「愛」は「自分よりも他者を大事に思う気持ち」だからこそ、他者の「意志」を大事にしようと思い、他者に「自由」を与えようとします。それに対して、「欲望」は「相手よりも自分を大事に思う気持ち」だからこそ、自分の「利益」のために相手を「支配」しようとし、その結果、他者の「意志」を奪い、他者を「不自由」にします。

「愛」は誰かの自分に対する「支配」によって生まれるものではなく、自分の「意志」によってしか生まれないものです。例えば、「彼を愛せよ」と誰かから命令されて、誰かを愛することはできません。そして、「意志」が生まれるためには「自由」が必ず必要です。だからこそ、「自由」は「愛」が生まれる上で必要な土台です。

「欲望」は誰かの自分に対する「支配」によって生まれやすく、「支配」されることによって感じる「嫌悪」=「ストレス」からの反動として繋がっていきやすいものです。例えば、自分のことを道具のように「支配」してくる会社で働いていると、「嫌悪」=「ストレス」を感じ、その「ストレス」を紛らわせるために、飲酒や買い物といった「欲望」を実践します。だからこそ、「支配(不自由)」は「欲望」が生まれることを促す土台です。

このような構造で、「愛」と「自由」は密接な関係にあり、「欲望」と「支配」は密接な関係にあります。「愛」は相手の「意志」を大事に考えるからこそ「自由」を相手に与え、その「自由」を土台に新たな「愛」が生まれやすいのに対して、「欲望」は自分の「利益」を大事に考えるからこそ「支配」を相手に与え、その「支配」を土台に新たな「欲望」が生まれやすいという構造を持っています。

そして、「命令」は一種の「支配」です。立場が上の人間が立場が下の人間に対して「命令」をすれば、立場が下の人間はその「命令」に従うしかないからです。今の日本社会は家庭や学校や職場といった様々な場所で「命令」による「支配」の構造があります。そのことによって、「欲望」を助長しています。

相手を「愛」から遠ざけ「欲望」に堕とさないためにも、決して「支配」はすべきではなく、そのために必要なことは「欲望」を選ばず「愛」を選ぶことです。そして、自分が「愛」から遠ざかり「欲望」に堕ちないためにも、他人から「支配」されるような環境に身を置くべきではなく、そのために必要なことは「欲望」がある人と生きるのではなく、「愛」がある人と共に生きることです。

我々日本人は他人を「支配」することがいかに悪しきことなのかを知らないが故に、自分の「欲望」が故に簡単に人を「支配」してしまうことも少なくありません。また、他人に「支配」されることの恐ろしさを知らないからこそ、お金といった見せかけの「餌」と引き換えに自分が他人から「支配」されてしまう環境に簡単に身を置いてしまうことも少なくありません。

ですから、「自由」と「支配」の構造を理解して頂いた上で、本当に他人や自分の心が良い方向へ向かうような選択を行なうことを日々心がけて頂けると幸いです。