「愛」は「真実」を知ろうとし、「欲望」は「真実」を知ろうとしないことについてはこちらに書きました。
http://junashikari.com/mind/愛と欲望の真実に対する向き合い方/

このことの延長線上の話で、ここでは「愛」は「真実」を知ることができ、「欲望」は「真実」を知ることができないことについて書いていきます。

「愛」を抱いて「真実」を知ろうとする時、動機は「自分のため」ではなく「誰かのため」なので、自分にとって都合のいい「情報」も都合の悪い「情報」も、その「情報」が正しいかを冷静に判断できます。こういった判断の態度を「問い」の態度と言います。

それに対して、「欲望」を抱いて「真実」を知ろうとする時、動機は「相手のため」ではなく「自分のため」なので、自分にとって都合のいい「情報」に対しては「信じたい」と思い、自分にとって都合の悪い「情報」に対しては「信じたくない」と思います。この「信じたい」という態度は「依存」であって、「信じたくない」という態度が「疑い」に繋がります。「依存」にしても「疑い」にしても、冷静ではなく感情的なので、その感情によって冷静に「問い」を行なうことが難しくなっていきます。

「依存」に堕ちると、その「情報」が正しいかどうかを見極めたいという気持ちよりも、その情報が正しいと思いたいという気持ちが強くなるので、間違った「情報」であっても信じてしまいます。また、「疑い」は「問い」とは異なり、予めその「情報」に対する「嫌悪」があるので、必要以上に「何か裏があるのではないか?」「こう言っているけれども、こんな例外があるんだけどなー」といった疑問を作り始めます。そのことによって、「真実」が「真実」に見えなくなっていきます。

「欲望」を抱いている時、人は「自分のため」に自分に何らかの「利益」を与える「情報」を欲しがるので、我々は無意識に自分に「不利益」を与えるような「情報」は受け取らないようにし、自分に「利益」を与えるような「情報」だけを受け取っています。このことが、「欲望」が故に「依存」や「疑い」に堕ちる構造です。このことについて例を挙げて説明します。

「欲望」が故に「疑い」に堕ちるケース:例えば、「人の文句を言うことはその人の心をどんどん汚していく」という「情報(真実)」を受け取った時に、人の文句を言って生きている人からすると、この「情報(真実)」は自分を否定するようなものなので、「不利益」を与える「情報」です。だからこそ、そういう人がこういった「情報(真実)」を「欲望」の気持ちで受け取ると、人はこの「情報(真実)」自体を「疑い」の対象にすることによって、この「真実」が「間違い」であると思おうとし始めます。この「情報」が間違っていると思えれば、自分を否定することをせずに済むからです。このような形で、「欲望」を動機に「情報」を受け取っていると、「疑い」によって「真実」を「間違い」として受け入れていき、どんどん「真実」が見えなくなっていきます。

「欲望」が故に「依存」に堕ちるケース:例えば、「人の文句を言うことでストレスを無くすことができる」という「情報(間違い)」を受け取った時に、人の文句を言って生きている人からすると、この「情報(間違い)」は自分を肯定するようなものなので、「利益」を与える「情報」です。だからこそ、そういう人がこういった「情報(間違い)」を「欲望」の気持ちで受け取ると、人はこの「情報(真実)」自体を「依存」の対象にすることによって、この「間違い」が「真実」であると思おうとし始めます。この「情報」が正しいと思えれば、自分を肯定することができるからです。このような形で、「欲望」を動機に「情報」を受け取っていると、「依存」によって「間違い」を「真実」として受け入れていき、どんどん「真実」が見えなくなっていきます。

それに対して、こういった「情報」を「愛」の気持ちで受け取る人は、「誰かのため」に「真実」を知るために、または、自分がより優れた人間になることによって、もっと「誰かのため」に何かをできるようにするために、この「情報」が本当かどうかを「問い」始めます。このような「問い」の態度だと、過去に自分が文句を言っていた時期のことを思い出したり、文句をよく言いながら生きている人の変化などを思い出すことによって、「人の文句を言うことはその人の心をどんどん汚していく」という「情報」が「真実」かどうかを確かめようとし始めます。このような「問い」の態度が「情報」の中から「真実」を見極めることに繋がっていきます。

「依存」も「疑い」も過去の自分自身の経験を思い出すことを促すこともありますが、「依存」や「疑い」は感情的なので、冷静に過去の記憶を参考にすることができず、記憶に対して自分にとって都合のいいような意味合いを持たせてしまいます。

このような意味で、「愛」は「真実」を知ることに繋がるのに対して、「欲望」は「真実」を知ることができないことに繋がることを理解して頂けると幸いです。正しい判断を行なうということと、どういう気持ちを抱いているのかということは密接な関係を持っています。そして、「問い」の気持ちが正しい判断を行う上で最も優れている気持ちです。だからこそ、そういった「問い」の気持ちに近づくことができる「愛」は「真実」を明らかにし、「問い」の気持ちから遠ざかる「欲望」は「真実」を見えなくしていきます。


※補足説明

最初の時点ではここは読み飛ばして頂きたいのですが、ここで説明してきた「問い」の気持ちとは「愛」の1つである「水の気持ち」です。「水の気持ち」は「問題解決」を目指す気持ちであって、そういった「問題解決」を目指す気持ちが「問い」へと繋がっていきます。「水の気持ち」は自分が抱える問題や他人が抱える問題を解決することを目指す気持ちであって、自分が抱えている問題を解決する気持ちのことを「向上心」、他人が抱えている問題を解決する気持ちが「問題解決の心」です。「水の気持ち」は他の「愛」の気持ちと比べて冷静な「愛」なので、「真実」を理解する上では最も優れている気持ちだということは知って頂けると幸いです。