「負けず嫌い」は本質的に「自分のため」の気持ちだからこそ、「愛」ではなく「欲望」です。そして、「負けず嫌い」は「勝つ」ことを「欲望」するので、自分が「勝ち」を経験する時には「快楽」を感じ、自分が「負け」を経験する時には「嫌悪」を感じます。このような意味で、「負けず嫌い」は「欲望」と「嫌悪」を内に抱える気持ちです。

ですから、「負けず嫌い」になっていくと、「勝ち」に対する「欲望」と「負け」に対する「嫌悪」の間を揺れ続けることになります。そして、「欲望」は「嫌悪」に繋がり、「嫌悪」は「欲望」に繋がるということを、「負けず嫌い」の中で絶えず繰り返していくことになります。例えば、「負けず嫌い」は「やられたらやり返せ」という考え方につながっていきます。自分が「負け」っぱなしだと「嫌悪」を感じるので、その「嫌悪」を終わらせるために、やり返すことを「欲望」するという形です。

また、「負けず嫌い」は自分のジャンルでの他の人間はライバルとなるので、そういう相手に対しては、敵として考えるようになっていきます。このような形で、「負けず嫌い」は「愛」から遠ざかり、「敵対視」という「嫌悪」へ繋がっていきます。

また、「負けず嫌い」は周りの人間を苦しめることにも繋がりやすいものです。「負けず嫌い」の「勝ち」を「欲望」する気持ちは、周りの人間に対する配慮に欠けているからです。例えば、自分が「勝ち組」になりたいが故に、あるジャンルで成功することを目指す中で、家族に迷惑をかけ続けるといったことです。

「負けず嫌い」は自分が「賢さ」や「強さ」といった能力を上げていく上では非常に優れている気持ちです。しかし、本質的に「愛」ではなく「欲望」だからこそ、本人の心を悪い方向へ向かわせ、自分のことしか考えられない人間を生み出していきます。また、「負けず嫌い」が強くなっていくと、「負けず嫌い」の「欲望」と「嫌悪」に自分自身が「支配」されていきます。そうすると、自分を失っていきます。

「欲望」と「嫌悪」が密接な関係にあることを理解して頂いた延長線上に「負けず嫌い」が「欲望」と「嫌悪」の中に成立していることを理解して頂けると幸いです。その上で、「欲望」や「嫌悪」の恐ろしさを理解するのと同様に、「負けず嫌い」の恐ろしさも理解して頂けると幸いです。