中島美嘉の『WILL』は曲もPVも金星神が創り、中島美嘉は金星神と共に歌っています。この『WILL』という曲は、タイトルの通り、我々がもっている「意志」のことを説明している歌です。

我々は自分で様々な「選択」を自分の「意志」によって行なうことで、未来を決めていっています。ですから、それぞれの人間の未来とは、その人間が決めていることになります。

そして、我々はいつも「光の気」や「闇の気」に影響を受けながら生きています。「光の気」や「闇の気」というものは我々に様々な選択肢を与えます。例えば、太陽を見ているときは、とてもいい感情や思考が我々に太陽からの「光の気」によってもたらされます。逆に、暗い部屋に閉じこもっていると、だんだん悪い感情や思考が出てきます。なぜならば、部屋に溜まった「闇の気」に関与されるからです。

こういった形で、「気」によって様々な思考が生まれる時に、どの思考に自分が「共感」し、どの思考を自分が「選択」するかということを我々は自分の「意志」によって選んでいます。このことが我々が持っている「意志」の本当の意味です。そして、この歌ではこういったことが歌われています。

もし我々に「選択」することができないのであれば、つまり我々に「意志」がないのであれば、この世界は地獄です。なぜならば、我々は神々や悪魔のおもちゃだからです。しかし、我々は自分の「意志」をもって「選択」をできるからこそ、真に自分の「意志」で生きていると言え、神々や悪魔の奴隷ではありません。

神々や悪魔は「気」を我々に送ることを通して、いつも我々に選択肢を与えるだけです。その選択肢とは、「気」によってもたらされる、感情と思考です。思考とはアイデアとも言い換えられます。何故ならば、思考とはアイデアによって成り立っているからです。そういった神々や悪魔がもたらす感情やアイデアのどれを選ぶかどうかを我々は自分の「意志」で決めています。「気」とアイデアの関係性について、詳しくはこちらを読んで下さい。

http://junashikari.com/energy/アイデアと気(エネルギー)について/

そして、もうひとつの金星神がこの歌で表現したい「意志」の側面とは、中島美嘉が自分の「意志」によって今世の役割を選んだということです。中島美嘉はこの星のために、15年間悪魔に襲われるという役割を選んだ非常に「愛」の強い魂です。そういったことを金星神は中島美嘉に知ってほしいからこそ、この曲を創っています。

自分の「意志」ではなくて、中島美嘉が15年間悪魔に襲われるという役割を神々から勝手に与えられたのであれば、それはあまりに理不尽です。神々が我々の人生の役割を決定しています。しかし、非常に大きな役割に関しては、その役割をするかどうかを、その本人に尋ねるようにしています。なぜならば、大きな役割とは、非常に大きな負荷がその人間の魂にかかるものであって、それを神々が勝手にその人間にやらせるというのはあまりにも間違っているからです。

また、「記憶が星座のように1つになって教える」という歌詞がありますが、中島美嘉が自分自身が持っている人生の役割について知る時、彼女の持っている記憶は星座のように1つになり、中島美嘉自身にその役割が本当であるということを教えます。何故ならば、記憶というものは神々が管理しており、神々はその人間にとって重要な記憶を残すようにしているからです。我々は自分の記憶を自分自身で管理することはできません。しかし、ある記憶は覚えていて、ある記憶は消えています。こういったことが起こるのは我々の記憶を管理している存在がいるからであって、それを行なっているのが基本的には神々です。

中島美嘉にとって最重要な記憶とは、中島美嘉が人生の役割について確信を抱くための判断材料となる記憶であるからこそ、神々はそういった記憶を残しています。だからこそ、中島美嘉が自分の役割について知る時、「記憶が星座のように1つになって教える」ことになります。記憶についてはこちらに詳しく書いています。

http://junashikari.com/body/記憶について/

ですから、金星神は複数の目的のためにこの曲を作っています。1つは中島美嘉が15年間悪魔に襲われるということを選ぶことができる程の、とても「愛」が強い魂であることを中島美嘉に伝えること。もう1つは、中島美嘉が自分の人生の役割について知る時、記憶を参照することで、自分の人生の役割に確信を持つことができるという方法を教えること。そして、そういったことと合わせて、我々人間が持っている「意志」というものの成り立ちを教えることです。

『WILL』の歌詞の解説を書き、その下にPVの解説を書いていきます。あと、まだ『中島美嘉について』を読まれていない方はこちらから先に読まれて下さい。こちらの文章が前提となります。

・中島美嘉について
http://junashikari.com/art/中島美嘉について/

 

【歌詞解説】

以下、一度歌詞を全て書いた後に、それぞれの言葉の解説を書いていきます。 

[歌詞]

「あの頃」って
僕たちは
夜の空を信じていた
同じ向きの
望遠鏡で
小さな星 探した

いつもそばに
誰かいて
孤独の影 紛らせた
停電した
夏の終わりに
手さぐりして
キスをしたね

あれから 僕はいくつの
夢を見て来たのだろう
瞳を閉じて見る夢よりも
瞳を開きながら WOW WOW

あれから 僕はいくつの
自由を生きてきただろう
運命の支配じゃなくて
決めてたのは
僕の“WILL”

煌めいてる
星たちは
誰かが もう見つけてる
光のない
闇のどこかに
まだ見えない
未来がある

記憶が星座のように
輝きながら 繋がる
バラバラに見えていたけど
今ならわかるよ WOW WOW

記憶が星座のように
ひとつになって教える
偶然のしわざじゃなくて
選んだのは
僕の“WILL”

過ぎてく過去は
すべて
自分の通り道
この夜の空に
変わらない永遠が
見守ってる WOW WOW

あれから 僕はいくつの
夢を見て来たのだろう
瞳を閉じて見る夢よりも
瞳を開きながら WOW WOW

あれから 僕はいくつの
自由を生きてきただろう
運命の支配じゃなくて
決めてたのは
僕の“WILL”


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「『あの頃』って」
「僕たちは」
「夜の空を信じていた」
「同じ向きの」
「望遠鏡で」
「小さな星 探した」

ここでは、「あの頃」がカッコ書きで書かれています。それはこの言葉を強調したいからです。ここでいう「あの頃」とは、実はこの曲が書かれた2002年当時のことを言っています。逆に言うと、この歌詞の言葉が言われているのは未来です。なぜならば、「あの頃」を振り返るのは未来だからです。また、中島美嘉がデビューしたのは2001年11月7日であって、『WILL』が発売したのは2002年8月7日なので、ここで言う「あの頃」とは中島美嘉がデビューして間もない頃を意味します。

そしてまた、ここでいう「僕たち」とは中島美嘉と金星神のことを表しています。そしてその二人が同じ向きの望遠鏡で小さな星を探した、ということを意味しています。これは、中島美嘉と金星神が同じ方向を向いて生きていること、つまり金星の方向を向きながら生きてきた=「愛」の方向性で生きていたということを意味します。何故ならば、金星とは「金の気」が宿っている星だからこそ金星という名前を持っているのであって、「金の気」とは「愛の気」だからです。中島美嘉は金星神と繋がっており、そういった中島美嘉が誰かと同じ方向にある星を探していたということは、中島美嘉が金星神と共に「愛」の方向性で生きていたという解釈をするのが自然です。

どうしてここで言われている「あの頃」がこの曲が生まれた中島美嘉がデビューして間もない頃であると言えるかというと、この頃の中島美嘉が強く金星神と共に働いていたからであって、金星神としてはいつか中島美嘉と共に働けなくなるということが分かっていたからです。

中島美嘉は15年間悪魔に強く襲われることを1つの役割として持って生まれてきた人間です。そして、悪魔にそのような長期間強く襲われている中で金星神と共に働き続けることは非常に難しいことであり、中島美嘉の魂は少しの「闇」も抱えていたが故に、その「闇」を悪魔によって大きくさせられることを神々は分かっていました。だからこそ、途中から金星神は中島美嘉と共に歌を歌うことが難しくなるということを事前に知っていました。

そして、この歌全体を通して理解することで、こういった時間軸をもっていることが明確に分かります。この歌の歌詞である「記憶が星座のように輝きながら繋がる バラバラに見えていたけど 今ならわかるよ」という言葉が中島美嘉の口から出るときとは、中島美嘉が自分の人生の役割を知った後のことです。つまり、それはデビューから15年後の話であって、現在のことを意味しています。つまり、ここで「今なら分かるよ」と歌われている「今」とは、2016年現在のことを意味しています。何故ならば、私が中島美嘉に中島美嘉の持っている人生の役割を2016年に伝えるということを神々は中島美嘉と私が生まれる前から計画していたからです。

この歌詞の意味とはそういったことになります。だからこそ、この歌詞のまとまりの中で、「あの頃」同じ方向を向いて、ある星を見つめていたという内容が表現されています。

 

「いつもそばに」
「誰かいて」
「孤独の影 紛らせた」
「停電した」
「夏の終わりに」
「手さぐりして」
「キスをしたね」

ここで表現されている、そばにいる「誰か」とは、中島美嘉と愛し合う男性のことを意味します。「夏の終わりに手さぐりしてキスをしたね」とは、そういった男性と愛し合っている描写です。中島美嘉は非常に「愛」の強い人間です。ですから、恋愛をしやすい魂です。そして、恋愛によって「愛」を維持してほしいという2002年当時の金星神の想いもありました。つまり、これから中島美嘉が強く恋愛をするだろうということがここで描かれていますし、金星神がそれを望んでいたことを意味しています。

神々としては、中島美嘉が悪魔に襲われることを通して、完璧に「闇」に堕ちることは望んでいませんでした。何故ならば、中島美嘉が完璧に「闇」に堕ちてしまえば、中島美嘉が「光」に戻ってくることは不可能だからです。中島美嘉が完璧に「闇」に堕ちてしまうことは、中島美嘉にとって苦しいことであるからこそ、神々は望んでいませんでした。また、もしそのような形になってしまうと、この地球においてもそれは非常に望まぬことでした。何故ならば、中島美嘉がデビューして15年後に「光」を選ぶということがこの星にとって極めて重要だったからです。中島美嘉が「光」に戻り、様々なことを理解することを通して、中島美嘉が経験してきた奇跡が人類に知れ渡っていくことになるからです。

中島美嘉は非常に「愛」の強い魂です。そういう中島美嘉をなんとか「光」に少しでも留めさせる重要な方法が恋愛でした。何故ならば、恋愛を通して中島美嘉が「愛」の感情を抱けば、中島美嘉の魂の「光」は保たれるからです。だからこそ、神々は中島美嘉に非常にいい相手と出会わせてきました。その1人が今の旦那様である清水邦広でもあります。

また、悪魔はそういった神々の方向性を邪魔するために、中島美嘉に非常に「闇」の強い男性を出会わせてきました。ですから、中島美嘉は「光」の男性「闇」の男性問わず、様々な男性に出会ったはずです。何故ならば、神々や悪魔が中島美嘉の恋愛に強く関わろうとしていたからです。この情報も「記憶が星座のように1つになって教える」という1つの要素になります。

神々や悪魔がどういった動機によって中島美嘉に関与してきたのかということが分かると、中島美嘉は今までの自分の人生の中で経験してきたことが何故起こってきたのかということが分かるようになります。そして、そのことを理解する前提が中島美嘉がどういう人間であるのか、中島美嘉がどういう役割を持った人間であるのかということを知ることです。何故ならば、中島美嘉は自分の人生の役割が故に、金星神から「導き」を受け続け、悪魔から「コントロール」を受け続けたからです。

 

「あれから 僕はいくつの」
「夢を見て来たのだろう」

この「あれから僕はいくつもの夢を見てきのだろう」という言葉の意味は、文字通り、様々な「夢」を抱いてきたということです。そして「あれから」という言葉は、中島美嘉が「あの頃」=「中島美嘉がデビューして間もない頃」からということを意味しています。

「夢」には二種類あります。「愛の夢」または「欲望の夢」です。「愛」とは「光」であり、「欲望」とは「闇」です。「愛の夢」とは、誰かのために何かをしたいという「夢」です。それに対し、「欲望の夢」は、自分のために何かをしたいという「夢」です。

そしてここでいわれている「夢」とは「愛の夢」のことです。なぜならば、金星神が関与した中島美嘉の楽曲において、「夢」という言葉はいつも「愛の夢」のことを表しているからです。このことについては『A MIRACLE FOR YOU』の解説に詳しく書いています。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『a-miracle-for-you』について/

つまり、中島美嘉がデビューした後に多くの「愛の夢」を見ていく、ということがここで示唆されています。つまり、この歌詞は、中島美嘉に誰かのために何かをしたいと思うような経験(「愛の夢」の経験)を数多くしてほしいという当時の金星神の願いでもあり、そのように中島美嘉を導こうという金星神の決心でもあります。

 

「瞳を閉じて見る夢よりも」
「瞳を開きながら WOW WOW」

「瞳を閉じてみる夢」とはいわゆる寝ているときに見る夢です。それではなく、目を開いてみる夢を見たいということです。つまり想像や空想の世界ではなくて、現実の世界で「夢」を実現していきたいという想いのことを意味しています。

 

「あれから 僕はいくつの」
「自由を生きてきただろう」
「運命の支配じゃなくて」
「決めてたのは」
「僕の“WILL”」

この歌詞はこの解説の冒頭に書いたことを説明している歌詞です。我々は本質的には「自由」です。なぜならば、我々はいつも「選択」ができるからです。どんなに「光の気」に満ちていようと、どんなに「闇の気」に満ちていようと、最終的な「選択」は必ず我々の魂の「意志」によってできます。ただ、「光」と「闇」のどちらを選びたくなるか、ということに関しては神々や悪魔がかなり関与しています。しかし、最終的に選ぶ「選択」の「意志」は我々に必ずゆだねられています。そういった意味で、ここで「自由」と描かれています。

そして、ここで「運命の支配」ではなくてということが書かれていますが、この言葉の意味は「未来は決まっていない」ということです。もし未来が決まっているのであれば、我々が進む道が完璧に決められていて、そのことを我々は「運命」と言います。そして、もし我々がそういった「運命」の中で生きているのであれば、我々は「運命」に「支配」されていることになり、魂の「意志」は存在しません。我々が「運命」の中に生きているのであれば、我々が次に何を「選択」するのかということが元々決まっていることになりますが、我々は自分の「意志」で何を「選択」するのかも決めることができています。

もし、過去も未来も決まっていて、我々はその中を生きているだけだとしたら、そのような世界に何の意味があるかというと、何の意味もありません。この世を創ったのは創造神ですが、創造神が無意味に世界を創るわけがないという理由から、未来は決まっていないということが分かります。創造神はそれぞれの魂が進歩するためにこの世界を創ったのであって、どのように我々が進歩するかというと、常にやってくる現在において様々な「選択」をすることによって、つまり我々の「意志」によって魂は進歩していきます。だからこそ、我々の「意志」は確かにあります。そういった意味を込めて、「運命の支配じゃなくて 決めてたのは 僕の“WILL”」という歌詞が歌われています。

この歌詞に金星神が込めた一般的な意味は上の解釈です。そして、この歌詞が持っている中島美嘉に対するメッセージとは、上の解釈でもあり、中島美嘉が自分で今世の役割を選んだということでもあります。中島美嘉が自分自身の役割を選んだ意志のことを踏まえて、「運命の支配じゃなくて 決めてたのは 僕の“WILL”」という歌詞が歌われています。

 

「煌めいてる」
「星たちは」
「誰かが もう見つけてる」
「光のない」
「闇のどこかに」
「まだ見えない」
「未来がある」

「煌めいてる星たちは誰かがもう見つけてる」という歌詞に金星神が込めた意味は、星には魂が宿っているということです。星が誰かのものであるということをここでは、「星たちは誰かがもう見つけてる」という言葉に表現しています。また、ここで「星たち」という形で、「たち」という人間に使うような言葉が置いてあるのもの、星に魂が宿っていることを示唆するための言葉です。さらに、ここで「煌めいている」という言葉が使われているのは「光」を表すためです。星の神々とは光の神々のことです。そういったことを意味するために「煌めいている星たち」という言葉が使われています。

そして、「光のない闇のどこかに まだ見えない未来がある」という歌詞の意味とは、この地球が「闇」に満ちてはいるけれども、「光」の「未来」はまだあるという金星神の希望のことを意味しています。そして、そのことを星の神々は行なっていくということを意味しています。そうでなければ、この歌詞の直前に光の神々のことが描かれている歌詞があることが不自然だからです。

金星神とは2012年の12月まで2300年間の間、「金の気」を降り注ぐことができなかった神様です。その金星神が再び2012年の12月から「金の気」を降り注ぎ始めることで、地球の「光の気」は増え、そのことによって地球は再び「光」を取り戻しやすくなっていきますし、そのことを金星神は実現するつもりで生きています。この歌詞はそういった金星神の決心を表す歌詞です。

そして、中島美嘉とは金星神と繋がっている最も重要な人間です。この「光のない闇のどこかに まだ見えない未来がある」という歌詞は中島美嘉のことも表しています。

中島美嘉は『傷だらけのラブソング』の中で島崎未来を演じており、島崎未来とは中島美嘉の未来の姿を表しているからこそ「未来」という名前を持っています。悪魔に15年間襲われた人間の姿を『傷だらけのラブソング』の中では島崎未来という不良少女で表現しており、「闇」を悪魔によって抱えさせられた中島美嘉の姿を表しています。当然年齢が違うので、今の中島美嘉は不良少女という感じではないのですが、島崎未来と中島美嘉は同じ程度に「闇」を抱え、それでも「愛」は持っているという点で非常に似ています。

この「光のない闇のどこかに まだ見えない未来がある」という歌詞の「未来」とは、島崎未来のことであって未来の中島美嘉のことです。「光」を失いつつあり「闇」を抱えてしまった未来の中島美嘉のことを意味しています。ですから、この歌詞は神々の予言のような意味があります。どうしてこのような予言の意味を持った歌詞を置いているかというと、ここに前もって書いておけば、中島美嘉は自分の人生の役割について確信を持ちやすくなるためです。

 

「記憶が星座のように」
「輝きながら 繋がる」
「バラバラに見えていたけど」
「今ならわかるよ WOW WOW」

「光のない闇のどこかに まだ見えない未来がある」という歌詞の次にこの歌詞が置かれているのは、未来の中島美嘉が思う言葉であるからです。つまり、自分の人生の役割を知った後の中島美嘉が思う言葉になります。冒頭に書いたように、中島美嘉が自分の人生の役割を知った上で記憶を見つめ直すと、バラバラに見えていた記憶が星座のように繋がります。そして、そういったプロセスによって自分の人生の役割を知ることを「今ならわかるよ」という言葉に込めています。何が分かるのかということがこの歌詞で明確に書かれていないのは、神々が中島美嘉の人生の役割を未来の中島美嘉に知ってほしかったからです。

我々は自分の人生の役割や、神々が「光の気」を通して我々に行ってきた「導き」のことや、悪魔が「闇の気」を通して我々に行ってきた「コントロール」のことを真に理解すると、すべての記憶が繋がって考えられるようになります。今の人間は、神々や悪魔が「気」を通して我々に何をしているのかを忘れてしまっています。神々がどういった意図をもって我々に「導き」を行なおうとし、悪魔がどういった意図をもって我々を「コントロール」しようとするのかを知りません。

ですから、現代の人間は自分が経験している様々な出来事が偶然起こっていると思ってしまっています。しかし、多くの出来事は神々の「導き」や悪魔の「コントロール」によって成立しています。そして、中島美嘉は強く悪魔に襲われた立場の人間であって、悪魔から多くの「コントロール」を受け、神々は中島美嘉を守るためにとても多くの「導き」を行ってきました。

ですから、中島美嘉の人生は、神々の「導き」と悪魔の「コントロール」に満ちているのであって、神々がどういった意図をもって、中島美嘉に「導き」をし、悪魔がどういった意図をもって中島美嘉に「コントロール」をしていたのかが分かると、すべてが繋がって見えるようになります。

中島美嘉がバラバラに見えていた記憶をひとつに繋げるためには何らかのきっかけが必要です。そのきっかけというのが、神々や悪魔について理解すること、自分について理解することであって、このホームページがその役割を担っています。

冒頭にも書きましたが、バラバラに見えていた記憶が繋がって見えるという現象は、中島美嘉だけにおいて言えることではなく、全ての人間において言えることです。なぜならば、神々はいつも我々を導こうとしているし、悪魔は我々をコントロールしようとしているからです。それは中島美嘉だけではなくて、我々全員において同様に言えます。

そして我々は覚えていることと、覚えていないことがあります。我々は自分の「意志」によって、何かを覚えたり、何かを忘れたりできません。これは我々の「意志」を超えています。では、それは誰が関与しているかというと、神々や悪魔になります。特に神々は我々にとって大事な記憶は残すように全力をつくしています。神々が我々に残したいと思う記憶は、我々にとって重要な記憶です。特に、我々にとって重要なメッセージとなる記憶を神々は残し、その1つが我々が自分の人生の役割に気付くための記憶です。

どうしてここで「星座のように」という言葉が使われているかというと、太陽系において最も大きな神々とは、星の神々であり、太陽系の10人の星の神々(太陽神様・水星神様・金星神・地球神様・火星神様・木星神様・土星神様・天王星神様・海王星様・冥王星様)です。これらの10星神が我々の記憶に強く関与しています。つまり、記憶を星座のように見せているのがこの10星神であるが故に、ここで「星座のように」という言葉を置いています。

 

「記憶が星座のように」
「ひとつになって教える」
「偶然のしわざじゃなくて」
「選んだのは」
「僕の“WILL”」

「記憶が星座のようにひとつになって教える」と書かれていますが、上の歌詞と違うのは、「繋がる」か「教える」という点です。我々は自分にどういった記憶が残っているのかということを調べることで、神々が我々に何を伝えたいのかということを明らかにできます。残っている記憶は我々にとって必要だからこそ、神々によって残されたものです。だからこそ、残っている記憶を見渡すことで、一体何のためにその記憶が残っているのかということを明らかにできます。そういった意味を込めて、ここでは「記憶が星座のようにひとつになって教える」という言葉が使われています。この方法は我々人間が神々とコミュニケーションを取るための1つの有効な方法です。

そしてこの「偶然のしわざじゃなくて選んだのは僕の“WILL”」という言葉は、すべての記憶が繋がって見えた後に、自分の「意志」や「選択」がどのように自分の歩んできた道を決めてきたのかが分かるということです。神々や悪魔はいつも我々に関与します。しかし最終的に「選択」するのは我々の「意志」です。そして、我々がどういった選択肢を選ぶかによって、神々や悪魔はまた関与の方法を変えてきます。そういった形で、星座のように過去の出来事は繋がっていき、そしてそれは神々や悪魔が何を行なっているかなど、様々なことを理解した上で振り返るのであれば、特に繋がって見えます。

この歌詞が中島美嘉に対して言っていることは既にここや冒頭で説明したような内容であり、一体どういった記憶が残っているかということを調べることで、自分の人生の役割について確信を持ってほしいという金星神の願いです。そして、それが分かると自分が経験してきたことは、自分が今回生まれ変わる前に自分がこの役割を選んだことによるということに気付きます。そのことをここでは、「選んだのは 僕の“WILL”」という言葉で表現しています。

 

「過ぎてく過去は」
「すべて」
「自分の通り道」
「この夜の空に」
「変わらない永遠が」
「見守ってる WOW WOW」

ここで「過ぎてく過去はすべて自分の通り道」と歌われていますが、これはもっと人間にそういった観点で自分の人生を見つめてほしいという金星神の願いです。今の人間はあまりにも人生を軽視しています。自分がこの現在、どう生きるかという魂の「選択」が未来の自分にどれ程の影響を与えるかということを、あまりにも考えません。そして、今の自分がなぜあるかということに関して、過去の自分の「選択」がどれほど影響を与えているのかということもあまり考えません。

しかし過ぎていく過去はすべて自分の通り道と考えられるのであれば、我々はその道のことをより考えるようになります。そして、そのことで我々は現在をもっと大事にでき、いい方向へ生きていくことに繋がるからこそ、金星神はこの歌詞を置いています。

「この夜の空に変わらない永遠が見守ってる」という歌詞についてですが、夜の空にあるものは星です。ここで金星神が伝えたいことは、星の神々が我々を見守っているということです。そしてどうして「変わらない永遠が」という主語がおかれているかというと、神々は永遠に神々であるからです。この世界は永遠に続きますし、我々の魂は永遠に生きます。神々とは神々になった魂であって、そして、神々になると神々としてこの宇宙を支えていきます。逆に言うと、「永遠にこの宇宙を支えていく」という決心を持てる程の「光」を魂が抱えない限り、神々にはなれません。だからこそ、ここで「変わらない永遠」という言葉が置かれています、つまり永遠に変わらず光を実践する魂たち=神々のことを意味しています。そういった神々が見守っているということです。

 

「あれから 僕はいくつの」
「夢を見て来たのだろう」
「瞳を閉じて見る夢よりも」
「瞳を開きながら WOW WOW」

「あれから 僕はいくつの」
「自由を生きてきただろう」
「運命の支配じゃなくて」
「決めてたのは」
「僕の“WILL”」

この歌詞はこの歌において、唯一2回繰り返される歌詞です。どうして2回繰り返されるかというと、この歌詞が非常に重要だからです。そして、この2つの同じ歌詞の間には様々な歌詞が置かれています。ですから、この1回目にこの歌詞が歌われる時と、2回目に歌われるこの歌詞の意味合いを変えるのは、この最後の歌詞以前に置かれている様々な歌詞です。

 

【PV解説】

このPVには様々な中島美嘉が登場することで、中島美嘉が金星神と繋がっていることや、中島美嘉がどういった人生の役割を抱えているのかを説明しています。以下、このPVの流れを説明しながら、それぞれの中島美嘉の意味について説明していきます。

冒頭、星空が映り、その中の1つの星から「光の気」が降ってきます。これは、金星からの「金の気」のことを表しています。

そして、その金星からの「金の気」が蓮の花に関与し、そのことで蓮の花が咲く様子が描かれます。これは蓮の花が金星からの「金の気」によって生きているということを表す映像です。蓮の花が「金の気」によって生きているということは、『STARS』の解説でも書いていますから、詳しくはそちらを御覧下さい。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『stars』について/

そして、その蓮の花と掛け合わせられる形で、中島美嘉が現れ、「金の気」が中島美嘉に関与している様子が描かれます。これは、蓮の花と中島美嘉が本質的に似た存在であって、中島美嘉が金星からの「金の気」を受け取りながら生きていることを意味します。つまり、中島美嘉が金星神と縁で繋がっており、その縁を通して「金の気」を金星神から受け取っているということの描写です。縁とは「気」が流れるラインですが、こちらに縁について詳しく書いています。

http://junashikari.com/energy/縁について/

中島美嘉は「紛らせた」と一言だけ歌います。これはどういう意味を持っているかというと、中島美嘉にとって「紛らせた」という言葉が非常に重要だからです。中島美嘉は悪魔に襲われることを通して、寂しさを紛らすために色々なことを悪魔によってさせられることを金星神は分かっていました。そのことは『TEARS(粉雪が舞うように)』の中で「寂しさをまぎらわそうと色んなことをした」という歌詞にも描かれています。だからこそ、ここで「紛らせた」という言葉だけを歌わせた形になります。よって、この中島美嘉は悪魔によって動かされている中島美嘉であって、中島美嘉の持つ「闇」の側面を表しています。

この白い服だけを着た中島美嘉は態度が「闇」っぽく、例えば足を組んでいたりします。足を組むとは「闇」の仕草です。また足を組んで肘をつくとは強い「闇」の仕草になります。また、「闇の気」を表す霧のようなものも描かれています。

それに対して、蓮の花と同じ色の服を着ている中島美嘉は中島美嘉の「光」の側面を表しています。蓮の花は「金の気」で生きている花であって「光」の花です。この中島美嘉は中島美嘉の「光」の側面を表すために、蓮の花と同じ色の服を着ています。また、足も組んでおらず、表情も上を向き前向きです。

そして、中島美嘉の「闇」の側面と「光」の側面が描写された後、カメラが上の方向へ引いていき、金星神の顔が映ります。これが三人目の中島美嘉であって、金星神のことを意味しています。

中島美嘉が金星神と顔が似ていることは度々書いてきました。ここでどうしてこれが金星神と言えるかというと、それはカメラが上に引いていくことであり、星から地球を眺めている目線であることが分かるからです。また、この中島美嘉の顔からは「金の気」が出ていることが描かれていることから、この中島美嘉が明らかに金星神のことを表していることが分かります。

また表情も全く違います。金星神と中島美嘉は縁で繋がっています。そして、縁で繋がっているがゆえに、金星神は中島美嘉に「気」を送る事ができ、その「気」によって金星神は中島美嘉に様々な表情をさせることができます。「気」が我々の感情の原因であって、感情は我々の表情に表れるものです。ですから、金星神が中島美嘉に「気」を送るのであれば、中島美嘉はある感情を抱き、その感情が表情に反映されることになります。このPVにおいては、金星神は自分自身のことを表現するために、中島美嘉に「気」を送ることで金星神自身のする表情を作らせて、金星神の演技をさせています。

その後、水が流れている場所に中島美嘉が立っていて、カメラが水を進んでいく場面があります。これは未来の中島美嘉のことを表し、このPVに登場する四人目の中島美嘉です。そして、未来の中島美嘉が浄化されるということを意味しています。どうして水が浄化のことを表すかと言うと、水とは浄化のためにあるからです。我々がシャワーを浴びると気分がスッキリするのは、水によって浄化をされているからになります。

中島美嘉は悪魔に襲われてきましたが、デビューして15年後に自分の持っている役割に気が付き、浄化をシャーマンに頼むことになることを神々は中島美嘉が生まれる前から計画していました。そういった浄化のことを水で表現し、中島美嘉が未来になって自分の役割に気付くということをここでは中島美嘉が「WILL」と一言だけ言う様子に表現しています。中島美嘉が自分自身の「意志」でこの役割を選んだということを既にこの未来の中島美嘉は知っているからこそ、「自分で選んだ」という意味を込めて「WILL」と言っています。

そして「過ぎてく過去は すべて 自分の通り道」という歌詞が歌われる場面において、中島美嘉がなぜか5人になって、非常に性格の悪そうな表情をする場面になります。これは何を意味しているかというと、中島美嘉を襲っている悪魔の姿です。これがこのPVに登場する五人目の中島美嘉になります。中島美嘉は非常に多くの悪魔に襲われてきました。だからこそ、ここで5人で描かれています。そして、非常に性格の悪そうな表情を作らされています。

また、どうしてこの歌詞と合わせて悪魔の姿が描かれているかというと、金星神は中島美嘉が悪魔に襲われることを「過ぎてく過去」にしたかったからです。だから、この映像は中島美嘉をなんとか悪魔から助けるという金星神の決心でもあります。

その後「この夜の空に変わらない永遠が見守ってる」という歌詞の後に、再びカメラが上に引き、金星神が描かれます。なぜならば、この歌詞が神々のことを表す歌詞であるからです。また、どうして万華鏡のように中島美嘉が映され、上空にカメラが引いていくかというと、金星神がこの地球上の多くの命を見つめているということを映像として表現するためです。

その後、再び中島美嘉の「光」の側面と「闇」の側面が映され、その後に非常に性格の悪そうな中島美嘉が台形の形で座っていて、最後に「WILL」という歌詞を言います。この中島美嘉は何を意味しているかというと、中島美嘉が強い「闇」に堕ちる、ということを意味しています。なぜならば、台形とは「強さ」を表す図形だからです。それぞれの図形には意味があります。また、悪魔と同じ格好をしているのは、中島美嘉が悪魔に近づいていくということを示すためです。先程は五人で悪魔が描かれたのに対して、ここでは一人で描かれているのはこれが悪魔を描いているのではなく、闇に堕ちた中島美嘉を描いているからになります。

この、強い「闇」に堕ちた中島美嘉がこのPVに描かれる六人目の中島美嘉であり、未来において浄化される前の中島美嘉のことを意味しています。

そして、どうしてこの最後の「WILL」という歌詞だけを歌ったかというと、中島美嘉自身が「闇」に一度堕ちることを選んだ、ということを示すためになります。

そして、そんな「闇」に堕ちた中島美嘉に「金の気」が関与する様子が描かれ、このPVは終わります。これはどんなに中島美嘉が「闇」に堕ちても、金星神は「金の気」で中島美嘉に関与し続けることで、中島美嘉の「愛」を保とうとするという金星神の決心の表れです。

この最後の中島美嘉は予言のような意味を持っています。中島美嘉が闇に落ちるということは、神々は分かっていましたし、中島美嘉はそういった時期を一度過ごすという役割を持っていました。だからこそ、ここであらかじめ未来の中島美嘉の姿を描きたかった形になります。

このPVはこういった六人の中島美嘉の持っている意味を理解した上で見ると、金星神が何をこのPVを通して伝えたいのかということがよく分かります。

また、この曲やPVが生まれた2002年当時から、その後の中島美嘉が経験する事が事前に描かれているのであれば、中島美嘉は自分自身の持っている役割について確信を抱きやすくなるからこそ、金星神はこういったPVを創っています。

 

【最後に】

この曲とPVにおいて最重要な目的は、中島美嘉が自分自身で今世の人生の役割を選んだということを未来の中島美嘉に伝えるという点です。そのことを中島美嘉に理解してもらうために、金星神はこの曲とPVを創っています。

歌詞では、中島美嘉が持っている役割について確信を持ってもらうために、記憶を参照することで自分の人生の役割について確信を持つことができるという方法を説明しています。そして、PVにおいて描かれているのは、中島美嘉がデビューしてから約15年の内に何を経験するのかという内容です。

この歌は中島美嘉以外の人間に対する、金星神からの教えの意味もある歌ですが、そのことよりも、金星神が本当に重要視していたのは中島美嘉がこの歌を通して自分自身のことを知ることです。何故ならば、中島美嘉が自分自身について知るということは、中島美嘉が悪魔の支配から救われるために必要なことだからです。そして、中島美嘉が悪魔の支配から救われ、再び強い「光」を実践し始めるのであれば、この地球にとってとてもいい影響が出てくるからです。

金星神は中島美嘉のためにも、この地球全体のためにも、この歌とPVを創りました。