ここでは『エヴァンゲリオン』の概要について書きます。
 

【宮崎駿と庵野秀明】

 

『エヴァンゲリオン』の位置付けを理解する上で、大事なことは宮崎駿と庵野秀明の違いを知ることがとても大事です。

日本には様々なアニメーション作家がいますが、最も重要なアニメーション作家は宮崎駿と庵野秀明です。どうしてこの2人が最も重要と言えるかと、この2人は「光」と「闇」について、日本人が深い理解を得ることができるアニメーションを作り続けてきたからです。

「光」とは「愛」を基本感情とする「相手のため」の行動を実践する立場です。それに対して、「闇」とは「欲望、嫌悪」を基本感情とする「自分のため」の行動を実践する立場です。我々は意識的にも無意識にも、必ず「相手のため」と「自分のため」のどちらかを選んでいます。ですから、「光」と「闇」という問題は我々の生と常に密接にあるものであって、そういった「光」と「闇」について深い理解をすることができるアニメーションを作り続けた宮崎駿と庵野秀明は最も重要と言えます。

宮崎駿は「光」の方を強く描き、庵野秀明は「闇」の方を強く描いてきました。ですから、宮崎駿作品の持っている意味を深く理解するのであれば「光」について学ぶことができ、庵野秀明作品の持っている意味を深く理解するのであれば「闇」について学ぶことができます。


【エヴァンゲリオンは様々な心理的罠を理解するための教科書】

そういった意味で、『エヴァンゲリオン』は我々が「闇」について学ぶ上でとても重要な教科書のような意味を持っています。「闇」を学ぶということは、「闇」に向かって生きていくということではなくて、「光」を貫くために「闇」という罠とはどのようなものなのかを知るということです。「闇」の持っている様々な罠について理解しなければ、意図せず「闇」に堕ちてしまいますから、こういったことを理解することはとても大事です。

また、「光」を誤った形で使う様子も描かれているので、そのことを通して我々は「光」の正しい実践方法を学ぶことができます。つまり、「闇のための光」が描写されることもあります。宮崎駿作品では主人公達は基本的に「光」を正しく実践し、間違った形で実践する人は稀です。しかし、現実世界では「光」を誤った形で実践するような時はあるので、誤った「光」の実践のことを我々が学ぶことはとても大事です。そういった意味でも、宮崎駿作品に足りない要素を庵野秀明作品は補っています。
 

【登場人物について】

宮崎駿の作品の主人公達は強い「光」の人物が多いのに対し、『エヴァ』の登場人物はほとんど全員が不完全な「光」の存在として描かれます。ですから、宮崎駿作品の登場人物と庵野秀明の登場人物を比べるということは我々に多くの学びをもたらします。

 

「愛」には複数の方向性があります。その一つの方向性が「愛」が故に「問題解決」を実践しようとする方向性であって、そういう精神性を「水の気持ち」と言います。

『もののけ姫』のアシタカと『エヴァンゲリオン』の碇シンジは同じ「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」を強く抱きながら生きている人間なのですが、アシタカは「水の気持ち」を最もいい形で使い、碇シンジは「水の気持ち」が故に様々な「闇」に捕まっている人物です。ですから、双方の違いを分析すると「水の気持ち」の長所と短所を理解することができます。

例えば、アシタカは良い形で「水の気持ち」を抱くからこそ、タタラ場と森の対立という「問題」を「解決」します。それに対して、シンジは悪い形で「水の気持ち」を抱くからこそ、自分の抱えている「問題」に対して「嫌悪」してしまい、それが「自己嫌悪」という「闇」に繋がっていきます。このような形で、「問題」を見つめるという精神性が故の可能性と危険性をこの二人は表現しています。

このような形で、宮崎駿作品の登場人物の誰かと『エヴァンゲリオン』の登場人物を比較することで、我々は様々な精神的方向性の可能性と危険性を理解することができます。


【エヴァンゲリオンが表現しているのは「シャーマニズム」】

神々を自分に宿す行為のことを「チャンネリング」と言い、そういうことを行なう人間のことを「シャーマン」と言います。そのような意味で、『エヴァンゲリオン』は「シャーマニズム」の意味を非常に的確に描いています。つまり、エヴァのパイロット達は「シャーマン」であり、エヴァは神々の意味を持ちます。

例えば、「シンクロ率」という言葉が非常に頻繁に用いられますが、「シャーマン」の行なう「チャンネリング」においても非常に重要な要素が「シンクロ率」であって、「シンクロ率」が高ければ高い程、良い「チャンネリング」が実現します。また、「暴走」という要素も描かれますが、これは「チャンネリング」の際にも起こることがあることです。

現代を生きる我々日本人は見失いがちですが、「チャンネリング」を自覚無しに経験している人間はいます。例えば、プロの歌手の中には、本当に調子がいい時などに、自分自身が歌っている感覚でない感覚を経験したことがある人もいますが、そういう時に起こっているのが「チャンネリング」です。そもそも、歌手と巫女(シャーマン)は非常に近い存在だからこそ、こういう構造が生まれやすいです。

我々人間が強い「気合」を入れる時、「チャンネリング」は実現しやすいです。これは歌手に限らず、才能あるアーティストの中には経験したことがある人は少なくありませんし、スポーツ選手などにも経験者は少なくありません。そして、「チャンネリング」をする時こそ、実力以上の何かを実現できるものです。

ですから、我々人間が「チャンネリング」について理解することは、我々がより良い何かを実現していく上で大事なことです。そのような意味で、「チャンネリング」の可能性と危険性を描いている『エヴァンゲリオン』は「シャーマニズム」について理解する教科書の意味も持っています。

ちなみに、このような意味で「碇シンジ」という名前を考えるなら、「怒り+神事」です。「水の気持ち」は「向上心・問題解決の心」であって、それは「厳しさ」へ繋がっていきます。この「厳しさ」とは「怒り」とも言うことができ、シャーマンとは「神事」を行なう人間のことです。そのような意味で、「碇シンジ(怒り+神事)」という名前は非常に的確です。

庵野秀明は『風の谷のナウシカ』で巨神兵が復活するシーンを描いたことで有名ですが、巨神兵もエヴァンゲリオンも両者共に「破壊神」の意味を持っています。『エヴァンゲリオンQ』の前に上映されていた『巨神兵東京に現る』は、まさにそのような「破壊神」の性質を描いています。そういった「破壊神」の神事を『エヴァンゲリオン』は描いている側面があります。

※「チャンネリング」は大変危険な行為ですので、安易にやってみようと思わないで頂けると幸いです。


【最後に】

『エヴァンゲリオン』は我々人間が生きていく上で非常に重要な教えに満ちた聖書と言っても過言ではない程に重要な作品です。だからこそ、その意味を理解することは我々に大きな恩恵を与えますし、そういうことを促すためにも、このホームページでは、将来的に『エヴァンゲリオン』に関する徹底的な解説を揃えていきたく思っています。