「嘘」自体が全て「悪」だと思っている人は少なくありませんが、実際は「嘘」の中にも「善悪」があります。こういうことを理解することで、適切に自分や他者の「嘘」と向き合って生きることがしやすくなるので、この構造を理解することは大事です。

基本的に、「悪の嘘」とは「自分のため」の「嘘」であるのに対して、「善の嘘」とは「他者のため」の「嘘」です。つまり、「悪の嘘」は「欲の嘘」であり、「善の嘘」は「愛の嘘」です。

例えば、敵兵からの攻撃を受け、明らかに死にそうな仲間の兵士に対して、「愛」が故に「大丈夫、お前は死なない」と「嘘」を付くのは「愛の嘘」です。

しかし、「愛の嘘」が必ずしも「善の嘘」とも限らず、その「嘘」が適切ではない場合、「愛の嘘」も「悪の嘘」となり得ます。例えば、兵士の例の場合、「お前は生きられないだろう」と「真実」を伝えることを通して、何かしらの大事な遺言を聞くこともできるかもしれません。ですから、「愛の嘘」が必ずしも「正しい」わけではなく、「正しさ」のある「愛の嘘」こそ「善の嘘」、つまり、必要な「嘘」です。

こういったことが分かってくると、「善の嘘」を付くためには「愛」と「賢さ」が必要であることが見えてきます。「賢さ」が無ければ、どのような「嘘」が適切な「嘘」なのかを見抜くことができず、「愛」が故に「悪の嘘」を付いてしまう可能性があるからです。

逆に、「自分のため」の「嘘」の典型的な例は、遅刻をした時に「自分を守る」ために何かしらの「嘘」を付くような方向性です。「自分のため」に他人を欺くことは「悪」ですから、このような「嘘」は付くべきではありません。

しかし、こういった「欲の嘘」も必ずしも「悪の嘘」とも限らず、馬鹿正直に何でも「真実」を伝えることが他者の迷惑に繋がるケースもあります。例えば、遅刻の例の場合、「寝坊しました」といった「真実」を言うことで、自分以外の誰かに迷惑をかけるような形です。つまり、「悪の嘘」が「善の嘘」になることも稀にあります。

つまり、「善の嘘」とは「他者のため」になる「嘘」であり、「悪の嘘」とは「自分のため」にしかならない「嘘」です。

また、同じ「善の嘘」の中にも、「誰のため」になる「嘘」なのかが違うことはありますし、「悪の嘘」の中にも、「誰を苦しめる」ことになる「嘘」なのかが違うこともあります。どうしても「善の嘘」を付かざるを得ない場合は、「誰のため」にその「嘘」を付くのかを選ぶ必要がありますし、どうしても「悪の嘘」を付きたい場合は、できるだけ誰も苦しめない「嘘」を選ぶべきです。

「嘘」自体が相手を欺く行為であり、相手を欺くこと自体は決して良いことではありません。だからと言って、全ての「嘘」が「悪」なわけではありませんが、可能な限り「嘘」を付かないことは大事です。特に「悪の嘘」は決して付くべきではなく「善の嘘」がどうしても必要な場面では、その「善の嘘」は必要ではあります。そういった時に、できるだけ「他者にため」になる「嘘」を付けるように、「賢さ」を自分の中に養うことが大事です。

「嘘」に関して、このように「善悪」が分かれていることを御理解頂けると幸いです。