日本人は非常に「暴力の快楽」の気と仲良くしている民族になります。日本においては、「あの人は本当にMよね」というような発言が普通にありますし、自分がSかMかというような分析も行ないます。しかし、国にも依りますが、海外で「あなたはSですか?それともMですか?」と言ってもあまり通じません。

「暴力の快楽」とは闇の第23感情として存在します。その内容はSM、ドメスティックバイオレンス(DV)、緊縛などを好む心のことであり、そういった暴力を喜ぶ心です。それは暴力を振るう側(S)にとっても暴力を振るわれる側(M)にとっても共通の気として存在し、「暴力の快楽」の気が身体に入っている人々は、そういった暴力を通して「快楽」を得ます。

「暴力の快楽」は暴力に対する「欲望」であり、「欲望」であるからこそ「快楽」を伴います。しかし、この「暴力の快楽」は「欲望」の気とは別です。なぜならば、この「暴力の快楽」とは闇の第二感情である「欲望」と中立の感情の一つである「暴力の心」が合わさったものであるからです。ちなみに、自分を傷付けることを求める「自傷心」は闇の第24感情であり、この「暴力の快楽」とセットで生まれた気になります。

それぞれの感情については以下のリンクを御参照下さい。
http://junashikari.com/energy/感情一覧(光・闇・中立)/

日本社会はかなりこの「暴力の快楽」の気をシェアし、広げています。だからこそ、これだけSMの発想が根付いているのです。SMというと、非常に過激なものを想像するかもしれませんが、それはつねったり噛んだりといった軽度のものから、首を絞めたり道具を使ったりというものまでを含みます。そこで得られる快楽とは「暴力の快楽」の気よりもたらされている快楽です。ですから、そこでその快楽を経験してしまうと、その「暴力の快楽」の気を身体に入れることになり、そういったものを次にも求めるようになります。

ドメスティックバイオレンス(DV)は何らかの不満を「暴力の快楽」によって発散させる行為です。これには様々なケースがあると思いますが、例えば旦那がDVのケースというのは妻に対して暴力を行なうことで何らかのストレスを発散させています。しかしながら、「ストレスを発散」とは言っても結局は「暴力の快楽」によってそういったストレスから目を背けることができているだけなので、DVを行なったからといって問題は解決せず、むしろその暴力はエスカレートしていきます。そして、ストレスの原因とは「闇の気」です。ですから、そういった傾向がある方は運動や瞑想や何らかの方法を通してその「闇の気」を浄化していかなければなりません。

緊縛というものがあります。古くから存在する日本文化の一つであり、縄で人を縛る行為であって、趣味やアートとして現代でも存在します。また、その他のSMなどとセットで行なわれることもあります。縄で縛るのですから、これも一つの暴力です。そして、暴力だからこそ得られる「快楽」が存在します。また、緊縛とは肉体的な側面だけでなく、極めて精神的な側面もあり、縛られている人間はその「縛られている」という心理状態を好んだりもします。縛る側の人間もそうなのかもしれません。物理的側面とは「暴力の快楽」ですが、この精神的な側面とは「二次的闇経験の快楽」であり、別の闇の感情です。だからこそ、緊縛という行為はこの二つの闇の気がもたらす快楽を同時に感じることができるものであり、一度そこに入ってしまうとかなり抜け出しづらいものなのです。

「二次的闇経験の快楽」についてはここに書いています。
http://junashikari.com/emotion/二次的闇経験の快楽について/

以上が「暴力の快楽」についての説明になります。「闇の気」とは肝心なところで我々の人生を狂わせます。「光の気」は我々を良き方向へ導き、「闇の気」は我々を悪い方向へ導くからです。ですから、「快楽」のために「暴力の快楽」の気と仲良くしたつもりなのに、それがきっかけとなり人生が狂っていくことは多いにあり得ます。そこで得た「快楽」とそこで失ったものを初めから比べるならば、多くの人はその「快楽」を選ぶことはないはずです。何故ならば、「闇の気」とは大変恐ろしいものであるからです。