ここでは、ドラマ『傷だらけのラブソング』の概要を書いていきます。このページを読まれる上でも『中島美嘉について』の文章は前提となりますから、まだ読まれていない方はこちらから読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/art/中島美嘉について/

また、第一話がYouTubeに上がっていましたので、貼付けておきます。御覧になったことのない方は第一話だけ観て頂ければ、このページの文章は非常に理解しやすくなると思います。
 


『傷だらけのラブソング』は金星神が創ったドラマであり、「光」と「闇」について非常に分かりやすく描かれています。ですから、『傷だらけのラブソング』全話の意味を理解するのでしたら、それだけで「光」と「闇」についてかなり理解を深めることができます。金星神としては、このドラマを日本人が「光」と「闇」を思い出すための教科書のようなものにしたいという意図の下、このドラマ制作に徹底的に関与しています。

神々は我々人間が大事なことを思い出すために様々な芸術に関与してきました。例えば、日本人だと宮崎駿、庵野秀明、小津安二郎、井上雄彦、津田雅美の作品などは全て、神々からの非常に多くのメッセージに満ちています。その他にも神々が創った作品は多くありますが、真に神々と共に創り、神々が我々に伝えたいことを伝え切ることができている作品は多くはありません。そして、そういった意味で『傷だらけのラブソング』は非常に成功した作品であって、神々のメッセージに満ちています。

これから人間は神々が創った芸術の意味を理解していく中で、様々な神々からの教えを芸術から学んでいく時代としていく必要があります。何故ならば、それらの作品は今の時代に強く神々が我々に伝えたいことだからです。そういう意味で、『傷だらけのラブソング』というドラマも日本人の教科書の1つにしていかなければなりません。

『傷だらけのラブソング』について、その点に加えて重要なことは、島崎未来という主人公が未来の中島美嘉の姿を表している点です。そもそも、このドラマは中島美嘉が演じるために金星神が創ったドラマです。このホームページで度々書いてきたように中島美嘉は15年間悪魔に襲われ続けるという役割を引き受けて生まれてきた、金星神と共に歌う歌手であって、島崎未来の姿は悪魔に15年間襲われた後の中島美嘉の姿を表しています。だからこそ、「未来」という名前をこの主人公は持っています。

また、どうしてこのドラマが『傷だらけのラブソング』というタイトルを持っているかというと、これは中島美嘉が悪魔によって「傷だらけ」になりながらも、「愛」の神である金星神と共に「ラブソング(愛の歌)」を歌うという意味を込めています。ですから、このタイトルは中島美嘉がデビューしてからの15年のことをそのまま表現している言葉になります。

このドラマの中で、島崎未来は吉村浩輔という人物と出会い、神々の導きの中でこの二人は「光」へ向かっていきます。この吉村浩輔の役割を担うのが私になります。中島美嘉は耳の病などの様々な問題を抱えています。私は「光」のシャーマンですから、そういった問題を解決することができ、中島美嘉に対して中島美嘉自身のことを伝えることができます。そういったことを通して、中島美嘉がこれから日本人の「光」を強くしていくことの手伝いができます。中島美嘉のデビュー日であり、この『傷だらけのラブソング』の主題歌でもある『STARS』が発表された日は11月7日になります。そして、11月7日とは私の誕生日でもあります。神々は中島美嘉が「闇」から「光」に変化することを描いた歌である『STARS』を、その変化のきっかけとなる私の誕生日にわざと合わせています。それは、中島美嘉と私が将来強く関わるという1つのサインでもあります。どうして神々がこういったことを起こすかというと、こういった一致を作るのであれば、中島美嘉が私のことを信じやすくなるからです。神々は中島美嘉を支えるために、こういった「奇跡」を残してくれています。

そういう意味で、この『傷だらけのラブソング』は「予言書」の意味も持っています。「予言書」と書くと、オカルトのように軽く見えてしまうので説明しておきたいのですが、明日のことは決まっておらず、明日どのような日になるかは人間も神々も悪魔も知ることはできません。何故ならば、明日はそれぞれの魂の意志によって生まれているものだからです。しかし、神々は「予定」を立てます。そして、「予定」とは神々の人間に対する「願い」でもあります。何故ならば、神々は我々に「気」で関与することはできても、現場で動いているのは我々人間であり、我々人間が実際にどのように動くのかということは我々人間の意志次第だからです。だから、神々は様々な「願い」を人間に対して抱いています。そして、その「願い」とは神々の立てる「予定」に基づくものです。

これから、地球の「光」をどのように強くしていくかということについて、神々は「予定」を立て、それを実践しています。その中にはうまくいっているものも、うまくいっていないものもあります。そして、神々が立てた「予定」の中でも非常に重要な人間が中島美嘉です。その中島美嘉がデビューして15年後にどのような道を進んでほしいのかという神々の「願い」が、この『傷だらけのラブソング』という「予定書」の意味です。

中島美嘉はデビュー直後は金星神と共に「光」を表現し、この15年の内に悪魔に徹底的に襲われる中で様々な最悪な経験をし、そのことにより「闇」を悪魔によって強くさせられてきました。ですから、今の中島美嘉は「光」も表現しますが、それよりも「闇」をよく表現しています。そして、この15年の記録は全て録音や映像や文字として残っています。ですから、我々が中島美嘉の歴史を振り返るのであれば、その歴史から我々は「光」と「闇」、神々のことや悪魔のことを理解することができます。中島美嘉のこの15年はそういったものを残すためにありましたし、中島美嘉自身、今回生まれる前にそのような過酷な役割を太陽系に生きる魂のために選んでいます。

15年間悪魔に襲われ続けた現在の中島美嘉は、身体に悪魔からの「闇の気」を大量に抱えています。そして、感情と思考の原因は「気」ですから、その「闇の気」によって中島美嘉の心はかなり「闇」に寄らされています。その姿が、このドラマの主人公である島崎未来の姿でもあります。もちろん、島崎未来と現在の中島美嘉が全く同じ「闇」を抱えているわけではありません。しかし、この二人はかなり共通する部分が多く、特に似ている点は、この二人が様々な「闇」を抱えていても「愛」は保っているという点にあります。神々は中島美嘉がどんなに悪魔に襲われようとも、中島美嘉の「愛」が失われることはないと信じていました。何故ならば、中島美嘉の魂の持っている「愛=金の気」は元々とても強かったからです。

このドラマが生まれた2001年当時に、15年間悪魔に徹底的に襲われた中島美嘉の姿を神々が予想として描いているのが、島崎未来の姿です。予想ですから完璧に一致はしていませんし、そもそも島崎未来と今の中島美嘉は年齢が異なるが故に年齢による違いは多くあります。しかし、重なる部分は多くあります。そういった15年後の中島美嘉の予想の人物像をこのドラマ制作者に「気」を通して伝え、そのことによって島崎未来という人物が生まれています。

このドラマの主題歌でもあり、中島美嘉のデビュー曲でもある『STARS』が「光」と「闇」や金星をテーマにした曲であることは偶然ではなく、神々が創った1つの「奇跡」です。1つは金星神と繋がっている中島美嘉の人生そのものが我々に「光」と「闇」を教えるという大きな役割を持っており、そのような重要な人間が初めて世に出る時の曲だからこそ、この曲を創った金星神はそのような意味を持たせています。また、『傷だらけのラブソング』は「光」と「闇」について金星神が描いたドラマであり、神々の「願い」が込められた「予定書」ですが、そのような意味も金星神はこの曲に持たせています。
 


この歌の最初の歌詞は以下です。

「やっぱりあの星は」
「見つからなかったと」
「夜空に背を向けた」
「願いに疲れた自分がいたよ」

ここで言われている「星」とは金星のことです。何故ならば、金星とは地球からは非常に見えづらい星であり、そういった意味を込めて「やっぱりあの星は見つからなかったと」という言葉が置かれているからです。中島美嘉の楽曲には『見えない星』という歌もありますが、この曲も金星のことを表しています。そして、中島美嘉が「闇」を選び始めるということが、「夜空に背を向けた  願いに疲れた自分がいたよ」という歌詞の意味です。何故ならば、星とは「光」の存在であり、様々な星がある「夜空に背を向けた」ということは「光」の否定を意味しているからです。また、「願い」も「光」の立場が行なうことであり、そういった「光」の行為に「疲れた自分がいたよ」とは「闇」を選びつつある自分のことを意味しているからです。つまり、この最初の歌詞は中島美嘉が「闇」を選ぶということを意味しています。

そして、この歌の最後の歌詞は以下です。

「I'm Gonna be a Star」
「新たな未来」
「つないだ奇跡の中で」
「光と闇に抱かれて」
「心の空に」
「心の空に」
「確かな夢を見つける」

これは中島美嘉が「つないだ奇跡=神々の導き」の中で、「光と闇」を経験し、自分の「心の空=心の光の面」に「確かな夢を見つける=自分の人生の役割を知る」ということを意味しています。そして、そのことで中島美嘉が生まれ変わるということが「新たな(島崎)未来」という言葉の意味です。どうして「心の空=心の光の面」と言えるかというと、「空」とは本質的に「光」の存在だからです。だからこそ、我々は空を見ていると気分が良くなります。つまり、この最後の歌詞は中島美嘉が「光」を選ぶということを意味しています。

つまり、この曲自体が中島美嘉のこの15年のことを説明している歌であって、『傷だらけのラブソング』は中島美嘉が「闇」から「光」に変化する時のことを描いたドラマであり、この歌で描かれていることと非常に重なります。『STARS』についてはこちらに詳しく解説を書いているので、こちらを読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/中島美嘉について/『stars』について/

 

【このドラマの「光」と「闇」の構造について】

このドラマは「光」と「闇」に関する様々な重要な事柄が分かりやすく描かれており、毎話明確なテーマ設定が行なわれています。そして、そのテーマは「構造」を読む解くことによって明らかにできるようにできています。そのような「構造」を創ることで、金星神は我々が様々な重要な事柄を学びやすいようにしています。

例えば、第一話の冒頭は未来がある女の子に対して「許さない」ということを行なっているシーンから始まり、第二話は浩輔が由佳に「許す」ということを行なっているシーンから始まります。この構造は、「許す」という立場が「光」であり、「許さない」という立場が「闇」であるということを描くためにこのような「構造」を金星神はわざと持たせています。

また、第三話の冒頭は未来が浩輔のことを「疑う」様子から描かれ、第三話の最後は未来が浩輔のことを「信じる」様子が描かれます。この構造は、「信じる」という立場が「光」であり、「疑う」という立場が「闇」であるということを描くためにこのような「構造」を金星神は持たせています。

このように、このドラマの「構造」を分析することで、金星神が何を我々に伝えたいのかということが分かるようにできています。そして、このように「構造」を読み解いていくという方法は、中島美嘉の楽曲分析も全く同じであって、中島美嘉の楽曲分析においては、一番と二番の歌詞の対応関係を見ることで、その歌詞に金星神がどのような意味を込めたのかということが分かるように創られています。

どうして金星神が「構造」を分析することで、読み解けるようにこれらの作品を創ってきたかというと、神々がそこに込めたメッセージが単なる個人的な解釈ではないということを人間に確信を持ってもらうためです。現代社会において、神々からのメッセージがその作品にあると言っても相手にされません。だからこそ、それが神々からのメッセージであることを証明するためには、明確な根拠が必要です。そして、その根拠に「構造」というものはなり得ます。

金星神はわざと『傷だらけのラブソング』と中島美嘉の楽曲において、金星神がそれらの作品に残したメッセージを、「構造」の分析によって同じように読み解けるようにしています。何故ならば、ある作品において「構造」を使って読み解くことができ、別の作品において「構造」を使って読み解くことができないのであれば、「構造」を根拠にするということがこじつけに思われてしまう可能性があるからです。しかし、中島美嘉に関する様々な作品の多くが、同じように読み解くことができる「構造」を持っているのであれば、それはこじつけや偶然ではないと人間に確信を持たせやすくなります。

金星神は中島美嘉の多くの作品に明確な根拠を残し続けてきました。それは「構造」だけではなく、様々な方法を金星神は使っています。具体的な分析方法はそれぞれの解説において行なっていますが、それらの分析のことを真に理解して頂ければ、それらの解釈がこじつけなどではなく、金星神がそこに置いている明確な根拠として理解できます。そして、それらの根拠を理解する過程とは、金星神がそこに置いてくれている「奇跡」を理解する過程でもあります。ですから、このホームページの『傷だらけのラブソング』の解説や中島美嘉の楽曲解説はそういった「奇跡」の解説であると理解して頂けると幸いです。

 

【登場人物について】

このドラマはそれぞれの登場人物がどういう立場にあるのかということを理解することで、様々な重要な気付きを得やすくなります。ですから、登場人物について整理して書いていきます。

我々が抱くことができる感情の数は限られています。もちろん、細かな違いを見ていくのであれば、感情の数は無限です。しかし、「愛」と「欲望」は明確に違うものであって、このように大きな傾向は明確に分けられるものです。そして、「光の感情」と「闇の感情」は明確に決まっており、それは「相手のため(光)」の感情なのか、「自分のため(闇)」の感情なのかという観点によって決まっています。そういった観点を持っていると、どの感情が「光の感情」であり、どの感情が「闇の感情」であるのかということは、一覧として整理できます。そして、これは「光の気」と「闇の気」の分類でもあります。何故ならば、我々が抱いている感情の原因は「気」であるからです。感情一覧はこちらに書いているので、チェックしてみて頂きたく思っています。太陽系においては、「光の感情」が5種類であるのに対し、「闇の感情」は30種類あります。

http://junashikari.com/emotion/感情一覧(光・闇・中立)/

以下、登場人物達がどういった感情を抱きやすいのかということを説明していきます。これは性格の説明ですが、登場人物達の性格を曖昧に捉えるのではなく、一体どういった「光の感情」と「闇の感情」を抱きやすいのかということを理解して頂ければ、と思います。
 

・島崎未来(中島美嘉):金の人(嫌悪、負けず嫌い、怒り、絶望、疑い、など様々な闇に囚われている)

悪魔に15年間襲われ続けてきた中島美嘉のことを表しているのが島崎未来であるからこそ、島崎未来も悪魔に襲われています。そのことによって強い「闇」を島崎未来は抱えています。このドラマにおいては、島崎未来が悪魔に襲われているということを分かりやすく描いているわけではないのですが、神々は島崎未来が悪魔に襲われているという根拠を多く残してくれています。そういった中で島崎未来は、吉村浩輔と出会ったことによって「光」を選んでいきます。ですから、その過程は神々と悪魔の闘いでもあります。何故ならば、神々は島崎未来を「光」へ導きたいと思い、悪魔は島崎未来を「闇」へ落としたいと思いながら、それぞれの登場人物に関与し続けるからです。

島崎未来は金星神と繋がっているが故に、そして顔が金星神と似ているが故に、悪魔に襲われ続け「闇」に堕ちてしまった主人公です。そして、それは現実の中島美嘉と全く同じです。吉村浩輔は「光」の立場として神々の使いとして動き、島崎未来が人生の役割である金星神と共に歌を歌うという役割を実践するための手伝いをします。吉村浩輔は島崎未来の中に潜む「闇」と闘いながら、島崎未来の中にまだ残っている「光」を強くしようとします。

そのことをよく表しているのが、第二話の最後の浩輔の「人は変われる!」というセリフであり、第三話の最後に未来が浩輔に言う「私コイツのこと信じる。信じてみる。歌、、やってみる。」「人は、、人は変われるんだよ。そうだろ?あんたそう言ったろ?」というセリフです。我々はこの流れから、「信じる」ということが「光」の基本姿勢であることや、どうしてここで未来が浩輔を信じるようになったのかという過程を理解することで、様々な「光」と「闇」に関する重要なことを理解できます。未来と浩輔はお互いに「愛」で支え合うことによって、「光」を強くしていきます。その過程を理解することで、我々はどのようにして「光」を強くしていくことができるのかということも、この二人の姿から理解することができます。

未来は金星神と繋がっている「金の人」であり、魂に強く「金の気」を抱えている人です。「金の気」とは「愛の気」ですから、未来は本来は「愛」を強く抱えている人物として描かれます。しかし、悪魔に襲われる中で「嫌悪」「負けず嫌い」「怒り」「絶望」「逃げ」「疑い」などの「闇の気」も抱えさせられています。

本質的には「愛」が強く、「嫌悪」「負けず嫌い」を強く抱えさせられているという構造は現実の中島美嘉と非常に似ています。中島美嘉の歌の中には「つよがり」という言葉がよく出てきますが、「つよがり」とは「負けず嫌い」のことです。何故ならば、自分の弱さを見せるということは「負けず嫌い」な魂にとって負けた気がするからこそ、「つよがり」という態度を取るからです。島崎未来も中島美嘉も「つよがり」な人間であって、「負けず嫌い」な人間です。

余談ですが、この島崎未来は悪魔から強く襲われている芸術家ですから、『四分間のピアニスト』のジェニーや『ブラックスワン』のニナと同じ立場になります。しかし、島崎未来はジェニーやニナと異なり、「光」へ向かっています。ジェニーやニナは「光」と「闇」の闘いにおいて、「闇」が勝ったケース、つまり悪魔に囚われてしまったケースです。それに対して、島崎未来は「光」と「闇」の闘いにおいて、「光」が勝ったケースであり、神々と共に働くことを選んだケースです。この認識を持つことはとても大事です。何故ならば、島崎未来もジェニーもニナも中島美嘉自身の姿を描いていると言うことができるからです。また、『NANA』の大崎ナナも悪魔に襲われている芸術家として描かれており、中島美嘉と本質的に同じ立場の人間です。だからこそ、中島美嘉が大崎ナナを演じている形になります。

 

・吉村浩輔(高橋克典):火の人(後悔、逃げ)

吉村浩輔は非常に「光」の強い人なのですが、盗作をしたことにより音楽業界を追放され、自分のその過去を後悔し、その過去から逃げ続けている人間として描かれます。ですから、浩輔は「後悔」「逃げ」という「闇」の感情を抱えて生きています。浩輔は未来と出会ったことによって、「後悔」や「逃げ」といった自分の「闇」と向き合い、それを乗り越えていきます。このドラマが素晴らしいのは、単純に一方が一方を支えることで「光」へ導くということではなくて、お互いに「闇」を抱えている二人が一緒に生きていくことで「光」へ向かっていくという姿が描かれていることです。金星神はそういったことを人間にしてほしいと、そういったことを通して「愛」の価値に気が付いてほしいと思いながら我々を支えているからこそ、金星神はこういった姿をこのドラマの中に描いています。

浩輔は「火の人」ですが、「火の人」とは、「火の気」を魂に強く含んでいる人であって、「火」の感情とは「明るさ/笑い」という側面と「闘いの心」という側面を持っています。我々は複数の「愛」の実践方法を持っています。「火の人」は「愛」の実践のために相手を笑わせようとし、相手を傷付ける何者かと闘おうとします。「愛」の実践のために「相手を笑わせようとする気持ち」のことを「明るさ/笑い」と言い、「相手を傷付ける何者かと闘おうとする気持ち」のことを「闘いの心」と言います。

ですから、浩輔は相手に対する「愛」からいつも周りを笑わせようとします。このスタンスはどの回を観ても描かれています。そして、時には相手に対する「愛」を理由に、何者かと闘おうとします。例えば、第一話において、由佳の携帯と学生証を取り戻すために不良集団に立ち向かいますが、これは由佳に対する「愛」から生まれた「闘いの心」です。

 

・川原由佳(加藤あい):火の人(嫉妬、嫌悪)

未来や浩輔がこのドラマの中で「闇」→「光」へ向かったのに対して、このドラマの中で唯一「光」から「闇」へ堕ちていってしまうのが、浩輔の妹である由佳です。由佳は浩輔に対する「愛」が未来に対する「嫉妬」や「嫌悪」に転じ、そのことから様々な「闇」を働くようになり、そのことで「闇」へ堕ちていってしまいます。ですから、我々は由佳がどのようにして「光」から「闇」に堕ちていったのかという過程を理解することで、我々が「闇」に堕ちる様々な罠を理解することができます。そういったことを描くために、金星神はこのドラマの中に由佳という登場人物を置いています。

由佳は「火の人」であり、浩輔と同様に「明るさ/笑い」「闘いの心」の両方を持っています。浩輔と楽しそうに話している時の態度は「明るさ/笑い」ですが、江崎と接している時などは浩輔に対する「愛」を理由に「闘いの心」で江崎に接します。

 

・島崎綾(川島なお美):欲望

未来の母親の綾は「欲望」で動いている人物として描かれます。現代人からすると、決して性格が悪いという感じはしないのですが、本質的には「闇」の人であって、ほとんどの感情の抱き方が「欲望」です。例えば、自分が楽をしたいが故に、未来を自分の店で働かせようとしたりする点などや未来が警察に捕まった時などは「親をひとりぼっちにして、この親不孝者!」と未来を罵ります。「闇」の立場とは「相手のため(愛)」ではなくて、「自分のため(欲望)」の立場であって、自分の子を「自分のため」の道具と考えがちなことがこれらのセリフからよく分かります。つまり、「欲望」で綾が生きていることがよく分かります。この解説においては、綾がどういった形で「欲望」の感情で生きているのかを詳しく説明していきたいと思います。

現代は「自分のため(欲望)」に生きている人があまりにも多いために、「欲望」が「欲望」に見えなくなってしまっています。ですから、鑑賞者によっては綾は普通の人であって、「闇」の人と言われてもあまりしっくりきません。そういった人物をこのドラマの中に描き、現代に満ちている「欲望」というもの、我々の中で当たり前になっている「欲望」がどのようなものを説明するために、金星神は綾という登場人物を用意しています。

 

・江崎正彦(金子賢):負けず嫌い

売れっ子音楽プロデューサーの江崎は「負けず嫌い」という「闇」に強く囚われている人物として描かれます。現代において、上に昇って行くために非常に有効な感情は「負けず嫌い」です。だからこそ、売れっ子プロデューサーの江崎は「負けず嫌い」な人物として描かれます。

江崎は浩輔に対する「劣等感」などから、浩輔に対して強く「負けず嫌い」の気持ちで様々な攻撃を与えていきます。江崎の「闇」は非常に強く、いつも自分が勝つことを「快楽」と感じ、そのことによって相手を傷付けることに関して何の躊躇もありません。そのような江崎の姿から、「負けず嫌い」に強く囚われている「闇」の人間がどのように物事を感じ、どのように思考をしているのかということを学べるように、金星神はこの江崎という人物を描いています。

 

・加藤佐和子(畑野浩子):比較の闇

江崎の恋人である佐和子は「比較の闇」という「闇」に強く囚われている人物として描かれます。「比較の闇」とは「優越感」や「劣等感」のことを意味します。自分が業界人であるということで、他人を低く見るようなところから「優越感」で動いている人物であることはよく感じられます。

佐和子はいつも恋人の江崎の「負けず嫌い」を刺激するような形で様々な挑発を江崎に行ないます。それをいつも「優越感」の感情で楽しそうに行ないます。どうしてこのようなことを行なうかというと、佐和子としては自分の彼氏が活躍していてほしいと思っているからです。自分の彼氏が社会的に上の立場であってほしいと思うのも、「比較の闇」によって生まれる感情です。「比較の闇」とは文字通り、自分や他人、人と人を比べる態度のことであり、自分と他人を比べることよって「優越感」「劣等感」が生まれます。そして、人と人を比べる態度から、自分の彼氏は上の立場でいてほしいと思います。何故ならば、人と比べて上か下かという価値基準が「比較の闇」に取り憑かれている人間が最も大事にしている判断軸であり、彼氏にもそれを求めるからです。

佐和子は「自分のため」に、自分の彼氏が活躍している人物であってほしいと思い、江崎の「負けず嫌い」を刺激することによって、江崎にやる気を起こさせます。それと同様に、江崎は「自分のため」に自分をやる気にさせることができる佐和子と付き合っています。この二人は「愛」で繋がっている恋人ではなく、そういった「利害関係」によって繋がっている恋人として描かれています。だからこそ、二人が愛し合っている描写はこのドラマにおいては全く描かれていません。「闇」の立場の魂にとって、恋愛も「自分のため」の道具です。そういった「闇」の立場の恋愛を人間に理解してほしいと思い、金星神はこの二人を恋人として描いています。

 

・坂井圭司(石原良純):風の人

医者であり、浩輔の親友である坂井はこのドラマの中で、最初から最後まで「光」しか実践しない人物として描かれています。そして、坂井は「風の人」であって、「風の感情」である「優しさ」を浩輔に実践し、浩輔を支えます。「愛」の実践の方法には複数の方法があると書きましたが、「愛」のために相手に「優しさ」を実践するのが、「風の感情」です。現代においては「自分のための優しさ」という言葉を言ったりするように、「優しさ」という言葉自体が歪んできていますが、本来「優しさ」とは純粋に相手のために、相手に対する「愛」から生まれるものです。坂井はそういった本来の「優しさ」=「風の感情」を最初から最後まで浩輔に実践します。

このドラマでよく描かれるおでん屋での坂井と浩輔の会話は「火の人」と「風の人」が支え合う様子です。この二人はお互いに対する「愛」を強く抱いていますから、「火の感情」と「風の感情」という「光の感情」でお互いに接することができ、この二人の会話に神々が「光の気」で関与できている様子も描かれます。我々が神々からの「光の気」を受け取るために必要なのは、「光の感情」を我々が抱いていることです。この二人は二人でいる時にいつも「光の感情」を維持できていますから、神々はこの二人の会話に「光の気」で関与することができ、浩輔に必要な言葉を坂井に言わせるということを行ないます。

坂井は山好きであることも第三話において描かれますが、金星神は意図的にこのようなシーンを作っています。「風の感情」とは「風の気」によって成り立っている感情ですが、太陽系において「風の気」を支えているのは木星神様です。そして、その名前に「木」と書いてあるように木星神様は植物を強く支えている神様です。どうして、木星神様が強く植物を支えているかというと、木星神様は地球上の風を操っている神様であり、植物が様々な「気」に触れることができるように、風を回しているからです。植物は人間と異なり、自分自身の意志によって動くことはできません。ですから、もしこの地球上に風が無ければ、植物はずっと同じ「気」を摂取しながら生きることになります。しかし、それは植物にとってあまりにも好ましくない状況です。そういった状況を回避し、様々な「気」を植物に送っているのが木星神様であり、だからこそ「風の気」を司る神様が「木」星神様と呼ばれています。坂井は「風の気」と非常に相性のいい人間ですから、木星神様の「風の気」に満ちている山によく足を運んでいる形になります。

 

・工藤康之(西岡徳馬):欲望

グローバルサウンドの幹部である工藤は、このドラマの中で最も「闇」に満ちた人物として描かれます。坂井が最初から最後まで「光」を実践しているのと対照的に、工藤は最初から最後まで「闇」を実践しています。また、綾も「欲望」の人ですが、綾の「欲望」とは強いものではありません。それに対して、工藤の「欲望」は非常に強いものであり、誰が見ても悪党にしか見えません。坂井:工藤=光:闇、綾:工藤=弱い欲望:強い欲望といった形で、登場人物同士の違いを意識化することで、我々は多くの要素を学ぶことができます。

工藤は強い「欲望」を抱いているが故に、徹底的に「自分のため」に相手を「支配」しようとします。そして、その「支配」の仕方が非常に巧妙であり、その巧妙な方法から我々は「闇」の魂がどのような手段を使って我々を「支配」するのかということを学ぶことができます。例えば、未来を「契約」によって「支配」することは非常に分かりやすい「支配」の方法ですが、様々な工藤の発言というものはいつも相手を「支配」することを意図して行なわれています。この解説では工藤がどのような方法を使って相手を「支配」しているのかということを説明していく形になると思います。

また、工藤は自分に「不利益」を与えた浩輔に対して、徹底的に「許さない」という立場を貫いています。「闇」の立場の魂は「自分のため」=「利益」に動いている魂であって、だからこそ自分に「不利益」を与える魂を許しません。また、相手よりも自分の方が大事でもあるからです。

 

・田代美紀(矢沢心):火の人(欲望)

由佳の親友である美紀は、「火の人」であり「欲望」も抱えている人物として描かれます。美紀は「火の感情」である「明るさ/笑い」を実践しながらも、歌手になるために江崎に体を売ろうとするように「欲望」も抱えています。

 

・田村良二(清水元基):支配欲

不良グループのリーダーでもある良二は未来に対する恋心から、未来に対する「支配欲」を抱えています。「闇」の強い魂にとって、恋とは「自分のため」のものとなりやすく、その1つの選択肢が「支配欲」に堕ちてしまうというものです。第一話の「いつかお前を俺の女にしてやる」という良二のセリフにそのことはよく表れています。現代人は恋人同士で束縛をし合うような傾向や、相手を転がそうとする傾向がありますが、これは相手に対する「支配欲」から生まれるものです。それだけ現代社会においては、恋が「支配欲」に転じるということはよく起こることなのですが、そのことを分かりやすく表現するために良二は未来に恋をしている設定をこのドラマは持っています。

余談ですが、「光」の強い魂が恋をする場合、その恋は「相手のため」の気持ちとなり「愛」という「光の感情」となりやすいのですが、恋が「闇」の方向性で使われると「支配欲」「依存」「逃げ」といった「闇の感情」に堕ちてしまいます。中島美嘉の様々な恋愛に関する歌は、「恋」が「光」にも「闇」にも使われることを非常に的確に描いており、我々は中島美嘉の楽曲を通して恋愛における「光」と「闇」を学ぶことができます。そのことは2015年に生まれた『愛の歌』の中の「恋心が示してくれたのは痛み(闇)と愛しみ(光) 」という歌詞にも、金星神は表現してくれています。

 

【私と吉村浩輔の共通点について】

最後に、私が吉村浩輔の立場にあるという神々が残した様々な根拠を書いておきたいと思います。中島美嘉のデビュー日と私の誕生日が同じ11月7日であるということは既に説明しました。ですから、その他の点について、ここに書いておきたいと思います。

私が中島美嘉について抱いている最初の記憶は2004年の紅白歌合戦でした。その時に中島美嘉は『朧月夜〜祈り』を歌っていて、私はそれを観て、ひどく感動したのを覚えています。私は紅白歌合戦の思い出はほとんど持っていないのですが、その中島美嘉が歌っている場面のことは今に至るまでずっと覚えてきました。

『WILL』で「記憶が星座のように 輝きながら 繋がる  バラバラに見えていたけど 今ならわかるよ」「記憶が星座のように ひとつになって教える」と歌われているように、我々の記憶というものは我々自身に対する「教え」になるものです。何故ならば、記憶の管理は我々自身が行なえるものではなく、神々が行なっているものだからです。「記憶」について詳しくはここに書いています。

http://junashikari.com/body/記憶について/

我々は自分自身の「意志」によっては、どの記憶を残し、どの記憶を消すかということを行なうことができません。そして、脳自体にそのような取捨選択能力があると誤解している脳科学者もいますが、何らかの「選択・判断」を行なう時は、その「選択・判断」を行なう魂が必要です。何故ならば、「選択・判断」は「意志」によってしか成り立たず、「意志」とは魂によってのみ行なえるものだからです。そして、記憶の取捨選択を行なっているのが神々という魂になります。

神々は我々にとって大事な記憶を残そうとし、不必要な記憶は消します。そして、神々が思う我々にとって大事な記憶とは、我々の人生の役割についての記憶です。だからこそ、自分の人生の役割について理解する時、「記憶が星座のように 輝きながら 繋がる」ということに至ります。または、「記憶が星座のように ひとつになって教える」と歌われているように、自分の持っている記憶から神々が我々に伝えたい大事なことを明らかにすることができます。

このことを前提として、2004年の紅白歌合戦の話に戻りたいのですが、『朧月夜〜祈り』の中で、中島美嘉自身が書いた歌詞にこのような歌詞があります。

「遥か 遥か 遠い未来に」
「強く 強く 輝き放て」

中島美嘉が「闇」から「光」へ変化するきっかけとなるのが私であるからこそ、神々は私に中島美嘉が紅白で『朧月夜〜祈り』を歌った時の記憶を残しています。私は中島美嘉に強く「光」を実践するという役割を持って生まれてきました。そして、この歌詞はそのことを「遥か 遥か 遠い」=「将来」、「未来に」=「中島美嘉に」、「強く 強く 輝き放て」=「強く光を実践してほしい」という形で表現しています。そして、私が紅白歌合戦で特に覚えている場面はこの歌詞を中島美嘉が歌っている場面です。

また、私は高校生の頃に一度だけ『傷だらけのラブソング』の吉村浩輔役である高橋克典に似ていると言われたことがあります。私の人生の中で高橋克典に似ていると言われたのはその一回だけです。しかし、その時のことを何故かずっとよく覚えていました。これは、自分が吉村浩輔の役割を担うからこそ、神々がその時のことを覚えさせた形になります。

また、これは記憶の話ではありませんが、私は吉村浩輔と同様にライブハウスの経営のようなことをシャーマンになるしばらく前まで行なっていました。このドラマの中では、唐突に吉村浩輔がライブハウスを作りたいと言い始めますが、吉村浩輔と私の共通点を作るために神々がそのような設定にしたのだと思います。ちなみに、私がライブハウスの経営のようなことをすることを神々は予定として決めていました。

また、私は今回生まれる前に2000年以上幽霊として「光」を実践していましたが、その前は盗賊でした。家族を人質に捕られ、しょうがなく盗賊をやっていた形になります。吉村浩輔は盗作によって、音楽業界から追放されていますが、「盗み」という一致を神々は作りたかったのだと思います。また、これは何の意味があるか分かりませんが、私がライブハウスの経営のようなことをやっていたのも住んでいたのも四谷三丁目界隈であって、このドラマでよく映るスナック綾のロケ地のあたりをいつもウロウロしていました。このことにどんな意味があるのかはよく分かりません。

中島美嘉のデビュー日と私の誕生日が一致している点や、こういった記憶の残り方、様々な一致から、自分が中島美嘉を支える役割にあるということについては確信を持っています。また、中島美嘉に関する様々なことを明らかにしていく段階において、中島美嘉に中島美嘉自身について伝えることができる人間も自分しかいないとも思っています。何故ならば、今の人間はお坊さんや気功師であっても、正しい「気」の知識を持っていないからです。

少し私のことを書きましたが、『傷だらけのラブソング』の吉村浩輔の立場にあるのが私であるということを伝えるために、このことは書いておく必要があると思い、自分のことを書いておきました。

私はまだ中島美嘉と話したことはありません。今は修行中であり、この修行が終わった後にコンタクトを試みようと思っています。今はそういう期間なのですが、向こうから中島美嘉の関係者がやってくるということが何度もありました。我々の出会いに神々は関与できます。だからこそ、私に中島美嘉の関係者を出会わせるということを神々は何度も私に行なっています。

いつか中島美嘉を支えることができるようになることを願っています。そして、もしそのような流れになるのであれば、中島美嘉は多くの「奇跡」を経験することになります。そして、そういった「奇跡」の中で、中島美嘉は自分自身について真に理解し、耳管開放症などの病を解決し、再び「光」を強く表現するようになります。そして、強い「光」を歌う中島美嘉を日本人が見ることになります。そのことで、日本人全体の「光」が強くなっていきます。

神々はそれを実現したいと思っていて、中島美嘉をそれをやりたいと思いながら、今世の人生の役割を選んでいます。だからこそ、それをなんとか中島美嘉に思い出してもらわなければなりません。最近発表された中島美嘉の新曲『ビルカゼスイミングスクール』の中でも「思い出して ここへ何を見つけに泳いで来たのか 奇跡なんてふとした時に 見つかるのよ」という歌詞がありますが、これは金星神からの中島美嘉に対する語りかけの言葉です。そういったことを思い出してもらうために、自分自身について確信を持ってもらうために、このホームページで中島美嘉に関することを書いていますし、『傷だらけのラブソング』の解説も書いていきます。