水はそれぞれの魂の成長のために、
「問題解決」「厳しさ」を実践する。

風はそれぞれの魂のことを思いやり、
「優しさ」を実践する。

火はそれぞれの魂の幸せのために、
「笑い」を実践し、
「闘いの心」を実践する。

火は水と風の中間。
火の感情は「笑い」と「闘いの心」。
火は風のような「優しさ」と水のような「厳しさ」を抱えている。

その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。
 

「笑い」の心は「穏やか」で、
「闘いの心」は「穏やか」ではない。

「笑い」の心は「情熱」を抱かせず、
「闘いの心」は「情熱」を抱かせる。

「穏やかさ」を選べば、「闘いの心」の時に苦悩し、
「情熱」を選べば、「笑い」の心の時に物足りなさを感じる。

そして、決して「穏やかさ」と「情熱」の両方を選ぶことはできない。

「穏やか」である時、「情熱」を感じられず、
「情熱」を感じる時、「穏やかさ」を感じられないから。

その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。
 

「笑い」と「闘いの心」、どちらかに傾いてしまえばそれはとても簡単。
しかし、両方を選ぶのであれば、その生はとても困難となる。

火の魂とはそういった宿命を抱えて生きる魂。
それは火の神様がそういった方であるから。

彼女は自分の「笑い」を愛し、「闘いの心」を嫌う。
彼女でさえも、この苦悩を乗り越えられてはいない。

彼女は「笑い」と「闘いの心」のどちらもを最大限に実践している魂。
この世の火の気を支えている方であるから。

「笑い」と「闘いの心」、どちらかに傾いてしまえばそれはとても簡単。
しかし、彼女のポジションにおいてそれは許されない。

一つの時間において、魂は「穏やかさ」と「情熱」の両方を愛することはできない。
だからこそ、時間の流れの中で、「穏やかさ」と「情熱」の二つを交互に愛しなければならない。

しかし、火の神にはそのようなことは行なえない。

なぜならば、この世の全ての魂に対する強い愛を抱いているが故に、
いつも他の魂に対して「穏やか」でありたいと思い、
いつも他の魂に対して「闘いの心」を抱こうとしているから。

「笑い」と「闘いの心」。
その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。

 

神々であっても魂は一つ。
一つの魂とは一つの時間に一つの感情しか抱くことはできない。

我々の長である火の神は、そういった宿命を持っている偉大な魂。
それぞれの魂に対する愛が強いが故に、永遠にこの宿命を背負うであろう魂。

 

(2016/1/21 金星神と共に)