ここでは「水の気持ち」について解説を書きます。

「愛」には複数の種類がありますが、「水の気持ち」は一つの「愛」の「気持ち」だと理解して頂けると幸いです。太陽系に存在する「愛」の「気持ち」は5種類であって、それらのことを「光の気持ち」と言い、「水・火・風・土・金の気持ち」のことを意味します。そのような全体像の中で、ここに「水の気持ち」についての解説を書いていると御理解頂ければ、と思っています。


【「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」】

「水の気持ち」とは「向上心・問題解決の心」です。「向上心」と「問題解決の心」は同じ性質のものであるからこそ、このような説明となります。「向上心」は自分の持っている問題を解決しようとする気持ちであって、「問題解決の心」とは自分以外の問題を解決しようとする気持ちです。「水の気持ち」は「問題を解決しようとする気持ち」だからこそ「向上心」と「問題解決の心」の両方に繋がる感情になります。

そして、「水の気持ち」はどうして問題を解決したいという気持ちに繋がるかというと「愛」が根本にあるからです。つまり、「水の気持ち」とは「愛」を内に含んでいます。自分が「愛」を抱く相手が問題を抱えている時に、その問題を解決したいと思う気持ちが「水の気持ち」の「問題解決の心」です。そして、自分が「愛」を抱く相手を助けられる程に自分が成長しようとする気持ちが「向上心」です。自分が未熟だと大事な人を支えることはできませんが、「水の気持ち」の「向上心」は大事な相手を支えるために、自分の未熟さを乗り越えるためのものです。以上が「水の気持ち」の内容説明です。

ただ、一般に言われる「向上心」には二種類あるので、その点は理解する必要があります。「相手のため」の「向上心」は「愛」を動機に自分の抱える問題を解決する気持ちであって、これは「水の気持ち」の「向上心」です。それに対して、「自分のため」の「向上心」は「欲望」や「負けず嫌い」のことを意味します。例えば、自分がより高い給料をもらうために自分の技術を伸ばそうとする姿勢は一般的には「向上心」とも言われますが、本質的には「欲望」です。また、誰かに勝ちたいといったことを動機に自分を伸ばそうとする姿勢も一般的には「向上心」ですが、本質的には「負けず嫌い」です。

このように「向上心」は「自分のため」のものと「相手のため」のものがあることは意識して頂ければ、と思います。「相手のため」の「向上心」は「水の気持ち」であって「光の気持ち」ですが、「自分のため」の「向上心」は「欲望・負けず嫌い」などであって「闇の気持ち」です。


【「水の気持ち」と近い「闇の気持ち」】

以下に、「水の気持ち」と近い関係にある「闇の気持ち」について書いていきます。それぞれの「闇の気持ち」がどのように「水の気持ち」と近いのかを理解することによって、「闇の気持ち」に堕ちる罠を知ることができます。そのことによって、「闇」に対して適切な形で心の闘いを行なうことができ、「水の気持ち」から「闇の気持ち」に堕ちるリスクを減らすことができます。

「水の気持ち」をよく抱いている人であっても、どのような「闇の気持ち」に堕ちやすいのかということに関しては、それぞれ異なる傾向があります。ですから、「水の気持ち」を抱かれる方は以下の文章を読んで頂きながら、自分がどういった「闇の気持ち」に堕ちやすいのかということを分析して頂ければ、と思います。

「闇の気持ち」は合計30個ありますが、「水の気持ち」が堕ちやすい「闇の気持ち」は「嫌悪・怒り・絶望・疑い・不安・恐怖・焦り・欲望・後悔(罪悪感)・比較の闇(優越感・劣等感)・被害妄想・咎める心・混乱」などです(合計13個)。それぞれについて解説を書いていきます。

 

・「問題視」と「嫌悪」

「水の気持ち」は「問題解決」を目指す気持ちだからこそ、良くも悪くも相手の長所よりも短所=問題の方がよく見えてきます。つまり、「水の気持ち」は「問題視」という心の動きに繋がります。そして、何かを「問題視」するということは、その何かのことを悪いと思うからであって、何かを悪いと思うことは「嫌悪」と密接な関係にあります。だからこそ、「問題視」と「嫌悪」は近い関係性にあり、「水の気持ち」と共に生きている人は「嫌悪」に堕ちないように心の闘いをする必要があります。

相手の抱える問題ばかりが見えてしまうことは、その相手自体に対する「嫌悪」に繋がりやすいです。例えば、いつも「甘さ」に堕ちる人がいたとしたら、「水の人」はその人の「甘さ」ばかりを「問題視」してしまうが故に、油断するとその人自体に対して「嫌悪」してしまいます。しかし、相手の抱える問題はその相手の一部であって、その相手の全体ではありません。この例の場合は、「甘さ」は確かに問題ですが、「甘さ」以外にも様々な要素がその相手にはあるはずです。しかし、「水の人」は相手の長所よりも短所(問題)にフォーカスを置くが故に、相手のいいところが見えなくなり、相手を「嫌悪」の対象にしてしまいがちです。

「水の気持ち」を抱く時は、相手に対して、そういった部分と全体の発想を持って接する必要があります。そうでないと、相手の部分の抱える問題が、相手の全体が問題のように思えてしまいます。そして、そういった心の動きが相手に対する「嫌悪」になってしまいます。このような意味で、相手の抱える問題は「問題視」しつつも、相手自体に対する「嫌悪」に堕ちずに「愛」を保つということを「水の気持ち」を抱く時にはする必要があります。

我々は「肯定」と「否定」という心の動きを一つの時間に同時に行なうことはできません。そして、それぞれの「光の気持ち」は「肯定」と「否定」のどちらかを担当しています。「水の気持ち」は「否定」の方向性を担当しているからこそ、「嫌悪」に近いとも言えます。

「水の気持ち」は「光」=「愛」を目指す方向性であって、現代は非常に「闇」=「欲望・嫌悪」が強い時代です。ですから、強い「水の気持ち」と共に生き始めると、あまりにも膨大な問題が見えてきます。こういった時代に「水の気持ち」と共に生きる人の人生の課題は、あまりにも多くの問題を「問題視」しつつも、「嫌悪」に堕ちずに「愛」を貫くということになります。


・「希望」と「絶望」(「諦め」)

「嫌悪」の話とも繋がりますが、「水の気持ち」と共に生き始めるとあまりにも多くの膨大な問題が見え始めるが故に、「絶望」や「諦め」にも繋がりやすくなります。「希望」を失うと「水の気持ち」は「絶望」や「諦め」に繋がるので、「水の気持ち」を抱く時は「希望」を貫く必要があります。「水の気持ち」が元々「希望」を内に含んでいて、そういった「希望」が失われると「水の気持ち」を維持していられないということは御理解頂けると幸いです。

「問題解決をしたい」と思うのは、「問題解決ができる」と思うからです。この「問題解決ができる」という気持ちが「水の気持ち」の「希望」です。しかし、「問題解決ができない」と思うと「問題解決をしたい」とは思わなくなります。だからこそ、この「問題解決ができない」という気持ちが「水の気持ち」から「絶望」に繋がります。

「水の気持ち」を抱いている時に「希望」を失わないための一つの方法は、どんなに少しでも進歩していることを見ることです。「水の気持ち」を強く抱いていれば、自分は「向上」しますし、自分以外の「問題解決」も少しずつ進んでいきます。そういった進歩を見ることによって、「希望」を失わないようにできます。「水の気持ち」自体が「向上・問題解決」を目指す気持ちだからこそ、そういった「向上・問題解決」を見つめる行為は「絶望」を防ぎ「希望」を保ちます。

例えば、医者になって多くの人の命を守りたいと思っている人が、国家試験のために勉強をしていたとしていて、けれども、なかなか成績が伸びずに苦悩していたとします。そういった時に「もう自分は成績を伸ばせない」と思うのであれば、「問題解決できない」と思うことなので「絶望」に繋がります。そうではなくて、「まだ自分の成績は伸ばせる」=「問題解決できる」と思うのであれば「希望」を保つことができます。そして、そういった「希望」を維持するために、昨日は覚えていなかったけれども、今日は知っている知識が一つでもあることを見るのであれば、一歩ずつ向上していることに目が行くので「希望」は保つことができます。

ちなみに、「絶望」は「闇の気持ち」ですが、「諦め」は「中立の気持ち」です。「希望」を失い、そのことを肯定するのであれば「諦め」になりますが、「希望」を失い、そのことを受け入れられないのであれば「絶望」に繋がります。「絶望」にしても「諦め」にしても「希望」を失うという点は共通であって、「水の気持ち」が「希望」を失うと「水の気持ち」を維持していられなくなります。ですから、「水の気持ち」は「希望」を失わないために、何か進歩していることを見ることが大事ですし、「水の気持ち」を使って日々何かが進歩するように努力することがとても大事になります。


・「問い」と「疑い」

「水の気持ち」は「問い」という心の動きにも繋がります。何故ならば、「問い」とは「問題解決」の一つの方法だからです。「問題解決」を行なうためには、問題のことを正しく認識する必要があります。そして、問題を正しく認識するための方法が「問い」だからこそ、「水の気持ち」は「問い」をよく行なうことに繋がります。

この「問い」という心の動きと近い心の動きが「疑い」です。そして、「疑いの心」は「闇の気持ち」の一つになります。どうして、「疑い」が「闇の気持ち」と言えるかというと、「疑い」という心の動きには必ず「嫌悪」があるからです。例えば、「疑いの心」を言葉にすると、「それって本当かよ?絶対嘘だろ。」「あの人怪しいんだよね〜」といった形です。「疑い」の中に「嫌悪」があるからこそ、「疑い」はこのような心の言葉となります。そして、「嫌悪」は「愛」と対立するものであって、だからこそ「疑い」は「闇の気持ち」です。

それに対して、「水の気持ち」の「問い」を言語化すると「これは本当だろうか?」「あの人が嘘を付いている可能性はあるのだろうか?」といった形で、より中立的な心の言葉になります。「水の気持ち」は「愛」を前提とする感情なので、相手に対する「嫌悪」に堕ちずに、相手に対する「尊重」があります。この「尊重」が、「疑い」の持つ相手に対する「嫌悪」を防ぎます。

「問い」は「問題解決」を目指す姿勢から起きる、何かを疑問に思うことであるのに対して、「疑い」は相手に対する「嫌悪感」から起きる、何かを疑問に思うことと理解して頂けると幸いです。そして、両者の違いを決定づけるのは、相手に対する「尊重(光)」と「嫌悪(闇)」です。

何かを疑問視することについて、「問い」と「疑い」があることを御理解して頂き、両者の違いを認識して頂けると幸いです。その上で、「水の気持ち」で相手に対して「問い」を行なう時は、相手に対する「尊重」を保ち、相手に対する「嫌悪」に堕ちないようにして頂ければ、と思います。そのことによって「問い」から「疑い」に堕ちることを防ぐことができます。


・「厳しさ」と「怒り」

「怒り」には二種類あります。そのことを整理すると、以下のようになります。

「相手のため」の「怒り」=「厳しさ」(光の気持ち)
「自分のため」の「怒り」=「怒り」そのもの(闇の気持ち)

「水の気持ち」が相手の抱える問題を解決することを目指す時、時にそういった気持ちが相手に対する「厳しさ」となっていきます。そして、「水の気持ち」の「厳しさ」とは「愛」が故に起きる「怒り」のことです。しかし、そういった「厳しさ」は油断すると「自分のため」の「怒り」そのものとなってしまいます。

例えば、相手が何度言っても同じ過ちを繰り返したりしていくと、どこかで相手に対する「愛」が薄れやすくなり、相手に対する「嫌悪」に堕ちていきます。そして、そういった「嫌悪」から相手に対して「怒り」をぶつけるようになると、それは「水の気持ち」の「厳しさ」ではなくて、「闇の気持ち」の「怒り」そのものとなってしまいます。

相手に対する「嫌悪」から生まれる「怒り」は、自分の抱いている不愉快な「嫌悪」を発散させるための「怒り」であって、「相手のため」ではなくて「自分のため」のものです。それに対して、相手に対する「愛」から生まれる「怒り」は、相手を助けたいという「愛」から生まれる「怒り」であって、「自分のため」ではなくて「相手のため」のものです。

我々の日常の中で、誰かに対して「厳しさ」を実践する時、どこかで相手に対する「愛」が「嫌悪」にすり替わっていくようなことはよくあります。ですから、御自身が誰かに対して「厳しさ」を実践している時に、その「怒り」が相手に対する「愛」から生まれているのか「嫌悪」から生まれているのかをよく吟味する必要があります。
 

・「向上心」と「知識欲」

これはこのページの冒頭の話とも繋がりますが、「相手のため」に自分の問題を解決しようとする「向上心」が、気が付くと「自分のため」の「向上心」にすり替わっているケースはあります。「水の気持ち」の場合によくあるのは、「知識欲」といった「欲望」に堕ちるケースです。

例えば、「水の気持ち」の「向上心」は「真実」を知ろうとする気持ちに繋がります。何故ならば、「真実」を理解することは、自分や世界が抱えている問題を浮き彫りにするからです。例えば、「問い」と「疑い」の違いを理解すると、自分が何かを疑問視している時に、その心の動きが「問い」なのか「疑い」なのかを考えることができるようになります。このような意味で、何かを知るということは適切な判断(問題解決)を我々に促します。

そういう意味で、「問題解決」を目指す姿勢は、「真実」を知ろうとする態度に繋がりやすいです。しかし、「真実」を知ること自体の面白さなどに取り憑かれてしまい、本来の目的である「相手のため」の「向上心・問題解決の心」を忘れてしまうと、「知識欲」に堕ちてしまいます。例えば、オカルト好きな人などはこういった「知識欲」に取り憑かれている人です。彼らは知ることの面白さのために知識を得たいのであって、動機が「自分のため」だからです。

そういった「知識欲」に堕ちると目的が「快楽」を得ることなので、何が正しいかを「問う」ことができなくなります。我々が何かを知る時、その情報が正しいかどうかを吟味しなければ、間違った情報を信じてしまうことになります。そういった適切な吟味を促すのが「水の気持ち」の「問い」であって、「知識欲」は「欲望」だからこそ「問い」ができません。だからこそ、「知識欲」に堕ちると「問い」が適切にできず、間違ったことを鵜呑みにすることに繋がります。

そして、間違ったことを信じることは我々の人生全体を狂わせます。例えば、「未来は全て決まっている」ということを物理学者が明らかにしたという情報を鵜呑みにしたのであれば、我々は現在において自分の意志を強く保つことができなくなります。何故ならば、「未来は全て決まっている」ということを信じることは現在の意志を奪うことに繋がりやすいからです(実際は、未来のことは決まっていません。このことについては別で文章を書きます)。

何かを知ることを目指す時、「知識欲」といった罠に捕まらずに、何のためにそれを知ろうとしているのかを常に意識し、「誰かのため」に何かを知ろうとする姿勢を貫いて頂けると幸いです。そのことによって「水の気持ち」を保つことができます。


・「問題解決の心」と「不安」「恐怖」

「問題解決」を目指す気持ちは「問題が解決しなかったらどうしよう」という「不安」に堕ちやすいものです。「問題解決」のことをよく考えるからこそ、「問題解決」できない場合のことも考えやすくなるからです。そのような意味で、「水の気持ち」と「不安」は密接な関係にあります。そして、「不安」が大きくなると「恐怖」となります。

そういった「不安」や「恐怖」に堕ちないようにするためには、自分が何を具体的に「不安」に思っているのかを整理し、問題を分析し、その問題を解決するために「水の気持ち」に戻るということを行なって頂ければ、と思います。漠然とした「不安」は「問題解決」を促しませんが、何がどのように「不安」なのかをよく分析すれば、問題の構造が見えてくるので「問題解決」の方向性へ向かっていくことができます。そのことによって、「不安要素」を取り除いていくことができます。


・「急ぎ」と「焦り」

「問題解決」を目指す気持ちは、「早く問題を解決したい」という気持ちに繋がりやすいです。何故ならば、再短時間で最高の効率を目指すという在り方自体が「問題解決の心」によって起こりやすい気持ちだからです。「水の気持ち」によって「急ぐ」ことは問題ではないのですが、少しでも「終わらないかもしれない」という「不安」、「早く終わらせたい」という「欲望」、「嫌だから早く終わらせたい」という「嫌悪」の気持ちを抱くと、「焦り」に堕ちてしまいます。ですから、「水の気持ち」を抱いて急ぐ場合には、「不安・欲望・嫌悪」といった発想を持たないように心がけて頂けると幸いです。そのことによって「焦り」に堕ちないようにできます。

また、「焦り」に堕ちないようにするためには、現実的に「焦り」を抱かなくて済むような状況をいつも作ることを心掛けることもとても大事です。そのためにも、「水の気持ち」でいつも現実と向き合うことがとても大事になります。「焦り」を生む状況を作るのは何らかの「甘さ」です。「水の気持ち」は「甘さ」を一番抱きづらい「光の気持ち」です。「甘さ」に対して「水の気持ち」で打ち勝つように心掛けて頂けると幸いです。


・「反省」と「後悔・罪悪感」

「向上心」は「反省」の態度に繋がります。「反省」とは自分の過ちを受け入れて、二度と同じような過ちを犯さないように深く心で受け止める心の動きです。また、どうして自分がそのような過ちを犯してしまったのかということを理解する問題分析の行為でもあります。こういった心の動きを「水の気持ち」の「向上心」は作っていきます。

しかし、こういった「反省」の気持ちは「後悔・罪悪感」と非常に近い心の動きです。「後悔・罪悪感」という気持ちは自分の過去の過ちを「悔やむ」という方向性であって、自分自身に対する「嫌悪・怒り」や、過去を変えられないという「絶望」から生まれる心の動きです。「反省」は「悔やむ」のではなく「向上」することを目指すのに対して、「後悔・罪悪感」は「向上」するのではなく「悔やむ」ことを行なう心の動きであると理解して頂けると幸いです。

過去はどうやっても変えられないので、自分の犯した間違いは受け入れるしかありません。そういった過去を受け入れられないと「後悔・罪悪感」に堕ちます。そして、自分の過去の過ちを受け入れるためには、魂の「強さ」が必要です。魂の「強さ」が無いと、自分にとって都合の悪いことを受け入れることはできないからです。「反省」と「後悔・罪悪感」について、魂の「強さ」の問題がこのように繋がっていることも意識して頂けると幸いです。


・「向上心」と「比較の闇(優越感・劣等感)」

「水の気持ち」によって自分が「向上」すればする程、自分が他人よりも優れていくことになります。そして、自分が他人よりも何かが優れているという感覚は「優越感」という「快楽」にも繋がりやすい危険なものです。そして、「優越感」とは「自分のため」の感情であって、「相手のため」のものではありません。どんなに自分が「成長」しようとも、「優越感」に捕まらないように心掛けて頂けると幸いです。「誰かのため」に自分の成長を目指す気持ちがある限り、どんなに自分が成長しようとも「優越感」に堕ちることは防ぐことはできます。

また、これは一般に言えることですが、「優越感」を防ぐ方法としてこの世界の成り立ちを知ることはとても有効な方法です。例えば、自分の見た目が美しい・かっこいいことで「優越感」を抱く人はいますが、我々の身体は我々自身がゼロから作ったものではなく、今世の授かり物です。つまり、自分の外見はほとんど誰かからもらったものです。そのことを意識すれば、自分の外見で「優越感」に堕ちることを防ぐことができます。何故ならば、他者からもらったものを通して「優越感」を抱く事は変な状態だからです。

日本では、他者からもらった見た目が美しい・かっこいいということが、自分自身が美しい・かっこいいということにすり替わりがちな傾向があります。自分自身は自分の魂であって、外見はただのもらいものです。そういったことを改めて一つずつ理解していくと、「優越感」に堕ちずに済みます。また、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがありますが、世界のことを知れば知る程、自分が「井の中の蛙」であることを知ることができるので、何かを知ることは「優越感」をかなり防ぐことができます。

自分にどんな能力が足りないのかを理解することは、自分が抱えている問題を理解することとも言えます。「向上心」は自分に何が足りないのかを知ろうとする心の動きに繋がるので、「水の気持ち」と共に生き始めると自分に何が足りないのかをよく知るようになります。もし、そういった足りない点を残念に思うのであれば「劣等感」に堕ちやすくなります。しかし、そういった足りない点を解決し、伸ばしていけると思うのであれば「向上心」を貫けます。

「向上心」も「劣等感」も自分に足りない点を見るということを前提とする感情なので、自分に足りない点を知る際には、「劣等感」に捕まらないようにして頂けると幸いです。そして、自分が人よりも優れている点を知る際には、「優越感」に捕まらずに「向上心」を貫くようにして頂けると幸いです。そういった「向上心」を貫く上でとても大事なのが、「他者のため」に自分にできることは最大限に行ないたいという気持ちです。そういった気持ちを抱くことで、どこまでも「向上」しようとする「意志」を抱くことができます。


・「問い」と「被害妄想」

「水の気持ち」は「問題解決」の思考からよく「問い」を行なうので、相手が自分のことをどう思っているのかをよく「問う」ことにも繋がります。こういった「問い」の姿勢が「被害妄想」に堕ち得るタイミングの多さに繋がります。「被害妄想」に堕ちることを防ぐためには、相手が何を考えているのかをよく分析することです。多くの場合、「被害妄想」は根拠がない形で、相手が自分のことを悪く思っていると思い込むケースだからこそ、根拠を見出すことで「被害妄想」を「解決」できます。そういったことを行なうためにも「水の気持ち」の「問い」が大事になります。

ただ、そういった根拠を探る時にも「疑い」や「不安」などに取り憑かれると、現実が見えなくなるので、あくまで「問い」の気持ち=「水の気持ち」を抱く必要があります。どうして「疑い」や「不安」に堕ちると現実が見えなくなるかというと、「疑い」や「不安」は客観的な判断ではなく感情的な判断を促すからです。「疑い」や「不安」は、その感情の内に「嫌悪」や「恐怖」があるので、物事をネガティブ(否定的)に捉えます。「問い」は客観的でニュートラル(中立的)な判断を促すので、現実を見る上でとても優れています。


・「厳しさ」と「咎める心」

「問題解決の心」の「厳しさ」が「愛」を失ってしまうと、ただの「怒り」になってしまうということは書きましたが、そのことと近い関係性にあるのが「咎める心」です。「咎める心」も「問題解決の心」も相手の抱えている問題を指摘するという意味では同じです。しかし、「問題解決の心」が「他者のため」に問題を指摘することとは対照的に、「咎める心」は「自分のため」に(自分の不満を解消するといったことのために)問題を指摘するということを行ないます。

「問題解決の心」から「愛」が無くなると「怒り」となり、その「怒り」が「咎める心」に発展するといった形で、「水の気持ち」は「咎める心」に繋がり得るものです。ですから、そういった意味でも「水の気持ち」を抱いている時に、心の中の「愛」を守るように努力して頂ければ、と思います。
 

・「問い」と「混乱」

「問題解決の心」が促す「問い」という行為は、正解が分かればいいのですが、正解が出ない時には「混乱」に堕ちやすくなります。初めから「問い」を行なわなければ「混乱」に堕ちることもないのですが、「水の気持ち」は「問い」をよく行なうからこそ「混乱」に堕ちやすい感情です。

「混乱」に堕ちる時は「不安」と同様に、自分が何に対してどのように「混乱」しているのかを分析して、一つ一つの疑問を解消するために「問い」を行なう必要があります。その際に「疑い」を使わないようにして頂ければ、と思います。「疑い」は色々なものを疑わしく思わわせてくる感情なので、「混乱」と「疑い」がセットになると迷路のように真実が見えなくなっていくからです。

現状がどのような状態なのかを理解できないと人は「混乱」に堕ちます。そういった「混乱」を解決できるのは現実を見るべきように見ることであって「水の気持ち」の「問い」はそのことを促します。中途半端な「問い」は「混乱」を作るきっかけになるのですが、「混乱」を解決することができるのも「問い」です。「問い」と「混乱」はこのような密接な関係があります。

「混乱」に堕ちないようにする上で必要なことは「不安」「疑い」「恐怖」などに堕ちずに「水の気持ち」を維持できるだけの魂の「強さ」と、適切に「問い」を行なうことができるだけの魂の「賢さ」です。逆に言うと、「混乱」に堕ちてそこから這い上がるという経験は我々に魂の「強さ」と「賢さ」を伸ばすきっかけを与えます。


※以上が「水の気持ち」から堕ちやすい「闇の気持ち」です。ここでは非常に大雑把に説明をしましたが、「水の気持ち」をよく抱く方はこれらの内容は全て頭に入れて生きていかれることがとても大事です。何故ならば、こういった知識は我々が「水の気持ち」を保つことを強く支えるからです。罠とは、そこに罠があることを知らなければ堕ちやすいものですが、そこにどういう罠があるのかを予め知っていれば堕ちにくくなります。

人によっては「水の気持ち」をよく抱いていてもここに書いていない「闇の気持ち」に堕ちることはあります。例えば、「水の気持ち」は「問題解決」のことを目指すが故に「甘さ」には本来堕ちづらいのですが、「水の気持ち」を強く抱いていても「甘さ」によく堕ちる人はいます。そういった人は、その人の魂が「甘さ」に堕ちやすい悪い癖を持っている形になります。

ここに書いていない「闇の気持ち」は「水の気持ち」を抱いている限り堕ちにくいものであって、そのことは言い換えると「水の気持ち」を抱いていれば乗り越えられる「闇の気持ち」です。例えば、「水の気持ち」をずっと抱いていれば「甘さ」は乗り越えられます。ですから、ここに書いていない「闇の気持ち」については「水の気持ち」で打ち勝つということを純粋に目指して頂ければ、と思います。

 

【「水の気持ち」を理解する上で参考になるキャラクター】

物語はストーリーが伴い、ストーリーは登場人物達の感情の変化を表現するので、我々が気持ちについての理解を深める上で物語はとても参考になります。そして、アニメーションという方法は現実にいない人物を描くことができるので、理想的な人間の姿や最も理想的でない人間の姿を描くことを可能にします。そのような意味で、アニメーションは我々が気持ちについての理解を深めることを目指す上で大きな助けとなります。

 

「水の気持ち」の長所と短所をよく捉えているのが、アシタカと碇シンジです。二人とも「水」の色である青の服を着ていることは、この二人が「水の気持ち」を理解する上で主軸であることを示すために神々が作ったデザインになります。

アシタカは「水の気持ち」を最もいい形で実践し、碇シンジは「水の気持ち」を最も悪い形で実践している人物として描かれています。ですから、アシタカと碇シンジは両極端な「水の人」であって、この二人を分析すると、「水の気持ち」の長所と短所についてかなり理解を深めることができます。

アシタカは森(サン)とタタラ場(エボシ御前)の対立を止めますが、その様子は「水の気持ち」が「問題解決」を促すということを非常に的確に描いています。そして、アシタカは何があっても他者に対する「愛」を貫き、常に「弱さ」に堕ちずに「強さ」を保ち、非常によく考えているが故に「賢さ」も持っています。そういったアシタカの姿は「美しさ」や「凛々しさ」も持っています。真の「水の気持ち」は美しく、凛々しいということを宮崎駿は素晴らしい形で描いてくれています。このような意味で、アシタカは「水の気持ち」を目指す上で一つの理想の姿です。詳しくは『もののけ姫』の解説を読んで頂けると幸いです(後日書きます)。

碇シンジは「水の気持ち」が故にありとあらゆる「闇の気持ち」に捕まっている人間として描かれています。それらの一部を列挙したいと思います。

自分自身への「問い」が自分自身への「嫌悪」に繋がる:「僕は弱くて、嘘つきで、、、」
自分自身への「問い」が自分自身への「疑い」に繋がる:「そんなこと(僕に)できるわけないよ!」
「問題解決の心」が「不安」や「恐怖」に繋がる:「これで死ぬかもしれないね。。」
「問題解決の心」から他人の顔色ばかりを伺い、よく「被害妄想」にも堕ちる:「皆僕が要らないんだ。。」
「反省」ができずに「後悔・罪悪感」「自己嫌悪」に堕ちる:「最低だ、、俺って。。」
「問題解決の心」が故に「怒り」に堕ちる:「父さんはトウジを殺そうとしたんだ、、、この僕の手で!(略)本部の半分は壊せるよ。」

碇シンジは「愛」を持っているからこそ、他人を傷つけることなどに対して「不安」「恐怖」「罪悪感」などに堕ちたりする人物です。もし、本当に他人のことをどうでもいいと思っているのであれば、他人を傷つけることを怖がることもありませんし、他人を傷付けたことで「罪悪感」に堕ちることもありません。碇シンジは「愛」があるからこそ「水の気持ち」を抱いているのですが、そういった「愛」も原因として「闇」に堕ちる非常に不器用な主人公として描かれています。

また、上の一覧は碇シンジの捕まる「闇」のごく一部であって、碇シンジは「闇の気持ち」30個のそのほとんど全てに捕まります。碇シンジは「愛(相手のため)」があるからこそ「闇」に堕ち、「自分のため」に生きている面もあるからこそ「闇」に堕ちる人物として描かれています。ですから、碇シンジがどのように「闇」に堕ちるのかをよく分析すれば、我々は「闇」に堕ちる罠の構造を学ぶことができます。詳しくは、『エヴァンゲリオン』の解説を読んで頂けると幸いです(後日書きます)。

アシタカと碇シンジをこのような位置付けの中で理解して頂けると幸いです。そして、この二人のそれぞれの場面での振る舞いの意味を理解して頂き、碇シンジのようにならずに、アシタカのようにあることを目指して頂ければ、と思います。宮崎駿作品と庵野秀明作品はこのような意味で、我々人間にとって心の教科書のような意味を持っていますので、このホームページの解説と合わせてそれぞれの作品の持っている意味を理解して頂けると幸いです。


【「水の気持ち」を歌う歌手】

歌はその歌手が抱いている感情を表現する上でとても優れたものです。ですから、「水の気持ち」について、感覚的に理解するために「水の気持ち」と共に歌を歌っている歌手の歌を聴くことはとても大きな学びを我々にもたらします。

また、今はiPhoneなどで音楽を再生することができ、ずっと聴き続けることができます。「水の気持ち」を歌う歌手の歌を聴き続けるのであれば、我々はその歌を通して自分の「水の気持ち」をずっと支えることをしやすくなります。ですから、「水の気持ち」を抱く上でとても有効な方法は「水の気持ち」を歌う歌手の歌をよく聴くことです。そのことによって、「水の気持ち」についての理解も深まります。これはとても有効な現実的な方法なので、是非生活に取り入れて頂ければ、と思います。
 

・Salyu

Salyuは長年の間、金星神と共に「水の気持ち」をずっと歌っています。中でもSalyuのデビュー曲である『Valon-1』は歌詞の中でも「水」に関連する言葉が多く、現代において「水の気持ち」がどのように重要なのか、どういった気持ちが「水の気持ち」なのかを、とてつもなく優れた形で表現してくれています。そのような意味で、『Valon-1』は現代を生きる我々にとって非常に重要な一曲です。

『Valon-1』の他にも重要な楽曲が多くあります。

『Valon-1』の解説はここに詳しく書いています。
http://junashikari.com/singer/『valon-1』について/

Salyuについてはここに詳しく解説を書いています。
http://junashikari.com/singer/salyuについて/


・UA

UAも長年の間、金星神と共に「水の気持ち」をずっと歌っています。

以下の映像は神々が雨や雷でUAに合わせている様子が分かるので、とても素晴らしい映像です。


・Aimer

Aimerも金星神と共に「水の気持ち」を歌う歌手です。エメはデビューして5年ですが、この5年間に重要な曲を多く残してくれています。


・大木伸夫(ACIDMAN)

ACIDMANの大木伸夫も長年の間「水の気持ち」を歌ってきた非常に重要な歌手です。

 

・高橋洋子

エヴァンゲリオンのオープニングテーマ『残酷な天使のテーゼ』で有名な高橋洋子も金星神と共に「水の気持ち」を歌い続けてくれている非常に重要な歌手です。

 

【「水の気持ち」に対する日本人の理解】

一般に、「水の気持ち」は日本人の抱く「愛」のイメージとは異なります。日本人の抱く「愛」のイメージは「優しさ」などだからです。ただ、「水の気持ち」は「愛」が故に起きる気持ちだからこそ、間違いなく「愛」の一つの形です。そういった理解を日本人全体で行なっていくことはとても大事です。何故ならば、そういった風な理解を多くの人がしていかない限り、「水の気持ち」を強く抱いて生きている人のことを日本人は誤解するからです。

「水の人」は問題をいつも見つめるので、決して「幸せ」そうな顔はしていません。そういった姿も日本人の抱く「愛の人」のイメージとは異なります。いつも優しそうで微笑んでいるような人が多くの日本人にとって「愛の人」のイメージだからです。だからこそ、「水の人」は誤解されがちですし、「怖い」と思われがちな存在でもあります。

「水の気持ち」は「問題解決」を目指す気持ちなので、具体的な問題を解決する上で、最も能力が高い「光の気持ち」です。そして、現代はありとあらゆる問題が山積みになっている時代です。ですから、本当は最も大事にすべき「光の気持ち」は「水の気持ち」なのですが、現状は日本人にとって最も分かりづらい「光の気持ち」として存在しています。

そういった状況を改善するためには、「水の人」が社会で強く活躍する必要があります。本当に誰かが強く社会で活躍すれば、その人は目立っていくことになります。そして、「水の人」が本当に社会を良くしていくのであれば、「水の気持ち」がいいものとして、多くの人の心に無意識に刻まれていきます。そうすると、より「水の気持ち」を抱くことを目指す人が増えていきます。そのような人が増えていけば、社会の抱える様々な問題は解決されていきます。身近な関係性から世界全体に至るまで、この星を少しでもいい場所にしていくためには、このような「水の気持ち」の連鎖反応を生んでいく必要があります。
 

【最後に】

「愛」は「相手を大事と想う気持ち」だからこそ「相手のため」に動きます。それに対して「欲望」は「自分が利益を得ることを目指す気持ち」だからこそ「自分のため」に動きます。そして、「自分のため」に動いていると他者に対する配慮に欠けるので、何かしらの問題を作っていきます。

例えば、小さな問題で言えば、浮気は「欲望」によって問題を作る行為です。浮気をするのは「恋人のため」ではなく「自分のため」です。そういったことは、恋人に対する配慮に欠けるからこそできることであって、もし浮気のことを恋人が知ったら恋人は傷付くことになりますし、自分も「不安(浮気を知られたらどうしよう)」「罪悪感(なんであの時間違ったんだろう)」といった「闇の気持ち」に堕ちやすくなります。

大きな問題で言えば、原発の問題が起こるのはどこかで電力会社が「自分のため」を選んでいるからです。本当に「他者のため」を思うのであれば、原発のリスクを考えて原発を使うことはありません。「愛」ではなくて「欲望」を選んだからこそ、日本人は原発の問題を抱えているということを理解して頂けると幸いです。

このような形で、「欲望」は様々な問題を作っていきます。「光の気持ち」の中でそういった問題の解決を目指すための気持ちが「水の気持ち」です。「闇(欲望)」が問題を作り、「光(愛)」が問題を解決するという、「光」と「闇」の基本的な構造の中で骨格として存在するのが「水の気持ち」であることを御理解して頂き、「水の気持ち」の価値について理解を深めて頂けると幸いです。そして、「水の気持ち」の内容について理解を深めて頂き、「闇の気持ち」に堕ちずに、「水の気持ち」を抱き続けられるように心掛けて頂けると幸いです。

ここでは「水の気持ち」の概要について書きました。気持ちについての学びは経験の中で得られることなので、日々の生活の中で「水の気持ち」に関する様々な学びを得て頂けると幸いです。また、宮崎駿作品や庵野秀明作品や「水の気持ち」を歌う歌手の歌は、「水の気持ち」について深い理解を得ることを本当に助けるので、そういった重要な作品と共に生きることを行なって頂けると幸いです。