金星神は中島美嘉に重要なことを伝えるために中島美嘉が何を好きかということに強く関与してきました。蓮の花や映画『四分間のピアニスト』『ブラックスワン』については既に説明しましたが、ここではそれ以外の重要なものについて説明していきます。

悪魔も中島美嘉の趣味に関与することはできますが、中島美嘉が子供だった頃に悪魔は中島美嘉の趣味に関与することは難しいです。何故ならば、子供はまだ生まれてからの時間が短いために悪魔が司っている「闇の気」をあまり抱えていないからです。ですから、中島美嘉が子供の頃に好きになったものの多くは、金星神の導きによって好きになっているのであって、それらから金星神からの中島美嘉に対する大事なメッセージを読み解くことができます。
 

[ギリシャ神話]

ギリシャ神話の中では金星神などの星の神々の話が描かれており、星には神々が宿っているという大事な知識がまだ残っています。だからこそ、中島美嘉は金星神の導きによって、ギリシャ神話が昔から好きになっています。

ギリシャ神話の中でも中島美嘉にとってとりわけ重要な話はアンドロメダに関する神話です。中島美嘉の最新曲である『ビルカゼスイミングスクール』の中で「今度こそは絶対助け出すよアンドロメダ」という歌詞がありますが、これは神々からの中島美嘉に対する言葉です。アンドロメダとは中島美嘉のことを意味します。なぜならば、アンドロメダとはギリシャ神話に登場する、神々によって怪物の生け贄とさせられようとして、波の打ち寄せる岩に鎖で縛りつけられた女性のことですが、中島美嘉とはそのような人間だからです。

アンドロメダ:https://ja.wikipedia.org/wiki/アンドロメダー

神々は中島美嘉に15年間悪魔から襲われるという役割を提案し、中島美嘉は地球のためにその役割を引き受けた偉大な魂です。これは、アンドロメダが神々によって怪物の生け贄とさせられようとして、波の打ち寄せる岩に鎖で縛りつけられたことと非常に似ています。神々はそんな中島美嘉をなんとか助けたく思っていて、その気持ちを歌詞を通して中島美嘉に伝えようとしています。神々は中島美嘉に直接話しかけることはできません。だからこそ、歌詞を通して様々なメッセージを中島美嘉に発し続けてきました。

アンドロメダの神話は中島美嘉が好きな本である『星のギリシャ神話』の中でも、最初の方に書かれています。どうして中島美嘉がこの本のことが好きなのかというと、中島美嘉のことを表しているアンドロメダのことがこの本の中には最初の方に書かれてあるからです。金星神が中島美嘉に自分自身について確信を持ってもらいやすくするために、金星神が中島美嘉にこの本のことを好きにさせ、アンドロメダの話を中島美嘉に元々読ませている形になります。

ただ、ギリシャ神話は元々の状態からかなり悪魔によって歪められており、このアンドロメダの話もオリジナルの状態からはかなりズレてしまっています。神々が神々自身の怒りによって、アンドロメダを怪物の生け贄にしようとしたという形でアンドロメダは生け贄にさせられていますが、実際は神々はこのようなことは絶対に行ないません。何故ならば、神々は「光」の立場であって、自分よりも相手を大事に想う立場だからです。では、どうして悪魔はこのような形で話を歪めたかというと、悪魔は神々の印象を悪くしたいと思っているからです。ギリシャ神話は神々の「闇」がよく描かれますが、神々は強い「光」の存在であるが故に、「闇」はほとんど抱えていません。

繰り返しの説明になりますが、中島美嘉が後で自分が『四分間のピアニスト』『ブラックスワン』の主人公やアンドロメダと同じであるという話を聞いた時に、元々それらの物語のことをとても好きだったり、知っているのであれば、何故自分がそれらの作品が好きだったのかということが理解できます。また、『四分間のピアニスト』『ブラックスワン』の主人公のことは『Over Load』の中で中島美嘉自身が歌っており、アンドロメダのことは『ビルカゼスイミングスクール』の中で中島美嘉自身が歌っています。だからこそ、中島美嘉は自分がそれらの人物と同じであるということに確信を持つことができます。

 

[桑田佳祐『祭りのあと』、ドラマ『静かなるドン』]
 

 


中島美嘉が初めて買ったCDは桑田佳祐の『祭りのあと』ですが、中島美嘉は金星神の導きによってこのCDを買っています。『祭りのあと』はドラマ『静かなるドン』の主題歌で、中島美嘉は金星神の導きによってこのドラマも好きになっています。では、どうして中島美嘉が『静かなるドン』を好きになり、『祭りのあと』を買うことに金星神が強く関与したのかということについて説明します。

桑田佳祐は太陽神様と共に歌を創り、歌を歌っている歌手です。そして、神々は組織であって、太陽神様も中島美嘉の重要性は非常によく分かっています。ですから、この歌を太陽神様が桑田佳祐と共に創る段階において、太陽神様は中島美嘉のために創っています。

この『祭りのあと』は中島美嘉が人生の中で悪魔に強く襲われ、強い「闇」を経験しながらも、「愛」という「光」を保つこと、そして「祭りのあと」に中島美嘉が「誰かとめぐり逢う」ことが示唆しています。そういったことを表現するために、太陽神様はこの曲を創っています。以下、歌詞を抜粋したいと思います。

歌詞:http://www.kasi-time.com/item-4674.html

「恋も涙も純情も 生きるためには捨てよう」:闇
「今日も汚れた人ごみに 背中丸めて隠れてる」:闇

(中略)

「野暮でイナたい人生を 照れることなく語ろう」:光
「悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ」:光

(中略)

「底無しの海に 沈めた愛もある」:闇
「酔い潰れて夜更けに独り」:闇
「月明かりのWINDOW」:闇
「悲しみの果てに おぼえた歌もある」:闇
「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」:闇

「眠れない街に 愛する女性がいる」:光
「お前だけが死ぬほど好きさ」:光
「秋風のSHADOW」:闇
「終わらない夏に誰かとめぐり逢う」:光
「夢の中で彷徨いながら 涙も枯れ果てた」:闇

桑田佳祐は男であるのに対して中島美嘉は女であり、桑田佳祐は酒を飲むのに対して中島美嘉はあまり酒は飲まないですから、そういう点は一致しないですが、「光」と「闇」の観点で分析すると中島美嘉自身とよく一致していることが分かります。

中島美嘉は様々な「闇」を経験しながら、歌手人生の途中から「光」よりも「闇」をよく歌うようになりました。そのことを示唆しているのが、「悲しみの果てに おぼえた歌もある」という歌詞です。また、中島美嘉は「愛」が強いですから、悪魔は恋愛において悲しい経験を中島美嘉にさせることを通して、中島美嘉を「闇」に落とします。そのことをよく説明している歌詞が「底無しの海に 沈めた愛もある 酔い潰れて夜更けに独り 月明かりのWINDOW」です。酒も月も「闇の気」が宿る物体であるからこそ、このような形で歌われています。また、「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」という歌詞は、中島美嘉がもう本当にとてつもない苦悩を通して、「光」を失ってきたことを意味しています。「花火」は「光」を象徴するものだからです。

そういった「闇」を抱えながら、また、悪魔に襲われながらも、中島美嘉が「愛」を保っていることを説明しているのが、「眠れない街に 愛する女性がいる お前だけが死ぬほど好きさ 秋風のSHADOW」という歌詞です。「愛する女性がいる お前だけが死ぬほど好きさ」という歌詞は中島美嘉の「愛」という「光」を説明している歌詞であり、「眠れない街」「秋風のSHADOW」は「闇」を説明する歌詞だからです。我々は身体に宿った「闇の気」を浄化するために睡眠をとっており、日中は太陽からの「光の気」がもたらされます。ですから、本来夜は寝るべきですが、現代は夜になっても街は明かりが付いているので人は起きています。そのことを説明しているのが「眠れない街に」という歌詞です。また、「SHADOW」とは「影」のことですが、「光と闇」は「光と影」と言ったりします。また、風は「気」を運びますから、「闇の気」に満ちた場所においては、風に乗って「闇の気」が飛んできます。「眠れない街」「秋風のSHADOW」はそういった形で「闇」を説明しています。

ここまでの歌詞は中島美嘉が「闇」を経験しながらも「光」は保っていることの説明をしている歌詞ですが、この後の「終わらない夏に誰かとめぐり逢う 夢の中で彷徨いながら 涙も枯れ果てた」という歌詞は中島美嘉が「涙も枯れ果てた」程に本当に苦しい状況の時に「誰かとめぐり逢う」ことを示唆しています。

「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」という歌詞がありますが「祭り」とは本来神事のことを意味します。そして、一部の「祭り」では生け贄が出されます。中島美嘉は自分自身が15年間悪魔の生け贄になることを選んだ魂です。ですから、ここで言われている「祭り」とは中島美嘉が悪魔に強く襲われ続けた15年のことを意味し、そういったことを神々は意識しているからこそ、「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」という形で、悪魔に15年間襲われたことで中島美嘉の「光」は小さくなるということを歌っている形になります。

そういった意味で、「悪魔に15年間強く襲われ続けたあと」=「祭りのあと」に、「誰かとめぐり逢う」ことをこの曲は意味し、ここで言われている「誰か」が私になります。このことを理解する上で歌詞の分析と『静かなるドン』の分析をする必要があります。

神々は中島美嘉が私のことを信じるために、私の名前を歌詞の中に置きたいと切実に思いながら中島美嘉のことを歌った歌の歌詞に関与してきました。例えば、後で詳しく書いていますが、鬼束ちひろ『VENUS』、スガシカオ『黄金の月』とは「金星」を表すタイトルの歌であり、この歌の中では中島美嘉のことが表現されています。そして、これらの歌の中で、「純(私の名前です)」に逢うことを「純粋さを目にするとき」「純粋を手に入れられなくても」という形で表現しています。

あまりに直接的に表現してしまうと悪魔側に、私が中島美嘉を助ける役割を持っていることがバレてしまいます。ですから、非常に直接的に「純に逢う」とは書けない形になります。しかしながら、神々は中島美嘉に大事なことを伝えるためになんとか歌詞の中に書いておきたいと思ってきました。神々はそういった葛藤の中で、なんとか「純に逢う」ということを表現してきた形になります。

この『祭りのあと』においても、「恋も涙も純情も 生きるためには捨てよう」という歌詞がありますが、この歌詞もそういったメッセージを持っています。「恋も涙も純情」は中島美嘉が「闇」に堕ちるために捨てるべきものであって、「光」を選ぶためには捨ててはならないものです。つまり、「恋も涙も純情」も中島美嘉が「光」を選ぶ上で必要なもののことを表しています。涙については「悲しみ」と誤解されてしまいそうですが、我々は「闇の気」の浄化のために「涙」を使います。だからこそ、我々は泣くと気分がすっきりします。そういった意味で、「涙」は我々が「闇」から「光」へ向かうために必要なものであって、そういう意味で「光」の存在です。

ここで「純情」という言葉がどうして置かれているかというと、中島美嘉に「光」を選ぶためには「純」が必要であるということを神々は中島美嘉に伝えたいからです。悪魔に強く襲われ、悪魔に「縁」を作られ、大量の「闇の気」を抱えてしまうのであれば、「光」のシャーマンしかその状況を解決することはできません。そして私は生まれる前から「光」のシャーマンになり、中島美嘉を助けに行くということが役割として決まっていました。だからこそ、神々はこういった歌詞を残しています。

また、この歌の一番の「恋も涙も純情も 生きるためには捨てよう  今日も汚れた人ごみに 背中丸めて隠れてる」に対応する二番の歌詞が「野暮でイナたい人生を 照れることなく語ろう 悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ」ですが、ここで「粋」という言葉を使っているのも神々が私のことを示唆したいからです。「粋」とは「粋(いき)」の意味も持っていますが、「粋(すい)」の意味も持っています。「粋(すい)」の場合、「まじりけがない」という意味であり、その場合はほとんど「純」と同じ意味です。だからこそ「純粋」という言葉の使い方もあります。つまり、この「粋」という歌詞も私のことを示唆するために神々が置いた歌詞です。

この解説だけ読むのであればこじつけに思われてしまうかもしれませんが、中島美嘉の歌のほとんどは歌詞の一番二番の対応関係を見ることで、神々がその詩にどういう意味を込めているのかが分かるように創られています。この歌も神々は意図的にそのような構造を持たせており、そのような読み解き方によって神々が込めたメッセージを読み解けるようにしています。そのようにしてこじつけに思われないようにしながら、悪魔に気付かれないように歌詞を創っています。

次に、『静かなるドン』についてですが、中島美嘉はテレビ番組の『ウチくる!?』の中で「私ちっちゃい頃、怖いことがあるとドンがいつか助けに来てくれるってずっと思ってた」と話しています。中島美嘉は金星神の導きによって、幼い頃にこのように考えていました。我々は子供の頃は神々からの導きを素直に受け入れながら生きています。だからこそ、神々はその人間がどのように考えるかということに関してかなり関与ができます。

金星神としては、いつかドンが助けにくることを中島美嘉に伝えるために「怖いことがあるとドンがいつか助けに来てくれる」という思考を「気」を通して中島美嘉に入れ、そのことをずっと思わせていた形になります。大人になるとこういった非現実的なことは考えられませんが、子供はそれを非現実的と考えないが故に、神々がそういったことを思わせることができます。そして、当時そのように思っていたということを記憶させることを通して、金星神は中島美嘉に大事なメッセージを伝えようとしています。

人間には大きく分けて五種類あり、水・火・風・土・金の人のいずれかです。これは我々の身体が「水・火・風・土・金の気」のどれと最も相性が良いかということによって決まっています。そして、「気」は感情と思考の原因ですから、我々は自分がこの五種類の内のどの「気」と相性がいいかということに影響を受けながら性格を形成しています。

ドンは新鮮組総長の時は強い「水の人」として描かれ、「水の感情」をいつも抱いて生きています。「水の感情」とは「愛」の実践のために「問題解決・向上心」を実践する感情のことです。例えば、『NANA』のヤス、『もののけ姫』のアシタカ、クリストファー・ノーランの『バットマン三部作』のバットマン(ブルース・ウェイン)、『マトリックス』のネオは水の人です。水の感情については以下に詳しく書いています。

http://junashikari.com/emotion/水の感情について/

「愛」の実践のために我々には複数の選択肢があります。例えば、相手を笑わせたいと思うのは「火の感情」であり、相手に優しい言葉をかけたいと思うのは「風の感情」です。それと同様に、相手の抱えている問題を解決したいと思うのは「水の感情」です。

そういう意味で、私は強い「水の人」です。私の魂は「水の気」が非常に強く、身体も「水の気」と相性がいいからです。私が「問題解決」の精神で生きている人間であることは、私の文章を読んでいてもよく感じて頂けると思います。私が水の人であることについては、プロフィールに詳しく書いています。

http://junashikari.com/profile/芦刈純プロフィール/

そういう意味で、私はドンと似ていますし、金星神が「怖いことがあるとドンがいつか助けに来てくれる」と中島美嘉に思わせていたドンは私のことです。『祭りのあと』の中で「終わらない夏に誰かとめぐり逢う」という歌詞を太陽神が用意し、中島美嘉が金星神の導きによってそのCDを買い、幼い頃の中島美嘉に金星神が「怖いことがあるとドンがいつか助けに来てくれる」ということを思わせていたのは、いつか私が中島美嘉に逢いに来るということを中島美嘉に伝えるためです。

金星神は中島美嘉に私とドンを繋げて考えてもらうために、私とドンが持っている「水の人」という共通点を伝えようとしています。現代において「水の人」とは分かりづらいです。何故ならば、「水の人」とは笑顔も決して多くはないですし、幸せそうには見えないからです。それは、ヤスやアシタカやブルース・ウェインやネオを考えてもらえれば分かりやすいと思います。

どうしてこれらの人物が笑顔が少ないかというと、強い「水の人」は心の中でいつも誰かのために問題解決をしようとしていて、笑顔を作る時間もないからです。そして、現代はそういった水の人が少ないが故に、笑顔が少ないだけで「光の人」ではないと誤解されてしまいます。

私もそういう類いの人間ですから、笑顔は決して多くはないです。しかし、神々は中島美嘉と私を繋げたいと思っているからこそ、「水の人」のイメージを中島美嘉に定着させるために『静かなるドン』をテレビドラマ化し、中島美嘉に観せています。『静かなるドン』というドラマは神々が中島美嘉に「水の人」のイメージを与えるために始めたドラマです。

どうして中島美嘉が「怖いことがあるとドンがいつか助けに来てくれる」と思っていたことを私が知っているかというと、YouTubeにその『ウチくる!?』の動画が上がっていたからです。これは神々が私にこの動画を見せるために、このYouTubeをアップしたUFJ FANに「気」で関与しています。だからこそ、この映像のトップ画面は中島美嘉の「ドンがいつか助けに来てくれるってずっと思ってた」になっています。この動画は神々の関与によってアップされていることを神々は人間に伝えるために、このトップ画を使っています。

また、この『ウチくる!?』の映像の中で、三船美佳が中島美嘉のことを話している時に、スズメが飛んできているのが映像として残っています。これは金星神が中島美嘉のために行なった1つの導きです。ブラックスワンが中島美嘉に寄ってきたのと同様に、これも金星神は中島美嘉に大事なことを伝えるためにスズメをその場に送っています。
 


※UFJ FANの動画が消されていたので、別の動画を上に貼付けています。

金星神はこの番組が将来的に中島美嘉を助けることになることを分かっていました。だからこそ、幸福のサインとしてスズメをその場に送った形になります。スズメが来た時に、中山秀征は「いやいや、青い鳥の話じゃないんだから!」という形で、中島美嘉にツッコミを入れています。青い鳥とは、童話の『青い鳥』で「幸福の象徴」として描かれている鳥のことです。中山秀征も神々と共に働いているからこそ、神々が中島美嘉に伝えたいことを代弁してくれている形になります。とっさにどういうことを言うかということに関して、神々は我々にかなり関与ができるが故にこういったことも成立しています。

様々な説明をしたので、『祭りのあと』『静かなるドン』についての神々の「導き」について分かりやすく整理します。多少の順番の前後はあると思いますが、分かりやすさを考えてこの順に並べていることは御了承下さい。

神々の目的:「中島美嘉と芦刈純を繋げる」

1、「水の人」がよく描かれている漫画『静かなるドン』をテレビドラマにすることを導く。
2、『静かなるドン』の主題歌を太陽神様と繋がっている桑田佳祐が担当することを導く。
3、桑田佳祐の歌詞に「誰かとめぐり逢う」「純情」「粋」などの様々な重要なメッセージを太陽神様が入れる。
4、金星神が『静かなるドン』を中島美嘉に見せる。
5、中島美嘉がドンのことを好きになること、「いつかドンが助けに来てくれる」と考えることを金星神が導く。
6、『祭りのあと』を中島美嘉が買うことを金星神が導く。
7、『ウチくる!?』の中で中山秀征と共演させ、『静かなるドン』の話をするように金星神が導く。
8、その収録中にスズメを使って金星神は中島美嘉に幸福のサインを送る。
9、その『ウチくる!?』の映像を神々がUFJ FANを使ってYouTubeにアップさせる。
10、私がその映像をYouTubeで見て、『祭りのあと』『静かなるドン』を調べ、ホームページに解説を書く。
(これから)、中島美嘉本人がこの文章を読む時に何を思うかを神々と悪魔が「気」で闘い合う。

神々は中島美嘉と私を繋げるために、このような形で「導き」を行なってきました。その他にも神々が中島美嘉と私を繋げるために行なった導きは膨大ですが、最初に買うCDというものは中島美嘉が私に対する確信を持つ上で非常に重要な1つの要素だからこそ、神々はこの点について全力を尽くしてきた形になります。

「気」が感情と思考の原因だからこそ、神々に「気」で関与された人間は何かをしたくなったり、思考を導かれたりします。だからこそ、「気」を司る神々は人間にこのような「導き」を行なうことができます。YouTubeをアップさせるといった非常に細かく見えることから、テレビドラマを始めさせるといった大きく見えることまで、神々はいつも必要なことは何でもしたいと思いながら我々に「気」で関与しています。

今後この『祭りのあと』『静かなるドン』について神々が全力を尽くしてきた中島美嘉に対するメッセージがメッセージとして成立するかは、この説明を中島美嘉御本人が読んだ時にどのように読むかに依ります。悪魔はこの話を信じさせないために「闇の気」を通して様々な「疑い」などの闇の感情を中島美嘉の中に起こそうとします。または、読み間違えを起こそうとしたりします。それに対して、金星神は中島美嘉がこの話が真実であることを理解するために「気」で関与します。神々が中島美嘉のために創ったこのメッセージはこの段階でうまくいくかどうかが決まります。


『祭りのあと』について補足ですが、このCDのカップリング曲は『すべての歌に懺悔しな!!』です。この歌も太陽神様の関与によって生まれています。この「すべての歌に懺悔しな」という言葉は神々からの中島美嘉に対するメッセージです。

歌詞:http://www.kasi-time.com/item-14679.html

この『すべての歌に懺悔しな!!』という歌は悪魔に支配された強い「闇」を抱えた人物に対して、桑田佳祐が歌いかけるような形で成立している歌です。この構造は今の中島美嘉に対して、神々が語りかけているような形を持っています。『祭りのあと』同様、細かな内容は異なりますが、悪魔に15年間強く襲われた後の中島美嘉の姿を神々は予想してこの歌詞を太陽神様は桑田佳祐に書かせています。

実際「道化」という歌詞は悪魔を示唆する言葉であって、中島美嘉の『CANDY GIRL』の中でも「本当の姿も道化師の笑顔が涙を隠してくように」という形で悪魔を示唆する言葉として使われています。どうして「道化師」が悪魔と言えるかというと、自分のために自分を偽るというスタンスは強い「闇」のスタンスであり、道化師とはオリジナルの意味がそういう存在だからです。また、道化師のような姿をした悪魔もたくさんいるからです。

「懺悔」とは本来は神々に対して自分の罪を告白し、悔い改めることを意味しますが、ここでは「歌に懺悔する」という形で使われています。これは一体何を意味するかと言うと、中島美嘉が今までに歌ってきた全ての歌に懺悔することを意味します。

この歌も構造的に見れば、「すべての歌に懺悔しな!!」という歌詞に神々が託した意味を読み取ることができます。この歌詞が歌われるのは二番の最期であって、一番の最期は「すべての人に恋をしな!!」です。この2つの歌詞の前には共通して、「今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう」という「光」の立場が歌われています。「相手のため」とは「光」の立場だからです。「すべての人に恋をしな!!」という歌詞は「全ての人を愛する」という強い「光」のスタンスを表し、「愛」を選ぶことを意味します。それと同じような「光」の意味を持たせて「すべての歌に懺悔しな!!」という歌詞を太陽神様は置いています。

中島美嘉は神々か悪魔のどちらかが創った歌を歌ってきました。そして、中島美嘉が「光」と「闇」のことを真に理解すると、自分の楽曲のどれが神々によって創られたものであって、どれが悪魔によって創られたものであるのかを明らかにできます。逆に言うと、中島美嘉は自分の歌ってきた楽曲を通して「光」と「闇」について真に理解することができます。そのことをすることを通して中島美嘉は真に「光」とは何かを理解し、真に「愛」を選ぶことができるようになります。だからこそ、「愛」を選ぶことを表す「すべての人に恋をしな!!」と並べるような形で、「すべての歌に懺悔しな!!」という歌詞は置かれています。

神々は中島美嘉に、自分の歌ってきたすべての歌を通して「光」と「闇」について理解し、神々と悪魔について理解し、悪魔との縁を切り、神々を選んでほしいと思っています。そのことを「すべての歌に懺悔しな!!」=「自分が歌ってきたすべての歌について真に理解し、自分の罪を認め、悔い改めな!!」という言葉で表現しています。何故ならば、それは中島美嘉自身が「幸せ」になるために必要なことであって、この世界がより良い場所になるために必要なことだからです。

ただ、繰り返しになりますが、中島美嘉は悪魔に襲われ、悪魔が創った楽曲も歌うことを役割としてきたのですから、罪ではないですし、それをすることが必要でした。ですから、正しくは「自分の罪を認める」というよりかは、「自分が闇を選んだことを認める」ということを意味します。

この歌を通して誤解されそうなので書いておきますが、神々は中島美嘉に強い「愛」や「感謝」の気持ちを持っています。ですから、この歌で表現されている桑田佳祐の感情が神々の中島美嘉に対する気持ちではないことは理解して頂けると幸いです。

 

[絵本『賢者の贈り物』]

中島美嘉は『賢者の贈り物』という絵本が幼い頃から好きです。このことには非常に大きな意味があるのですが、ここにはその意味を書くことはできない形になります。しかし、この本が重要であることは中島美嘉御本人に伝える必要があるので、書いている形になります。


[『ミラクル仮面高校生』]

中島美嘉は幼い頃に『ミラクル仮面高校生』というドラマが好きで、主演の森田剛のファンでもありましたが、どうして中島美嘉がこのドラマが好きだったかというと、この主人公は中島美嘉自身のことを表しているからです。

『ミラクル仮面高校生』は金色の奇跡の仮面を主人公(森田剛)が被ると、強いパワーを手に入れることができるという話なのですが、これは中島美嘉が金星神と共に働くことをよく表しています。我々は普通に生きていればただの人間です。しかし、神々と共に働くのであれば、神々からの「光の気」をもらうことができるので、強いパワーを手に入れることができます。(ただ、パワーが欲しくて神々と共に働こうとすると、その動機が「欲望」なので確実に悪魔と共に働くことになります。)

中島美嘉は金星神と共に歌う時はこの主人公が金色の仮面を被ることと同じようなことを経験しています。何故ならば、金星神からの「金の気」を大量にもらうことになるからです。金星神は中島美嘉が金星神と共に働くことになることを伝えるために『ミラクル仮面高校生』を好きにさせ、森田剛を好きにさせています。