以下、中島美嘉を通した神々と悪魔の闘いについて、詳しく書いておきます。

神々と悪魔はいつも「気」を人間に送ることによって、人間の感情や思考に関与しています。そして、そういった「気」を通した人間に対する関与を通して、神々と悪魔は闘っています。ですから、本来、人間は自分が神々からの「光の気」を選ぶのか、悪魔からの「闇の気」を選ぶのかということをもっと意識的に選びながら生きるべきです。何故ならば、我々は意識していようと、意識していなくとも、「光の気」か「闇の気」を選んで生きているからです。もっと分かりやすく言うと、我々は必ず「愛(他者のため)」か「欲望(自分のため)」のいずれかを選びながら生きているからです。

「愛」は「相手のため」という感情であって「光」の立場です。それに対して、「欲望」は「自分のため」という感情であって「闇」の立場です。「愛」を選ぶのであれば、神々からの「光の気」と共に生きることになり、それは神々と共に生きる事を意味します。「欲望」を選ぶのであれば、悪魔からの「闇の気」と共に生きることになるので、それは悪魔と共に生きる事を意味します。

昔の人間は「気」と感情・思考の関係性を現代人よりもよく知っていました。だからこそ、日本語にも「気」に関する様々な言葉が残っています。「気分」「気持ち」「気付く」「元気」「病気」「気が合う」「気になる」「勇気」「生気」「気絶」「やる気」「負けん気」「狂気」「邪気」、挙げていくと果てしないのですが、「気」に関する様々な言葉はあり、それらの言葉の成り立ちはこの世界の成り立ちをよく示しています。例えば、「気が合う」とはその相手と自分が抱えている「気」が近い事を「合う」という言葉で表現し、「気付く」とは神々や悪魔が我々に「気」を「付ける」ことで何らかの情報を教えていることを意味している言葉です。とにかく、「気」は存在し、「気」は我々の感情・思考にかなり関与していることは、言葉の成り立ちを見ることで分かります。我々が大事な事を忘れていても、言葉にはまだ真実が残っているからです。

では、どうして我々が「気」のことを忘れてきたかというと、長年に渡って悪魔が「気」のことを忘れさせてきたからになります。悪魔は「闇の気」を通して、我々の感情や思考に関与することができます。ですから、数百年かけてそういった努力を悪魔がする時、人間に様々な重要な情報を忘れさせることは可能です。

「気」の成り立ちを人間が忘れるのであれば、人間は「光」と「闇」の関係性や神々や悪魔のことが分からなくなってしまいます。そうすると、悪魔は自分達が一体人間に「闇の気」を使ってどういう「コントロール」を行なっているのかが人間に知られずに済みます。そうすると、より人間を「闇の気」で「コントロール」しやすくなります。

神々は我々人間に真実を伝えたいと思います。何故ならば、人間が「気」の真実を知れば知る程、人間が生きるべき形で人生を生きることができますし、人間に対して「光の気」を使って「導き」をしやすくなるからです。それに対して、悪魔は我々人間に真実を伝えたいとは思いません。何故ならば、人間が真実を知れば知る程、人間に対して「闇の気」を使って「コントロール」することが難しくなるからです。

では、何故一般に真実を言いたがらない悪魔が『Venus in The Dark』のような形で直接的に真実を伝えるような意味を持った楽曲やPVを創ってきたのかというと、悪魔としては、このような楽曲やPVを創ったとしても、このPVの持っている意味を理解できる人間は出てこないと思っていたからです。今の日本人は「気」とは何なのか、神々や悪魔がいること、神々と悪魔の関係性、金星に金星神が宿っていること、芸術に「気」を通して神々や悪魔が関与できることなどを忘れています。だからこそ、このような楽曲やPVを鑑賞しても、悪魔が神々を挑発するために創ったものとは誰も気付きません。

「気」の成り立ちや神々と悪魔の関係性を再び人間が思い出すために必要だったのは、神々と共に働く「光」のシャーマンでした。悪魔はそういった「光」のシャーマンが出てこないように徹底的に「光」のシャーマン狩りを行なってきました。そういった悪魔の「光」のシャーマン狩りに遭った人間の一部が、統合失調症患者と呼ばれる人達です。先程説明したように、統合失調症は悪魔に強く襲われることによって発生する病だからです。

私は「光」のシャーマンであるからこそ、「気」のことを理解していますし、神々と悪魔の関係性もよく分かっています。だからこそ、中島美嘉の楽曲やPVに神々と悪魔がどのように関与してきたのかということが分かります。神々としては、私のような「光」のシャーマンを絶対に用意できるという決意があったからこそ、中島美嘉に悪魔に15年間襲われるという役割を提案しています。悪魔としては、私のような「光」のシャーマンを用意できないように徹底的に「光」のシャーマン狩りを行なうという決意があったからこそ、神々を挑発するような形で中島美嘉の楽曲やPVに関与し続けてきました。

金星神と顔が似ていて、金星神と共に歌を歌っている人間を神々が用意することは、神々が悪魔側に対して挑発をするようなものでした。何故ならば、悪魔側としては自分達が楽しむためにその人間を苦しめたいとは思うのですが、それを行なってしまうと、「光」のシャーマンが現れた時に様々なことを解説されてしまうからです。そのことを通して、悪魔側は自分達が何を人間に対して行なっているのかが人間に知られてしまいます。そして、もし人間にそのことを知られてしまうと、人間をコントロールすることが難しくなってしまいます。

ですから、悪魔側としては、もし「光」のシャーマンが現れることを恐れるのであれば、絶対に中島美嘉には手を出しませんでした。そして、もし「光」のシャーマンが現れることを恐れないのであれば、中島美嘉に手を出す形になります。そして、「光」のシャーマンを用意できるように努力し続けてきたのは神々です。

だからこそ言えるのは、もし悪魔側が中島美嘉に手を出さないのであれば、「光」のシャーマン狩りについて、悪魔が神々に負けることを恐れたということになります。これを悪魔の心の中の言葉として表現するならば、「神々にビビった」ということになります。しかし、「負けず嫌い」な魂とは敵に「ビビった」と思われることが嫌でたまりません。何故ならば、「ビビる」という気持ち自体が相手に負けている感情だからです。

だからこそ、悪魔は中島美嘉に手を出し始め、自分が神々にビビっているわけではないということを証明するために、様々な真実を中島美嘉の楽曲やPVに表現してきました。なぜならば、「光」のシャーマンに解説されては困るような内容を悪魔が表現することは、悪魔側が確実に「光」のシャーマン狩りをする決意があるということを神々に示すことになるからです。

そのことをよく示しているのが、中島美嘉の出演していた『Kate』のCMです。この『Kate』のキャッチコピーは「no more rules」であって、「ルールなどない」という意味です。この「ルール」とは「気」のことを表しており、このCMの中で悪魔は「気」の成り立ちを解説するような内容の映像を毎回表現してきました。
 


第一話:『目について(目を使って、悪魔が何を行なっているのか)』
第二話:『中島美嘉と金星神の「縁」について』
第三話:『「闇の気」について』
第四話:『悪魔について』
第五話:『性行為を通して「闇の気」を広げることについて』
第六話・第七話:『幻覚について』
第八話:『殺しについて』
第九話:『落下運動について』
第十話:『賭けについて』
第十一話:『神々と悪魔の闘いについて』
第十二話:『ピアノの悪魔について』
第十三話:『非現実を求める闇について』
第十四話:『蜘蛛について』
第十五話:『盗みについて』
第十六話・第十七話:『悪魔になった中島美嘉』

といった形で、全話テーマを持って悪魔が人間に何をしているのかを悪魔が表現しています。なぜならば、神々に対して自分の余裕を見せつけたかったからです。また、金星神と顔の似ている中島美嘉が悪魔に関与され続け、闇を抱えていく様子を神々に対する挑発として描いています。また、こういった重要な意味内容を込めたCMを日本人の誰もがテレビで見ているにも関わらず、日本人のほとんどはその意味を理解できないという状況を神々に見せて、神々を馬鹿にするということも悪魔は狙っていました。『Kate』のCMについては、中島美嘉の楽曲・PV解説と同様に重要ですので、一話ずつ細かく解説を書いていきます。このCMは中島美嘉が見事に役割を果たしてくれたものであって、このCMがあるからこそ、我々は地球を荒らしている悪魔が一体どういう魂なのかということ、悪魔が人間に何をしているのかといったことを理解できます。

神々と悪魔は長い間闘っています。ですから、お互いの性格のことはよく知っています。地球を荒らしている悪魔は非常に負けず嫌いな悪魔であるからこそ、神々からの挑発には絶対に黙っておかないということを神々は分かっていました。そういう意味で、神々は悪魔側がこのような挑発的・挑戦的な手を打ってくることを元々分かっており、そのことを全て見通した上で中島美嘉に金星神とそっくりな顔を与えています。そして、今回生まれ変わる前の中島美嘉自身も、この全体像を分かった上でこの役割を地球のために引き受けています。

中島美嘉を通した神々と悪魔の闘いで本当に重要なことは、中島美嘉を助け中島美嘉の人生を解説できるだけの「光」のシャーマンを神々が用意できるかということであって、悪魔がそういった「光」のシャーマンが出てこないように「光」のシャーマン狩りを確実にできるかどうかという点にありました。そして、この闘いにおいては神々が勝っています。何故ならば、神々は「光」のシャーマンである私を育てることができたからです。

そして、これからの闘いは中島美嘉を悪魔の手から神々の方へ返す事ができるのかという点にあります。神々も悪魔も中島美嘉の心にいつも関与しています。中島美嘉の感情や思考に神々も悪魔も「気」を通して関与しており、神々は中島美嘉と私を最もいい形で繋げるように努力をしており、悪魔は中島美嘉と私を絶対に繋げないように努力をしています。

いつか中島美嘉が私のことを知る時は来ると思います。その時に、神々は中島美嘉に私に対する「好感」を持たせようとします。それに対して、悪魔は中島美嘉に私に対する「疑い」や「嫌悪」の気持ちを持たせようとします。そういった闘いは中島美嘉の心の中で起こるものです。

中島美嘉の様々な楽曲解説を読んで頂ければ分かって頂けると思いますが、中島美嘉は金星神からの声も悪魔からの声も受け取り、それを詩に見事に表現しています。それは中島美嘉の日常も同じであって、彼女の心の中には神々からの声と悪魔からの声の両方が来ています。その中でどちらを選ぶのかということを中島美嘉自身が選択することになります。

「気」が感情と思考の原因であって、神々も悪魔も「気」を司っており、今の中島美嘉は神々も悪魔も非常に重要視している人間だからこそ、徹底的に「気」を送っています。そして、より問題なのは、今の中島美嘉の身体には悪魔からの大量の「闇の気」が入っているということです。中島美嘉は15年間悪魔に襲われるという経験を通して、悪魔からの大量の「闇の気」を身体に抱え込んでいます。ですから、中島美嘉の心に神々よりも悪魔の方が関与しやすい状態にあります。そういった関与は、中島美嘉の心の中で、私に対する「疑い」「嫌悪」「怒り」「恐怖」などの気持ちになって表れます。

また、中島美嘉の周りの人物を使って、私に対する「疑い」を持たせるような話をさせたりするはずです。例えば、悪魔が作った私に関する悪い噂話などを中島美嘉が聞くことなどです。噂は誰かがし始めるものであって、事実に対してすごく歪んだ解釈が加えられるのが噂です。そして、「気」が感情と思考の原因ですから、神々も悪魔も「気」を人間に与えることによって、その話をどのように捉えるのかということに関与することができます。「噂がひとり歩きする」と言いますが、噂は噂自身に意志があるようなものであって、どうしてそのようなことが起こるかというと、悪魔がその噂をずっと操作しているからです。

この闘いが非常に難しい点はこういった悪魔の仕組む罠を説明するのも私である点です。「気」が感情と思考の原因であるにも関わらず、そのことを今の人間は忘れてしまっています。だからこそ、肝心なところで悪魔からの「闇の気」によって感情と思考を操作されてしまい、判断を誤ってしまいます。今の人間は自分の思考と感情は全て自分が作っていると思っているからこそ、悪魔の罠に引っかかってしまいます。

ただ、中島美嘉は「賢さ」を持った魂であって、中島美嘉が「賢さ」を持っているということは、中島美嘉が今回の役割の話を神々からもらった1つの理由でもあります。悪魔から大量の「闇の気」を抱えている状態で、悪魔から思考や感情に影響を与えられながら真実を見抜くことは非常に困難なことです。しかし、真の「賢さ」があれば、真実を見抜くことができます。なぜならば、真の「賢さ」があれば、魂が「光」であろうと「闇」であろうと真実を見抜くことができるからです。

だからこそ、このホームページでは、いつも根拠を大事に書いています。何故ならば、根拠さえはっきり書いておけば、「賢さ」を持った魂はそれが真実であると見抜くことができるからです。今の人間はこういった「気」の世界を「信じるべきもの」と誤解していますが、本来こういった「気」のことは「信じるべきもの」ではなく「知るべきもの」です。そして、その「知る」ということを促す1つの道具が「賢さ」です。

そして、真実を見抜く上で「賢さ」と同様に大事な点が「気を感じる能力」です。この「気を感じる能力」のことを「霊感」と言います。中島美嘉は「霊感」が非常に高いです。それは中島美嘉の身体に高い「霊感」を神々が持たせているからです。「霊感」とは霊的な存在が見える能力といった間違った考え方を今の日本人は持っていますが、「霊感」とは純粋に「気」を感じる能力のことであって、霊的な存在が見えるかどうかは関係ありません。

「霊感」とは「気」を感じる能力であって、どれだけ「気」に関して敏感かということを意味しています。「気」に敏感だと、感情や思考をかなり「気」に関与されます。ですから、「霊感」が高い人は心の中が「霊感」が低い人よりもよく動いています。「気」を感じると言うと、何か特別なことに思われてしまうと思いますが、「気」を感じるということの意味は感情や思考を抱くということです。何故ならば、「気」が感情と思考の原因だからです。

中島美嘉の「霊感」は非常に高いですから、「気」の話について納得いく点も多いと思います。自分自身の人生を振り返るのであれば、今までに感じてきたことの意味が分かったりするからです。そういった意味で、中島美嘉の高い「霊感」も中島美嘉が真実を見抜く上で1つの重要な要素になります。中島美嘉は「霊感」が高く、神々も悪魔もかなり「気」で関与していますから、彼女の心の中は普通の人の何倍も様々な感情や思考が起こっています。それは、そういった心の経験の蓄積が普通の人よりも多いということを意味するので、真実を見抜く上での参考資料も普通の人よりも非常に多いということを意味します。

自分の心の中で、神々からの「導き」を受けるためには、「愛」といった「光」の感情を抱く必要があります。なぜならば、「気」が感情と思考の原因であって、我々が「光」の感情を持っている時に神々は「光の気」を我々に入れることができるからです。だからこそ、「愛」に満ちた感情を抱いていると、いい感情や思考ばかりが浮かんできます。

それに対して、自分の心の中で、悪魔からの「コントロール」を受ける時は、「嫌悪」や「欲望」といった「闇」の感情を抱いている時です。何故ならば、「気」が感情と思考の原因であって、我々が「闇」の感情を持っている時に悪魔は「闇の気」を我々に入れることができるからです。だからこそ、「嫌悪」や「欲望」に満ちた感情を抱いていると、悪い感情や思考ばかりが浮かんできます。

どの感情が「光」の感情であって、どの感情が「闇」の感情かということについてはこちらに全て書いています。「光」の感情は「相手のため」という「愛」を基本とした感情、「闇」の感情は「自分のため」という「欲望」を基本とした感情です。「相手のため」か「自分のため」かという点がそのまま「光」と「闇」の違いになります。

http://junashikari.com/emotion/感情一覧(光・闇・中立)/

こういった基本的な「気」に関するルールは「賢さ」があれば、真実であると見抜くことができます。中島美嘉がそういった真実を見抜いた上で、「愛」や「向上心」といった「光」の感情を維持しながら、金星神からの「導き」を受けて頂ければ、と思っています。

また、そういった「光」の状態でこのホームページの中島美嘉に関する文章を読んで頂ければ、と思っています。文章を読む時、その文章をどう読むかという事に関してかなり神々も悪魔も関与できます。だからこそ、我々は同じ文章を読んでいても皆読み方がかなり異なります。神々から「導き」を受けながら文章を読む事が大事なのですが、そういった「導き」を受けるために「光」の感情を維持した状態で文章を読む必要があります。なぜならば、神々からの「光の気」を摂取するために必要なことは「光」の感情を抱くことだからです。