世の中にはこの世界や自分の心がどのように成り立っているのか知ろうとする人と、知ろうとしない人がいます。このことも「愛」と「欲望」の対立から生まれる違いです。

本当の「愛」があれば、この世界や人の心がどのように成り立っているのかを知ろうとします。何故ならば、正しく「真実」を認識することなしに「愛」を実践すると、正しいことをしているつもりなのに、間違ったことをしてしまうこともあるからです。例えば、「ストレスを減らすためには人の文句を言うことが有効」という間違った「情報」を信じると、ストレスを抱えている人を助けるために「人の文句を言うとストレスを減らせるよ」と言ってしまうことに繋がります。しかし、これでは余計に相手の人格を悪くしてしまい、ストレスを抱えやすい人間にしてしまいます。ですから、これは間違った形での「愛」の実践です。

こういったことが起きないようにするために、本当に「相手のため」を思う人は、大事な人を支えるために、間違ったことを信じないように日々「真実」を知ろうとします。この世界には様々な「情報」がありますが、「情報」の中には「真実」もあれば「嘘(間違い)」もあります。「愛」の立場は「誰かのため」に「情報」の中から「真実」が何なのかを探そうとしますし、自分自身の日常の中でも「真実」を理解しようとします。

「愛」が「相手のため」に「真実」を知ろうとする態度とは逆に、「欲望」は「自分のため」に「情報」を知ろうとします。そして、「自分のため」になりそうな「情報」だけを選び始めます。だからこそ、「自分のため」になりそうではない「情報」に対する興味を失くしていきます。しかし、「真実」は必ずしも「自分のため」になりそうな「情報」とは限りません。だからこそ、「欲望」を選んで生きていると、どんどん「真実」を知ろうとしなくなります。また、「欲望」を抱いていると、自分にとって都合の悪い「情報」はできるだけ受け取りたくなくなるので、そのことによっても「真実」を知りたくなくなります。

このような形で「愛」は「真実」を知ろうとするのに対して、「欲望」は「真実」を知ろうとしないということは、多くの人について言えることです。「真実」を知ることに関するこのような「愛」と「欲望」の対立関係や、「真実」を知ることが「他者のため」になることは知って頂けると幸いです。

この国は「真実」を知ることの重要性を皆が理解せずに大人になり、「真実」を知ることの価値を大人は子供に教えません。しかし、「真実」を理解せず、「嘘」を信じていると、間違った判断を行いやすくなり、そのことによって自分や他人を苦しめていきます。例えば、「ストレスを減らすためには人の文句を言うことが有効」という「情報(間違い)」を信じてしまえば、自分のストレスを減らすために文句を言い、他人のストレスを減らすために文句を言うことを相手にアドバイスし始めるので、そのことによって自分も他人も心が汚れていき、その汚れた心によって自分自身を苦しめていきます。ですから、本当は「相手のため」に生きる人であっても「自分のため」に生きる人であっても「真実」は知るべきです。

「正しいことを理解しなければ間違いやすくなる」という当たり前のことの価値を社会全体でシェアせず、目の前のことに追われるが故に、多くの人が何が正しいかを見定める努力をしていないという現状があることを知って頂けると幸いです。日本にはこういった問題があることを皆が理解し始めることが、この問題を乗り越えるためにまず最初に必要なことだからです。

 

※補足説明

「愛」を抱いても「真実」を知ろうとしないケースはあり、それは「愛」が弱かったり、「怠惰」や「甘さ」を持っていたり、「賢さ」が足りていないケースです。「愛」が弱ければ、「真実」を知ろうとする努力を行うことは不可能です。また、「愛」を抱いていても、何かを学ぶことについては「怠惰」や「甘さ」を持っていると、「真実」を学ぼうとはしません。また、「真実を知ることが本当に他人を支えることに繋がる」といったことを自分の人生を通して学んでいない限り、どんなに「愛」を抱いていても「真実」を知ろうとしません。

また、「欲望」を抱いていても「真実」を知りたいと思うケースがあり、それは「知識欲」によって「真実」を知ること自体を「欲望」するケースです。「知識欲」で何かを知ろうとすることは「自分のため」の態度であって、「真実」を知ること自体が面白いと感じたり、「真実」を知ることによって人から賢く見られたいが故に起こる心の動きです。ただ、「知識欲」によって「真実」を理解しようとしても、「真実」は見えてこない理由があります。そのことについては、こちらに書いています。