植物には我々人間同様、魂が宿っています。そして、ある植物には精霊が宿っています。精霊が宿るその植物のことを「幻覚性植物」と言います。

世界各国のシャーマンはそういった幻覚性植物を長年使ってきました。そして、幻覚性植物の中には光の植物と闇の植物があります。自分はその幻覚性植物の内の光の植物を使うようにという指示を創造神からもらい、具体的に使うべき植物の名前も伝えられ、その植物を実際に使って儀式を行なってきました。

 

ちなみに、誤解されやすい話なので初めに説明しておきたいのですが、ドラッグは間違っています。どうかドラッグとシャーマンの使う幻覚性植物を同一視しないでほしく思っています。

ドラッグは自然物のものも非自然物のものもありますが、基本的に楽しみのために使うものです。しかしながら、シャーマンの儀式とは楽しみのために行なわれるものではなく、修行のために行なわれるものです。これはそのまま、「欲望(楽しみ)=闇」と「向上心(修行)=光」の違いと言えます。

また非自然物のドラッグには当然魂は入っておらず、脳に何らかの効果を与えるに過ぎません。幻覚性植物とドラッグと言うと、両者は大して変わらないと現代人には思われると思いますが、何らかの魂と共に働くかどうかという違いはこれはとてつもなく大きな違いになります。

ちなみに、ドラッグに一切の魂は入っていないにしても、そこにある気やそこにいる魂から影響を受けることは多いにあり得ますから、それは大変危険な行為です。シャーマンとは気を操る人間のことであり、シャーマンがいるからこそ守られている状態で修行は行なえますが、ドラッグを服用する行為はシャーマン無しに儀式を行っていることと等しい状態です。一切の守りが無い状態で、どのような気や魂が関与するかも分からない状態に投げ出されるのですから、様々な闇の気をもらう可能性があります。

実際、ドラッグ常用者という方々はそういった形で闇の気をもらい続けている方々です。どうしてドラッグを摂取し過ぎると廃人化していくのか、という根本的な理由をどうか御理解下さい。我々の感情や思考は気によって成立しています。身体に闇の気が増えていくならば、我々の感情や思考はどんどん悪くなっていきます。そしてドラッグを使うとかなり大きな闇の気をもらうため、ドラッグを摂取し続けると廃人化していくのです。

 

次に幻覚性植物の種類についてです。光の幻覚性植物とは光の精霊が宿る植物であり、闇の幻覚性植物とは闇の精霊が宿る植物です。精霊にも光と闇があることはどうか知っておいて下さい。分かりやすく言うと、光の精霊は天使であり、闇の精霊は悪魔であると言えます。ですから、この両者は天使が宿る植物なのか、悪魔が宿る植物なのか、ということの違いになります。

天使(光の精霊)が宿る植物は当然我々を助けてくれます。そういった植物を私は使っています。悪魔(闇の精霊)が宿る植物は我々に餌を与えるのと引き換えに我々を支配しようとします。幻覚性植物にはそういう二種があると御理解下さい。

 

まとめますと、人間が摂取して何らかの効果を得るものには三種類あり、光の幻覚性植物、闇の幻覚性植物、非自然物でできているドラッグです。そして光の幻覚性植物を摂取すると光の精霊が関与し、闇の幻覚性植物を摂取すると闇の精霊が関与し、ドラッグを摂取するとその場や自分の気や魂が関与することとなります。ただし、シャーマン無しに光の幻覚性植物を摂取するならば、場が守られた状態ではないため闇の気や悪魔が関与する可能性が非常に高いです。そういったケースがあることもご理解下さい。幻覚性物質にはこの三種があること、この三者がどのように違うのかを人間は分かる必要があります。

 

以下は私が使っている光の幻覚性植物についてです。

その光の幻覚性植物を摂取すると気を100倍で感じる状態が成立します。これは常に誰がその植物を摂取してもそうなるわけではなく、その植物の光の精霊とそのシャーマンが真に良き関係性を作っている場合にのみ成立することです。その植物を同じように摂取しても、そこに私がいるのであればその精霊は働くために摂取した者は気を100倍で感じ、そこに私がいないのであればその精霊は働かず何も起こらなかったりします。

その植物の魂と働くのです。ですから、どれだけの効果が出るかどうかはその植物の精霊とシャーマンの関係性次第です。関係性が良ければその魂は我々を助けてくれる。関係性が悪ければその魂は我々を助けてはくれない。これは全く人間関係と同じです。

そういった、植物はパートナーであるという認識を人間はもっと持たねばなりません。自然は支配する対象なのではなく、我々に絶え間ない恩恵を与え、そして我々を導いて下さる本当に素晴らしい魂なのです。

気を100倍で感じる状態を実現した後に私がありとあらゆる神々と連絡を取りながら、その参加者に必要な気を送ります。私は全ての光の神々と繋がっています。ですから、参加者の一人は太陽神様から気をもらい、もう一人は金星神様から、他の参加者は火星神様から気をもらうというようなことは私の儀式中いつも起こることです。

シャーマンとは神々と人間の仲介者です。シャーマンは、人間が神々から学ぶ事ができる場を用意する人間とも言えます。神々は神々の中で相談をしており、その人間にはどの神様がどういった教えを授けるのがいいのか、ということを決定し、儀式中に我々に関与します。

それぞれの参加者によって、関与する神様が違うのですから、参加者は皆それぞれ全く異なる経験をします。ある人は自分の過去を見たり、ある人は亡くなった旦那と再会したり、ある人は自分の人生の役割について理解をしたり、それは様々です。どういった経験をするかというと、その人間が経験すべきことを経験する形になります。

初期の段階においては、浄化を促す経験となります。その過程の中で、自分の持つ闇を経験することとなります。気を100倍で感じる状態において自分の闇を経験することとは、それは極端に言うと地獄のような状況になることを意味します。

その状態において、自分の持つ闇を乗り越えるということを魂で行なうことになります。もしそこで御自身の清さと強さを以て乗り越えられたのならば、あなたが持っている闇の気を身体の外に出す事ができます。

映画『バッドマン・ビギンズ』は御存知でしょうか?この映画の中で主人公であるブルース・ウエインが修行を行なうシーンがあります。この描写はその浄化のプロセスに非常に近いので是非御覧下さい。

 

 

ブルース・ウエインはこの修行の時まで彼の内側に恐怖をずっと抱えていました。その恐怖を乗り越えるために、恐怖を強く感じる状況をある植物の煙を吸うことで作り、その中で恐怖心と闘います。

この映画の中では実際に物理的に相手と闘っています。私の儀式の中では参加者は自分の心の中で自分の闇と闘うことになります。そして強い闇の中でも心が光を選ぶという修行を行なうわけです。

ちなみに、『バッドマン・ビギンズ』において登場する植物は映画の後半で毒として使われますが、私が使っている植物はそういったものではないので誤解しないで頂きたく思います。

この浄化のプロセスについて理解するために、皆様は神々のルールの一つを理解しなければなりません。神々はいつでもそれぞれの魂を助けてよいわけではなく、どういった時にその魂を助けてよいのかというルールを多く定めています。なぜならば、いつも神々がそれぞれの魂を助けてしまうのならば、その魂の修行にならないからです。

そして、浄化のプロセスにおいて重要なルールがあります。それは以下の二つの条件を満たす場合、浄化を助けてもいいというルールです。

1、問題の原因を本人が認識すること
2、本人が何らかの努力を行なうこと

この二つの条件を満たすために、光の幻覚性植物を使った儀式があると思って下さい。ちなみに、これは闇の幻覚性植物を使った儀式では適用されません。なぜならば、闇の幻覚性植物を使った儀式とはこれは闇の儀式だからであり、神々のルールは適用外であるからです。

自分の闇を100倍で感じるのですから、普段自分が気が付く事ができない自分の闇のことを我々は知り、それを直視することになります。これが「問題の原因を本人が認識すること」になり、その過酷な状況の中で魂で光を選び続けることが「本人が何らかの努力を行なうこと」という条件を満たすことになります。

ですから、儀式中において自分の闇を乗り越えたのならば自分の持っているその闇の気が取れていくことになります。もちろん、一人の人間は様々な闇の気を持ってしまっています。ですから、一度の儀式で全ての闇を取る事ができるわけではありません。

また、具体的にどういった形で闇の気が取れるかということについてですが、呼吸または吐く行為または排泄です。呼吸は空気に御自身が抱えていた闇の気が含まれ身体の外に出るということを意味しますが、吐く行為または排泄は摂取した植物と共に御自身の抱える闇の気が取れることになります。

以上が光の幻覚性植物を使った儀式についての説明でした。闇の幻覚性植物についてはこちらを御覧下さい。

http://junashikari.com/修行について/闇の幻覚性植物について/

 

私は「芦刈純」と言います。「芦」とは文字通り植物を表す草冠に「戸」です。これは植物が向こう側に行くためのドアであるということの示唆になります。ですから、「芦」とは神事に使われる植物の象徴とも言えます。そしてその植物を「刈」る。これはそのままその植物を使うということです。そして、ただただ「純」粋でありなさい。

私は当初この儀式を行なうために生まれてきました。私の名前には私が何をすべきかは元々書かれています。今はもうこの役割を超えてしまってはいますが、どんな生になるにしても光の幻覚性植物を使った儀式は必ず続けていくつもりです。

我々は神々から直接、経験として教えを授かる場を用意することができます。これほどまでに重要な場はなく、そういった場を用意することが私の人生の大きな役割です。神々は我々に伝えたいことが山のようにあります。そのようなメッセージを我々は可能な限り受け取り、それぞれの人間がそれぞれのやるべきことを行なっていかなければなりません。

神々と共に生きることとはこういったことを意味します。古代文明の時代、地球上ではありとあらゆる場所で幻覚性植物を使った儀式が行なわれていました。そして、その多くは光の幻覚性植物を使った儀式でした。そういった資料は文献にも残っています。

どうして多くの古代文明はあれほどまでに偉大であり得たのかと言うと、それはそういった儀式があったためです。例えば、彼らは光の幻覚性植物を使い神々の国に行き、その世界を模倣して建築物などを建てていました。ですから、古代の建築とは素晴らしいのです。これは建築のみだけでなく、哲学や芸術や天文学や神話など、ありとあらゆることにおいて同じです。彼らは幻覚性植物を使って神々とコミュニケーションを取っていたのです。

今地球上で行なわれている幻覚性植物を使った儀式は、闇の幻覚性植物を使った儀式ばかりです。人類が闇の方向へ向かっていく中で、光の幻覚性植物を使った儀式は禁止され、またそういった儀式を行なえる人間がいなくなったこともその背景にあります。ちなみに、古代においてメインで使われていた一種の光の幻覚性植物は闇に満ちた人間達によって全て刈り取られてしまい、絶滅してしまいました。

再び光の幻覚性植物を使った儀式を行なっていかなければなりません。そのためには人間がそういった幻覚性植物についての正しい認識を獲得することがその第一歩となります。