この『愛の歌』とは、金星神と中島美嘉が、再びめぐり逢うということを、金星神が描いた歌です。この曲は2015年10月28日にシングル『花束』のカップリング曲として発表された曲ですが、どうしてこの時期にこの曲が発表されたかというと、その後2016年に中島美嘉は金星神と逢うことを神々は予定していたからです。

中島美嘉の解説の中で度々触れてきましたが、中島美嘉と金星神は、今回中島美嘉が中島美嘉として生まれ変わる前に天国で会っていました。そういったことを説明している中島美嘉の楽曲も多くあります。そういった二人が再びめぐり逢うこと、その再会がどのように行なわれるか、その再会のために中島美嘉はどのような姿勢を持たないといけないのか、ということが歌われています。

以下、この歌の解説を書いていきます。

 

[歌詞]

巡る 巡り巡るめぐり逢い 逢い 
巡る 巡り巡るめぐり愛の歌 

また会えるよ 別れ道の先に重なる未来で 
聴こえてくる デコボコな今日までの日々が歌う声 
混じり合うよ 不揃いなままほら 僕らの足音 
旅は続く 良い日も悪い日も満ちては欠けていくよ 

何もかも全てをまだ解り合えなくても 
たったひとつだけの今を君と分かち合えるから 

怖がらないで明日なんか 集めないで約束なんか 
追いかけないで昨日なんか 数えないで思い出なんか 

巡る 巡り巡るめぐり逢い 逢い 
巡る 巡り巡るめぐり逢い 
巡る 巡り巡るめぐり逢い 逢い 
巡る 巡り巡るめぐり愛の歌 

空のほとり浮かび上がる光 君と僕の星 
恋心が示してくれたのは痛みと愛しみ 

信じることだけが ただ信じることだけが 
離れ離れの心達を繋ぎとめてくれるから 
また会えるよ 

怖がらないで明日なんか 集めないで約束なんか 
追いかけないで昨日なんか 数えないで思い出なんか 

巡る 巡り巡るめぐり逢い 逢い 
巡る 巡り巡るめぐり逢い 
巡る 巡り巡るめぐり逢い 逢い 
巡る 巡り巡るめぐり愛の歌 
 

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「巡る 巡り巡るめぐり逢い 巡る 巡り巡るめぐり愛の歌 」

「巡る」とは、「まわってまた元にもどる」ということです。そして、「めぐり逢い」とは、「別れ別れになっていた相手や、長く求めていたものに出逢うこと」を意味します。つまり、中島美嘉と金星神が再び逢うということが、この「巡る 巡り巡るめぐり逢い」という言葉に描かれています。

そして、どうしてここで「愛の歌」という言葉があるかというと、金星神とは太陽系における最も偉大な「愛」の神であって、その「愛」の神の歌だからです。また、中島美嘉は「愛」の神である金星神と繋がっている人間です。そして、二人が再びめぐり逢うということは、とても「愛」に満ちています。そういった様々な意味を込めて、このタイトル自体も『愛の歌』となっています。

この『愛の歌』というタイトルは、金星神が創った中島美嘉の歌としては、最もストレートなタイトルです。なぜなら、「愛」の神が創った歌のタイトルが『愛の歌』だからです。どうしてこのようなストレートなタイトルを金星神はこの歌に与えたかというと、この歌が中島美嘉と金星神にとって、非常に重要な歌だからです。

 

「また会えるよ 別れ道の先に重なる未来で」

この「未来で」という言葉は、Futureの意味もありますが、「島崎未来」の意味もあります。これは度々書いてきましたが、中島美嘉の未来の姿を表わしているのが、『傷だらけのラブソング』の島崎未来です。だからこそ、あの主人公は島崎未来という名前を持っています。中島美嘉は、デビューして15年間悪魔に襲われる中で、「闇」を悪魔からもらうということを役割として持って生きてきた魂です。だからこそ、あの島崎未来は不良少女として描かれています。この歌において「別れ道の先に重なる未来で」と言われているのは、未来の中島美嘉のことを意味し、中島美嘉が島崎未来になるということを意味しています。そして別れ道とは、これまでに金星神と中島美嘉が離れてしまった、別れてしまったということであって、実際に中島美嘉は悪魔から「闇の気」を多くもらう中で、金星神から離れていったからです。

そしてどのような方法で、中島美嘉と金星神が再び逢うかというと、シャーマンのチャンネリングを通して、中島美嘉と金星神は再び逢うことになります。そして、そのシャーマンの役割を持っているのが私です。私に金星神を宿し、私に宿った金星神と中島美嘉が逢うことによって、二人は再会を果たします。

 

「聴こえてくる デコボコな今日までの日々が歌う声 」

ここで「デコボコ」と書いてあるのは、中島美嘉が「光」と「闇」の間を振れ続けていたことを意味しています。中島美嘉は悪魔に襲われながらも、金星神と共に働くということを行ってきました。そういう形で中島美嘉は「光」と「闇」の間をかなり振れていきながら歌を歌ってきたということを、この歌詞に表現しています。そういった「今日までの日々が歌う声」が「聴こえてくる」ということを、ここでは描いています。どうして「聴こえてくる」という言葉を置いているかというと、金星神は全てそれを覚えているからです。

中島美嘉が「光」と「闇」の間を触れながら歌ってきた歴史とは録音として残っています。中島美嘉はそういった歌の記録を残すためにも、悪魔に15年間教われるという役割を背負って生きてきました。中島美嘉はデビュー当時金星神と真に共に働き、この15年の中で悪魔からの攻撃を強く受けていく過程の中で、悪魔と共に働くようになりました。

そういった記録があることによって、我々人間は神々と悪魔について理解することができます。そういった記録を創るために中島美嘉は悪魔に15年間も襲われています。そして、そういったことを行なうために、悪魔に15年間襲われるという役割を中島美嘉自身が選んでいます。

 

「混じり合うよ 不揃いなままほら 僕らの足音 」

中島美嘉は今、悪魔によって「闇の気」を抱えさせられています。しかし、金星神は「光」の存在です。ですから、金星神が「光」であるのに対して、中島美嘉は強い「闇」を抱えているからこそ、ここでは「不揃いなままほら」という言葉が置かれています。しかし、どうして「混じり合うよ」という言葉を置かれているかというと、この二人は共通して「愛」を抱いているからです。

中島美嘉は悪魔に15年間襲われながらも、自身の「愛」を保ってきました。その部分は「光」を保っています。どうして中島美嘉が「愛」を保つ事ができたかというと、中島美嘉の「愛」は元々非常に強いからです。そういった「愛」の部分については、中島美嘉と金星神と「混じり合う」ということを意味し、中島美嘉が「闇」を抱いてしまっている部分については、中島美嘉と金星神は「不揃いなまま」ということを意味します。しかし、そういった中でも、共に進んでいけるということを「僕らの足音」という言葉に込めています。

ここでどうして、「足音」なのかというと、その過程も中島美嘉の歌に表現されていくからです。中島美嘉がこれから悪魔からの「闇の気」を浄化し、「光」の方向性で生きていくのであれば、中島美嘉はデビュー当時のように再び金星神と共に歌う方向性で歩んでいくことになりますが、その過程の中で金星神と共に歌う能力は上がっていきます。なぜならば、中島美嘉自身が「光」に満ちていけばいくほど、金星神と共感する「光」の部分が増えていくからです。

 

「旅は続く 良い日も悪い日も満ちては欠けていくよ」

中島美嘉の人生の旅は、これからも強く続いていきます。というより、むしろ中島美嘉の人生の役割は、これから第2章が始まるのであって、非常に強く役割を発揮していく時期です。そういう意味を込めて「旅は続く」という言葉を置いています。中島美嘉は歌を歌うことを辞めようと思ったこともあるし、耳の病気によって、歌を辞めざるを得ないとも思ったこともあります。そういったことを踏まえて、金星神は中島美嘉に「旅は続くよ」と語りかけています。

これから中島美嘉は神々と共に耳の病気を治し、金星神と再び歌うことを続けていくということになります。そしてここで「良い日も悪い日も満ちては欠けていくよ」というのは、これからも良い日も悪い日もあるということです。そういった中でも共に、「光」を実践していきたいという金星神の強い願いが込められている歌詞です。

 

「何もかも全てをまだ解り合えなくても たったひとつだけの今を君と分かち合えるから 」

中島美嘉と金星神が全てを分かり合うためには、時間が必要です。金星神は中島美嘉の全てを分かっています。しかし、中島美嘉は金星神のことをまだ分かっているわけではありません。そして中島美嘉が金星神の全てを理解するためには時間がかかります。しかし、金星神としては、今を中島美嘉と共に生きていきたいと思っています。

これはどういうことを意味するかというと、金星神の「金の気」を中島美嘉が受け取りながら、その「金の気」を通して中島美嘉と共に生きていきたいと金星神が願っていることを意味します。中島美嘉と金星神は縁で結ばれています。ですから、金星神は「気」を中島美嘉に送ることはできます。しかし、中島美嘉はそれを受け取ることができなければ、共に生きることはできません。では、中島美嘉は金星神の「金の気」を受け取るために何をする必要があるかというと、愛の感情を抱いている必要があります。そういったことを、この「たったひとつだけの今を君と分かち合えるから 」という言葉に込めています。

 

「怖がらないで明日なんか 集めないで約束なんか 追いかけないで昨日なんか 数えないで思い出なんか 」

中島美嘉がこれから悪魔との縁を切り、金星神と再び強く手を結んで進んでいくことは、楽なことではありません。なぜならば、新しい始まりになるので、それは「恐怖」を伴うかもしれないし、今までの様々な過去と縁を切らないといけないからです。そういったことをここでは表現しています。

「怖がらないで明日なんか」というのは、これから変化することを怖がらないでほしいということです。

「集めないで約束なんか」というのは、中島美嘉が意図せずに悪魔と交わしてしまった約束のことを意味します。そういった約束を中島美嘉は放棄していかなければなりません。

「追いかけないで昨日なんか」というのは、過去に「執着」するということを意味します。悪魔は中島美嘉に「快楽」を与えることもしてきました。ですから中島美嘉がそういった闇のもたらす「快楽」と縁を切るという決意を持たない限り、悪魔との縁を切ることは難しいです。そういった意味を込めて「追いかけないで昨日なんか 数えないで思い出なんか 」という言葉を置いています。

とにかく、一度「闇」に堕ちた状態から「光」に戻るということには、自分の過去に執着したり、変化を怖がるという大きな負担を伴います。しかし、それは最初だけであって、しばらくすると「闇」を望まなくなっていくので、負担はなくなっていきます。

この歌詞は重要だからこそ二度歌われています。何故重要かというと、中島美嘉が必ず向き合う事になる壁となるからです。中島美嘉の背中を押すために金星神はこの歌詞を二度この歌の中に置いています。

 

「空のほとり浮かび上がる光 君と僕の星 」

金星とは、夕方一番星として現れる星であって、この歌詞は金星のことを表しています。「ほとり」とは、「端の方」を意味する言葉ですが、金星とは空の端の方に浮かび上がる星です。だからこそ、「空のほとり」という言葉が使われています。そして、金星の現れ方はどういった形かと言うと、太陽の光が減っていく中で空に「浮かび上がる光」のような形で現れてきます。

中島美嘉は金星神と繋がっています。だからこそ、中島美嘉と金星神の星であるという意味を込めて「君と僕の星」という言葉が添えられています。

ですから、この歌詞とは中島美嘉が金星神と繋がっているということを、そのまま表現している歌詞です。

 

「恋心が示してくれたのは痛みと愛しみ 」

この歌詞は、恋心を通して中島美嘉が「光」と「闇」を学んだということを意味しています。「愛しみ」とは「愛」であって「光」です。それに対して「痛み」とは「絶望」などの「闇」のことを意味します。中島美嘉は、恋愛を通して非常に多くの「光」の経験と「闇」の経験をしてきたはずです。そして、そういった経験を通して中島美嘉は「光」と「闇」について強く学んできました。

中島美嘉の魂は非常に「愛」が強い魂です。ですから、彼女が経験する「光」と「闇」というのは、「愛」に関連することであって、その多くは恋愛のことです。実際に中島美嘉が歌ってきた楽曲の多くは恋愛に関することですし、恋愛における「光」と「闇」を、中島美嘉は強く表現してくれてきました。そしてそのことは、我々が恋愛における「光」と「闇」を学ぶ上で非常に重要な資料となっています。

中島美嘉は元々とても「愛」という「光」が強い魂でした。しかし、15年間悪魔に襲われることを通して「闇」も抱えていきました。そして、これからは再び「愛」を強く取り戻していき、「光」に満ちていきます。深い「闇」を知っている魂ほど、「光」の価値を深く知る事ができますから、中島美嘉はこれからデビュー当時よりもはるかに強い「光」に向かって行きます。そして、その「光」→「闇」→「強い光」という全過程を歌を通して表現し、保存していくことになります。そういったことを行なう役割を中島美嘉は持っていますし、中島美嘉自身がそういった役割を引き受けています。

こういったことを中島美嘉が行なうことによって、人間が忘れてしまっている「光」と「闇」の関係性を我々は思い出していくことができます。そして、そのことによって、我々はより「幸せ」になっていけます。現代人は「幸せ」とは何かということを見失っているからこそ、多くの人が「幸せ」になりたいと思っていながらも、「幸せ」になることができていません。何故ならば、「光」と「闇」の関係性を見失っているからです。

例えば、「愛」が「光」であるのに対して、「欲望」は「闇」ですが、「欲望(闇)」と仲良くするならば人は「幸せ」になることはできません。何故ならば、「幸せ」とは「光」の方にあり、「幸せ」とは「愛(光)」の感情を抱いている時の我々の心の状態だからです。そして、「愛(光)」が我々にもたらす感情とは「喜び」です。ですから、「幸せ」とは「喜び」そのものとも言えます。実際、中島美嘉の歌の中には「愛が喜びをもたらす」という歌詞は多くありますし、中島美嘉の「嘉」という漢字がそのことを意味しています。「嘉」とは「喜びを加える」と書きますが、中島美嘉は「愛」の神である金星神と共に歌っているが故に、「愛」=「喜び」を我々に加えています。

中島美嘉のデビュー曲である『STARS』には「最後に大事なのは喜びを分け合える愛しさよ」という歌詞がありますが、これは金星神が我々に伝えたいことであって、「愛」が「喜び」をもたらすということを説明しています。

それに対して「欲望」が我々にもたらす感情とは「快楽」であって、「幸せ」ではありません。「愛」がもたらすものは「喜び」=「幸せ」であるのに対して、「欲望」がもたらすものは「快楽」です。今の人間は「光」と「闇」の関係性を忘れているが故に、「愛」と「欲望」のこういった構造が見えなくなっています。

「愛」とは「相手のため」という感情であるのに対して「欲望」とは「自分のため」という感情です。そして、「相手のため」と「自分のため」とは相反する感情であり、これが「光(相手のため:愛)」と「闇(自分のため:欲望)」の構造そのものです。我々は「自分のため」に生きることと「相手のため」に生きることのどちらかに寄っていきます。真に「自分のため」に生きていると「相手のため」に生きていくことが難しくなっていきます。それと全く同様に真に「相手のため」に生きていると「自分のため」に生きていくことが難しくなっていきます。このことは御自身の人生を振り返って頂ければ、経験として分かって頂けると思います。ただ、現代人はこういった構造を見失っているが故に、「欲望」と仲良くしても「愛」は維持されると誤解してしまいます。

中島美嘉の最近の曲である『SUPER WOMAN』の中には「愛を忘れたわけじゃない ただ必要な時以外は愛をやめただけなの I just wanna some fun」という歌詞がありますが、これは悪魔が我々に仕掛けたい罠であって、「欲望」を選んでも「愛」は保たれるという嘘です。

中島美嘉が金星神とも悪魔とも働くことによって、数多くの金星神が創った楽曲と悪魔が創った楽曲が録音という形で残っています。我々はその録音の中島美嘉の声と曲から、その当時中島美嘉が経験していた感情を感じる事ができるのであって、それは我々が「光」と「闇」のことを思い出すために非常に重要な方法となります。

中島美嘉は気持ちで歌う事、つまり「気」で歌うことが非常に得意な魂であって、悪魔に15年間強く襲われても「愛」を保つことができる魂だからこそ、今世の人生の役割を抱えて生きてきましたし、これまでその役割を見事に実践してきました。

 

「信じることだけが ただ信じることだけが  離れ離れの心達を繋ぎとめてくれるから  また会えるよ 」

この歌詞がこの歌の解説の中で最後に触れる歌詞になります。

ここで「信じること」という言葉がありますが、これは中島美嘉がこのHPに書いてあることや私のことを信じることを意味します。また、この「離れ離れの心達」というのは、中島美嘉と金星神のことを意味しています。ですから、この歌詞は「どうかJunを信じてほしい。そのことによって、私(金星神)と中島美嘉が再び逢える。また会えるよ」と金星神が中島美嘉に歌いかけている形になります。

中島美嘉と神々の仲介を行う役割を持っているのは私です。だからこそ、このHPには多くの中島美嘉についての文章を書いています。この曲は私を通して中島美嘉と金星神が再会するということを意味している歌なので、私について最後に説明しておきたいと思います。

私の文章はいつも根拠を書いています。ですからこのホームページに書いてある中島美嘉についての様々な文章を中島美嘉がよく読んで頂ければ、私が真実を書いていることは信じるのではなく、知って頂けると思っています。ただ、究極のところはやはり、信じるか疑うかというところになるのだと思います。

私のシャーマンとしての特徴とは、神々が私の体を使って完璧に言葉を話すことができるという点です。それぞれシャーマンの特徴は皆異なり、私のように完璧に神々が人間の体を使って言葉を話すことができるケースというのは非常に稀です。私の身体とはそういったことができるように設計されています。

逆に言うと、「めぐり逢い」という言葉が使われているのは、シャーマンのチャンネリングを通して中島美嘉と金星神が再び逢うということであって、そのシャーマンが完璧に自分の身体に金星神を宿し、金星神に言葉を話してもらうことができない限り、「めぐり逢い」は果たせません。そして、ほとんどのシャーマンにそのようなチャンネリングはできません。ですから、この「めぐり逢い」という言葉が私を通して中島美嘉が金星神と再会するということを意味しています。

私が神々とチャンネリングをしている時の録音は下のリンクから聴くことができるので、聴いてみて頂けると幸いです。私は男ですが、女の神様などが宿って話している時は私が女言葉を話しています。また、男の神々であっても、それぞれの話し方はかなり異なります。それぞれのレコーディングを少しずつ聴き比べて頂くことで、本当に神々が宿っていることについて確信を持って頂けると思っています。

http://junashikari.com/movie/チャンネリングシリーズを初めて聴く人のために/

また、録音はしていないのですが、私は度々金星神とチャンネリングを通してコミュニケーションを取ってきました。

中島美嘉が私のことを信じない限り、中島美嘉が再び金星神と共に働くことは難しくなってきます。何故ならば、中島美嘉が私のことを信じ、私に浄化を頼んでもらわないと、中島美嘉の身体の浄化ができず、浄化をしない限り中島美嘉が金星神と真に共に歌うということは難しいからです。中島美嘉の身体には大量の「闇の気」が宿っており、それは自力で浄化できる程のものではありません。

そして、金星神と真に共に働く上でもう1つの重要な要素は中島美嘉の耳の病を解決することです。耳が聴こえづらい状態で歌を歌うことは非常に大変なことです。ですから、耳を治すことは中島美嘉が歌を歌っていくことにおいて非常に重要な要素であって、耳を治すために必要なことも「闇の気」の浄化です。「病気」とは文字通り「病の気」によって起こるものであって、「病の気」とは「闇の気」のことです。私はシャーマン(気功師)であって、「気」を操ることができるからこそ、中島美嘉の耳の病の原因である「闇の気」を浄化し、中島美嘉の耳の病を治すことはできます。

私は一般的に言うと霊能力者と言われてしまうような立場の人間です。そして、多くの霊能力者は根拠がはっきりしないような話ばかりを話し、書いています。だからこそ、霊能力者自体が胡散臭い存在と思われているのが、現代の日本社会ですし、私自身、霊能力者は胡散臭いと思っています。ですから、自分を霊能力者とは呼びたくないと思いながら生きています。

私は自分は科学に近いことをやっている意識でシャーマンとして生きています。何故ならば、いつもこの世界の構造を明らかにするための根拠の部分を学んでいるからです。科学は測ることによって世界を明らかにしようとする立場に対して、「気」の観点は感じることによって世界を明らかにしようとする立場です。そして、両者に共通としてあるのは論理です。このホームページに書かれている中島美嘉の分析などは、ほとんど論理しか使っていません。何故ならば、論理は感じる事よりも根拠として分かりやすいからです。

私は中島美嘉の歌を聴くことを通して、中島美嘉が共に働いている金星神や悪魔を感じます。しかし、感じる能力が落ちてしまっている現代の人間に対して、「この楽曲の中島美嘉の声から金星神を感じます」と言っても伝わりません。しかし、歌詞の分析であれば、それは言葉の分析なので、論理の問題として処理できます。だからこそ、このホームページは中島美嘉の楽曲の歌詞やPVの表現を論理的に分析することばかりを行なっています。

しかし、多くの霊能力者とはこういった形で論理を使いません。そして根拠の無い話ばかりをしています。この態度はあまりにも間違っていますし、そういった霊能力者は基本的に悪魔と共に働いているシャーマン=闇のシャーマンです。悪魔はいつも我々を「闇」に落とそうと嘘を使います。そして、悪魔は霊能力者を使って様々な嘘を人間に広げていきます。

現代において、霊能力者自体が胡散臭く見えるのは、多くの霊能力者が悪魔と共に働く闇のシャーマンであるからです。現代において、光のシャーマンとは非常に稀です。だからこそ、日本人のほとんどが知っている中島美嘉という人間が明らかに金星神と繋がっていて、そして明らかに悪魔から襲われているにも関わらず、誰も中島美嘉を助けることができていない現状があります。

中島美嘉の『雪の華』を聴くだけで、本当の光のシャーマンであれば中島美嘉が金星神と繋がっていることは分かりますし、中島美嘉が耳管開放症という病を持ったというニュースが報じられれば、悪魔によってその病をもたらされたということが分かり、助けようとするはずです。しかし、実際は中島美嘉の病気を治す事ができておらず、この現状が今の日本社会に光のシャーマンが全くいないという実情を明らかにしています。

先程、自分は科学に近いことをやっている意識でシャーマンとして生きているという話を書きましたが、古代ギリシャの哲学者達は私の立場に非常に近いです。彼らは哲学と科学を分けて考えず、哲学者であり科学者でした。特にアリストテレスは私の立場と一番似ており、彼が「プシュケー」と言っているものは「気」のことです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アリストテレス

私は上智大学哲学科出身ですが、上智の哲学科とは古代ギリシャの哲学を日本一真面目に勉強している場所です。私は神々の導きによって、上智哲学に入っています。ただ、私が大学生だった頃、私は神々も悪魔も信じておらず、「気」=「プシュケー」のことも全く理解ができませんでした。何故ならば、教授達も「気」のことは全然分かっていなかったからです。シャーマンになって振り返ると、大学時代に学んだ古代哲学が「気」のことを意味しているのだと今になって分かるだけです。古代ギリシャの哲学者は現代においては哲学者としてみなされますが、彼らは本質的にはシャーマンでした。

上智哲学科の教授達は論理のスペシャリストですが、感じることについては全く未熟です。私は論理を学びに上智哲学科に入ったのであって、そこで学んだ論理の実践方法はこのホームページでも活かされています。

このホームページに書いている内容は古代哲学を学ぶことによって書いているのではなくて、神々とコミュニケーションを取る中で明らかにしていっていることです。古代哲学を勉強してもこのホームページに書いてあるようなことは学ぶことができません。何故ならば、彼らが本当に持っていた「気」=「プシュケー」に関する重要な文献は全て悪魔にコントロールされた人間によって燃やされたからです。

古代ギリシャは非常に優れた文明を築いていたということは歴史を学ぶと分かります。では、彼らが何故そのような優れた文明を築く事ができていたかというと、彼らが神々と共に生きていたからです。そして、何故彼らが神々と共に生きる事ができたかというと、彼らは「気」のことを知っていたからです。

一応、今のWikipediaにも「気」のことは書いていますが、現代を生きる人間にとって実感を伴って理解できるものではなくなってしまっています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/気

何故ならば、説明が不足しているからです。私はその説明の部分を補っている立場であって、中島美嘉という人間もその説明を補う1つの要素として歌を歌っています。「気」のことを理解することとは、感情について理解することと全く同じ事であるからです。中島美嘉は歌によって様々な感情を表現し、私はそういった様々な中島美嘉の声を説明するという役割を持っています。感情について詳しくはこちらの文章を読んで下さい。

http://junashikari.com/emotion/感情一覧(光・闇・中立)/

感情のことはこういった説明を読むだけでは伝わり切れません。しかし、感情が宿った声を聴くことを通して、つまり感じる事によって理解を進めることができます。だからこそ、中島美嘉とは非常に重要な人間なのであって、私は中島美嘉を支えながら、私が中島美嘉の歌に支えられながら、共に「光」を実践してほしいと神々は願っています。

我々が古代ギリシャの人間達のように再び神々と共に生きることを可能にするために必要なのが「気」に関する知識です。そういった知識を残すために生きているのが中島美嘉や私になります。そして、我々人間は「気」の知識を使い、神々と共に生きる事によって、この星の「光」を増やす事を強く行なえるようになります。

そのための方法として、神々は中島美嘉の歴史に様々な奇跡を残してくれています。根拠の無い話は疑うことができます。しかし、明確にそこに根拠があれば、明らかにそれが神々からの人間に対するメッセージであるということを知る事ができます。私は根拠のある話しか書きません。何故ならば、真実であれば絶対にどこかに根拠があるからです。多くの霊能力者は「嘘」を悪魔によってつかされ、根拠の無い話ばかりを行なっています。しかし、そういった霊能力者とは全く立場が異なるという事を分かって頂けると幸いです。

悪魔は本当のことを言いたがりません。何故ならば、本当のことを言うと人間を「コントロール」しづらくなるからです。
神々は本当のことを言いたいと思います。何故ならば、我々人間に「導き」を行ないたいと思っているからです。

「闇」のシャーマンとは悪魔と共に働いている霊能力者のことであって、現代の霊能力者のほとんどが闇のシャーマンです。だからこそ、現代の霊能力者のほとんどが、悪魔によって根拠のない話ばかりをさせられています。つまり、「嘘」ばかりをつかされています。なぜならば、「嘘」が広がると悪魔はより人間を「コントロール」しやすくなるからです。

「光」のシャーマンとは神々と共に働いている霊能力者のことであって、現代において非常に稀な存在です。だからこそ、現代の霊能力者のほとんどが「気」のことを構造的にまとめていません。もし光のシャーマンがいたのならば、「気」のことを構造的にまとめるはずです。なぜならば、「真実」が広がると神々はより人間に「導き」を行ないやすくなるからです。

私は「光」のシャーマンであるからこそ、「気」のことを徹底的にまとめていますし、中島美嘉の重要性も知っています。このホームページに書いてある内容をよく読んで頂ければ、中島美嘉の重要性とは分かって頂けると思います。しかし、ほとんどの霊能力者が中島美嘉の重要性を知りません。

こういったことから逆に、私が「光」のシャーマンであることや一般に霊能力者と言われる人達とは立場が違うことを理解して頂けると幸いです。