火の心
2016.01.21 Poetry
水はそれぞれの魂の成長のために、
「問題解決」「厳しさ」を実践する。
風はそれぞれの魂のことを思いやり、
「優しさ」を実践する。
火はそれぞれの魂の幸せのために、
「笑い」を実践し、
「闘いの心」を実践する。
火は水と風の中間。
火の感情は「笑い」と「闘いの心」。
火は風のような「優しさ」と水のような「厳しさ」を抱えている。
その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。
「笑い」の心は「穏やか」で、
「闘いの心」は「穏やか」ではない。
「笑い」の心は「情熱」を抱かせず、
「闘いの心」は「情熱」を抱かせる。
「穏やかさ」を選べば、「闘いの心」の時に苦悩し、
「情熱」を選べば、「笑い」の心の時に物足りなさを感じる。
そして、決して「穏やかさ」と「情熱」の両方を選ぶことはできない。
「穏やか」である時、「情熱」を感じられず、
「情熱」を感じる時、「穏やかさ」を感じられないから。
その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。
「笑い」と「闘いの心」、どちらかに傾いてしまえばそれはとても簡単。
しかし、両方を選ぶのであれば、その生はとても困難となる。
火の魂とはそういった宿命を抱えて生きる魂。
それは火の神様がそういった方であるから。
彼女は自分の「笑い」を愛し、「闘いの心」を嫌う。
彼女でさえも、この苦悩を乗り越えられてはいない。
彼女は「笑い」と「闘いの心」のどちらもを最大限に実践している魂。
この世の火の気を支えている方であるから。
「笑い」と「闘いの心」、どちらかに傾いてしまえばそれはとても簡単。
しかし、彼女のポジションにおいてそれは許されない。
一つの時間において、魂は「穏やかさ」と「情熱」の両方を愛することはできない。
だからこそ、時間の流れの中で、「穏やかさ」と「情熱」の二つを交互に愛しなければならない。
しかし、火の神にはそのようなことは行なえない。
なぜならば、この世の全ての魂に対する強い愛を抱いているが故に、
いつも他の魂に対して「穏やか」でありたいと思い、
いつも他の魂に対して「闘いの心」を抱こうとしているから。
「笑い」と「闘いの心」。
その間を振れながら、魂の生を過ごすこととはどれ程困難だろうか。
神々であっても魂は一つ。
一つの魂とは一つの時間に一つの感情しか抱くことはできない。
我々の長である火の神は、そういった宿命を持っている偉大な魂。
それぞれの魂に対する愛が強いが故に、永遠にこの宿命を背負うであろう魂。
(2016/1/21 金星神と共に)