ここでは、「判断」とは何かを書いていきます。

我々は日々様々な「判断」を行なっています。しかし、「判断」とはどのような構造によって成り立っているのかということは「常識」として知れ渡っていません。これはとても良くない状況です。

何故ならば、「判断」とはどういうものかを人々は知らないからこそ、「判断」する際に気をつけるべきことなどをしっかりと人々は意識化しておらず、そのことによって適切な「判断」をしづらくなっているからです。逆に言うと、「判断」とはどのようなものかを知れば、適切な「判断」をより行ないやすくなります。

「判断」は大きく分けて2種類であって、「今日何をすべきだろうか」といった「選択」に関する「判断」から、「真実は何だろうか」といった「真偽」に関する「判断」です。これらを「選択判断」と「真偽判断」と呼びます。

「選択判断」はとても大事です。何故ならば、我々は日々、様々な「選択」を行っていて、そういった時に間違った「選択肢」を選んでしまうと、大きな被害を受けることもあるし、他人に迷惑をかけてしまうことにも繋がるからです。ですから、何かを「選択」するときに、正しい「選択肢」を「選択」することはとても大事なことであって、「誰かのため」に生きたいと思う人にとっては絶対に必要なものです。

「真偽判断」もとても大事です。何故ならば、間違ったものを「真実」だと思ってしまうと、そういった「アイデア」が我々の生き方を狂わせてしまうからです。例えば、「カップラーメンは身体にいい」という「アイデア」を「真実」だと思い、カップラーメンを食べ続けていると身体を壊してしまいます。これはとても極端な例ですが、間違った「アイデア」を「真実」だと誤解してしまうことは、我々の人生を大きく狂わせます。そういう状態に堕ちないために、「真実」を理解することはとても大事であって、「真実」を見抜くために自分自身の力で何が「真実」で何が「間違い」なのかということを明らかにするための「判断」、つまり「真偽判断」を正しく行なうことがとても大事です。

以下、「判断」とはどういうものなのかを理解していただくために、【「判断」の基本構造】【「判断」の具体例】【「判断」と「気持ち」の関係性】【「判断」と「論理」の関係性】【「判断」と「記憶」の関係性】【「判断」と「資料」の関係性】に分けて書いていきます。
 

【「判断」の基本構造】

何かを「判断」すべき際に大事なことは、何が正しいかを見抜くことです。そして、何が正しいか見抜くためには、それが正しいという「根拠」が必要です。そして、そういった「根拠」を見出すためには、「アイデア(それぞれの選択肢のメリットとデメリット、具体例など)」などが必要です。これが「判断」の基本構造です。

そして、こういった「判断」の基本構造を正しく実践するために必要なことは、適切な形で「論理」を使いこなすことと、冷静な判断を促す「気持ち」を抱くことです。

こういったことの積み重ねによって、正しい「判断」はできます。逆に言うと、これらのどこかが甘いと、「判断」を間違う可能性が高まります。以下、このような「判断」の基本構造について具体例を通して説明していきたいと思います。


【「判断」の具体例】

・地下鉄とJR

ある人がある場所に向かいたい時、地下鉄に乗るかJRに乗るかを選ぶ場面があったとします。こういう場合、地下鉄に乗るのとJRに乗るのとで、どちらがより良い選択肢であるのかを「判断」する必要があります。そういった「判断」をするためには、それぞれの選択肢の「メリット」と「デメリット」となるような「アイデア」を使う必要性があります。上で書いた「アイデア」とはこういった意味の「アイデア」も含みます。

地下鉄に乗る場合は太陽を浴びることができません。それに対して、JRに乗ると太陽を浴びることができます。太陽を浴びることを好む人の場合、こういった要素を考えることは、地下鉄とJRに乗る「メリット」と「デメリット」を考えるうえで必要な「アイデア」です。

また、このケースは、地下鉄に乗ったほうがJRに乗るよりも早く目的地に着く場合だったとします。こういう場合、JRに乗る「メリット」は太陽を浴びられることです。それに対して、地下鉄に乗る「メリット」はよりはやく目的地に着くことです。そして、JRに乗る「デメリット」は目的地に着くのに時間がかかるということであり、地下鉄に乗る「デメリット」は太陽を浴びられないことです。

     JR            地下鉄
太陽  浴びられる(メリット)  浴びられない(デメリット)
時間  遅く着く(デメリット)  早く着く(メリット)

こういった「メリット」と「デメリット」をすべて列挙したうえで、自分が何を優先するのかを「選択」することが適切な「判断」です。そして、我々はいつもこういった計算を行いながら様々な「判断」をしています。しかし、ここまで厳密に考えずに、いいかげんな形で「判断」をしている人も多くいます。そういった方は、適切な「判断」をすることはできませんし、いいかげんな「判断」をする癖がついていると、いつか「選択」を誤ることにつながります。そういったことをしないためにも、いつもちゃんとした「判断」をすることを癖づけることが大事です。そのことによって、間違った「選択」を行わないようにしながら生きていくことができます。

この例における「判断」は、「選択肢」のどちらも間違いではなく、どちらがベターなのかを選ぶタイプの「判断」です。
 

・洗濯をするかどうか

我々はいつも洗濯をしていますが、雨が降る日に洗濯をすることを多くの人は望んでいません。晴れている日に洗濯をしたいと思っています。ここではそういった例を取り上げます。

その日に洗濯をすべきかどうか「判断」するためには、その日が晴れるか雨が降るかを予想しなければいけません。もし、洗濯をしたうえで雨が降ってしまったら、それは間違った「選択」をしたことになります。逆に、洗濯をした日が晴れになれば、それは正しい「選択」をしたということになります。

この場合の「判断」は、先ほどの電車の例とは違い、どちらかが正しくてどちらかが間違っているタイプの「判断」です。こういったタイプの「判断」は、場合によっては大きなミスにつながる可能性があります。例えば、その翌日に恋人とデートの約束をしていたとして、その時にどうしても着たいと思っている服があったとします。もし、雨が降るにもかかわらずその服を洗濯してしまったら、翌日にその服を着ることはできません。こういった形で、間違った「選択肢」を選ぶとそれによって我々は苦悩を強いられます。
 

・運動が体にいいかどうか

運動が体にいいかどうか、といったことを適切に「判断」するうえで必要なものは、先ほどの電車や洗濯の例とは異なり、「具体例」の「アイデア」です。このタイプの「判断」は「具体例」の「アイデア」を参照することによって、それが正しいかどうか「判断」をします。つまり、この例では「運動をすることによって実際に体調がよくなった」という自分の過去の経験などを参照することが必要になります。

適切な「判断」を行うためには「アイデア」が必要であるということを最初に書いていますが、その「アイデア」は「選択肢」の「メリット」と「デメリット」を考えることに加えて、「具体例」を参照することも含みます。そういった理解をしていただくために、ここでは「運動は身体にいいかどうか」という例を挙げました。そして、こういった「判断」が何が「真実」かを明らかにするための「真偽判断」です。
 

・相手が本当のことを言っているのかどうか

「相手が本当のことを言っているのかどうか」ということを明らかにするためにも、電車や洗濯のケースと同じように両方の場合を考える必要があります。つまり、相手が本当のことを言っているという「根拠」と相手が嘘を言っているという「根拠」を考える必要があります。

もし、こういう時に「疑い」に捕まると「判断」を誤ってしまいます。なぜならば、「疑い」に捕まっていると相手が嘘を言っていることの「根拠」しか考えなくなるからです。このような意味で、適切な「判断」をするときに「疑い」を使うということは、とても危険な行為です。このことは、我々現代人が見落としている点ですから、よく覚えていただけると幸いです。

こういった「判断」は、「真実」を「真実」と見抜けるか、もしくは「間違い」を「真実」と思ってしまう「判断」です。つまり、「真実」を解き明かすか「誤解」を生む「判断」であって、「真偽判断」です。我々はいつもこういった類の「判断」を誰かとのコミュニケーションを通して行なっています。そこでいつも「真実」を見出せていれば問題ないのですが、実際は様々な「誤解」によって我々は人間関係を悪化させています。その背景には、「疑い」があるということも知っていただけると幸いです。


ここまで4つの具体例を列挙しましたが、これらの具体例から「判断」の構造や「選択判断」と「真偽判断」の違いについて理解を深めていただけると幸いです。
 

【「判断」と「気持ち」の関係性】

適切な「判断」を行なう上で最も大事なことは、自分の感情的な部分に振り回されず、極めて客観的な形で「判断」する対象を見つめる姿勢です。例えば、「欲望」などを抱いていると、自分にとって都合のいい情報に対しては「この情報が真実であっていてほしい」という「欲望」を抱き、自分にとって都合の悪い情報に対しては「この情報が間違っていてほしい」という「嫌悪」が生まれてきますから、冷静に物事を「判断」することができなくなります。

具体例を挙げると、パチンコが好きな人にとって「パチンコは心身の健康に良くない」という情報は都合が悪い情報だからこそ「そんなことないはず」と思いやすいのに対して、「ストレス発散のためにはパチンコは有効である」という情報は都合が良い情報だからこそ「そうそう、よく分かる」と思いやすいです。このような形で、「欲望」は適切な「判断」を止める力があります。

これは「愛」の場合にも起こります。「愛」を抱いていると、自分の大事な人にとって都合の悪い情報は信じたくなくなります。例えば、自分の恋人がパチンコ好きだったとしたら、「パチンコは心身の健康に良くない」という情報に対して「この情報は間違いであってほしい」と思い、「ストレス発散のためにはパチンコは有効である」という情報に対して「この情報は真実であってほしい」と思います。

「判断」を行なう上で大事なスタンスは「〜だろうか」という客観的な態度であって、「〜であってほしい」という態度は、適切な「判断」を妨害します。「愛」も「欲望」も「〜であってほしい」という態度に繋がることはあるので、何かを「判断」する際には、そういったところに堕ちないように注意して頂けると幸いです。

適切な「判断」を行なう上で最も好ましい「気持ち」は「水の気持ち」=「問題解決の心」です。「水の気持ち」は、「問題解決」を目指す「気持ち」ですから、何が正しいか、何が最善かを解き明かすことに最も向いています。「水の気持ち」の特徴は、熱くなりすぎず冷静であるというポイントです。そういった冷静さが正しい「判断」を促します。だからこそ、適切な「判断」を行ないたい方は「水の気持ち」を伸ばすように日々努力をして頂けると幸いです。

「水の気持ち」は、「愛」の実践のために「問題解決」を行う「気持ち」です。だからこそ、「水の気持ち」を抱くためには、大事な人のために「問題解決」を行おうとする「意志」が必要です。その「意志」さえあれば、「水の気持ち」を自ずと抱くことになります。そういった形で「水の気持ち」を抱く時間を長くしていければ、自分の中の「水の気持ち」は成長していきますから、より適切な「判断」を行いやすくなります。こういった形で、「気持ち」と「判断」の形も理解していただけると幸いです。

「判断」と「気持ち」の関係性については、より詳しく説明する必要があるので、別で文章を書きます。
 

【「判断」と「論理」の関係性】

適切な「判断」を行うためには、適切な形で「論理」を使う必要があります。なぜならば、論理的に矛盾した考え方をしてしまうと、間違ったことを正しいと「判断」してしまうからです。

例えば、「論理」の一つの道具として「必要条件」と「十分条件」という考え方があります。これは難しく聞こえるかもしれませんが、実際はそうではありません。具体例を挙げると、「走ることは健康になるために必要だ」と考えるのが「必要条件」の考え方であるのに対して、「走っていれば必ず健康になれる(走ることは健康になるために十分だ)」というのが「十分条件」の考え方です。走る習慣があったとしても、その人の食生活や様々な生活習慣が悪ければ(喫煙や飲酒など)健康にはなれません。ですから、「走っていれば必ず健康になれる」という「十分条件」の考え方はこのケースは誤っています。

我々は「必要条件」と「十分条件」の考え方を意識化しておらず、日常の中では皆なんとなく「必要条件」と「十分条件」の考え方を使い分けています。しかし、意識化していないと、使い方を誤るケースはよくあります。実際、「走っていれば必ず健康は維持できるだろうから、多少の不摂生も大丈夫だろう」と思って生きている人もいます。

「論理」は我々が「判断」を行なっていく上で、使うことができる、使わなければならない道具です。だからこそ、適切な形で「論理」を使いこなさなければ、「判断」自体を誤ってしまいます。「論理」については、別で詳しく文章を書いていきます。
 

【「判断」と「記憶」の関係性】

適切な「判断」を行う上で、「記憶」もとても重要なものです。適切な「判断」を行うためには、「根拠」や「アイデア」や「論理」が必要だということを書いてきましたが、「記憶」というものはその「根拠」や「アイデア」や「論理」となるからです。

例えば、電車のケースでは、太陽を浴びながら電車に乗っていて気持ち良かったという「記憶」がなければ、JRに乗る「メリット」を見出しづらくなります。洗濯のケースでは、雨が降ることのサインとなる雲を「記憶」していたほうが、その日に雨が降るかどうかを予想しやすくなり、雨が降るときに洗濯することを防ぎやすくなります。運動は体にいいかどうかというケースでは、運動して調子が良くなったという「記憶」がなければ、運動が体にいいという「根拠」を見出しづらくなります。相手が本当のことを言っているかどうかというケースでは、相手が嘘をついていた「記憶」があるのだったら、相手が自分に嘘をついていると「判断」しやすくなります。「必要条件」「十分条件」のケースでも、「必要条件」と「十分条件」があるという「論理」に関する「記憶」があった方が、定説な「判断」をしやすくなります。

このような形で、「記憶」というものは我々が適切に「判断」するための「根拠」「アイデア」「論理」を支えているものです。だからこそ、脳を守ることは非常に大事なことです。逆に言うと、脳になんらかの不具合が発生すると、「記憶」という道具を我々は使いづらくなり、「判断」を誤りやすくなります。実際、アルツハイマーや認知症などの病を抱えると、「記憶」を使うことをしづらくなるからこそ、適切な「判断」ができなくなり、そのことによって自分も他人も苦しめてしまいます。

脳にどのように「記憶」が保存されているのか、脳を守るためにどういうことが必要なのか、ということについては別で書きます。
 

【「判断」と「資料(研究)」の関係性】

「記憶」と同じような意味で大事なのが「資料」です。「資料」は我々が様々な「判断」を適切に行なうための道具となります。それは、「記憶」が我々の「判断」を助けてくれることと似ています。イメージとしては、我々が自分の内側に持っている「資料」が「記憶」であって、自分の外側に持っている「資料」が何かを調べることによって手に入れられる「資料」です。

しかし、もちろん、間違った「資料」を参照してしまうと、間違った「判断」をしやすくなります。だからこそ、正しい「資料」を選び、その「資料」を踏まえて、適切な「判断」を論理的に行っていく、ということがとても大事です。

「資料」というと、堅苦しく感じるかもしれませんが、例えば、その相手が本当のことを言っているのかを「判断」するケースでは、別の他人にその相手に関する情報を求めるといったことも「資料」を集めることです。つまり、我々は「判断」をするうえで「資料」を探すということを日常でやっている形になります。

そういった身近な例もあれば、学問などの領域で行われる研究も同じような意味を持っています。例えば、科学的にある事柄の「真実」を解き明かすために科学者達は実験を行ない、実験から生み出される「データ」を「資料」として用い、その「資料」と「論理」などを組み合わせて、何が「真実」なのかを「判断」しようとします。

このような意味で、我々人間にとって、適切な「判断」のために「資料」を参照するということは、とても身近なことであると理解して頂けると幸いです。そして、何らかの「判断」を行なう際には、どのような「資料」を集める必要があるのかといったことを考えながら「資料」を集め、その「資料」と「論理」などを組み合わせることによって、適切な「判断」を行なうように心がけて頂けると幸いです。


【最後に】

このページでは、「判断」の構造を説明してきましたが、「判断」について理解して頂く上で必要な説明は他にもあります。例えば、それぞれの「気持ち」がどのような「判断」に繋がりやすいのかということは、とても大事な知識であって、別の文章で詳しくシェアしなければならない内容です。

ですから、このページの文章は、「判断」とは何かということの全体像と基本事項だけを説明したと理解して頂けると幸いです。しかし、全体像が見えるようにすることも、基本を理解することもとても大事なことですから、この内容を理解して頂けると幸いです。その上で、ご自身が日常生活の中で様々な「判断」をどのように行なっていているのかを分析して頂き、自分に足りていない点や間違っている点などを修正して頂けると幸いです。そのようにこのページを活用して頂けると本当に嬉しいです。