「愛」の立場は自分よりも他者を大事に思うからこそ、他者が自分に「不利益」を与えても「相手のため」に「許す」ことを行います。それに対して、「欲望」の立場は他者よりも自分を大事に思うからこそ、相手が自分に「不利益」を与えると「自分のため」に「許せない」という態度に繋がります。

相手が自分に与えた「不利益」が大きければ大きい程、相手を「許す」ことは大変なことになっていきます。例えば、相手が自分の大事なものを壊した場合などは「許す」ことは大変になっていきます。

しかし、大きな「愛」があれば「相手のため」に「許す」努力をしたいと思います。何故ならば、自分の「許せない」という気持ちによって、相手を傷付けたり、相手を嫌うことをしたくないからです。

逆に、「愛」が小さいと相手を「許す」という努力をしたくはなく、相手を「許せない」と思い、相手に怒りたい、相手を咎めたいという「欲望」に繋がりやすくなります。そうなると、相手が苦しむことになります。

このような意味で、「許す」ことは「相手のため」に自分が苦しみを引き受けることに繋がり、「許さない」ことは「自分のため」に相手を苦しめることに繋がることを知って頂けると幸いです。

「許せない」という態度は「嫌悪」や「怒り」です。そういう「嫌悪」や「怒り」は「仕返しをしたい」「罰を与えたい」という「欲望」に繋がっていきます。「許す」という態度は「愛」です。そういう「愛」は「仕返しをしたい」「罰を与えたい」という「欲望」には繋がりません。

「仕返し」や「罰」は新たなる「嫌悪」を生み出すだけで、その先にあるのはお互いの「不幸」です。そういった誤った道に進むのではなく、最初の時点で「許す」方向性を選んで頂けると幸いです。