魂が「辛い」と思うだけで「中立の気持ち」に堕ちてしまい、その時間は他の気持ちを抱くことができなくなります。そして、「辛い」ということを言うならば、より「辛い」という気持ちに堕ちていきます。そうすると、その魂は力を発揮できなくなります。この詩はそういった事態を防ぐ為のものです。

この詩はそういった形で、相手が問題に堕ちないようにするためのアドバイスの意味も持っています。そういう意味でも「問題解決の心」の詩です。また、この詩を聞いた人はこの詩の内容を信じる必要があります。そのためにこの詩は「男の美学」を使っています。

どんな歌手の歌などでもそうですが、その言葉を人が信じるための大きな要素は「美しさ」「かっこよさ」「かわいさ」といった魅力です。詩とは、そういった魅力を使って、人の心を引きつける力を持っています。何かしらの真実を論理などによって説明するのであれば、文章の方が好ましいです。しかし、詩は人の心を強く奪う力があります。それを促しているのが「美しさ」「かっこよさ」「かわいさ」といった要素です。

この詩は根性論の美学を「お前の腕がへし折れるまでそこで踏ん張ってな」という言葉がよく表し、最後の「なぜならば、男なのだから」は完璧な「男の美学」です。高校生の心を掴むためにはこのような詩が好ましいという背景もあります。

最後の「なぜならば、男なのだから」という言葉は私の魂の傾向をよく捉えています。私は男に厳しいです。ただ、女に甘く男に厳しいというわけではなく、女に厳しく男により厳しいといった形です。日本社会に適応する為に、知らず知らずの内に他人に「厳しさ」を向けないように生きてきていましたが、心のどこかではそういう部分はあります。

魂が「水の気」に満ちていると、どうしても「厳しさ」が強くなってしまいます。何故ならば、「水の気」が多ければ大きい程「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」が大きくなりますが、だからこそ「厳しさ」も大きくなるからです。ただ、女よりも男により「厳しさ」を持ってしまうのは、自分が男だからというところがあります。これはただの私の魂の個性であって正しいこととは思ってないです。私は自分に対して尋常じゃなく厳しいです。そういう立場の男としては自分に甘い男性に対して「男なんだから、しっかりしてほしい」みたいなところは少しあります。

どうしてこのような癖が付いたかというと、前世も含めて魂の歴史の中で心のどこかで男は自分と近い存在と思って生きてきたからだと思います。そして、自分に近い存在なのだから、要求レベルを女性よりも上げて大丈夫なはず、といった考え方を持っていたのだと思います。あと、「男は女を守るもの」といった価値観があったのだと思います。それが魂に染み付いているが故に、「男なんだから、しっかりしてほしい」みたいなところがあるのだと思います。

神々としては、当時から私が強く「水の気持ち」を抱いていたことを表現するための一つの道具としてこの詩に関与しています。また、女よりも男に厳しいという側面を表現したのは、私の魂の個性を表現するためだと思います。当時、この詩はすぐに書けたことは覚えています。

リーダーになった当時、初めてそのブロックの男達と対面した時にまず最初にこの詩を吠えるように詠んだのはよく覚えています。そして、「なぜならば、男なのだから〜〜〜!!!」と叫んだ時に、その場にいた男達も全員吠えてました。そして、運動会当日までこの詩のようなテンションで上裸の男達から厚い支持を得ていた形になります。(高校生っていうのは、真っすぐで、熱くて素敵だな、と今でも思います。)

そういう意味で当時運動会を通して、「水の気」の集団を私は作ってました。リーダーという存在は、その集団のメンバーにとても影響を与える存在です。もし、その集団がリーダーをすごく好きになるのであれば、その集団はそのリーダーからかなり「気」をもらいます。何故ならば、リーダーが話している時に強く心が動くからです。声には「気」が乗ります。そして、その声を強く心を動かしながら聞くのであれば、その話し手からかなりの「気」をもらいます。そういう意味で、リーダーは全体にかなりの「気」を広めますし、その集団が一致団結した集団であればあるほど、リーダーの「気」が広がり、全員が似てきます。リーダーという立場はこのような影響を全体に与えるということを知って頂けると幸いです。

この映像では最後のピラミッドは立っていませんが、もし立っていたならば「狂瀾怒濤」という縦断幕が出る予定でした。この「狂瀾怒濤」という言葉は当時自分が思いついて使った言葉だったのですが、この言葉にも神々は意味を込めています。「狂瀾怒濤」とは「荒れ狂いさかまく大波」という意味です。「狂瀾」「怒濤」も「荒れ狂った大きな波」を表します。当時強い「水の気」の集団を作っていたことを表現する為に「狂瀾怒濤」という言葉を神々が私に「アイデア」でもたらしていました。

また、書道がとても上手な仲のいい「藍」という名前の女の子がいて、その子が「狂瀾怒濤」の縦断幕を金色で描いてくれました。また、その子は頼んでもないのに、『男』の詩を筆で描いて自分にプレゼントしてくれました。この藍という女の子は金星神と繋がっている子なので、金星神が『狂瀾怒濤』と『男』を描いていたということを意味します。私にとって金星神は導き手です。そういったこともあって、金星神と繋がっている藍に二枚の作品を金星神が描かせ、作品だからこそ、今でも私はその二つを持っています。

また、このタンブリング(組み体操)の内容にも神々は大きく関与しています。このタンブリングは第一章と第二章で明確に「光」と「闇」を分けていますし、歴史の解釈も行なっていますし、様々な点も導きに満ちています。

私は黄ブロックで、黄色というポイントからラテン大陸のことを描きたいと思いました。ですから、このタンブリングのテーマは『ラテン〜裸展〜』です。タイトルにシャレを入れているのは、「火の気」=「元気・笑い」を表すためです。また、黄色という色は「火の気」=「元気・笑い」の色になります。「気」の色については、ここを読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/デザインについて/デザインについて(「気」のデザイン)/

第一章のテーマは『大航海時代』で、第二章のテーマは『カーニバル』でした。これはそのまま「闇」と「光」を表します。『大航海時代』は人類の侵略戦争の歴史です。そして、侵略とは「支配」なので「闇」です。それに対して南米のカーニバルは「火の気」=「元気・笑い」の「光」です。第一章『大航海時代』の方は「支配」を表すひざまずく仕草もありますし、第二章『カーニバル』の方には「火」のことを直接的に意味している花火が描かれ、私自身「ファイヤー!」と言っています。タンブリングの内容自体に、そういった「光」と「闇」の構造を神々が描いています。

たかが高校の運動会なのですが、この運動会は映像として残ることを神々は分かっていたので、神々は『男』『狂瀾怒濤』、タンブリングの内容の「光と闇」などの構造を通して、奇跡を残そうとした形になります。


[合唱コンクールで指揮をした曲]

また、中学三年の合唱コンクールでは私は指揮者を務めていますが、私が指揮をした曲は『走る川』という曲であって、「水の気持ち」を表す、神々が創った曲になります。私の人生とすごく重なる曲なので、神々がこの曲を私が指揮するように関与した形になります。一度歌詞と一緒に聴いてみて頂けると幸いです。
 


[歌詞]

岩をかみ しぶきをあげ
魚を押し 風をさき
ふり返らず 水は 走る
もどれない命を
もどれない命を
いっしんに 走る 走る

こんなにも 急いで
こんなにも 急いで
水は一途に 下ってゆく
滝を落下し 落下し 落下し
すべり 削り すべり 削り
渦巻く 渦巻く 早瀬となる

月のない夜も 凍れる冬も
あらゆる阻みに 出会っても
出会っても 出会っても
不屈の 不屈の決意で 水は
走り 走りつづける
もどれない命を もどれない命を
不屈の不屈の不屈の決意で
走り 走りつづける

やがて 大地は広がる
光はふりそそぐ
花の色に香りに
染まって ゆったりと
あたたまってゆく
旅の終わりの予感を 予感を
たずさえて


[解説]

この歌は川の流れと「水の気持ち」を掛けて表現することによって、「水の気持ち」を説明している歌です。

強い「水の気持ち」を抱いて生きていると、止まることができなくなります。いつも自分を「向上」させることや、目の前の「問題解決」を行なおうと思うからです。この歌はそういった強い「水の気持ち」を表現しています。最初の2つのまとまり「岩をかみ しぶきをあげ 〜 渦巻く 早瀬となる」はそういった側面を描いています。

また、そういう魂はありとあらゆる「問題解決」をすることができます。様々な困難に屈することなく「問題解決の心」を実践し続ける態度が、その次のまとまり「月のない夜も 凍れる冬も 〜 不屈の不屈の不屈の決意で 走り 走りつづける」という歌詞に表現されています。

そして、様々な「問題解決」をした後は、非常にいい世界が生まれるということが最後のまとまり「やがて 大地は広がる 〜 旅の終わりの予感を 予感を たずさえて」という歌詞に表現されています。

この歌で「旅」という言葉が最後に使われている点も私と強く重なっています。神々は私に旅に行かせることを元々決めていたので、そのことが重なるように、この曲を選ばせています。

この曲の指揮を私は「水」の舞で行なっています。私が通っていった中学校の指揮は不思議で、指揮というかほとんど踊りに近い指揮をする伝統がありました。私にとっても、当時指揮はそういったものだったので、そういった流れの中で踊りのような指揮の振りを作り、それを本番でも実践しています。この映像は実家にあり、指揮の動きから「水」を感じて頂けると思うので、いつかアップロードさせて下さい。


私が入学した高校にも一年生だけ合唱コンクールがあり、そのコンクールでも指揮者を務めました。その時はこのホームページのトップページでも書いている『20億光年の孤独』という谷川俊太郎が作詞した曲でした。
 


『二十億光年の孤独』  谷川俊太郎

「人類は小さな球の上で」
「眠り起きそして働き」
「ときどき火星に仲間を欲しがったりする」

「火星人は小さな球の上で」
「何をしてるか 僕は知らない」
「(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)」
「しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする」
「それはまったくたしかなことだ」

「万有引力とは」
「ひき合う孤独の力である」

「宇宙はひずんでいる」
「それ故みんなはもとめ合う」

「宇宙はどんどん膨らんでゆく」
「それ故みんなは不安である」

「二十億光年の孤独に」
「僕は思わずくしゃみをした」


この詩は私の人生の役割ととても合致します。私の人生の役割は「気」のことを説明することであって、「気」の最も基礎知識が星に関する知識だからです。この歌は星に関する真実を歌っています。

太陽系のそれぞれの星は地球に「光の気」を送っています。以下のような対応を持っています。

太陽・火星:「火の気」
水星:「水の気」
金星:「金の気」
木星:「風(木)の気」
土星:「土の気」

そして、「気」には微妙に重さがあります。そして、重さがあるものは重力によって引き合います。この歌の「万有引力とはひき合う孤独の力である」という歌詞は、万有引力によって星が地球に生きる様々な命のために「光の気」を送っている構造を説明している言葉です。

また、この歌の最後は「僕は思わずくしゃみをした」という歌詞がありますが、これは「くしゃみ」の原因が「火の気」であることを説明している歌詞です。太陽を見ているとくしゃみが出やすくなりますが、それはくしゃみの原因が「火の気」だからです。そして、火星は「火の気」が宿った星であり、火星からの「火の気」によって、この歌の主語の人間が「くしゃみ」をしていることをこの歌詞は説明しています。この詩は他にも様々な真実を表現していますし、この合唱曲も神々が創った非常に優れた歌です。太陽系の構造については、詳しくはこちらを御覧になって頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/太陽系について/

この歌は将来的に私が説明しなければならないことが元々歌われている歌です。私が「気」のことを説明するために生まれてきたからこそ、神々はこの曲を指揮するように関与した形になります。

ちなみに、中学三年の『走る川』も高校一年の『20億光年の孤独』も私は同じピアノの伴奏者と演奏しています。我々二人は中高一貫校に通ったわけではなく、多くの高校の中からお互い同じ高校を選んで受験して合格し、学年11クラスもある中で同じクラスになり、そのクラスの生徒40人の中で二人が指揮者と伴奏者に選ばれた形になります。これは確率で考えるととても難しいことであって、神々としては私が『走る川』と『20億光年の孤独』を偶然指揮したわけではないことを示すために、このような関与を行なった形になります。また、この伴奏者も「藍」と同様に金星神と繋がっていた女性になります。


・恋愛

中学高校では恋愛もしていました。ただ、根本的に自分の「絶望」を恋愛によって解決したいという気持ちがあったので、「相手のため」に何かをしたいという「愛」ではなく、「自分のため」に相手に「依存」するという感情に堕ちていた形になります。だから「重い」と言われてよくフラれていた形になります。また、三度異なる彼女にフラれていますが、その度にとんでもなく深く「絶望」していた形になります。それ以降はフラれることに対する「恐怖」が故に、高校卒業後は心をあまり見せないようにしながら距離を置いて女性と付き合うようになってしまっていました。これは「恐怖」が「支配欲」に転じていることを意味しています。「フラれるのが怖い」という「恐怖」が故に、「(自分のため)にフラれないように相手と接しよう」と思っていたからです。自分の意図通りに相手の気持ちを操作したいという気持ちは「支配欲」です。本当に「闇」の恋愛しかしない最低な恋人だったと思っています。恋愛について、「闇」を抱えていた頃の自分がどのように感情を動かしていたのかをまとめておきたいと思います。

生まれた時から抱えていた「闇の気」による「絶望」→その「絶望」を解決する為に恋愛に頼るが故に「依存」→その結果相手からフラれ「絶望」→フラれるのが怖いという強い「恐怖」→フラれないように相手の気持ちを転がしたいと思う「支配欲」

このように、「闇の気持ち」は他の「闇の気持ち」に転じます。これは「闇の気」が他の「闇の気」に転じていることを意味します。そして、身体に「闇の気」に大量に抱えている場合、このような「闇」の連鎖がかなり強く続きます。また、こういった「闇の気持ち」の変化だけではなくて、自分が「闇」の時は「光」の相手が嫌になるような感覚を感じることにもなります。それは経験されたことがある方もいると思いますが、自分が「闇」に堕ちると性格がいい人(「光」の人)に対して「嫌悪」を抱くことが起こります。私もそういった感情を経験したことがありますし、そのことで恋人を嫌いになってしまい、相手を傷つけてしまったこともあります。

個人の経験としては、過去の恋愛は強く反省しています。ただ、シャーマンになる上では、恋愛に関する様々な経験はしておいてよかったと思います。恋愛で人がどのような「闇」の罠に陥るのかということがよく分かったからです。ここに書いていない学びも多くあります。

神々としては私に「闇の気持ち」のことを理解させるために「闇の気」まみれで生まれさせてきました。そして、そのことによって私は「闇」を学んできました。そして、その上で「闇」とは縁を切り、今は「光」に生きています。だから、神々の視点としては私が「闇の気持ち」に堕ちてきたことは必要なことでした。「気持ち」のことは一度経験しないと絶対に理解できないからです。私はシャーマンになる以前に「闇の気持ち」を経験することが私の「人生の役割」の一部でもありました。けれど、私個人の目線からすると、これらは自分が犯してきた過ちです。恋愛で人を傷つけたことも、自分のために相手を利用しようとしたこともあるのは、あってはならなかったことだと思っています。私としてはこれからずっと反省していくべき間違いだと思っています。


・初めて女性に買ったプレゼント、よく買っていた洋服のブランド

中学二年生の頃、私が初めて女性(彼女)に買ったプレゼントは『LOVE BOAT』の指輪でした。「boat」=「船」であって、「love boat」で「愛の船」という意味です。私は水の人であり、水の上を進む「船」というものが私の人生にとって一つのキーワードだったが故に、このブランドの指輪を神々は導きで私に買わせています。私は「光」の立場の「船」なので、「愛(光)の船」です。こういったメッセージを神々は私に伝えるために、このプレゼントを最初に買わせています。

また、神々は「船」に関連するブランド名を持っている洋服のブランドを買わせてきました。私が中学時代に最も好きで買っていた洋服のブランドは『NAUTICA』、高校時代から27歳の旅立ちまで最も買っていたブランドは『JOURNAL STANDARD(relume)』です。「NAUTICA」とは「nautical」=「航海の」という言葉から生まれた造語であって、『NAUTICA』のロゴには船が書かれています。

また、『JOURNAL STANDARD』の「journal」には「航海日誌」という意味があり、「standard」とは「道徳的規範」という意味があります。神々としては、「journal」に「船」というキーワードを象徴させ、「standard」に私が「気」というこの世界を構成する「ルール」を知ることを象徴させるために、この服を私にずっと買わせていました。また、『JOURNAL STANDARD relume』という派生ブランドもあり、こちらのブランドの白シャツをいつも着ていました。「relume」とは「再び明るく照らす」という意味であって、私が「光」のシャーマンになることと意味が重なっています。

高校時代から買い始めて、22歳の頃に服に興味がなくなってからも、ずっと『JOURNAL STANDARD』を買い続け、ライブの時や大事な日は絶対に『JOURNAL STANDARD relume』の白シャツを着るようにしていました(写真は私物です)。当時はなんとなくそうしたかったからそうしていたのですが、神々が私をそういう気分にさせていた形になります。神々としては、「船(journal)」「気(standard)」「光(relume)」というキーワードを服に象徴させるために、このような導きを私にした形になります。

「光」の基本色は「白」であり、「闇」の基本色は「黒」です。このルールは、強い明かりは全てを「白」に照らし出し、全く明かりが無いと全ては「黒」に目に映ることに表れています。神々としては、「光」を表現するために白シャツを着せていた形になります。少し写真を載せておきます。

Hola guey(自分の最初の音楽グループ)初ライブ時

初ソロライブ時

最初で最後の齋藤徹(コントラバスの元師匠)とのライブ時

旅立ちの時

旅の流れを作ってくれた韓国人のドンヒとフェリーで偶然遭遇した時

 

・カラオケ

中学高校時代はカラオケによく行っていました。最もよく歌っていたのが、THE YELLOW MONKEYの『球根』でした。私とカラオケに行っていた人達はこの曲を自分が最も歌っていたことをよく知っています。神々はこの曲の歌詞に私自身と重なる部分が多いが故に、この曲を私に歌わせていた形になります。音源と歌詞を張りつけておきますので、聴いてみて頂けると幸いです。
 


[歌詞]

髪の毛 手の平 愛の光
夢より まばらな 淋しい熱

許されない 誰にも 喜ばれない
お前が咲くならば僕は穴掘ろう

世界は壊れそうになった
今 流星のような雨の中

身体で身体を強く結びました
夜の叫び生命のスタッカート
土の中で待て命の球根よ
悲しいだけ根を増やせ

この真っ赤な情熱が二人を染めた…

死ぬか生きるかそれだけのこと

世界はコナゴナになった
でも希望の水を僕はまいて

身体で身体を強く結びました
永遠の中に生命のスタッカート
土の中で待て命の球根よ
魂にさあ根を増やして
咲け… 花
花 花 花 花 花 花 花


[解説]

この曲の中で私と重なる最も重要な部分は「今 流星のような雨の中」「でも希望の水を僕はまいて」という箇所です。この歌詞から、この歌の中で描かれている「僕」が「水の人」であることが分かります。神々から受け取る「水の気」のことが、「流星のような雨の中」という歌詞の意味であって、その「水の気」を広げることが「希望の水を僕はまいて」という歌詞の意味です。このようなことを意識的にできる人間なので、ここで描かれている人が「光」のシャーマンと言うことができます。神々とチャンネリングをしながら祈りを行なう時に、このような状態に至ります。

また、「土の中で待て命の球根よ 悲しいだけ根を増やせ」「土の中で待て命の球根よ 魂にさあ根を増やして」という歌詞は、「土の気」を獲得することを意味しています。神々は私に今世「土の気」を多く与えるということを心がけています。「土の気」とは「忍耐・勇気」の原因の「光の気」ですが、「忍耐・勇気」を必要とするような場面に神々は私を起き続けたからです。「水の気」にできなくて「土の気」にできることはあるので、神々はこのような教育をしてきた形になります。

また、「許されない 誰にも 喜ばれない」とは、私が「気」の知識を広げても、ほとんどの人には「喜ばれない」ということです。多くの人にとって、「気」の知識は都合が悪いものです。何故ならば、「光」とは「相手のため」、「闇」とは「自分のため」のものですが、多くの人が「自分のため」に生きている日本社会において、「気」の知識が広がることは、多くの人にとって自分が「闇」を選んでいることを突きつけられることになるからです。真実を知ることよりも、自分を肯定することを言ってほしい人がほとんどの日本社会においては、私のような立場の人間は迷惑とも言えます。そういったことが「許されない 誰にも 喜ばれない」という歌詞に表れています。

この歌全体の歌詞が私自身と強く重なっているのですが、今はこの程度で解説を止めさせて下さい。詳しい解説は別で書きます。

 

[B'z『LOVE PHANTOM』について]
 


初めて買ったCDシングルがB'zの『LOVE PHANTOM』であることは書きましたが、解説を後回しにしていたので、ここで説明したいと思います。この部分は少し難しいので、理解できない場合は読み飛ばして頂けると幸いです。

何故神々がB'zの『LOVE PHANTOM』を買わせたのかということは、この歌のタイトルによく表れています。「phantom」とは「幻、幽霊」という意味です。つまり、この『LOVE PHANTOM』というタイトルは「愛の幽霊」ということを意味します。

これは客観的には確かめようのないことなのですが、私は今世生まれる前に2000年間幽霊でした。神々としてはそのことを意図するために、このCDを私に買わせた形になります。そのことについて説明させて下さい。2000年間幽霊だったということは当然証明することはできないのですが、私自身の心の動き方には少しその根拠があります。

私は今世生まれて一度も「寂しさ」を感じたことがありません。それは私の過去を知っている人間はよく知っていると思いますし、どこに行っても「一匹狼」と言われてきました。どうして、私の魂が「寂しさ」を感じない魂なのかというと、ずっと寂しい環境にいたからこそ、その環境に慣れてしまったからになります。どうしようもなく寂しい環境にいて、それで「寂しさ」を感じていたのならば魂は苦悩します。だからこそ、魂はそういった状況に置かれた時にその環境に慣れるということを行ないます。当然、私の魂が「寂しさ」を感じないからといって、2000年間幽霊をやっていたという明確な根拠にはなりませんが、2000年間幽霊をやっていたことの一つの表れではあります。

神々と悪魔は対の関係にありますが、それと同様に天使と幽霊は対の関係にあります。我々人間は身体という器に魂が宿っていますが、魂が強い「光」に満ちていくと、天使や神々となります。それに対して、魂が強い「闇」に満ちていくと、幽霊や悪魔となります。「光」にも「闇」にも振れないのであれば、人間としての輪廻転生をくり返すことになります。そういう意味で人間という立場は神々・天使または悪魔・幽霊になるための分岐点としての存在です。

死ぬ時は大事であって、死ぬ時に強い「闇」の感情を抱いていたり、自殺をすると幽霊になります。私は前世で自殺をしたが故に幽霊になった形になります。上に取り上げたYouTubeの中でも、B'zの稲葉浩志は最後に自殺をするような演出をしていますが、この演出に神々は関与しており、自殺を意図するためです。

私は自殺をして幽霊になりましたが、魂はそれほど「闇」を抱えておらず、「光」を多く抱えていたので、幽霊なのに天使のようなことをやっていた変な魂になります。『LOVE PHANTOM』とは私が「幽霊」なのに「愛」で動いていたということと非常に重なり、だからこそ神々はこのCDを初めに買わせています。

魂は「気」でできていますが、幽霊は魂が「闇の気」に満ちていて非常に苦しいものです。幽霊は自分の心が苦しいからこそ、人間に宿り、そのことによって自分の苦しみを減らそうとします。人間に宿るのであれば、その幽霊は自分の魂の「闇の気」を感じることが減ります。しかし、逆に幽霊に宿られた人間はその幽霊の魂から「闇の気」をもらい、鬱病になります。幽霊に宿られたが故に鬱病になっている人から霊を外すことによって鬱病を治したことは何度もありますが、幽霊が宿る事によっても鬱病は発生するという話が正しくない限り、私が浄霊したからといって鬱病が治るということは起きないと思います。

そういった点から、幽霊とはどういう存在であって、基本的には人間に宿ることによって人間を苦しめてしまう魂だと理解して頂けると幸いです。幽霊という存在は人間の身体に宿ることができますが、もしその幽霊の魂が「光の気」で満ちていると、その幽霊に宿られた人間は何を経験するかというと、鬱病になるのとは正反対に、その幽霊からいい影響ばかりをもらいます。私が2000年間一人でずっと行なっていたのはこの作業になります。

私は自分が信じることであったら、同じことをずっとできる魂です。私のことを見てきた人達はそのことをよく知っています。後で詳しく書きますが、中学高校時代はずっとバスケットボールの練習をしていましたし、三年間浪人していた時もずっと予備校の自習室で勉強していましたし、大学時代は四年間ずっと地下の音楽練習室でコントラバスの練習をしていましたし、シャーマンになってからは全ての時間を他人のために使っています。周りの人からは修行僧のように見られることが元々とても多かったです。どうして、私がそういった性格を持っているかというと、前世で2000年間ずっと同じことをやっていたからです。こういった性格を持っていることが私が2000年間幽霊なのに天使のようなことをやっていたという明確な理由にはなりませんが、一つの根拠ではあります。

天使は神々と同じく「光」の立場であって、天使は神々に「光の気」によって支えられます。それと同様に、幽霊は悪魔と同じく「闇」の立場であって、幽霊は悪魔に「闇の気」によって支配されがちです。こういった構造は「光」と「闇」で平等にあります。「光」の立場は「相手のため」という発想であって「愛」によって支え合います。それに対して「闇」の立場は「自分のため」という発想であって「支配」によって奪い合います。

ですから、幽霊という立場は悪魔にかなり苦しめられます。そして、私が2000年間やっていたことは「闇の気」まみれの人間に宿り、その人間を助けるということです。しかし、その過程においては自分自身が悪魔からの「闇の気」を食らうことになります。そこで自分がその「闇の気」に同調すると自分の魂が「闇」に堕ちてしまいます。そうすると、助けたい人間も助けられません。ですから、「闇の気」まみれの人間に宿った時に私がやるべきことは、自分の「光の気」=「愛」を保つということでした。そこで宿る相手の人間のために絶対に悪魔に負けてはならないと「愛」を保つということをずっと行なっていた形になります。

そういうことを2000年間ずっとやっていたので、私はその過程において「闇の気」に対して相当強い魂となりました。だからこそ、神々は生まれた時から「闇の気」まみれにするという普通はあり得ない方法を私の今世で行なった形になります。

この『LOVE PHANTOM』という曲については、他にも重要な意味があるのですが、『LOVE PHANTOM』については別で解説を行ないます。今は「愛の幽霊」というタイトルがとても私の前世と一致していたが故にこのCDを神々が買わせたということだけ知っておいて頂けると幸いです。

 

『私の人生の流れ2』はこちらになります。読んで頂けると幸いです。
http://junashikari.com/profile/life-story2/