自分が「なりたい自分」と自分が「なるべき自分」は必ずしも一致しません。

「なりたい自分になろう」という考え方が日本では流行っていますが、「なるべき自分になろう」という考え方が正しいです。何故ならば、本当に「誰かのため」に生きる人間は自ずと「自分のため」の「なりたい自分」ではなく、「誰かのため」の「なりたい自分」を選ぶからです。そして、「誰かのため」の「なりたい自分」とは「他者のため」に役立つことができる自分の姿です。それは「なるべき自分」です。

整理すると、

「誰かのため」の「なりたい自分」=「なるべき自分」:「愛(相手のため)」
「自分のため」の「なりたい自分」≠「なるべき自分」:「欲望(自分のため)」

ただ、「誰かのため」の「なりたい自分(なるべき自分)」の中にも、「誰のため」に「なるべき自分」になるかを選ぶ葛藤は生まれます。例えば、「妻のため」になる自分と、「世の中のため」になる自分が、違う自分である場合などに、このような葛藤は生まれます。つまり、「部分」を選ぶか「全体」を選ぶかの「愛」の葛藤が生まれます。

整理すると、

「妻のため」に「なるべき自分」:「部分」への「愛」
「世のため」に「なるべき自分」:「全体」への「愛」

とにかく大事なことは、「自分のため」にしかならない自分になることは決して選ばず、「誰かのため」に役立つことができる自分になることを選ぶことです。その「誰か」が誰なのかは御自身が選ぶことです。

こういった構造も「光」と「闇」の基本的な法則の一つであって、「なりたい自分」に関する「光」と「闇」です。

※ちなみに、私は「部分」よりも「全体」を選ぶべきだと思っています。「部分」への「愛」を選んで「全体」への「愛」を放棄するなんて、自分勝手に思えるからです。「愛」はいつも正しいわけではなく、「部分」への「愛」はよく間違いを起こします。このことはいつも注意が必要です。