「愛」は「相手のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手に「与える」ことを目指します。それに対して、「欲望」は「自分のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手から「奪う」ことを目指します。

「愛」は「相手のため」なので、自分にとって大事なものでも「与える」ことをしたい思います。例えば、愛する恋人と砂漠で二人とも死に絶えそうな時、恋人に自分の残りわずかな水を「与える」という形です。そして、「相手のため」に相手から水を「奪う」ことには決して繋がりません。「愛」は「自分よりも相手を大事に思う気持ち」だからこそ、このような「与え合い」に繋がっていきます。

「欲望」は「自分のため」なので、自分のものを失わないために「与える」ことをしたいと思いません。例えば、愛を抱いていないガイドと二人で砂漠で死に絶えそうな時、相手に自分の残りわずかな水を「与える」ことはできません。そして、「自分のため」に相手から水を「奪う」ことにも繋がっていきます。「欲望」は「相手よりも自分を大事に思う気持ち」だからこそ、このような「奪い合い」に繋がっていきます。

「愛」は自分にとって大事なものでさえも「相手のため」に「与える」ことができるので、自分にとってそれほど大事ではないものも「相手のため」に与えることができます。それに対して、「欲望」は「自分のため」なので、自分にとって大事なものを相手に「与える」ことは決してできず、自分の持っているそれほど大事でないものでさえも自分が損することを嫌がるが故に「与える」ことができなくなっていきます。

「愛」から生まれる「与える」ことは「喜び」に繋がっていきます。本当に大事な相手が笑顔になることは、「喜び」だからです。また、与えられた方も相手からの「愛」を感じて、「喜び」を感じます。このような形で「与える」ことは、皆を「幸せ」にしていきます。

「欲望」から生まれる「奪う」ことは「快楽」に繋がっていきます。自分が何か「得」をすることは、「快楽」を伴うことだからです。そうすると、ますます「欲望」に囚われていきます。また、奪われた方は自分が「損」をしたと感じ、「嫌悪」を感じます。このような形で、「奪う」ことは皆を「不幸」にしていきます。

だからこそ、一人一人の人間が「奪う」のではなく、「与える」ことを行なうように心がけていくことが、皆が「幸せ」に生きていく上でとても大事なことです。