中島美嘉の『初恋』について解説を書きます。この曲は2012年12月5日に発表された中島美嘉の曲であって、非常に重要な意味を持っています。

この曲とPVは金星神が創り、中島美嘉は金星神と共にこの曲を歌っています。ここでは、金星神がどのような意味をこの歌に込めたのかを書いていきます。歌はその歌の持つ感情を経験することが重要なので、上のYouTubeやダウンロードした曲を繰り返し聴いて頂きながら、この解説を読んで頂ければ、と思います。

ここでは、『初恋』という曲の持つ意味を大雑把に説明し、その上で1つ1つの歌詞の解説を書き、PVの解説を書いていきます。あと、まだ『中島美嘉について』を読まれていない方はこちらから先に読まれて下さい。こちらの文章が前提となります。

・中島美嘉について
http://junashikari.com/art/中島美嘉について/

この歌は、金星神が創っていますが、金星神からの中島美嘉に対する語りかけの曲です。男女の恋愛の側面もありますが、そのことと掛けて、金星神と中島美嘉の関係性が表現されています。そして、金星神がこの曲において大事にしたかったのは、男女の恋愛の側面よりも金星神の中島美嘉に対する想いです。

『初恋』というタイトルの割には、歌詞の内容が大人びているとも言えます。初めての恋は、基本的に色々な失敗をするものです。なぜならば、それが初めてだからです。自分本位になってしまったり、相手に対する「思いやり」が欠けていたり、といった形で、気持ちの持ち方を誤ってしまいがちです。しかし、この詩は「初恋」であるはずなのに、相手に対する「愛」や「思いやり」に満ちています。何故ならば、初恋という面よりも、金星神の中島美嘉に対する想いを金星神はこの曲を通して伝えたかったからです。

作詞の段階において、神々は人間がどのような言葉を選ぶかということに関して、かなり関与ができます。詩を書いたことがある方は分かると思いますが、作詞者が詩の言葉選びをする時、その感覚は言葉のアイデアが降ってくる感覚です。これは文章を書く過程も似ています。そういった関与がうまくいくと、作詞者の意向とは異なる別の意味を詩に持たせることができます。この『初恋』という曲はそのような関与によって、金星神によって創られた曲であって、だからこそ、二重の意味が込められています。

PVも金星神と中島美嘉の二人が登場する形で、金星神が中島美嘉に語りかけている形となっています。そのように映像を鑑賞すると、それぞれの歌詞の意味と映像があまりにも一致することがよく分かります。このことからも「この曲が金星神からの中島美嘉に対する語りかけである」ということについて、納得がいくようになります。金星神としては、そういった根拠を残すために、このPV制作にも強く関与しています。

YouTubeに上がっているものは映画が重なっているバージョンですが、中島美嘉の映像だけで構成されているPVもあり、そちらが本当のPVです。ここでは、その中島美嘉だけのバージョンの解説を書いています。)

中島美嘉の顔は金星神ととても似ています。だからこそ、中島美嘉のPVに金星神はかなりの頻度で描かれています。このPVの金星神は、中島美嘉のPVの中で登場する金星神の姿の中で、本物の金星神の姿に最も近い姿をしています。金星神は目も髪も金色で(金星神の髪はロングです)、このメイクの感じも実際の金星神と近く(金星神は化粧はしません)、着ている服の形も近い(金星神の着ている服の色は青ではなく、身体には羽も付いています)です。ですから、このPVを見ることを通して、我々は金星神の姿を見ることができます。神々は普通見えませんから、ある神様の姿を映像で確認できることにはとても意義があります。我々が「金星神とはこういう方」というイメージを抱くことができるからです。映像は我々にイメージを与えるという1つの大きな力がありますが、こういった形で、ある神様のイメージをシェアすることができるということは、とても貴重なことです。

そして、このPVにはそれらの要素と合わせて、金星からの「金の気」が再び降り注ぎ始めたということが映像に表現されています。映像後半より、「金の気」が降り注ぎ始めます。金星神とは地球に「金の気」を降り注いでいる神様だからこそ、金星神という名前を持っています。2012年12月より金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたという話は、私だけに限らず様々なシャーマン、気功師、能力者が言っていることです。どうして多くの人が言っているかというと、実際に地球に降り注いでいるため、霊感の高い方はそれをよく感じることができるからです。2000年以上降り注がなかった金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたことについては、こちらに詳しく書いております。

http://junashikari.com/energy/2012年12月より金星の気が降り注ぎ始めたことについ/

だからこそ、この歌のタイトルは『初恋』になります。この『初恋』というタイトルの意味は、所謂「初恋」ではなくて、「初めて金星神が恋に関与する」という意味が込められています。「金の気」とは「愛の気」であって、「愛」の原因となる「気」です。そして、金星神は太陽系においても最も偉大な「金の気」の神様であって、言い換えると太陽系一の「愛の女神」です。だから、彼女が地球上の恋愛を支えています。そして、その金星神からの「金の気」が降り注ぎ始めるということは、これから金星神が人間に関与しやすくなるということを意味しています。金星神が様々な恋愛をこれから引き起こすであろうこと、そういう意味が『初恋』というタイトルに込められています。もちろん、金星神は初めて恋に関与するわけではありませんが、我々が生きている間に、金星から降り注ぐ「金の気」によって恋に関与することは初めてになります。そういった意味がタイトルには込められています。(ちなみに、金星神は恋愛だけでなく、友愛、家族愛も支えています。)

また、この『初恋』が発売となったのは、2012年12月5日です。金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたのは2012年12月であって、この時期の一致は偶然ではなく、神々が引き起こした時期の一致になります。

この曲は中島美嘉自身にとって大変重要な曲になります。何故ならば、最初から最後まで、金星神が中島美嘉に対して自分の想いを歌っているからです。また、我々はこの曲を通して金星神の中島美嘉に対する想いを理解することができます。そしてこの映像は、金星からの「金の気」が降り注ぎ始めた新しい時代の始まりを象徴する映像として、そして金星神を見ることができる映像として、人類がこれからずっと残していかなければいけない映像です。

以下、歌詞とPVの解説を書きます。

 

【歌詞について】

寂しくないですか?
凍えてないですか?
ボクの祈りは君のもとへ
届いてますか?

辛い時はいつも
君を想っているんだよ
この胸の中、ひとつになって
感じることで
踏み出せたんだよ

愛情って 繋がってるんだね
愛情って 消えないんだね

ありがとう ごめんね
ありがとう サヨナラ
ずっと 君のものだよ
いつも側にいるよ
その手が凍えてしまわない様に
何度でもボクは
君の名前を
つぶやいて 歩いているよ

ボクは気づいていたよ
君が想っていること
心のどこかでボクが
君を苦しめていることも

大丈夫 分かっているよ
大丈夫 許しているよ

ありがとう ごめんね
ありがとう サヨナラ
いつか 逢いに行くよ
背負うのではなく 支える力に
なりたいだけだよ
その手離してもいいよ
進んでもいいよ
遠くから 見守っているよ

最初からやり直せればいいのに
きっと交わることはないんだね

ありがとう ごめんね
ありがとう サヨナラ
ずっと 好きだったんだよ
この夜を超えて
ボクらの想いが繋ってるなら…
「君を感じてる」
ただそれだけで
強くなれた気がしたよ

強くなれた気がしたよ
 

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「寂しくないですか?  凍えてないですか?」

これは金星神からの中島美嘉への問いかけの言葉です。「寂しくないですか?」「凍えてないですか?」と言っているのは、中島美嘉が悪魔に襲われていることを踏まえての言葉であって、金星神が中島美嘉に「大丈夫?」と優しく声をかけていることを意味します。悪魔に襲われると感情が乱れたり、非常に辛いことを経験することになっていきます。そういった意味が、この歌詞には込められています。

ここで、どうして「寂しい」そして「凍える」という言葉が使われているかというと、悪魔がある人間を攻撃するとき、その周りの人間を使って、そのターゲットの人間を攻撃するからです。つまり中島美嘉はどのように悪魔に襲われるかというと、直接悪魔に襲われることによって感情が堕ちたりするだけではなく、まわりの人間から酷いことをされるという方法を使われながら悪魔に襲われます。そしてそういった酷いことの一つの方法が中島美嘉の人間関係をとことん壊していくことです。

たとえば、大事な友人や大事な恋人との関係性を悪魔は徹底的に乱します。なぜならば、大事な人との関係性が崩れていくことは本人にとってとても辛いことであり、そういった辛いことを経験していくと、「絶望」といった「闇」に堕ちていきやすくなるからです。悪魔はその本人を「闇」に落とすためにそういうことを行っていきます。

そして、そういうことが起こると本人の人間関係は失われていくので、一人になっていきます。だからこそここで「寂しくないですか?」という言葉がかけられています。そしてあまりにもそういった人間関係のトラブルが続いていくと、人間関係事態が嫌になっていきます。そして悪魔としては、そういったことを狙って、人間関係を崩していきます。なぜならば、中島美嘉は元々強い「愛」を抱えた魂でありますが、「愛」とは、他者がそこにいなければ、基本的に使うことができない感情だからです。ですから、中島美嘉はさまざまな形の最悪な人間関係のトラブルを多々経験しています。それは本人が、誰にも言っていないようなことさえも含まれます。ただ神々は当然すべてを知っています。そういったすべてのことを理解した上で、なんとか中島美嘉を助けたいと思っている金星神の気持ちが、この冒頭の「寂しくないですか?凍えてないですか?」という歌詞の意味です。

参考にしてほしいのですが、悪魔が人間をどのように襲うかということを表現した映画が『4分間のピアニスト』『ブラックスワン』です。『4分間のピアニスト』『ブラックスワン』の解説については別で書きます。中島美嘉自身『4分間のピアニスト』と『ブラックスワン』が好きですが、それはこれらの映画の主人公と同じことを中島美嘉は経験しているからこそ、中島美嘉は神々によって『4分間のピアニスト』『ブラックスワン』を好きにさせられている形になります。神々は我々が何を好きかということに関与できます。

http://www.vogue.co.jp/celebrity/interview/2014-02-mika-nakashima/page/2#moveto

これらの映画の意味が分かると悪魔がどのように周りの人間を使ってターゲットの人間を「闇」に落としていくのかがよく分かるようになります。そういった意味を中島美嘉自身が理解すると、自分が悪魔にどのように襲われてきたのかということを理解することができます。ただ、映画はたった二時間であるのに対して、中島美嘉の悪魔に強く襲われ続けたのは15年です。ですから、短いスパンとしては『4分間のピアニスト』『ブラックスワン』程に酷い経験はしていないにしても、15年間の中で中島美嘉はこの2つの映画の主人公と同じ程度の最悪な経験をしています。

(また実際は、この15年の前の小中学の頃から中島美嘉は悪魔から狙われています。それは悪魔が中島美嘉の周囲の子供達を使ってイジメを中島美嘉にさせている形になります。)

 

「ボクの祈りは君のもとへ 届いてますか?」

ボク(金星神)は「光の気」を中島美嘉に送っていて、それが「届いてますか?」と問いかけている形になります。「祈り」とは「気」を送る行為です。どうして「届いていますか?」と言っているかというと、金星神は中島美嘉に自分からの「光の気」を受け取ってほしいと思っているからです。それを受け取ってくれれば、中島美嘉がより「幸せ」になれるからです。「光の気」を受け取るためには、その「気」に「共感」をしないといけません。例えば、金星神が中島美嘉に「金の気」を送る時、中島美嘉はその「金の気」に「共感」しないと、つまり「愛」の感情を抱かないと、「金の気」を受け取ることができません。悪魔に襲われると、「愛」の感情を抱きにくくなってきます。そのことを通して、中島美嘉は金星神からの「金の気」を受け取りにくくなり、金星神は中島美嘉に「気」を与えにくくなっていきます。そういったことを踏まえて、ここではこの詞が置かれています。祈りについてはこちらに詳しく書いています。

http://junashikari.com/energy/祈りについて/

 

「辛い時はいつも 君を想っているんだよ」

この歌詞はわざと主語が書かれていません。普通に考えると「私が辛い時はいつも、君(愛する人)を想っているんだよ」という恋愛の場面のことを思い描きますが、金星神が伝えたかったことはそうことではなく、「(中島美嘉が)辛い時はいつも、(金星神は)君(中島美嘉)を想っているんだよ」ということだったからです。PVを見るとよく分かるのですが、この歌詞が歌われる時、金星神が泣いている中島美嘉に向けて語りかけているような形で描かれます。それは金星神がこの言葉の構造を伝えたかったからになります。

 

「この胸の中、ひとつになって 感じることで 踏み出せたんだよ」

「胸の中、ひとつになって感じることで」とは、上に書いた「共感」のことを意味します。金星神からの「光の気」を受け取るためには、中島美嘉がその「光の気」に「共感」しなければなりません。その「共感」の過程は、中島美嘉と金星神が同じ気持ちを抱くということであって、そのことを「この胸の中、ひとつになって 感じること」という詞で表現しています。そして、もし金星神からの「光の気」を受け取ると、「愛」や「元気」や「勇気」などの感情を抱いたり、自分が進むべき方向が分かったりするので、「踏み出す」ことができるようになります。

 

「愛情って 繋がってるんだね」
「愛情って 消えないんだね」

この「繋がってるんだね」とは「縁」のことを意味します。中島美嘉と金星神は「縁」で繋がっていますが、そのことを金星神は中島美嘉に知ってほしいと思っているからこそ、ここで「愛情って繋がってるんだね」と歌っています。また、「愛情って消えないんだね」とは「金の気」が消えないことを意味します。例えば、我々が誰かと愛し合う時、その相手からもらった「金の気」は魂に刻まれ、魂に永遠に残っていくことができます。中島美嘉と金星神は「縁」で繋がっているので、金星神は中島美嘉に「金の気」を送ります。その「金の気」が中島美嘉の魂の中に残っていることを知ってほしいという金星神の願いが込められています。「縁」についてはこちらに書いています。

http://junashikari.com/energy/縁について/

 

「ありがとう ごめんね ありがとう サヨナラ」

これらの言葉は全て金星神からの中島美嘉に対する言葉です。「ありがとう」とは、今まで共に生きてくれたこと、共に歌ってくれたこと、この役割を選んでくれたことなど、様々なことに対する意味での「ありがとう」。「ごめんね」とは、悪魔に襲われたことで様々な苦悩を経験させてしまったことに対する金星神の気持ち。そして、この「サヨナラ」という言葉のことを理解するためにはかなり説明が必要となります。少し『初恋』の解説から外れる部分もありますが、大切な話なので理解して頂ければ、と思います。

中島美嘉は、今回生まれ変わる時に、この星のために悪魔に襲われることを自ら選んだ魂であることは『中島美嘉について』などで書いてきました。そして、実際に中島美嘉はデビューして以来、強く悪魔に襲われ、非常に苦しい日々を生きてきました。その大きな苦悩の1つが彼女が患っている耳の病気でもあります。中島美嘉が経験してきたことは本当に地獄のような経験であって、神々と悪魔の闘いとしては、悪魔の圧勝とも言える状況でした。

神々と悪魔の闘いとは、見方によっては人間の「取り合い」にも見えます。神々は、その人間のためにその人間を「光」へ導こうとし、その人間を守ろうとします。悪魔としては、その悪魔自身のために人間を「闇」に落とし、自分のおもちゃにします。神々からすると、これは「取り合い」ではなく、悪魔からその人間を守っています。悪魔からすると、これは「取り合い」であり、神々からその人間を奪っています。それを一歩引いて見るならば、両者は取り合っているように見えます。

ですから、この金星神の「サヨナラ」という言葉は一見、「もう中島美嘉を守ることができない」ということを意味する言葉のように見えます。しかし実際は、悪魔にそのように見せるために金星神が付いた「嘘」です。金星神は本当は「サヨナラ」など思っておらず、中島美嘉をいつか必ず助けると心に決めながら生きてきました。しかし、ここで「サヨナラ」と「嘘」をついておけば、悪魔を少し油断をさせることに繋がります。油断させるならば、中島美嘉に対する悪魔の攻撃が減ります。そういった意味で、この「サヨナラ」とは中島美嘉のために金星神が付いた「嘘」です。

また、神々が中島美嘉を悪魔の攻撃から救うために必要だったのは、人間のシャーマンでした。神々は物理的存在ではないので、中島美嘉に直接話しかけることもできません。しかし、人間ならできます。神々と共に働くシャーマンは力を持った存在ですから、中島美嘉を治療したり、中島美嘉に重要な情報を伝えたり、守ることができます。(神々と共に働くシャーマンを、光のシャーマンと言います。)

だからこそ、悪魔としては、光のシャーマンが生まれないためにずっと光のシャーマン狩りを行なってきました。そういった光のシャーマン狩りにあった人間の一部が、統合失調症患者と呼ばれる人達です。悪魔に襲われると大量の「闇の気」を悪魔から入れられるので、その「闇の気」によって、感情を自分で制御できなくなります。昔は「統合失調症」は「狐憑き」と呼ばれていました。「狐」とは「悪魔」のことを意味します。だから、統合失調症という病は悪魔(悪霊)に襲われることによって起こっている病であることは昔の人間は知っていたのですが、今はそういったことを忘れてしまっています。

統合失調症という病が西洋医学において、原因不明の病、いい加減な形で発症理由を言っている病であることはこの機会に理解して頂ければ、と思います。精神科医の自殺率が非常に高いことも、ありとあらゆる精神疾患の原因が悪魔であることの1つの根拠でもあります。精神科医という職業はありとあらゆる悪魔に取り憑かれた人間と会う職業です。だからこそ、精神科医も悪魔に取り憑かれやすくなります。精神科医の自殺率が高いことは、彼らが悪魔に殺されているからです。そういった理由で、精神におけるプロフェッショナルであるはずの精神科医が精神を病んでしまっています。これは非常に奇妙な構造です。

我々人間にとって、自殺とはその本人の意志のみで成立することだと思われていますが、悪魔は我々の感情に「気」で強く関与できます。だから、悪魔は我々人間に、自殺をしたい気分を与えることはでき、実際、多くの自殺は悪魔によって引き起こされています。先程、悪魔が引き起こす光のシャーマン狩りにあった人間の一部が統合失調症患者と書きましたが、光のシャーマン狩りにあった人間の中には自殺する人間も多くいます。

神々としては、中島美嘉を救うことができるだけの力を持った光のシャーマンを用意することが必要でした。そして、そのために全力を尽くして来ました。だから、ここで金星神が付いた「嘘」とは、そういった光のシャーマンを用意するために付いた嘘でもあります。何故ならば、ここで「サヨナラ」と「嘘」を付いておけば、悪魔としては、「もう中島美嘉を助ける役割のシャーマンはダメになったのかな?」と少し思うからです。悪魔はたくさんいます。だから、この「嘘」は確実に悪魔の一部には有効に働いています。

そして、中島美嘉を助けるために用意されたシャーマンが私です。だから、この嘘は私が光のシャーマン狩りに遭わないようにするために金星神が付いた嘘でもあります。つまり、この「嘘」は中島美嘉のためでもあり、私のためでもあり、この星全体のためでもあります。何故ならば、中島美嘉がこれから悪魔の攻撃から救われ、「光」の方向性で強く動き始めると、日本全体にいい影響を与えることに繋がるからです。だからこそ、金星神は中島美嘉とこの星のためにこの「サヨナラ」という嘘を付いています。

この嘘を付いたところで、人間はこの歌が金星神の中島美嘉に対する想いの歌であることに気付かないので、中島美嘉自身がこの「嘘」によって傷付くこともありません。だから、金星神としてはこの「嘘」は簡単に付くことができた「嘘」でした。そして、私は実際、光のシャーマン狩りに遭っていないので、この「嘘」は良かったと言えます。もちろん、仮にこの「嘘」が無い場合に、私が光のシャーマン狩りに遭っていたかどうかは分かり得ませんが、ここまで来られたのも、こういった解説を書いているところまで辿り着くことができたのも、神々の努力のおかげであって、その1つがこの「嘘」です。

「嘘」は全てが悪いものではありません。自分のために付く「嘘」は悪しきものであって、「闇の嘘」です。それに対して、誰かのために付く「嘘」もあります。そして、金星神のこういった「嘘」とはそういった「嘘」であって、「光の嘘」です。この曲には、他にもこのような「光の嘘」があります。そういった「光の嘘」についても学んでほしいという気持ちが金星神には少しあるのだと思います。しかし、そういった教訓を我々に与えることよりも圧倒的に強い気持ちで、なんとか中島美嘉を守りたいという気持ちで付いた「嘘」がこの「光の嘘」になります。

 

「ずっと 君のものだよ いつも側にいるよ」

「ずっと君のものだよ」というのは、金星神はこれからもずっと中島美嘉と共に生きていくということを願っていることを意味しています。「いつも側にいるよ」というのは本当にその通りで、金星神は中島美嘉が生まれてから今に至るまで、ずっといつも中島美嘉を見ていて、「気」を送ることを通して支えているということ。そして、これからもずっとそうしていたいということを意味します。

「側にいる」という言葉は中島美嘉の歌において、非常に重要な意味を持っています。『A MIRACLE FOR YOU』の中で、「この魂声(こえ)届けて側にいる」という歌詞がありますが、この「側にいる」という言葉の意味は、金星神が我々に「金の気」を与えるという意味です。そのことについては『A MIRACLE FOR YOU』の解説の中で書いてありますので、こちらの方を読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『a-miracle-for-you』について/

このような形で、中島美嘉の楽曲とは、一つの曲の歌詞の意味を理解するために、他の歌のその言葉の使われ方を分析することで意味を特定することができることもあります。特に『A MIRACLE FOR YOU』も、この『初恋』という曲も金星神が作った曲なので、そういった同じ言葉の使い方に関しては、金星神が非常に慎重に言葉選びを行っています。

この『初恋』の作詞者である三橋隆幸は『A MIRACLE FOR YOU』の歌詞を見て、この「側にいるよ」という言葉を使ったどうか分かりませんが、いずれにしても神々が三橋隆幸にそういった言葉をアイデアとして気を使って落としています。ですから、本当に歌詞の解釈を厳密にするのであれば、作詞者の意図と神々が伝えたかったことのギャップを知るために、その作詞者にどうしてその言葉を置いたのかという質問をしていくべきです。そしてどうしてその言葉を置いたのかということを我々はその作詞者から聞くことによって、神々が一体どのような導きを使って、神々が歌に使ってほしい言葉を選ばせていったのかというプロセスがよく分かります。

これは三橋隆幸の作詞の場面で実際に起こったことではないと思いますが、例えば神々はこういったことを行ないます。ここで「いつも側にいるよ」という言葉を置かせるために、三橋隆幸の周りの人間を使って、例えば三橋隆幸の恋人を使って、その恋人に「いつも側にいるよ」と三橋隆幸に言わせたりします。そうすると、三橋隆幸としてはとても嬉しい気持ちになりますし、その言葉も頭によく残ります。そしてそういった言葉が頭にあれば、神々がこの歌に書かせやすくなります。このようなことを行うことによって、神々が置いてほしい言葉を、我々人間に与えています。我々は詞に使う言葉を急に作ることはできません。だからどこか頭のなかにあるものを使うしかありません。だからこそ頭の中とは言ってみれば「引き出し」であって、その引き出しの中身を神々は整えることによって、詞に使ってほしい言葉のストックを溜めていきます。

実際、中島美嘉は『FIND THE WAY』の歌詞を書く時に、お母さんから言われた一言を使っています。それは神々が中島美嘉のお母さんに、その言葉を言ってもらったからです。なぜならば、中島美嘉にその歌詞を使ってもらいたかったからです。ではどうして中島美嘉のお母さんが、その一言を言えたかというと、中島美嘉のお母さんは非常に良い人だからです。つまり、「光の気」に満ちている人だからです。「光の気」とは神々からの「気」のことを意味します。神々としては、なぜ中島美嘉の魂を今の中島美嘉のお母さんのお腹の子に宿したかというと、中島美嘉のお母さんはとても清い方だからです。中島美嘉が悪魔に襲われているのであれば、確実にお母さんも悪魔に襲われます。なぜならば、冒頭に書いたとおり、身近な人を使って悪魔は中島美嘉を攻撃するからです。しかし、中島美嘉のお母さんはそれでも清さを保っているのだと思います。そして、お母さんは、中島美嘉に「『FIND THE WAY』は本当にいい曲だよね」と言ったことがあります。そのことを受けて中島美嘉はどう思ったかというと「やっぱり想いは伝わるものなんだな」と思ったと中島美嘉は言います。

このお母さんが『FIND THE WAY』を好きだということも、一つの重要な意味を持っています。お母さんは、「光の気」に満ちている人だから何を好きになるかということに関して、神々が関与できます。「光の気」が入っていると、神々がその人間の何が好きかということに、関与することができるからです。もちろん神々はいつもそれをやっているわけではありません。ただ肝心なところは、そのようにして人間の何が好きかという部分に関与します。なぜならば、そこに重要なメッセージを込めているからです。どうして神々がお母さんに『FIND THE WAY』を好きにさせ、なおかつ中島美嘉にそれを言わせたかというと『FIND THE WAY』という曲は、非常に重要な意味を持っているからです。そしてそういった重要な意味を持った曲を作りたかったからこそ、神々はお母さんに『FIND THE WAY』の歌詞の基になる言葉を言ってもらい、その歌詞を中島美嘉に使ってもらっています。

このような形で分析をしていると、神々が我々に何を伝えたいのかということは、我々が過去の出来事を色々と考えることで明らかにすることができます。我々が「偶然」だと思っていることの多くは、神々が起こしている「奇跡」です。この『FIND THE WAY』において、中島美嘉と中島美嘉のお母さんの間で起きた出来事も、神々が起こした「奇跡」の一つになります。そういった中島美嘉に今までに起こった「奇跡」をこれから中島美嘉は知っていく必要があります。なぜならば、そのことを通して、どのように生きれば神々と共に生きることに繋がるのかということを中島美嘉自身が学び、そのことで中島美嘉自身が「幸せ」になり、中島美嘉は神々と共に働きやすくなるからです。そして、そのことは日本全体にとてもいい影響を与えていきます。

 

「その手が凍えてしまわない様に」
「何度でもボクは」
「君の名前を」
「つぶやいて 歩いているよ」

この言葉は、金星神がどのような形で中島美嘉を支えているかを表している言葉です。中島美嘉が大変な状況の時にいつも支えたくてしょうがないということ、いつも中島美嘉のことを想っていることが「君の名前をつぶやいて歩いているよ」という言葉に表れています。

ここで「何度でもボクは 君の名前を つぶやいて 歩いているよ」という言葉に意味されていることは、「気」を使って話しかけているということを意味しています。それを「何度でも」と書いているのは、「いつも」ということです。ですから中島美嘉が本当に闇に落ちてしまわないように、金星神は「気」を使って中島美嘉に話しかけることで、中島美嘉を支えてきました。それが、中島美嘉にとっては、自分の中に起こる感情だったり「アイデア」のことです。なぜならばそういった「アイデア」や「感情」は、金星神がもたらしているからです。「気」と「アイデア」の関係性についてはこちらを読んで下さい。

http://junashikari.com/energy/アイデアと気(エネルギー)について/

そして悪魔達は、悪い「感情」や悪い「アイデア」を中島美嘉にもたらしています。では一体、そのどちらを選ぶかということに関しては、中島美嘉がいつも行っています。中島美嘉は、操り人形のようにされてわけではなくて、ただいつも悪魔と神々から「感情」と「アイデア」の選択肢を与えられ続けているという状況をずっと生きています。そしてその中で、自分がいつも「光」と「闇」のどちらかを選びながら生きています。

余談ですが、「名前を呼ぶ」ということは魂が別の魂に「気」を強く送るための1つの術です。この「名前を呼ぶ」ということに関しては『見えない星』においても歌詞に描かれています。『見えない星』については、こちらに書いています。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『見えない星』について/

 

「ボクは気づいていたよ」
「君が想っていること」

この「ボク」とは、金星神のことです。そして「君」とは中島美嘉のことです。ですからここで意味されるのは、中島美嘉が神様に対して、感謝していたり、大事に思っていることを意味しています。金星神は中島美嘉のすべてを見ることができます。ですから、中島美嘉が神様のことを大事に思っていることは、当然いつも見ています。「そのことは分かっているよ」ということを伝えたいが故に、ここではこの歌詞が置かれています。

 

「心のどこかでボクが」
「君を苦しめていることも」

この「ボク」も金星神のことであり、「君」とは中島美嘉のことです。中島美嘉が苦しんでいるのは、その役割の大きさが故です。そしてその役割とは、一つは、悪魔に襲われ続けるという役割であり、もう一つは金星神と共に歌を歌うということです。ですから金星神としては、中島美嘉は自分と繋がっているが故に、悪魔に襲われて苦しんでいるということを彼女はいつも知っています。そういった意味で、「ボクが君を苦しめていることも」という歌詞がここでは置かれています。

 

「大丈夫 分かっているよ」
「大丈夫 許しているよ」

中島美嘉が周りの人間や日本人全体に理解してもらえなくても、「私(金星神)は全て分かっているよ」ということ。そして、中島美嘉が犯した全ての過ちも「許しているよ」ということ。この「許しているよ」という言葉の背景には「あなた(中島美嘉)が犯した過ちのほとんどは悪魔にやらされていただけなのよ」という意味も含まれています。悪魔に襲われると、悪いこと(例えば人を傷付けるようなこと)を悪魔によってやらされるからです。そういう意味も込めて、「分かっているよ」「許しているよ」と金星神が言っている形になります。「どうか自分を責めたりしないで。役割の大きさ故に起こったことだから」という意味も込められています。

中島美嘉の今の状況というのは、周りの人間からは絶対に理解されません。彼女がどんな苦労をして、どんな思いをして、そしてどんな戦いをしながら生きているのかは人間には理解できません。なぜならば、人間は神々や悪魔のことは忘れていて、「気」のことを忘れているからです。しかし中島美嘉は、神々と悪魔の「気」の中で闘いながら、苦しみながら生きています。

周りの人間から理解されないという状態は、非常に苦しいものです。そして中島美嘉自身、自分が一体何を経験してきたのかということを確かには分かっていません。とにかくここで、金星神が大丈夫分かっているよという歌詞に込めた言葉は、「私は全てを見てきて、私はあなたの苦労や、あなたが行ってきたことを、そしていかに素晴らしい人間なのか、ということを分かっているよ」と伝えたい形になります。

特に、金星神が一番思っていることは、中島美嘉が自分でこの15年間悪魔に襲われ続けるという役割を選んだことについてです。中島美嘉の魂は、今回生まれ変わる前に、少し「闇」を持っていたが故に、悪魔に襲われるのであれば闇に落ちてしまうということは、神々も中島美嘉自身も知っていました。それを分かっていて、中島美嘉が地球のために今回の役割を選んで、それをずっと引き受けているということは、神々からすると、とてつもない感謝の気持ちです。

先程も書きましたが、悪魔に襲われると非常に酷いことを他者にしてしまったりしまいます。なぜならば、悪魔によってそれをやらされるからです。そして、中島美嘉自身、振り返った時に、自分に対して「罪悪感」を抱いたりします。なぜならば、その「罪悪感」さえも悪魔たちが引き起こすからです。ただそういった罪を、神々が許しているよということが、この「許しているよ」という言葉に込められています。なぜならば、そういった罪を犯すことが分かっていて、神々がその役割を中島美嘉に与えているからです。

この「大丈夫 分かっているよ 大丈夫 許しているよ」という歌詞には、このような意味が込められています。一つは「中島美嘉のすべてを分かっているよ」ということであって、もう一つは「中島美嘉の犯した罪は許しているよ」ということです。そしてこれはどうして中島美嘉に言いたいかというと、中島美嘉に安心してほしいからであって、自分を責めないで欲しいからです。中島美嘉は自分を責めるどころか、非常に価値のあることを今までやってきています。だからこそ自分を責めたり、苦しまないでほしいという金星神の想いが、この言葉に込められています。

 

「ありがとう ごめんね」
「ありがとう サヨナラ」
「いつか 逢いに行くよ」

この「ありがとう ごめんね ありがとう サヨナラ」という言葉の意味に関しては、前に説明しました。そして、この「いつか 逢いに行くよ」の言葉の意味ですが、これは二種類に解釈できます。一つは中島美嘉が死んだ時に逢いに行くという解釈です。生きながらにして我々は神々に逢うことはできません。しかし死ねば神々に逢うことはできます。だからこそ、この「いつか 逢いに行くよ」という言葉の一つ目の解釈は、中島美嘉が死んだ時に金星神と逢うということです。そしてもう一つの解釈は、シャーマンを通して、中島美嘉に逢いに行くということです。シャーマンはチャンネリングができます。ですからシャーマンに金星神が宿ってその金星神と中島美嘉は話すことができます。そういった意味が二つ目の解釈です。

先ほどの「光の嘘」と同様に、この言葉は一方では「嘘」であり、一方では「本当」です。なぜならば二つの解釈ができる歌詞だからです。そしてこの「嘘」は悪魔に対して向けられたものです。もし悪魔が、中島美嘉が死んだ後に金星神と逢うという解釈をしたならば、この歌詞の一行はどういうことを意味するかというと、もうすでに中島美嘉を助けるべきシャーマンは、もうその役割をできなくなったということを意味します。そして、もしそのように悪魔たちが解釈するのであれば、油断をします。だからこそ、こういった二重の意味がとれるような歌詞を金星神はここに置きました。そして金星神としては、本当にこの歌詞で意味したかったのは、シャーマンを通して金星神が中島美嘉に逢いに行くということです。そういった中島美嘉に対するメッセージをこの「いつか 逢いに行くよ」という言葉に込めています。

 

「背負うのではなく 支える力に」
「なりたいだけだよ」

ここで金星神が伝えたいのは、中島美嘉は金星神にとって、背負っている荷物ではなくて、純粋に金星神が中島美嘉を支えたいと思うからこそ、ずっと支えてきたということを意味します。「背負う」という言葉には、しょうがないとか「嫌悪」といった気持ちが込められている言葉です。それをしなければいけないからしているというニュアンスが込められている言葉であって、これは「愛」の方向性ではありえません。しかし、「支える」という言葉はどういう意味を持っているかというと、自分がその相手のことを大事だと思うが故に、つまり「愛」を理由に、その相手を支えたい、という気持ちが込められている言葉です。金星神としては、義務なのではなく、自分が中島美嘉を大事に想っているから、それをしたいと思ってやっていることなんだよ、やってきたことなんだよということを伝えたい形になります。

 

「その手離してもいいよ」
「進んでもいいよ」
「遠くから 見守っているよ」

「その手離してもいいよ=役割は捨ててもいい(歌は止めてもいい)」「進んでもいいよ(歌は続けてもいい)」ということであって、「全てはあなた(中島美嘉)の意志で決めていいのよ」ということ。「ただ、いつも遠くから見守っているということは伝えたい」という金星神の想いが込められています。

「その手離してもいいよ 進んでもいいよ」という言葉の意味は「私(金星神)との縁をあなたは切ることができるし、私(金星神)と共にこれからも一緒に生きていってもいい」ということを意味しています。これはどういうことを意味するかというと、中島美嘉の「意志」を尊重しているということです。「愛」は、他者から強制されて生まれるものではありません。そして「光」の立場は「愛」の立場であって、「自由」を尊重します。なぜならば、「愛」は「自由」を前提とするからです。この「その手離してもいいよ」という言葉の意味は、金星神と縁を切るということなので、「闇」を選ぶことを意味します。なぜならば、「光」に背を向けるということだからです。それに対して「進んでもいいよ」という言葉の意味は、「光」を選ぶということです。なぜならば、金星神という「光」の存在と、共に進んでいくということだからです。つまり中島美嘉が「光」を選ぶか、「闇」を選ぶかということは、中島美嘉次第であって、金星神はそれは何も強制することはできないし、中島美嘉の「自由」を尊重しているということを伝えています。

ここでこの歌詞の解釈を理解する上で注意してほしいことは、金星神が中島美嘉を見放しているという誤解をしてほしくないということです。我々現代人からすると、この言葉だけを読むと、「勝手にしていいよ」「勝手にしてれば」といった投げやりな態度にも見えます。しかし歌を聴けば、そういったニュアンスで歌われている歌詞ではないということがよく分かりますが、念のためにここに書いている形になります。

金星神は当然、中島美嘉に「光」を選んで欲しいと思っています。なぜならば、中島美嘉自身のことを非常に大切に想っていて、中島美嘉が「光」を選べば幸せになれるからです。そして金星神はこの地球のことをも大事に想っています。そして中島美嘉が「光」を選ぶのであれば、この地球にとてもいい影響を与えられるからです。そういった気持ちを金星神は当然抱いています。ただ「それでもすべては中島美嘉の選択に委ねなければいけない」といった気持ちが、ここで込められています。そしてもし中島美嘉が「私は光を選ばなければいけない」と思ってしまうとそれ自体が「義務」の考え方なので、「闇」に落ちてしまいます。「光」を選ぶためには、その魂自身が「光」を選びたい、つまり「愛」を選びたいと真に思う必要があります。他者からの強制によって「愛」を抱くことができません。そして「義務」の考え方とは、他者の強制の考え方です。そういった罠に落ちないようにするためにも、ここでこういった言葉が置かれています。

「遠くから 見守っているよ」という言葉の意味は、金星神が金星から地球にいる中島美嘉をずっと大事に見守っているという意味です。金星神としては、中島美嘉の選択を見守るということをここで意味に込めています。そしていつも大事に想っているということを「見守っているよ」という言葉に込めています。そしてその大事に想っているということは、光を中島美嘉に選んでほしいと思っているということも意味しています。なぜならば、見守っているのは、相手のことを大事だからであって、中島美嘉が幸せになるためには、光を選んだほうがいいということが分かっているからです。

 

「最初からやり直せればいいのに」
「きっと交わることはないんだね」

この言葉は、金星神のついた光の嘘です。特にこの「きっと交わることはないんだね」という言葉は、確実に光の嘘です。なぜならば、シャーマンを代えして、中島美嘉が金星神と逢うことがないということが意味されていて、それを言い換えると、中島美嘉がもうシャーマンに助けられることはないであろうというということを悪魔に思わせるための言葉だからです。そして、そのことを補強する形で「最初からやり直せればいいのに」という言葉が添えられています。この「最初からやり直せればいいのに」という言葉の意味は、どこかで神々がミスをしたという意味です。そういったミスを無くすことができたならば、中島美嘉は、助けられたし、シャーマンを代えして、中島美嘉と金星神は逢うことができたのに、というような後悔の考え方を含ませています。これを書くことによって、より本当らしいという感じを引き立てています。

 

「ありがとう ごめんね」
「ありがとう サヨナラ」
「ずっと 好きだったんだよ」

金星の気が2000年以上振りに再び降り注ぎ始める時代においてそしてこれから最も金星の気が降り注ぐ日本という場所において、金星神と共に歌を歌う役割を持つということは、これは本当に多くの人間の魂の中から選ばれたということを意味します。そして、最終的に中島美嘉にその役割を与えたのは金星神です。何故ならば、ずっと共に働くのは金星神自身ですから、彼女の意向無しに中島美嘉がそのような役割を持つことはあり得ないからです。では、どうして金星神が中島美嘉にその役割を与えたかというと、金星神は中島美嘉のことが好きだったからです。つまり、中島美嘉は金星神に愛された魂です。そういったことがこの言葉に込められていますし、この歌の終盤の時点でこの言葉があるのは、これを金星神は中島美嘉にとても伝えたかったからです。

「ありがとう ごめんね  ありがとう サヨナラ」については、すでに書きました。この「ずっと 好きだったんだよ」という言葉は文字通り金星神からの中島美嘉に対する告白です。金星神と歌を歌うという役割を持つためには、当然金星神がその役割をその人間に与えるということを選ぶことになります。では、それはどういった判断によって行なうのかというと、結局は、最後はその金星神が、その魂のことをいいと思うかということに委ねられます。なぜならば、ある神様と繋がった人間と、その神様の関係性とは、パートナーだからです。一生を共にするパートナーです。だからこそ、相手のことが好きということが絶対に前提となります。なぜならば、嫌いなパートナーをずっと支えることは大変なことであるからです。ただ、神々が人間の魂を嫌うことなんて滅多にありません。そして金星神においては、それは一人もありません。

では、ここで金星神がなぜ中島美嘉に、「ずっと 好きだったんだよ」と書いているかというと、金星神としては、とりわけ中島美嘉の魂が、好きだということを伝えたいがために、金星神という神様は、すべての地球に生きる命を大事に想っています。つまり、すべての地球に生きる命のことが好きです。そして、そんなことは伝えるまでもないことです。では、ここでなぜ「ずっと 好きだったんだよ」と書いているかというと、やはり金星神が中島美嘉のことを、とても好きだということを伝えたいがためです。神々といえど、誰を最も大事に想うかということはあります。つまり、金星神についていうと、すべての地球に生きるすべての命を大事だと想っていても、その中で、誰がとりわけ大事なのかということは、やはりあります。愛を強く抱いている魂であっても、そういった愛の強さの違いというものは避けることができません。なぜならば愛とは、そういうものだからです。そしてここで「ずっと」と書いてあることが何を意味しているかというと、中島美嘉の魂を「ずっととても愛していた」ということを、金星神は伝えたいということを意味しています。

 

「この夜を超えて」
「ボクらの想いが繋ってるなら…」

「この夜を超えて」とは「この闇の時代を超えていこう」という意味で、「ボクらの想いが繋がってるなら」とは「まだ共に働けるのであれば(まだ光を実践したいのであれば)」ということを意味します。まとめると、「まだ一緒に光を実践したいのならば、この闇を一緒に超えていこうね」ということ。

「この夜を超えて」という言葉の意味は、「この闇を超えて」ということを意味します。そして「ボクらの想いが繋がっているなら…」という言葉の意味は「中島美嘉が愛を選ぶのであれば」ということを意味しています。どうしてこの「ボクらの想いが繋がっているなら…」という言葉の意味が「中島美嘉が愛を選ぶのであれば」という意味になるかというと、金星神が愛を選んでいる魂であって、その想いが繋がるということが、中島美嘉も愛を選ぶということを意味するからです。つまり、光を選ぶということを意味しています。ですから、この歌詞を言い換えると「ボクらが光を選ぶならば、この闇を超えられるということを意味しています。

さっきまで、金星神は、光の嘘をつき続けてきました。しかしここで、希望の表現を書いています。これは光の嘘と矛盾するように人間には見えてしまいますが、そうではありません。なぜならば、神々が諦めるということは基本的に無いからです。どんなに光の嘘をこれ以前の歌詞に書いていたとしても、つまり、中島美嘉を助けることはできないであろうと、シャーマンが現れることは無いであろうと書いていても、中島美嘉の魂が、その魂自体の力で、愛を選び続けるのであれば、実は中島美嘉と金星神の力だけで、悪魔のコントロールから逃れることができます。そういったことを行ってほしいと、ここで書いている形になります。これは光の嘘を信じるのであればという解釈です。そして光の嘘を信じないにしても、つまり、光のシャーマンが中島美嘉を助けるにしても、やはり中島美嘉が光を選ぶ必要があります。なぜならば、光を選ぶか闇を選ぶかということは、その魂の意思が決めることであるからです。ですから、実はこの歌詞も二重の意味が込められています。

一つは、中島美嘉自身の力で、光の方に戻っていくということ、そしてもう一つはシャーマンと共に光を選んで、光の方に戻ってくるということを意味しています。そしてそのどちらにも解釈できるようにしたからこそ、悪魔に対しては、フェイントの意味を持っているし、中島美嘉に伝えたい重要なメッセージを伝えるということも果たしています。

 

「君を感じてる」
「ただそれだけで」
「強くなれた気がしたよ」

「強くなれた気がしたよ」

この言葉は一人称が中島美嘉になっています。そういう形で、「どのように生きていってほしいのか」ということを金星神が中島美嘉に伝えている言葉です。「君を感じてる」の「君」とは金星神のことであって、「私(金星神)を感じる時、私はあなた(中島美嘉)を導ける、私はあなたと一緒に生きていける」ということを意味しています。「そうしてくれるなら、きっとあなた(中島美嘉)は強くなれた気がする。何故ならば、私達は一緒に生きていけるから」ということ。

この「君を感じてる」という歌詞は、かっこ付きで書かれています。つまり誰かがこれを言っているということを意味しています。そして、この歌詞は、中島美嘉が主語の歌詞です。この歌は最初からこの歌詞に至るまで、すべて金星神が一人称として、歌ってきた歌になります。ただ、この「君を感じてる」というかっこ付きの場面から主語が中島美嘉に切り替わります。逆に言うと、そういった構造を見せるために、ここでかっこ書きという方法を、金星神はこの作詞者である、三橋隆幸にさせました。このかっこがあることが、主語が切り替わるという一つの大きな根拠です。

この歌全体の歌詞は、ほとんどが語りがけです。だから、この歌詞全体が、かっこ書きで書かれててもおかしくはない歌詞です。しかしなぜか、この「君を感じてる」という部分だけは、かっこ書きで書かれています。これは、非常に不自然です。じゃあどうしてこのような不自然なことが起こったかというと、三橋隆幸は、こういう風にした方がいいという気がしたからのであって、そういったほうがいいと思うような気を、神々が三橋隆幸に言えたからです。だからここで、「君を感じてる」だけが、かっこ書きになっています。そしてそのことを通して、主語が切り替わるという根拠を金星神は一つに起こしています。

そして、この意味について言うと「君」というのは、金星神のことです。その「金星神を感じてる」という言葉を、中島美嘉が言っているということをここでは意味しています。つまり、中島美嘉が、自分が金星神と、繋がっていることを、知った上で言われる言葉です。そして、そのことに気がついて、その「君を感じてる」つまり「金星神を感じるだけで強くなれた気がしたよ」という言葉が描かれています。

「金星神を感じる」ということが起こるために必要なのは、中島美嘉が金星神の金の気に同調することが起こっているということです。なぜならば、相手を強く感じるためには、その気に同調しなければいけないからです。ここでは「君を」という言葉が加えられることによって、強く感じているということを経験しているということが分かります。この「君を感じてる」という一言には、そういった意味があります。そして、金星神を強く感じることで、強い金の気をもらい、そのことで、愛が強くなり、その愛によって、強さが生まれるということを、ここで意味しています。

そしてこのどうして「強くなれた気がしたよ」という歌詞が2回言われているかというと、そしてなぜこの「強くなれた気がしたよ」という最後の詞が段落を変えられているかというと、これは、その一つ前の「強くなれた気がしたよ」という言葉とは、意味が違うからです。では、どのように意味が違うのかというと、これは中島美嘉が主語ではないからです。つまり金星神が主語に再び戻っているということを示しています。そうでなければ、ここで段落を分けている意味がよく分かりません。

では金星神としては、どういう意味をこの「強くなれた気がしたよ」に込めたのかというと、中島美嘉が金星神と真に共に働けるのであれば、これは金星神も「強くなれた気がした」という状況になるからです。なぜならば、金星神がより活躍をできるからです。

神々という魂は、自分たちは強い力を持っています。しかし、力を発揮するためには、人間と共に働かないといけません。そういったことがこの歌詞には込められています。つまり、この最後の「強くなれた気がしたよ」という言葉の意味は「中島美嘉と金星神が再び共に働く」ということを意味しています。そしてそれを可能にするのは、中島美嘉の『「君を感じてる」 ただそれだけで 強くなれた気がしたよ』という言葉の状態に至ることです。

中島美嘉が光を選ぶ、つまり金星神と共に働くということを選ぶことによって、中島美嘉は「強くなる」ことができ、そのことで、金星神もまた「強くなる」ことができる。つまり、この中島美嘉と金星神という二人の魂は、お互いが支え合うことで、お互いが強くなれるし、支え合うことができるし、この地球の光を増やすことを可能にするということを、この歌詞の意味には込めています。

 

【PV解説】

中島美嘉と金星神は「縁」で繋がっていて、中島美嘉は演技をする時、金星神からの「気」によって演技をすることができます。「気分(気を分かつ)」という言葉に表れているように、「感情」の原因は「気」です。そして、「感情」が変わると表情や仕草が変わります。演技とはそういう意味で、「気」で行なっているものであって、このPVにおいては金星神は強い「気」を中島美嘉に送っています。その「気」により中島美嘉は「感情」を抱き、「表情」を作っています。

そして、中島美嘉と金星神は顔がとても似ています。そして、このPVにおいて、金星神は自分のことを中島美嘉に演技させています。だから、この金星神役の表情は本当に金星神そのものです。そして、この映像で金星神が表現したかったことは中島美嘉に対する想いです。それが表情に出るように、中島美嘉に「気」を強く送っています。そして、その「気」によって中島美嘉は金星神役の演技をしています。

構造が複雑なのでまとめますと、金星神は中島美嘉に金星神役の演技をさせながら、その金星神役の演技の中で金星神が表現したかったことは、金星神の中島美嘉に対する想いです。それを表現するためにも、金星神が中島美嘉に話しかけているという設定の中でこの映像は進んでいます。

ですから、中島美嘉は自分が演技をしているにも関わらず、実は金星神からの自分に対するメッセージを受け取るために演技をしています。相手が自分のことをどう思っているかは、その表情によく表れます。金星神の中島美嘉に対する想いを表現する演技を中島美嘉にさせ、その表情を中島美嘉に見せることを通して、金星神は中島美嘉に自分の想いを伝えています。

また、この映像においては中島美嘉自身も登場しますが、その女の子を演技する上で、中島美嘉がどのようなことを想定して演技をしていたかは分かりません。しかし、中島美嘉自身がどのようなイメージの女の子を演じようと思っていたにしても、金星神としては中島美嘉自身のことを、中島美嘉の持っている一つの面を表現したいと思いながら、「気」を送り、中島美嘉の演技の表情を作っています。

このような構造でこのPVの中島美嘉の演技は成立していて、金星神と中島美嘉の二人がこの映像には映し出されています。このPVは本当に細かくできていて、どの歌詞を金星神と中島美嘉のどちらが言っているかということや、全く関係のなさそうなものが一瞬出る意味などを考えることで、様々なことを理解できるようにできています。それは編集段階において、神々がかなり厳密に関与をしたからです。

以下、映像の流れに沿って解説を書きます。

 

冒頭は中島美嘉が登場し、久しぶりに自然に触れたという顔をしています。これが意味することは、普段中島美嘉はあまり自然に触れておらず、金星神が中島美嘉に「もっと自然に触れてほしい」と思っているということです。

そして、自然に触れた中島美嘉が手を合わせる仕草を行ないます。これは、自然が「光」であるということを示唆する仕草です。なぜならば、手を合わせるとは「愛」の仕草であるからです。「光」とは「愛」の立場であって、自然とは光の神々によって支えられているが故に、神々からの「光の気」に満ちています。だからこそ、自然に触れると光の神々からの「光の気」に触れることになり、「愛」の感情を持ちやすくなります。そういったことが描かれています。

その後、中島美嘉は涙を拭うような仕草をし、表情も辛そうです。この後も中島美嘉の表情はずっと辛そうで、膝を抱え、うつむいている様子も描かれます。これは悪魔に襲われていることによる中島美嘉の苦悩を表します。

そして、目を閉じると金星神の姿が浮かびます。ここまでが前奏です。

金星神が気功の仕草をしていることは彼女が神様の1人であるということを意味しています。神々とは「気」を司っている存在であって、金星神とは地球の「金の気」を支えている神様です。ですから、ここで気功の仕草をしている形になります。

そして、金星神が「寂しくないですか?凍えてないですか?」と中島美嘉に話しかけるところから、歌が始まります。金星神が話しかけ、中島美嘉が映り、と交互に続く中で、「ボクの祈りは君のもとへ 届いてますか?」と金星神が中島美嘉に話しかけます。中島美嘉はただただ涙を拭い、辛そうな表情をしています。

細かいですが、「辛いときはいつも」のところでは中島美嘉が映り、「君を想っているんだよ」のところでは、金星神が映ります。このことを根拠に、上で書いた「(中島美嘉が)辛い時は、(金星神が)中島美嘉を想ってるんだよ」という解釈が適切であるということを分かって頂ければ、と思っています。

そのような形で金星神が中島美嘉に話しかける形で

「この胸の中、ひとつになって」
「感じることで」
「踏み出せたんだよ」

「愛情って 繋がってるんだね」
「愛情って 消えないんだね」

と繋がっていきます。この部分の意味は歌詞の解説で書いた通りです。


その後は中島美嘉が歌う形で続いていきます。

「ありがとう ごめんね」
「ありがとう サヨナラ」

この二言目の「ありがとう」の時、蜘蛛の巣が映ります。このPVの中で蜘蛛の巣が映るのはこの一瞬だけです。どうして蜘蛛の巣が映っているのかというと、蜘蛛は悪魔を象徴するものだからです。蜘蛛の形をした悪魔もいます。動物には光の種と闇の種が元々決まっており、例えば蜘蛛、蛇、コウモリなどは闇の種です。光の種は例えば、スズメ、馬、亀など様々です。

中島美嘉は蜘蛛が好きです。それはデビューした後、悪魔に襲われ始めてから、悪魔によって好きにさせられている形になります。悪魔が「闇の気」をその人間に入れる時、何かを好きにさせることは簡単です。特に中島美嘉の場合は大量の「闇の気」を悪魔によって入れられていますから、中島美嘉のそういった趣味を悪魔は簡単に操作できます。

我々は自分の意志によって、何かを選ぶことはできても、「なんとなくこれが好き」という我々の趣味・直感みたいなものは選ぶことができません。そのことに、身体に宿っている「光の気」と「闇の気」が関与します。「光の気」の割合が「闇の気」よりも高い人は、光のものを好きになります。それに対して「闇の気」の割合が「光の気」よりも高い人は、闇のものを好きになります。

これは「光は光を求め、闇を求めない。闇は闇を求め、光を嫌う」と、このホームページでよく書いていることと全く同じです。結局「求める」ということは、それが「好き」ということです。そして、それが「好き」ということの原因は「気」に依っています。

例えば、我々は「カレーライスが食べたい」と自分で思うことはできません。「カレーライスが食べたい」という気持ちは我々の「意志」の前にあるものです。気が付いたら我々は「カレーライスが食べたい」という状況になっています。「どうしてカレーライスが食べたいの?」と言われても「食べたいから」としか言えません。その気持ちは我々の「意志」を超えています。

そういった我々の「根本的な欲求」に神々も悪魔も関与できます。そして、悪魔に善意はなく、ターゲットにされるとどこまでも遊ばれますから、徹底的にその「根本的な欲求」を操作されることになります。悪魔は「闇の気」を中島美嘉に大量に入れることを通して、中島美嘉の趣味を闇に寄せました。どうしてそれを行なったかというと、それをするとより「闇の気」をより入れやすいからです。

例えば、ラーメンは「闇の気」を多く含む食べ物であって、食べ物は我々の身体にダイレクトに「気」を摂取させます。だから、悪魔が中島美嘉の身体の「闇の気」を増やしたい時は、中島美嘉に「ラーメンを食べたい」と思わせて、ラーメンを食べさせます。すると「闇の気」が増えますから、その悪魔はより中島美嘉をコントロールしやすくなります。中島美嘉は悪魔によってラーメンのことを好きにさせられたわけではありませんが、ラーメンを食べたいという中島美嘉の気持ちにはかなり関与しています。

PVの話に戻りますが、この二言目の「ありがとう」の時、蜘蛛の巣が映るということは、中島美嘉と悪魔が共に働いているということを意味しています。なぜならば、相手から何かをもらわないと「ありがとう」と悪魔に対して言わず、何かをもらうということは共に働くということを意味しているからです。そして、共に働くという事は何を意味するかというと、悪魔から「気」を受け取り、その「気」を使って生きているということでもあります。そして、「気」を送るラインが「縁」です。だから、中島美嘉と悪魔の間に「縁」があるということをこの映像は表現しています。

中島美嘉は金星神と悪魔との両方の「縁」を持っており、神々とも悪魔とも共に働いている魂です。中島美嘉はこの15年間の中で、悪魔に襲われることによって「闇の気」を大量に入れられてきました。もし、中島美嘉が「光」を選ぶのであれば、その「闇の気」は、苦悩をもたらします。しかし、もし中島美嘉が「闇」を選ぶのであれば、その「闇の気」は、中島美嘉にパワーをもたらします。このようなことが起こったことによって、中島美嘉は、この15年間の内に、途中から「闇」を選び始め、途中から悪魔と共にも働くようになりました。これは、彼女が「闇」を選んだというよりかは、「闇」を選ばざれるを得ない状況を悪魔によって用意させられたからになります。そして彼女の人生とは、一度それをするために生まれてきているので、中島美嘉は人生の役割を行なっているというこの星に必要なことを行なった形になります。通常は悪魔と共に働くということは、役割となり得ないのですが、中島美嘉の人生は非常に特殊であって、デビューしてから15年間はそういったことをするためにも生まれています。とにかく、悪魔と共に働くということ、悪魔との「縁」がこの映像に表現されています。

そして、中島美嘉はここで、携帯を取り出して、何かを消します。そして、その消した後の表情を見る限り、誰かの連絡先を消していると考えると非常に自然です。携帯で誰かの連絡先を消すということには、意味があります。これは、「縁」を切るというということを促す行為です。逆に言うと、我々は何らかの行為を行うことによって、自分が持っている「縁」を切ることができます。そういったことが、ここでは示唆されています。中島美嘉が悪魔と共に働いたということは、悪魔と「縁」があるということであって、そういった「縁」を切るということが、携帯で連絡先を消すという行為に表れています。

そして、そういった形で、携帯の連絡先を消すと、自分の手につけていた指輪が消え、時間が戻り始めます。この指輪が失われるということが、悪魔との「縁」が無くなるということを表現してるもう一つの根拠でもあります。そして、時間が遡るとはどういうことかというと、前の中島美嘉に戻るということを意味しています。

デビュー当時、中島美嘉は金星神と真に共に働いていました。しかし、この15年間の中で、悪魔に襲われ続けることを通して、「闇」を選ばざれるを得ない状況を悪魔によって作られ、そのことによって「闇」に落とされてきました。そういった悪魔との「縁」を切るということ、そして、再び金星神と共に働き始めるということを意味しているのが、この指輪が消え、時計が逆に戻るという映像の持っている意味です。「縁」については、詳しくはこちらの方を読んでください。

http://junashikari.com/energy/縁について/

また、「君の名前を つぶやいて 歩いているよ」という場面では、金星神ではなく、中島美嘉が歌っています。これは、歌詞の解釈の説明とは、矛盾するように思われてしまうかもしれませんが、ここで神々は二重の意味を込めています。この歌詞の部分は、歌だけだと金星神からの中島美嘉に対する想いが込められている部分です。しかし、このPVにおいては、中島美嘉自身が金星神に向けて歌っていると解釈できます。何故ならば、携帯の連絡先を消すことで悪魔との「縁」を切り、悪魔との「縁」を表す指輪が失われる時にこの歌詞が歌われているからです。

つまり、「闇」に別れを告げ、「光」と手を結ぶ映像の中で、「君の名前を つぶやいて 歩いているよ」という歌詞が歌われているのですから、ここで言われている存在は「光」の存在であり、中島美嘉が繋がっている金星神だと考えることが自然だからです。これは未来の中島美嘉の姿を表しています。中島美嘉が悪魔との「縁」を切るためには、自分自身に対する様々なことを理解する必要があり、そういったことを理解するのは『初恋』が発表された後のことだったからです。また、悪魔との「縁」を切るということができるのはシャーマンであり、中島美嘉がシャーマンに頼むことになるのも、未来のことだったからです。

指輪が無くなったことに対して、中島美嘉は、少し悲しそうな顔をします。これは何を意味するかというと、悪魔が中島美嘉に与えていた餌を、中島美嘉が失ったことに対する悲しみです。悪魔は我々を非常に苦悩させますが、我々に餌も与えます。それが我々が経験している「快楽」です。中島美嘉は強い苦悩を通して、大量の「闇の気」をもらってきましたが、その「闇の気」が、時に「快楽」の経験もしてきました。しかし、中島美嘉が悪魔との「縁」を切るのであれば、そういった「欲望」による「快楽」は、もう選ぶことができなくなります。なぜならば、「愛」と「欲望」は、そのどちらかを強く行ないたいのであれば、片方しか選べないものだからです。なぜならば、「愛」と「欲望」というものは、矛盾しあっている関係にあるからです。そのことについて、詳しくはこちらを読んでください。

http://junashikari.com/emotion/「愛」と「欲望」/

中島美嘉は悪魔から強く目を付けられている存在です。ですから、少しでも「欲望」と仲良くするのであれば、そこを突破口に悪魔は再び中島美嘉を「闇」に落としてきます。ですから、中島美嘉が「光」を選びたいのであれば、「欲望」のもたらす「快楽」からかなり離れる必要があります。長年仲良くしてしまった「欲望」から離れることは最初は大変ですが、数ヶ月一切「欲望」と同調しなければ「欲望」は消えていきます。「欲望」は「快楽」ももたらしますが、「欲望」が実現できない時の「苦悩」ももたらします。ですから、「欲望」から離れ「愛」を選んでいくということは、その本人が幸せになるためにも非常に重要なことです。

とにかく、中島美嘉が悪魔との「縁」を切ることで、少し悲しみも経験するであろうということが、この映像には描かれています。こういったことを残すことによって、金星神は中島美嘉を支えようとしています。なぜならば、そういった悪魔がもたらしている餌を失うことによって、少しの悲しみも経験するという形を知っていなければ、自分が悪魔との「縁」を切ったことが、間違いだったのではないかと中島美嘉が思う可能性があるからです。何かを失うということはそういった疑問を起こしやすいものであるからこそ、そういった可能性を無くすためにも、金星神はこの映像で前もって描いておきたかった形になります。

そして、その後に、金星神が飛び立ち「金の気」が舞い始めます。これは何を意味しているかというと、2012年の12月より、金の気が降り注ぎ始めたということを映像として表現するためです。この『初恋』は、2012年の12月発表されたシングルであって、金星の気が降り注ぎ始めたのは2012年の12月です。だからこそ、このPVにおいて、金星からの金の気が再び降り注ぎ始めたということを描きたかったからになります。またそれは、冒頭に書いた通り、このタイトルが持っている『初恋』ということの真の意味にもなります。

そして、中島美嘉は、何故か眠っています。そして、ある植物から水が滴ることによって、中島美嘉は目覚めます。これは何を意味しているかというと、水は浄化を表すものです。なぜならば、水は「気」を流すということを大きな役割としているからです。だからこそ我々は、涙を流せばすっきりするし、汗を流せばすっきりするということを経験しています。つまり、中島美嘉が浄化されていくということが、滴る水に表現されています。

そして、金星神が再び中島美嘉に対して、歌い始めます。この時点から金星神が中島美嘉に語り続けるという形でこの歌は進行していきます。

中島美嘉は馬車に乗っています。これは、どういうことを意味するかというと、中島美嘉が誰かに引っ張られるということを意味しています。この引っ張る人間が、シャーマンのことであって、私の立場になります。引っ張るとは何を意味するかというと、中島美嘉の身体に宿っている「闇の気」を浄化し、中島美嘉と悪魔との「縁」を切り、中島美嘉に中島美嘉自身のことを伝え、「気」や神々・悪魔のことを中島美嘉に伝えるといったことを意味します。

『初恋』は中島美嘉が悪魔からの「闇の気」を浄化する前の状況の中で、金星神が中島美嘉に対して語りかけている曲としてあります。それに対して、中島美嘉の新曲『Forget Me Not』は中島美嘉が悪魔からの「闇の気」を浄化した後の状況の中で、金星神が中島美嘉に対して語りかけている曲としてあります。この対応関係は大事ですので、歌詞の意味をよく理解した上で、納得して頂ければ、と思っています。『Forget Me Not』の解説は発売後に書きます。

『Forget Me Not』のPVの中では中島美嘉が馬に乗っている描写があります。『初恋』の中では馬車に乗っているにも関わらず、馬がおらず、『Forget Me Not』のPVの中では馬がいるということはとても大事です。これはこれから中島美嘉と私が関わることを映像として神々が表現させたものになります。

どうして、馬が私だと言えるかというと、その根拠は中島美嘉自身が描いた絵にあります。

ソングブック『あまのじゃく』の中で、中島美嘉はこの世には存在しない動物の絵を描いていますが、これは動物の形をした天使=パワーアニマルのことを描いています。中島美嘉は金星神と共に歌を歌ったり、作詞を行なうことができるのと同様に、金星神と共に絵を描くこともできます。何故ならば、金星神との「縁」があるからです。だからこそ、金星神からパワーアニマルの姿を「気」で教えてもらい、それを絵にしています。

パワーアニマルの馬とは、水のパワーアニマルです。だからこそ、中島美嘉が描いたこの馬は水中にいて、尾びれがあります。我々人間が水、火、風、土、金の人のいずれかであり(例えば、占いなどでよく言う土星人とは土の人)、星の神々も水、火、風、土、金の神である(例えば、金星神は金の神)のと同様に、パワーアニマルも水、火、風、土、金のパワーアニマルのいずれかです。何故ならば、全ての魂は水、火、風、土、金のどれかに寄るからです。

パワーアニマルの馬が水のパワーアニマルということの意味はそういうことを意味します。そして、私は水の人であり、水のシャーマンです。そのことについてはプロフィールに書いていますから、読んでみて頂けると幸いです。

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私は水のシャーマンであり、パワーアニマルの馬は水のパワーアニマルです。そういった、水の繋がりから神々は『初恋』のPVの中で、馬車に乗る中島美嘉を描き、『Forget Me Not』の中で馬に乗る中島美嘉を描いています。『初恋』のPVが発表された時、私はまだシャーマンにはなっておらず、中島美嘉の状況も理解していませんでした。だからこそ、中島美嘉が乗っている馬車を引く馬はいません。しかし、『Forget Me Not』のPVが発表された時、私は既にシャーマンになっており、中島美嘉の状況はよく理解しています。そういった形で、その時点その時点の状況を神々は中島美嘉のPVの中に描いています。

また、中島美嘉がパワーアニマルの馬を描いた絵を『あまのじゃく』の中に載せることで、神々は様々な根拠を私に説明させ、そのことで中島美嘉自身に重要なことを伝えようとしています。今の中島美嘉は悪魔からの「闇の気」をかなり身体に抱えているが故に、思考や感情を悪魔に関与されてしまいます。そのような中で、大事なことに気付くことは非常に大変なことですが、様々な根拠があれば中島美嘉も確信を持ちやすくなります。そういった確信を中島美嘉に持ってもらうために、神々は中島美嘉の様々な作品に関与し続けています。

『初恋』のPVの話に戻りますが、ここで馬車に乗った中島美嘉は、金星神の語りかけに気付き、何かを聞こうとし始めます。これは何を意味しているかというと、中島美嘉が浄化され、「気」のことを理解するということを意味しています。中島美嘉は、当然、今は「気」のことを理解していません。しかし、ずっと悪魔と金星神から話かけられ続けてきました。なぜならば、金星神と多くの悪魔との「縁」があったからです。

「縁」とは「気」が流れるラインであって、「縁」があれば、「気」を通して神々も悪魔も中島美嘉に語りかけることができます。その語りかけは自分の発想や直感などになります。しかし、我々人間は、「気」というものがどういうものであるか忘れたが故に、自分の中に起こってくる感情や思考というのもがすべて、自分が作ったものであると誤解をしてしまっています。しかし、実際は我々の中に浮かんでくるアイデアや、感情といったものに、神々や悪魔が強く関与しています。

悪魔との「縁」が切れた中島美嘉は、浄化をされて、金星神のもたらす「気」に耳をかたむき始めるということが、この映像の持っている意味です。どうしてこれが行われるようになったかというと、「気」のことを理解するからであって、「気」のことを伝えるのが私の立場になります。だからこそ、中島美嘉は馬車のようなものに乗っています。そして実際に、中島美嘉に金星神が語りかける様子が描かれていきます。

また、この映像の中の中島美嘉は、冒頭の中島美嘉より、非常に幼く見えます。これはどうしてかというと、時間が戻っているという描写があったように、子供のような状態に戻っているからです。我々は、元々は皆子供です。「大人」という考え方は、人間が作ったものであって、一種の呪いのような意味を持っています。なぜならば、大人になるということは、大人という一つのアイデアの中に自分を置く行為だからです。つまり、あるアイデアの中に自分の魂を当てはめていくという非常に不自然な心の動きだからです。そういった意味で、悪魔との縁を切った中島美嘉は、幼く描かれています。なぜならば、子供に戻るからです。そして、子供に戻るということが、光を選ぶ上で、非常に重要なものだからです。なぜならば、大人という呪いを解くことが、真に光を選ぶ上で非常に有効に作用するからです。

この歌の歌詞の解説においては、最後の「『君を感じてる』 ただそれだけで 強くなれた気がしたよ」というのは、中島美嘉の言葉であるということは、解説しましたが、この映像においては、金星神がこの歌詞を歌ってます。これは、どうしてこのような形になっているのかというと、これは金星神であっても、言える歌詞であるからです。この部分は神々が関与しきれなかった部分ですが、ただそれでも金星神が中島美嘉に対して、この言葉を発することは、違和感があることではないので、この形に落ち着いています。

そして、この歌が終わると、中島美嘉は目覚めます。そして、非常にすっきりしたような顔をして、新しい指輪を手に入れています。この新しい指輪のことが、再び戻った金星神との関係性です。

そして指輪を抱える時に、金星神が一瞬映ります。このことが、この指輪は金星神を表すものであるということの一つの根拠です。そして、中島美嘉はこの指輪と共に嬉しそうに歩き始めています。

このPVにおいて、描かれているのは、これからの中島美嘉の理想の姿です。苦悩の時代を抜けるために、悪魔との縁を切り、そこで少し、悪魔との縁を切ることで、悲しみを経験するかもしれないけれども、そこで再び闇に落ちることはなく、光の方向に、金星神と共に歩んでいく、そしてそういった歩みの中で、幸せになっていく、ということが描かれています。このことを実現するために、私は、このPVの解説を書いていますし、神々としても、それを私に行ってほしいと想っている形になります。なぜならば、神々が中島美嘉のことを想っていて、この太陽系のことを想っているからです。

ですから、このPVの解説を書くということ、そして中島美嘉が、いつかこの文章を読むということが、中島美嘉がこのPVの中で、乗っている馬車の役割であるとも言えます。今の現状としては、その馬車に乗るかどうかという状況になります。つまりそれは、こういった解説を読んでくれるか、そしてこういった解説が、確かな根拠を持った解説であるということに気づいてくれるかどうか、そして中島美嘉がこういった解説を信じてくれるかどうか、ということになります。

もし、中島美嘉が、この馬車に乗るのであれば、つまり、こういった解説が真実であるということに気づいてくれるのであれば、私が、中島美嘉と繋がっている悪魔との縁を切り、金星神との関係性を修復していくということの手伝いができます。なぜならば、この文章を信じるということは、私のことを信じるということに繋がるからです。

こういった形で、私が、私自身の重要性を書くということは、私としては違和感があります。なぜならば、こういったことを自分の価値をいうものを、自分が言っているからです。ただそれは、言わないといけないと思っています。なぜならば、中島美嘉が、今、自分が置かれている状況のことを、正しく認識する必要があるからです。このHPにおいて、私は、自分の重要性を中島美嘉についての文章の中で度々書いてきましたが、それはすべて、中島美嘉に今の現状を正しく認識してもらうためだけにやっています。そういったことを、理解していただけると、幸いです。

私も神々も、中島美嘉のことをなんとか助けたいと想っていて、そして、この星のために、彼女が一役を買ってくれることを強く願っています。

 

【四葉のクローバーについて】

このPV映像が収録されている『FILM LOTUS Ⅸ』では、この撮影のメイキング映像も見ることができます。そのメイキング映像の中で、中島美嘉が四葉のクローバーを見つける場面が映っています。このことも重要な意味を持っています。

中島美嘉は四葉のクローバーを手にもって「何かいいことあるんだろう?」と言います。

四葉のクローバーを見つけるといいことがあると言われますが、実際はいいことが起こる前に神々が四葉のクローバーを我々に見つけさせることがあるからこそ、そのように言われます。神々は「気」を司っているので、我々を四葉のクローバーのある場所に座らせることなどは簡単にできます。

どうして中島美嘉がここで四葉のクローバーを見つけたかというと、この『初恋』という歌とPV自体が中島美嘉に対する金星神からのプレゼントだからです。金星神は中島美嘉が未来になってそのことを知ることを分かっていました。だからこそ、ここで事前に中島美嘉に四葉のクローバーを見つけさせている形になります。

また、『初恋』も収録されているアルバム『REAL』の中の『BE REAL』の中で以下の詩が歌われています。


「最近 思い返せば」
「四葉のクローバーもらったとき」
「なんだかちょっと」
「泣きそうなほどうれしかったっけ」

「神様なんていないって」
「しょげないで 笑ってみて」
「散々な目にあっても」
「ちゃんと立ってるじゃない!」


この歌詞も金星神の導きによって中島美嘉が書いているものになります。この歌の中で描かれている四葉のクローバーとは、この『初恋』のPV製作中に中島美嘉が見つけた四葉のクローバーのことを意味しています。四葉のクローバーを金星神からもらったことが描かれ、その上で「神様なんていないってしょげないで 笑ってみて」という歌詞が歌われます。「神様」が四葉のクローバーをくれたからこそ、この順番で歌詞が並んでいる形になります。

この「神様なんていないってしょげないで 笑ってみて 散々な目にあっても ちゃんと立ってるじゃない!」という歌詞は金星神からの中島美嘉に対する語りかけの歌詞です。中島美嘉は本当に「散々な目にあってもちゃんと立って」います。中島美嘉は本当は自殺をしていてもおかしくない程の地獄を経験してきましたが、それでも中島美嘉は生きて歌っているからです。中島美嘉が自分に「散々な目にあってもちゃんと立ってるじゃない!」と言うのであれば、それは不自然ですが、金星神が中島美嘉に言っている言葉と考えると非常にこの歌詞の持つ意味がよく分かります。また、この歌の最後には以下の歌詞が歌われます。


「私はみてるよ 毎日頑張っている君を」
「大丈夫、大丈夫 必ずご褒美があるよ!」


この歌詞も金星神からの中島美嘉に対する語りかけの言葉です。これから中島美嘉は今までの地獄のような時期を抜け、強く幸せを感じながら生きていけるということを意味しています。

この四葉のクローバーは未来になって中島美嘉が様々なことに対して確信を抱きやすくするために金星神が残したカラクリです。中島美嘉はこのホームページに書いてあるようなことを読んだとしても、それを疑ってしまえば再び神々と真に働くことはできません。しかし、その内容に明確な根拠があれば中島美嘉もこのホームページに書いてあることについて、確信を持つことになります。

金星神としては、様々な中島美嘉に関することを、いつか自分に説明させる気でいました。その説明に説得力を持たせるために、四葉のクローバーを中島美嘉に見つけさせ、『BE REAL』の歌詞で四葉のクローバーの話を書かせ、四葉のクローバーを見つけている映像をDVDに収録させています。そして、私にこういった文章を書かせています。

つまり、神々は奇跡を創っている形になります。こういったことは中島美嘉の歴史において非常に多くあることであって、それらを全て偶然と考える方が不自然です。そういった奇跡をこのホームページでは解説している形になります。